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2005-07-09 島尾敏雄の創作の根底にあるもの

[]「死の棘」日記 「死の棘」日記を含むブックマーク 「死の棘」日記のブックマークコメント


「死の棘」日記

「死の棘」日記


島尾敏雄の『死の棘』は、なぜ、入院前で終わるのか気になっていた。『「死の棘」日記』にその理由が書かれているかも知れないという予測で、読み始めた。入院前後の「地獄」は、夫妻・二人の極秘事項かも知れないではないか。それが『日記』として刊行されたことは、島尾氏の死後の時間の経過が、「家庭の事情」は歴史として公開してもいいというミホ夫人による判断により、今回の刊行となった。そのことは、今なお喪服でいるミホ夫人が序文で触れている。


けれども、『死の棘』はなぜ、妻の入院でおわるのか。詮索することはよろしくない。しかし、気にかかるのだ。晶文社の『島尾敏雄作品集第四巻』では、病妻ものとして、前半は退院後にかかわる9篇と、後半に、入院前の6編が収められている。この構成自体に、のちの長編としての『死の棘』の構想がみえてくる。


一連の「病妻もの」=『死の棘』は、それぞれ短編として、妻の退院後に書かれている。『島尾敏雄作品集第四巻』(晶文社)の「解説」と『死の棘』(新潮社)より、「初出」順に並べてみる。

・『われ深きふちより』(『文学界1955年10月)

・『或る精神病者』(『新日本文学1955年11月)

・『のがれ行くこころ』(『知性』1955年12月)

・『鉄路に近く』(『文学界1956年4月)

・『狂者のまなび』(『文学界1956年10月)

・『治療』(『群像1957年1月)

・『一時期』(『新日本文学1957年1月)

・『重い肩車』(『文学界1957年4月)

・『転送』(『総合』1957年8月)

・『ねむりなき睡眠』(『群像1957年10月)

・『家の中』(『文学界1959年11月)

◎『離脱』(『群像1960年9月)

◎『死の棘』(『群像1960年9月)

◎『崖のふち』(『文学界1960年12月)

◎『日は日に』(『新潮1961年2月)

◎『流葉』(『小説中央公論1963年4月)

◎『日々の例』(『新潮1963年5月)

◎『日のちぢまり』(『文学界1964年2月)

◎『子と共に』(『世界』1964年6月)

◎『過ぎ越し』(『新潮1965年5月)

◎『日を繋げて』(『新潮1967年6月)

◎『引っ越し』(『新潮1972年4月)

◎『入院まで』(『新潮1976年10月)


単行本『死の棘』(新潮社1977年9月)には、上記の◎印の12篇が所収されている。

死の棘 (新潮文庫)

死の棘 (新潮文庫)


『われ深きふちより』から、『鉄路に近く』一篇を除き『ねむりなき睡眠』までは、入院後の病院内からの記述であり、いわば、『死の棘』の続編的意味合いを持つ。『家の中』は、「私の心は家の外にあった」最後の小説である。『離脱』において、夫と妻の立場が完全に逆転する。狂気に近い病によって、妻は夫を支配下に置く。延々と執拗に繰り返される妻の追求に「私」は圧倒される。


この夫婦には固有の過去があり、戦時中海軍少尉島尾敏雄が、奄美大島加計呂麻島に特攻艇「震洋」の隊長として赴任、そこで終戦を迎えるわけだが、その島でのちの妻となったミホさんと出会ったという過去があり、島の旧家の娘であつたミホさんには、隊長島尾敏雄とは、一種特別な「ひと」であつた。


このときの島尾敏雄と、ミホさんの往復書簡が残されていて『幼年期』(弓立社、1973)に収録されている。そのなかの1945(昭和20)年7月の手紙に、

ミホの生涯はあなたにお捧げ致しました。(p.571)


あなたと御一緒に生きのいのちを生き度い。

死ぬ時は、どうしても御一緒に。(p.576)

と記されている。いわば、二人の結婚は、戦時下という非日常での究極の遭遇であり、ミホさんにとっては、二人の愛は永遠でなければならなかったのだ。そのはずが、戦後の日常の中で、島尾が別の女性に心を移すことは絶対に許されない。


この前提からみれば、極限状態のなかでよくぞ島尾敏雄は「日記」が書けたと思う。吉本隆明は、『島尾敏雄』(勁草書房、1975)のなかで、次のように指摘している。


島尾敏雄の作品群を眺めわたすと、ある生活体験が、どうやって作品にまで昇華されるか、がよく了解される。まず、はじめに目録というべきか、随想というべきかはべつとして、体験への関わり方を示す文章が書かれる。つぎに、この種の文章に、想像力の働きをさり気なく流し込んだ<作品群>が、やってくる。そしてこの<作品群>が、特異な世界にまで<変貌>した<作品>が到達してくる。

島尾敏雄の主な作品は、たいてい、こういう三層にわたる操作を経て形成されているといってよい。

(p.209)


つまり、島尾敏雄はいかなる状況にあつても、まず「日記」(記録)を残して、それをもとに作品を書く。『死の棘』に関していえば、やはり「日記」を書いていた。それをもとに一連の「病妻もの」が作品として書かれる。そして、妻の入院までに限定して『死の棘』が完成された、といえよう。入院後の『われ深きふちより』などを長編としてまとめることも可能であったが、島尾氏は避けている。作品の完成度の問題なのか、あるいは別の理由があるのかは判然としない。


『「死の棘」日記』は、島尾敏雄にとって作品の素材(記録)としてとして、残されていたのだった。そう思って読むと、極限のなかでの冷静な記録魔ぶりが窺える。まぎれもなく島尾敏雄は「作家」であった。


私にとっての島尾敏雄の最高傑作は、短編『夢の中での日常』になる。もちろん『死の棘』は、長編としての最高傑作である。なお、『「死の棘」日記』には、同時代の作家評論家たち、小島信夫庄野潤三阿川弘之小沼丹吉行淳之介安岡章太郎吉本隆明、奥野健男などの名前が頻出していることを付け加えておきたい。


その夏の今は・夢の中での日常 (講談社文芸文庫)

その夏の今は・夢の中での日常 (講談社文芸文庫)


高橋源一郎が、朝日新聞書評2005年5月8日)で、『「死の棘」日記』を「愛と呼ぶ」と絶賛していた。良い書評なので、引用して締めることにしたい。

この本の中には、「至上」の苦しみが充満している。それにもかかわらず、読後感が明るいのは、敏雄が最後まで妻であるミホと向かい合おうとしたからだ。狂ったミホは、死者(他者)となった。死者(他者)を取り戻すには、その死者(他者)と向かい合うしか方法はなかったのだ。そして、通常、我々は、そのような行いのことを「愛」と呼ぶのである。

makkumamakkuma 2005/08/01 23:53 高橋源一郎の言葉いいですね。愛と呼ばれる行いの尊さを、そのような愛を抱きうることの尊さを、そして島尾が書いた、その愛の中においてすら自身の心に帰来する裏切りを、その裏切りを抱くことの苦しみを。

PreBuddhaPreBuddha 2005/08/04 20:09 makkuma さま。コメントありがとうございます。
一週間ほど不在で、返事が遅れました。
高橋源一郎自身が何度も結婚・離婚を経験しているだけに、島尾敏雄の「至上の苦しみ」を「愛」と呼ぶ、そこに高橋氏の実感が込められた良い「書評」でしたね。

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