言葉はすべてブーメラン

 気になって仕方ないのであろう?貴兄がいない側のグループがどれほど大きいか、誰がいるか?筆者のプロフィールがどこかで探せるはずだからそれを見れば事情は推察できるはずだ。いったん同じグループに属したからと言ってずっとそちらにいるとは限らないのだ。


なんのつもりかは知らないが、下卑たことを言うことで明らかになるのは、そのような下卑た発想しかできぬ者の下卑た根性だけだ。
この意味が、「貴兄」に分かるか。
id:yamada11111taro よ。
一度、鏡で自分の顔をよく見てみることだ。
「貴兄」のいうような下らぬことを真に受けるものがいるとすれば、それは「貴兄」と同じ程度に下らぬものだけだ。


追記

 他人への批判であれ、批評であれ、人は良くも悪くも自分の尺度でしかものを言えない。そこで、顕わになるのは、その人が持っている尺度の是非であり、その人の甲羅の形と大きさということになるだろう。その意味で、批判や反論をするということは、どんな場合にも、おのれを他人の前にさらけ出すことを意味する。

 「自分を棚に上げた批判」をする人は、まさにその人がそのような人であることを暴露しているのだし、頓珍漢な批判をする人は、それによって、その能力を示すことになる。くだらぬ嘲笑や罵倒しかできぬ人は、それによって自らがその程度の者であることを表明しているのだし、知ったかぶりや揚げ足取りばかりをする人は、それによって自らがそのようなくだらぬことしかできない人間であることを暴露していることになる。

 だから、批判という行為によって明らかになるのは、対象と同時に、批判をする者自身でもある。自己というものは、なにも気恥ずかしい 「内面の吐露」 や演技めいた 「告白」によってしか、顕わにならないわけではない。言葉というものには、すべてその人の人となりが表されるのであり、言葉を発するという行為は、すべてそのようなものである。

http://plaza.rakuten.co.jp/kngti/diary/200808260000/

上の部分をもう一度よく読んでみることだ。
そうすれば、いま「貴兄」がやっていることの愚かさにも気付くだろう。
それでも気付かないというのであれば、あとはご勝手に。