Porcoの日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2008-01-07

[][][]奇跡の映像 よみがえる 100年前の世界 第3回 かげりゆく共存の輝き

20時まで残業、ぶっ飛ばして帰ったぞ。

(1/8追記)

今日もBSドキュメンタリー<奇跡の映像 よみがえる 100年前の世界>

第2夜で番組は 


第3回 かげりゆく共存の輝き” Europe on the Blink

D

(1/14追記 動画発見! YouTubeじゃないけど動画ってことでタグ追加)


フランスの銀行家アルベール・カーンはヨーロッパのあっちこっちに写真家派遣したけど、

東に移動するほど緊張感がでてきたよって話→バルカン


それはそうとスウェーデンから独立したノルウェーは国民の5人に1人が移民となってアメリカへ。

がんがん人口が減っていったそうだ。

となると伝統的なものとかそういうものも消えていくわけで。

昨日のアイルランドもそうだけど、消える時はあっという間だ。

そういえば日本からも南米やハワイ、アメリカ本土に移住していった人がいたが。

日本移民学会

今日は休みだったのだが、午前中近所のおばさんが昆布をもってやってきた。

なんの話からか、おばさんのお父さん(菓子職人)は42才で最後の招集にあって

その時いった言葉が「わしもいかんにゃならんのか」

”支那大陸”に行ったけど炊事班だったからほかの人より

食べ物で苦しいおもいはしなかったといってたそうだ。

ってか私の大叔父が満鉄につとめてたと今日はじめて知った〜


カーンは1908年に”地球映像資料館”をつくると思い立って

1909年に写真家オーギュスト・レオン(Auguste Léon)を雇う。

以来レオンは20年間写真を撮り続けるんだけどまず

フランスのピュイ・ド・ドームへ。

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上はクレルモンフェラン。

その当時、フランス国内ではいろんな方言があったそうで、

数十キロ離れると言葉が違う、みたいな状態。ブルターニュとか。

フランスはコラージュだったと。


でも政治家は地方ごとの違いというものをよく思わなくて

国を統一しようとした。

カーンは地域の特性、多様性が、新しいフランス人のイメージにとりこまれつつあることを懸念。


で、イェール大学のJay Winter著書@アマゾン先生がいってたのが、

レオンがとってきた写真から読み取れることが2つ。

美しい田園風景と田舎が閑散としていること。

うつってる田舎の人の表情が悲しげだとか…ようわからんけど。

当時すでにフランスの田舎は過疎化が進んでいて、産児制限とか、赤ちゃんの死亡率の低下とあわせて

人が少なくなってたそうだ(あーメモがよめねー)

なぜドイツに勝てなかったか…

先生曰く同じころドイツはフランスの6倍を越える速さで人口が増加してたからって、

そういう問題か?


とにかく1910年代のヨーロッパはバベルの塔状態で

今とはまったく違う世界だそうだ(言葉が通じない)。

日本も話し言葉はダメでも文章でいけたとか…漢文だっけ?候文とかそういうのだっけ?

日中韓の話だっけ?(笑)


イタリアが統一された時、正確なイタリア語が話せたのは成人の3%。

フランス同様ってかそれ以上にバラバラ(世界史の先生もいってたな…)

イタリア人である前にミラノ人でありトスカーナ人であったと。

しかも1912、13年ごろのイタリアはヨーロッパでもっとも貧しい国だったとか。

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写真は労働者階級の住まい@ベネチア?右下は土産屋

1階は湿気が多かったり下水がもれたりして物置として使われてたそうだが

田舎から人口流入ですむところが不足してて人が住むようになったとか。


ってことで”知識人”はイタリア人が強くなるには戦争だ!なんていってたそうだ。

そういう集団の記憶が国を強くすると。

軍隊は国民を団結させるんだってさ(ほとんど移動しない田舎の農民とか集まってくる)


なんか、どっかで聞いた話だな。


で、バルカンだ。

当時のバルカンは民族がごちゃまぜで領土の奪い合い。

カーンのコレクションをまかされたジャン・ブリュンヌは

バルカンの複雑な事情を知ってもらうのに写真はいいと考えた。

ってことでバルカン戦争の一次と二次の間にレオンとブリュンヌはバルカンに行くことになる。

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で、マケドニア(現在はギリシャ)のサロニカ(現・テッサロニキ)は

人口の1/4はイスラム教徒だったそうだが、港があったり国際都市として

いろんな民族が混ざっていたそう。

バルカン半島で一番ユダヤ人が多かったそう(スペインで追放されたユダヤ人が住んでいた)

オスマントルコの時代は信仰で服装がきまってたそう。

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マケドニア(戦後ギリシャ、ブルガリア、セルビアに分割される)に住んでいてもマケドニアに対して愛国心はなし。

宗教と村がすべて。

兄弟でも兄はブルガリア人といったり弟はセルビア人といってる人もいたらしい。

もともとそこを治めていたオスマントルコは

税金さえ納めればコミュニティーに口出しはしなかったとか。

でも今度は宗教指導者が村にやってきて”あなたは何人か”と聞いて回る。

答えによっては…(聞き逃した)


バルカンに派遣されたステファン・パセは

ギリシャからトルコに脱出するイスラム教徒の難民を撮る。

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ユダヤ人もサロニカから出て行く。

あ、トロツキーが従軍記者としてマケドニアにきてたそうだ。


ってことでナショナリズムの台頭を写真はとらえた。


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第8回 東洋 不思議の世界 と 第9回 カーンの死 “夢”の終わり のメモ

第6回 勝者と敗者 と 第7回 中東 分割の悲劇のメモ

第4回 塹壕(ざんごう)から見た人類初の大戦 と 第5回 市民たちの大戦のメモ

→第3回 かげりゆく共存の輝きのメモ

第1回 大富豪 カーンの“夢”と 第2回 激動の世紀への胎動のメモ

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