バックラッシュ! なぜジェンダーフリーは叩かれたのか
『バックラッシュ!』がやっと手元に届いたので、とりあえず宮台真司、斎藤環、小谷真理、上野千鶴子の4人の論説と高校教諭・長谷川美子の報告*1を読む。もっとも説得力が高いのは、斎藤環の「バックラッシュの精神分析」だった。
斎藤環は、ラカン派の精神分析学者として、立ち位置を明確にしているから、論理も明快になる。
いわゆる「バックラッシュ」の言説については、その代表的なものをいくつか読んでみたが、およそまともな批判に値する代物ではないというのが、率直な感想である。(p.103)
「バックラッシュ問題」は、この斎藤氏の言葉に尽きている。さらに次のことばはジェンダー問題の本質に迫るものである。
一般にジェンダーの選択は、自由であって自由ではない。それというのもセクシャリティは、主体に対して、つねにすでに構成されたものとして立ちあらわれるほかないからだ。そこに自由意志の働く余地はほとんどない。それゆえジェンダーの選択の自由とは、未来に向けた潜在的自由ではなく、事後的にみずからのジェンダーを主張する自由、ということになる。(p.119)
宮台真司は、援助交際の女性を三世代にわけるとか、若者を<内在系>と<超越系>に分別し、問題は<超越系>の若者たちがどう自分と折り合いをつけるのかに注目する。「地位代替機能の追求」(=「置き換え可能」)という言説も宮台がいつも述べていることで、ここではさらに「不安のポピュリズム」を指摘している。「最終的には自分で決める」という「自己決定の発想」も解る。
しかし、宮台は「丸山眞男問題」理解を、丸山氏が日本固有のファシズム批判として、戦前・戦中の「インテリ/亜インテリ/大衆」概念を設定したことを、現代に置き換えて批判しているが、見当違いというもの。しかも、自分が偉いのかどうか知らないが、読者を含めた「亜インテリ/大衆」を「田吾作」呼ばわりすることは読者をバカにしていることになる。その無神経さに気づかないのだろうか。
小林秀雄が述べているように、「人生いかに生きるべきか」を教えるのが「学問」であり、また、西洋の学問の受容の歴史そのものが日本思想のスタイルであるのは、つとに丸山眞男の指摘したところだ。宮台真司は、西洋の思想を受容し依拠している点で、小林秀雄や丸山眞男を超えていないし、批判する権利はない。所詮、宮台真司はネオリベ(新自由主義)以上でも以下でもない。
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本書を読むまえに、『大航海 No.59 』(新書館、2006.6)に掲載された河合祥一郎の『行きすぎた批評の振り子が戻ってくる』を読み、ジェンダー問題について触れている以下の文章が気になつた。
批評が行きすぎて、性差そのものを認めるべきでないかのような議論が出てきたために、たとえば「ジェンダーフリー」という言葉は誤解を生んだが、誤解を避けるなら「ジェンダー・バイアス・フリー」とでもすればよいとは教育学の汐見稔幸の提言だ。捨てるべきはジェンダーそのものではなく、ジェンダーに基づく偏見や抑圧なのだから、「男らしさ」や「女らしさ」とは、人から押し付けられるべきものではなく、世界劇場で自由に演ずべき身振りであろう。(p.14)
河合祥一郎は、続いて加藤典洋『テキストから遠く離れて』(講談社,2004)や三浦雅士『出生の秘密』(講談社,2005)について、作者との距離の接近を評価している。
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さて、上野千鶴子についてだが、これまでの「フェミニズム」の功績は十分に認めなければならないけれど、次の発言はいただけない。
めんどうくさがる男たちが、実際のインタラクションから完全に撤退してくれたら、それはそれでいい。ギャルゲーでヌキながら、性犯罪を犯さずに、平和に滅びていってくれればいい。そうすれば、ノイズ嫌いでめんどうくさがりやの男を、再生産しなくてすみますから。ただし、そうなった場合、彼らの老後が不良債権化するかもしれませんね。ところが、彼らが間違って子どもをつくったらたいへんです。子どもって、コントロールできないノイズだから。ノイズ嫌いの親のもとに生まれてきた子どもにとっては受難ですよ。そう考えてみると、少子化はぜんぜんOKだと思います。(p.434)
この場合の男とは、誰を指すのか。子どもは間違ってつくられるものなのだからこそ、類としての人間が滅亡せずに存続してきた。女性だけで自己生殖し、存続することはあり得ないのだ。上野さん、何を勘違いしているのだろうか。
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新自由主義者による「バックラッシュ」、「つくる会」「教育基本法改正」「憲法改正」は、実は一連の関連する運動であることを理解すべきで、これらの問題をトータルに論じなければ、本質的な切り込みはできないことを、本書が逆説的に証明している。
■「文体の品位」のこと(2006年7月8日補記)
宮台真司には、宮台教とも呼べる信者が多い。宮台真司の言説のなかに「田吾作」だの、「へたれ」だの、文体としての品位を欠く発言が多く見られることを懸念する。さらに、「天皇」に収斂させるアイロニカルなロマン主義的・右翼志向の言説が気になる。余計な心配かも知れないが、宮台氏の発言の影響力を考えると、「文は人なり」の原点を想起して欲しい。学者でもない素人の拙ごときが、宮台真司の社会学理論を批判できるわけがない。