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2008-04-29 斎藤美奈子の「文芸時評」、あるいは断念としての蓮實的批評

[]本の本 本の本を含むブックマーク 本の本のブックマークコメント


斎藤美奈子さんの書評集『本の本』(筑摩書房, 2008.3)を入手。730頁プラス8頁の索引(書名、著者)が付いている。目次から主題別に見て行くより、索引から目的の本の書評を読むという読み方ができるところが良い。


本の本―書評集1994‐2007

本の本―書評集1994‐2007


まず気になる村上春樹の作品についてみると、『海辺のカフカ』『アフターダーク』とも、辛口批評に徹している。


海辺のカフカ (上) (新潮文庫)

海辺のカフカ (上) (新潮文庫)


著者名索引からみると、上野千鶴子9回、笙野頼子8回、伊藤比呂美6回、江原由美子5回、小倉千加子5回、金井美恵子5回、松浦理恵子5回、と女性が多く、男性高橋源一郎のみ5回取り上げられている。全体としてフェミニズム志向があるけれど、批評的な距離を置いているから、斎藤氏の書評は小気味よい。


小説論 読まれなくなった小説のために (朝日文庫 か 30-3)

小説論 読まれなくなった小説のために (朝日文庫 か 30-3)


4月29日(火)から朝日文芸時評」の担当加藤典洋氏から斎藤美奈子氏に変わった。第1回は、いわゆる文芸誌をとりあげていて面白い分析をしている。文学村は二つに分かれて棲み分ける形で続いてきている。「群像」「新潮」等の文芸誌芥川賞の対象となる純文学系。いまひとつは小説誌、「小説現代」「オール読物」などで、直木賞系の雑誌


読者が不在でありながら続いているのは、作品の発表の場であり生産工場でもあるからで、掲載あるいは連載後、単行本として発売されるわけだ。


このような状況のなかで新たに参入してきた雑誌を「第3の勢力」として紹介している。「yom yom」第6号、「monkey business」(創刊)「真夜中」(創刊)を取り上げ、物語の復権を目指しているという。文芸誌の創刊は、「ポストモダン」時代の創刊誌の行方からみれば、前途多難であることが予測されるが、若者読書について斎藤氏は次のように指摘する。



かつての教養主義が完全に崩壊した現在も、若者読書離れは起こっていない。『世界の中心で、愛をさけぶ』『東京タワー』の爆発的ヒット、あるいはケータイ小説流行は、若い世代が広い意味での物語を求めていることを示していよう。


世間でいわれる「若者活字離れ」とは違う見解だ。たしかに深い物語ではないが、軽い物語を求める読者の多さ、とりわけケータイ小説流行は、「活字離れ」とは逆の方向だ。


斎藤氏は、「文芸時評」について次のように結ぶ。


新聞文芸時評は、純文学工場の専属検査官として、個々の作品に目を光らせ、ひたすら出来をチェックしてきた。/その役割は役割として、文学工場の外にもある。がんばれ、新雑誌。負けるな、工場


いかにも、斎藤氏らしい第1回「文芸時評」になっている。


文芸時評」のスタイルは、戦後平野謙確立した基準から、様々なパターンによる読むための指標を、提供してきた。専門書評家として、おそらく唯一商業的に成功している斎藤美奈子氏の存在は貴重だ。どのような切り口で、各種の文芸誌を斬って行くのか、「文芸時評」の新たなスタイルを構築して欲しいと願う。


文章読本さん江

文章読本さん江

[]早稲田文学 早稲田文学を含むブックマーク 早稲田文学のブックマークコメント



早稲田文学』第十次創刊号を入手した。篠山紀信撮り下ろしの川上未映子グラビア写真が冒頭にあり。川上未映子戦争花嫁』は、「戦争花嫁」という言葉を「意味のない言葉は人を傷つけない」用法として、言語的な限界に挑戦する不思議な作品だ。



