草莽とは

「草莽」 という言葉が一部ではやりのようである。ちょこちょこっと検索してみると、草莽崛起-PRIDE OF JAPAN だの、「草莽崛起の会」 だの、なんともアナクロな匂いのする言葉がぞろぞろと出てくる。

たとえば、草莽崛起-PRIDE OF JAPAN というサイトでは、「私たち地方議員は、かつて幕末の坂本龍馬らが幕藩体制を倒幕した草莽の志士のごとく、地方議会から「誇りある国づくり」を提唱し、日本を変革する行動者たらんことを期す」 と、声高らかに宣言されている。

草莽とはほんらい無位無官の在野の人間のことを意味するのだから、いくら地方議会であるとはいえ、税金で養われている議員らが 「草莽」 などと称することじたい奇妙な気はするが、それはまあおいておこう。

草莽などという中国伝来の古色蒼然たる言葉と PRIDE OF JAPAN という正真正銘の英語とが混在しているところも、なんとも微笑ましい感じがするが、それもまあおいておこう。

また、大の大人が幕末の志士を気取っているところには、いささか子供っぽさが感じられなくはないが、坂本龍馬であれ高杉晋作であれ、歴史上の人物を理想とし手本とすることも、いちおうその人の自由ではあるから、まあよしとしよう。


この言葉は、もともと孟子の 「国に在るを市井の臣といひ、野に在るを草莽の臣という」 という一節を典拠としているが、直接には幕末の 「安政の大獄」 で捕えられ処刑された松蔭の言葉からきているらしい。


ところで、マルクスの 『ルイ・ボナパルトブリュメール18日』 には次のような一節がある。

 

人間は自分自身の歴史をつくる。だが、思うままにではない。自分で選んだ環境のもとではなくて、すぐ目の前にある、与えられ、持ち越されてきた環境のもとでつくるのである。

 死せるすべての世代の伝統が夢魔のように生ける者の頭脳をおさえつけている。またそれだから、人間が、一見、懸命になって自己を変革し、現状を覆し、いまだかつてあらざりしものを作り出そうとしているかに見えるとき、まさにそういった革命の最高潮の時期に、人間はおのれの用をさせようとしてこわごわ過去の亡霊どもを呼び出だし、この亡霊どもから名前と衣装をかり、この由緒ある扮装と借り物のせりふで世界史の新しい場面を演じようとするのである。


であるから、幕末の国学や水戸学の伝統のもとで教育を受けた知識人であった松蔭が、新たな勢力による時代の変革を呼びかけたときに、「孟子」 にあったこの言葉を想起したことにはなんら不思議な点はない。

だが、その場合に、彼のこの言葉から引き継ぐものがあるとすれば、なによりも既成の秩序や思想に囚われない、未来を志向する新たな変革の思想を求めるという点だろう。ただ、その言葉だけを受け継げばよいものではない。


しかし、今のこの時代に 「草莽」 などという言葉を呼び出すことには、どういう意味があるのだろうか。もちろんこの言葉が、たとえば戦前戦中において、どのような政治的環境と文脈のもとで使われたかも、無視できない問題ではあるが。

草莽崛起」 とは、まさに国家の危急存亡のときにあたって、一般の民衆が国家あるいは主君のもとにはせ参じることをいう。つまり、「草莽」 という言葉はたんに一般の民衆を指すというだけでなく、同時にかつては天皇や国体であり、現代では民族やあるいは抽象的な 「国家」 という、一般の民衆が忠義=忠誠を誓うべき対象を呼び起こし、指し示す言葉であるように思える。

その点において、この言葉には国家の主権者であり、政治の主体であるべき近代的な市民としての意識とは相容れないものが感じられる。むろん、この言葉を使い、あるいはこの言葉に引かれるような人たちが、そのことをどこまで意識しているかは、また別の問題であろう。

しかし、この言葉の現代における愛好者の間には、明らかに思想的な意味での党派性が確認できる。その意味でも、この言葉と、たとえば 「草の根民主主義」 といった言葉との間には、一見よく似ているようではあっても、やはり無視し得ない違いがあるように思われる。


ところで、この言葉が好きな人たちの最近の活動としては、ワシントン・ポストに 「従軍慰安婦」 問題に関する反論の意見広告を大々的に掲載し、結果として米議会での日本非難決議の採択をおおいに手助けしたことがあげられる。

そこに表されていたのは、ようするに破裂しかねないほどに肥大した彼らの尊大な自己意識だけであり、結果として暴露されたのは、彼らの国際感覚の欠如、そして具体的な問題について交渉し解決する能力のあきれるほどの欠如であった。


美しい国」 などという主観的心情的で曖昧な言葉の多用
「草莽」 だの 「維新」 だの 「回天」 だのという、特殊な歴史性を帯びた言葉に対する陶酔的な偏愛
具体的で現実的な問題からの夢想的な逃避
そしてなによりも、自己と他者をめぐる状況を客観的に判断する能力の完全な欠如


彼らのこういった特徴には、かつてシュミットが論じた、主観性に閉じこもって政治を美学化する、 「現実から遊離」 した 「政治的ロマン主義者」 を思い起こさせるものがある (ちょっとおおげさ、というか過大評価かも)。

 

自己風刺の中にある客観化、主観主義的幻想の最後の残滓の放棄ということは、ロマン主義的な立場を危殆に瀕せしめるであろうし、ロマン主義者は、ロマン主義者たるかぎり、本能的にこうした放棄はさけるのである。・・・

 彼らの用いる言葉は、彼らがつねに自己についてのみ語り、対象について語ることが少なかったために、実体のないものであった。

『政治的ロマン主義』 カール・シュミット


シュミットの政治思想については、もちろんワイマール共和制に対する攻撃とナチスに対する一時的な協力など、いろいろな問題が含まれている。しかし、ここでの彼の指摘には鋭いものがある。彼のいう 「政治的ロマン主義者」 とは、一言で言うなら、空疎な言葉ばかりをもてあそび、具体的な政治的な決定と行動をおこす能力を欠いた 「政治的不能者」 のことである。


19世紀のドイツにおける政治的ロマン主義は、フランス革命の影響とナポレオンの支配、さらにはその後の解放戦争の過程で、上から強制され、あるいは勝ち取られた近代化に対する反動から生れた。そして現代のこの国の二流三流の政治的ロマン主義者たちは、15年戦争の敗北と、その結果として強制され達成された 「戦後レジーム」 への反動から生れているようだ。これはなんとも 「喜劇」 的な、200年遅れの状況のように思える。

しかし、彼らのような 「政治的不能者」 が、この国で一定の政治勢力として存在しうるのは、なによりも彼らがアメリカの強力な庇護を一貫して受け続け、その結果、外交をはじめとする現実世界の苛烈な問題をアメリカに丸投げして、夢想的に回避することがいまなお可能であるからにすぎない。つまり、その意味において、彼らもまた、彼らが蛇蝎のように嫌う 「戦後レジーム」 の落とし子なのである。


このような現象は、この国の大衆の間に政治への不信と閉塞感が瀰漫していることの一つの結果であり、その表現ではある。

しかし、同時にそこから感じられるのは、半世紀以上続く戦後政治の一種の温室的状況のもとで、一部の政治勢力の劣化がいまや極限にまで進行しているという事実であり、その結果、一般の国民の現実的意識とそのような勢力の幻想的意識との間に、大きなねじれとゆがみ、そしてきわめて危険な乖離と落差が生じているという事実でもあるように思われる。