歴史的仮名遣い

歴史的仮名遣い―その成立と特徴 (中公新書)

歴史的仮名遣い―その成立と特徴 (中公新書)

 歴史的仮名遣いといえば,現在使われる「あ」〜「ん」に,「ゐ」「ゑ」を加えた四十八字を用いる昔のかなづかい,ということはよく知られている。現代かなづかいに切りかわった今は,和歌・俳句などを除いてほとんど見られなくなった。同一音の「はわ」「いひゐ」「うふ」「えへゑ」「おほを」を,語に応じて書き分ける必要があるほか,「あふぎ(扇)」「さうだらう(そうだろう)」「けふ(今日)」「でせう(でしょう)」などオ列長音の表記や,「四つ仮名」とか「蜆縮涼鼓」と呼ばれる「じぢずづ」の区別にも注意が必要で,我々の祖父母の世代はこれを諳記するのに相当の労力を費やしたようだ。
 なぜこのようなややこしい仮名遣いが行われていたのだろうか。「歴史的」とはいかなる意味なのか国語学者の手によるこの本は,明快に解いてくれる。
「かなづかい」には実態と規範という二つの意味あいがある。実態とは,事実としてどのようなかなづかいが行われているか,という状況を指す。規範とは,どのようなかなづかいを使うべきかという表記のルールのこと,正書法の問題である。通常「歴史的仮名遣い」「現代かなづかい」と言う場合には,従うべき規範の話をしている。
 実態の意味での仮名遣いとして,上代特殊仮名遣いがある。これは,古事記など奈良朝以前の文献に見える万葉仮名の特殊な使い分けのことだ。これらの文献では,エ,キヒミ,ケヘメ,コソトノヨロの十三種+その濁音について,仮名としてそれぞれ二グループの異なる漢字を使っている。例えば今は同じ仮名コをあてる和語「子」「此」に対して,それぞれ「古」の類(甲類)と「許」の類(乙類)を使い分けていて,決して混用することがない。このことからいえるのは,どうもこの十三種+濁音は,上代においてそれぞれ異なる二つの発音をもっていて,のちに一つにまとまったのではないかということだ。どのように発音が異なっていたのかについては諸説あるが,甲類・乙類が異音であったこと自体は定説になっている。この異音関係は,万葉仮名の終焉までに解消したため,ひらがなカタカナには反映されていない。
 つまり,表音文字として成立した仮名は,初め発音と表記が一致するものだった。万葉仮名然り,ひらがな然りである。もしこの一致がそのままであれば何の問題も起こらない。しかし,口にすればたちまち消えてしまう発音というものは,時代と共にどんどん変わってゆく。一方,紙の上に長く残る表記というものは,なかなか変化しない。このズレが規範としての仮名遣いの必要を生み出した
 最古の規範的かなづかいとされているのは,定家仮名遣いである。藤原定家は,鎌倉初期の歌人新古今和歌集の撰者のひとりで,百人一首の成立にもかかわった。ひらがなができたころ,まだ「ゐゑを」の発音は「いえお」と異なっていた(だからこそ異なるかなが用意された)のだが,平安時代末にはもう区別がなくなってきた。よって,どういう語の場合に「を」をつかい,どういう語の場合に「お」をつかうのか等で混乱が生じていたのだ。平安後期の文献に基づいてこれに指針を与えたのが定家。以後,定家仮名遣いは和歌を作る際に広く用いられる。
 次に,江戸時代に契沖が出て仮名遣いを一新する。契沖は元禄期の学僧。著書「和字正濫鈔」において,書名のとおり濫れた仮名遣いを正すべく,従うべき規範を提示。平安中期以前の文献の仮名遣いを徹底的に調べあげ,定家仮名遣いの間違いを指摘した。これが若干の修正を受けつつ国学者を中心に普及して,二百年ばかりのち明治政府の採用するところとなる。かくて歴史的仮名遣いは学校教育を通じ,国民の隅々までいきわたる。
 契沖の復古主義は徹底している。もし彼の時代に上代特殊仮名遣いが解明されていれば,「ゐ」「ゑ」以外に十三の新たな仮名を用うべし,と空恐ろしい主張をしていたかも。実際は,庶民にまでよく知られたいろは歌の存在が大きく,仮名といえばいろは四十七字,という意識が根強かったため,そんな主張が受け入れられたかどうかは疑わしい。伝統重視も度を過ごすと革新的になるのです。
 歴史的仮名遣いは,読むのは簡単だが書くのはなかなか難しい。この本に巻末附録として,歴史的仮名遣いの要点が載っているので,歴史的仮名遣いを使ってみたい人にはとても便利。ってそんな人いませんかね。