蓮實重彦ロブ=グリエ追悼文「タキシードの男」は、市川崑監督撮影時に通訳としてロブ=グリエに付き合った経験が書かれていて、『去年マリエンバートで』のロブ=グリエが「笑劇」として存在していたことを知る。島田雅彦の埴谷論「ぷふいの虚体」は、脳内妄想言語化する試みとして、島田氏が現在連載している「徒然王子」に影響を与えている。


死霊 (1976年)

死霊 (1976年)


埴谷雄高の壮大な試みは、次の世代の作家に引き継がれていることを感じる講演記録となっている。


いま何やら話題となっている「小説小説家にしかわからない」という言説、あるいは高橋源一郎の「有限の文字記号からなる形而下的なフィクションテクスト」、また蓮實氏の「店晒しにされた厚顔無恥」としての「現代思想」。


蓮實重彦氏は「批評の断念/断念としての批評」で、「書評」について次のように語られる。


現代日本の優れた書評家というものをわたくしは不幸にしてひとりとして知りません。斎藤美奈子さんの短い文章は、多くの場合大層快適に読めますが、この方はわたくしが一時文学から撤退する以前からすでに批評家として活躍しておられましたので、書評家とは別のカテゴリーに入れるべきでしょう。(p.352『早稲田文学』第十次創刊号)


斎藤美奈子氏は、批評家でもありかつ「優れた書評家」でもあるといえる。


データベース」が全ての基礎となるという安易な思考について、蓮實重彦氏の言い分は首肯できる。ここで言う「データベース」とは、蓮實氏がかかわった一本の映画デジタル復元に要する時間と費用を踏まえての発言であり、実に説得的なのだ。


データベース」の時代だということを言っているひとたちの安易な現状肯定にわたくしは与しません。データベースを口にするひとびとは、現実を見ていないからです。・・・(中略)・・・時間と金という要素を考慮するとのない「データベース」論は、抽象的な議論でしかありません。(p.340ー339)


最後に、小説存在意義について


「いまなおわれわれにとって同時代であり続けている」時期に人類がかかえこんでしまった「有限の文字記号からなる形而下的なフィクションテクスト」としての小説の散文性について、人類はいまだなにひとつ知らない。(p.338)


まさしく、蓮實重彦氏の「宙吊り」論の面目躍如たる言説になっている。斎藤美奈子氏の「書評」と、蓮實重彦氏の「批評」は、<断念としての批評>が根底にあることで、二人が担当した朝日文芸時評」を共有することによる結びつきであるを指摘しておきたい。


「赤」の誘惑―フィクション論序説

「赤」の誘惑―フィクション論序説

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2008-04-26 清水宏の再評価、早すぎたヌーヴェル・ヴァーグの先駆者

[]有りがたうさん 有りがたうさんを含むブックマーク 有りがたうさんのブックマークコメント


清水宏DVD清水宏監督作品第一集 山あいの風景』(松竹)を入手。早速、『有りがたうさん』(1936)を観る。定期路線(寄合)バスの運転手(上原謙)が、山あいの道で出会う人々に「ありがとう」の声をかけるので、「有りがたうさん」と呼ばれている。


清水宏監督作品 第一集 ~山あいの風景~ [DVD]

清水宏監督作品 第一集 ~山あいの風景~ [DVD]


その日の寄合バスには、東京に売られて行く女(築地まゆみ)や、いわくありげな黒襟の女(桑野通子)、ヒゲ紳士などが乗車していた。舗装されていない山道を行くバスの視点から風景を捉える、あるいはバスが走る山道をキャメラが写しだす、その自然は加工されたものではなく、ありのまま自然を実に美しく撮る。


有りがたうさん [DVD]

有りがたうさん [DVD]


行き交う人々の姿は、もはや見ることができない物売りの姿であったり、乗合馬車であり、あるいはオープンカーのような外車であり、朝鮮からきた労働者たちの姿も映される。


途中で村の娘に、下田で買い物を頼まれるが、「これも街道渡世の仁義」と快く引き受ける「有りがたうさん」(上原謙)。様々な人々が交錯し、婚礼に出席する夫婦葬儀に出る人がバスで同席すると、お互いに縁起がよくないと遠慮し、バスから降りる。


