整腸亭日乗 このページをアンテナに追加 RSSフィード

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2006-01-14 辺見庸氏の問いかけの言葉は重い

[]人の座標はどう変わったか06冬 人の座標はどう変わったか06冬を含むブックマーク 人の座標はどう変わったか06冬のブックマークコメント


2006年1月5日の拙ブログで、辺見庸氏の「共同通信」配信連載記事の第1回に触れたが、全4回の連載であった。その記事は、あまりに重い問いかけだった。

第1回「世界の涙の総量は増えている」

第2回「人は資本使徒として生かされる」

第3回「平和には死の花々が咲き競っている」

第4回「誰もがもはや楽園には戻れない」


第2回「人は資本使徒として生かされる」から引用

何かがおかしい。人が人であること自体に狂いが生じてきている。風景はなべて原質を失って擬似的になり、言葉という言葉には厭らしい鬆(す)が立ち、欲動が体内から湧くのではなく対外から操作されている感じ。怒りや哀しみの情動が直接性をなくし、自分と世界が先細り、人はひたすら資本使徒としてのみ生かされる。狂いの根本はここにあろう。ここにきて商品化のプロセスの負荷が人の無意識を深く蝕み始めているのだ。

・・・(中略)・・・

商品化が盛んな時代には、人間がその意志の力で社会を変える運動が沈滞し、資本人間の意思を代行してしまう。フレク・グレヴィルの戯曲にこんな言葉があった。「病むべくして創られながら、健やかにと命ぜられ・・・」。現在はそういう時代に見える。この言葉とて何かのCMに使われかねないのだ。


第3回「平和には死の花々が咲き競っている」から引用

まず、戦争と平和の通念を考え直す必要がある。たとえば、一日に八十人もの人々が自死する(未遂者を含めると推定で毎日八百人が何らかの形で自死を試みるという)ような日本が果たして平和と言えるのかどうか。死者数だけで見るなら、これはもう戦争規模である。

国家が自己の意志を貫徹するために他国との間に行う武力闘争を戦争と言うならば、日本はたしかにいま戦時にはない。これはあくまでも狭義の判定であり、広義に解釈すれば、日本は目下「精神内戦」もしくは「内面の戦時下」にあるといえるのかもしれない。

・・・(中略)・・・

自殺二十世紀の主要なシンドロ−ム(症候群)を形成しているのではないか。そんな予感がする。実際、死の衝迫は各所で爆発している。たとえば、9・11は画時代的テロであったのと同時に、名状の難しい自殺行動でもあった。自己身体と爆弾を一体化する自爆テロという名の自殺行動はイラクだけでなく世界各地に広がりつつある。こうしたテロに対するブッシュ大統領思想と行動自体もまた「自殺的」であるという考え方は、グローバル化に反対する欧州知識人の間では珍しくない。フランス哲学者ボードアール9・11をきっかけに反テロ戦争の発動を「自らへの宣戦布告」つまり欧米世界自殺になぞらえている。・・・(中略)・・・

ソフォクレスの「オイディプス王」には盲目預言者が王に対し「あなたが捜している下手人、それはあなたご自身ですぞ」と告げる場面がある。

この一連の連載記事のラスト近くでは、必ず古典戯曲から、内容に符合する警句が引き出される。


特に、第4回の最終回の内容は、とりわけ、凄絶であった。

いつかは帰ろう、と心のどこかで念じて生きてきた。過労の果てに脳出血に倒れ、リハビリに励んでいるときも、いつかは戻ろうと願い続けた。どこに?それはわからない。ただ、「人間は帰ることを許されない。実際は人間は帰ることができないからである」という言葉が時折、遠音か幻聴のように聞こえてきた。・・・それでもいつかはかえろうと呟きながら生きてきたら、ある日、相当進行した癌であると告げられた。悪い癖で、大声で笑った。笑うしかなかった。本連載中の出来事であった。

・・・(中略)・・・

もう楽園のような平和憲法精神にたち戻ることができないかもしれないのだ。苛烈な歴史への道に、いま入りつつある。少し焦ってきた。そうしたら、今度は癌だときた。私は再びわが身に問うている。運命の苛烈さについてではない。病がここに至っても改憲に反対するか、と問い直しているのである。不思議だ。脳出血で死に目に遭ったときよりよほどはっきりと「反対だ!」と私は言いたいのである。

先日、内視鏡写真を見せられた。赤茶けた腫瘍がいつの間にか全容を捉え切れないほど膨れていた。「長く放置していたからですよ」と医師が語った。恐らく、政治の癌もそうなのだ。生活の幅より狭いはずなのに、政治は生活を脅かしつるある。もう帰れない。どこに行くのか、思案のしどころだ。

永遠の不服従のために (講談社文庫)

永遠の不服従のために (講談社文庫)

辺見庸氏の言葉は、あまりに重く、沈黙を強いられると同時に、この世界のありようを根底的に考え直さないと、人が人である存在根拠を喪失してしまうことの、死を賭した警告と受け止めなければならない。

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