バスの旅が終わりにさしかかると、バックミラーでしきりに築地まゆみを気にしていた上原謙に、桑野通子は、上原が独立するため中古シボレーを買う貯金で、売られて行く娘・築地まゆみを救うことができることを示唆する。翌朝、帰りのバス築地まゆみが嬉しそうに乗車している。あたかも何事もなかったかのように、寄合バスは進んで行く。


風景の描写と、村人たちの生活ぶりをリアル自然に捉える手法は、車一台とキャメラがあれば、オールロケーションによる映画を撮ることができることを実践したヌーヴェル・ヴァーグの先駆をなしていたことに感銘を受ける。

[]按摩と女 按摩と女を含むブックマーク 按摩と女のブックマークコメント


同じDVD−BOXに収録されている『按摩と女』(1938)は、盲目の按摩・徳市(徳大寺伸)と福市(日守新一)が二人で峠の山道を歩きながら、向こうからくる子供の人数を当てるゲームに興じたり、ハイキング学生たちより早く歩くことに喜びを見出しながら、商売目的温泉地にだどり着くシーンから始まる。


按摩と女 [DVD]

按摩と女 [DVD]


温泉に着く直前乗合馬車に、「東京からきた女」(高峰三枝子)と中年男(佐分利信)と子供の二人づれなどを乗せている。温泉に着くや、徳市たちは旅館に按摩として呼び出しがかかる。徳市は、「東京からきた女」の肩をもむことになる。謎めいた女性高峰三枝子は憂いを含んだ表情をしているが、見えないはずの徳市に、彼女のただならぬ気配を察知する。


子供を媒介にして、徳市=徳大寺伸は、高峰三枝子佐分利信とかかわって行くが、旅館盗難がおき、その疑いを高峰三枝子に重ねてしまう徳市。しかし、東京からきた女には別の事情があった。妾生活から逃亡してきていたのだった。徳大寺伸と、高峰三枝子佐分利信の一種三角関係ととれなくもない設定は、佐分利信の帰京であっけなく、消滅する。


温泉場の客たち、按摩の人々の生活ぶりをいかにも風情ありげに山間の風景のなかで美しい画面に収まっている。とりたてて主題があるわけでもなく、温泉場における仮生活の時間の流れがすべてを過去に持ち去って行く。雨が降る温泉場の道路から佐分利信が去り、高峰三枝子も馬車の客となる。追いかける徳市には乗合馬車の後姿しかみえない。


なお、この『按摩と女』は石井克人監督により、『山のあなた〜徳市の恋〜』*1としてリメイクされ、近々公開される予定になっている。


『山のあなた 徳市の恋』 ガイドブック (ぴあMOOK)

『山のあなた 徳市の恋』 ガイドブック (ぴあMOOK)

[]簪 簪を含むブックマーク 簪のブックマークコメント


清水宏三本目『簪(かんざし)』(1941)も、舞台温泉場。団体客の到着から始まり、按摩を呼ぶというシチュエーションは、『按摩と女』の設定を引き継ぐような雰囲気であり、気難しい教授斎藤達雄、お人好しな日守新一とその妻、戦傷帰還兵・笠智衆など、冒頭で主な湯治客が紹介される。


簪(かんざし) [DVD]

簪(かんざし) [DVD]


団体客にこと細かく文句をつける斎藤達雄のユーモア溢れる存在感は秀逸であり、おどおどした日守新一と、つねに情緒的な笠智衆の三者が対照的に描かれる。


温泉で湯につかっているとき、簪で足を怪我した笠智衆のもとに、その簪の落とし主が東京から謝罪にやってくる。もちろん美人女性田中絹代。客のなかに子供二人がいて笠智衆リハビリに協力する。田中絹代は、笠智衆リハビリに付き合ううちに、二人の間に微妙な雰囲気ができてくる。やがて、教授が去り、日守新一も帰京し、ついには笠智衆東京温泉仲間と会合を持ったという知らせのハガキ田中絹代のもとに届けられる。


彼女の位置は、高峰三枝子と同じお妾さんであり、その生活から脱出することを願っているようだ。ラストシーンは、雨模様のなか傘をさして、笠智衆リハビリにつきあった場所を歩く田中絹代の姿を捉えフェイド・アウトして「終」の文字がでる。


清水宏淡々とした、リアリズム描写。『簪』には、小津映画常連笠智衆斎藤達雄、坂本武(旅館の主人)たちが出演しているため、どうしても小津映画を想起してしまう。実際、室内で、教授と老人が相似形に並び、正面に向かって台詞をいうシーンは小津と似ている。しかし、全編ロケーション自然描写や移動撮影など、明らかに撮影スタイルは異なっていることが際立つ。


小原庄助さん [DVD] COS-049

小原庄助さん [DVD] COS-049


清水宏作品はこれまで、『蜂の巣の子供たち』(1948)『小原庄助さん』(1949)の二本しか観ていなかった。このDVD−BOXの三本を観て、改めて小津・溝口・成瀬とは異なる資質を持つ日本を代表する監督であることを認識した。とりわけ『小原庄助さん』が、清水宏自身と重なる傑作であったことが確認できた。


清水宏監督作品第二集 子ども四季』発売が楽しみになってきた。


新東宝傑作コレクション 小原庄助さん [DVD]

新東宝傑作コレクション 小原庄助さん [DVD]

*1:徳市役にSMAPの草ナギ剛、福市に加瀬亮、「東京からきた女」にマイコ、佐分利信の役を堤真一という期待できるキャスティングで、5月下旬東宝系にて公開。

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2008-04-20 絵画を見に行く

[]実物を見ておきたい絵画 実物を見ておきたい絵画を含むブックマーク 実物を見ておきたい絵画のブックマークコメント


グリーナウェイレンブラント夜警』に触れたとき、この絵画の実物を見ていないことが切実になった。人生時間は限られている。内村剛介『見るべきほどのことは見つ』(恵雅堂出版,2002.6) という書物があったが、本に関しては「読むべき本は読んだ」という段階にほど遠いけれど、絵画はできれば見るべきものは実物を見ておきたい。


見るべきほどのことは見つ

見るべきほどのことは見つ

恋するフェルメール―36作品への旅

恋するフェルメール―36作品への旅


有吉玉青『恋するフェルメール』(白水社、2007.7)は、フェルメールの36作品を見に行く旅の話だ。ある画家の作品をすべてを見たい、いや見に行きたいという欲望こそ原点なのだろう。フェルメールは、「絵画芸術」(ウィーン美術史美術館)を見ておけばいいというのが私の場合であり、とりあえず、見ておきたい、見に行きたい絵画を以下にあげておく。



スペインオランダが未訪の地だ。


春の戴冠

春の戴冠


辻邦生『春の戴冠』(中公文庫、2008.4)がやっと刊行された。『春の戴冠』を読み、ボッティチェルリの「春」「ヴィーナス誕生」を観るため、フィレンツェのウフィッツィ美術館を訪れたことを想い出した。


フィレンツェではメディチ家ゆかりの名跡や絵画などを堪能した。


フラ・アンジェリコの「受胎告知」(サンマルコ修道院)はフィレンツェでの大きな収穫だった。サンマルコ修道院の二階へ上がる階段の踊り場から見上げると「受胎告知」が迫ってきた。



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ウィーン美術史美術館は、名画の宝庫だ。


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ルーブル美術館は言うまでもない。走りながら見てきたのが今振り返ると残念だった。



有吉玉青のように、フェルメールを追いかける意思はないが、スペインオランダは行っておきたい国だ。ご覧のように近代絵画は含まれていない。近代絵画への関心を高くもてないことがその理由であるが、ゴッホシュルレアリスムには惹かれるものがあることを申し添えておきたい。


小林秀雄全作品〈20〉ゴッホの手紙

小林秀雄全作品〈20〉ゴッホの手紙

シュルレアリスム、あるいは痙攣する複数性

シュルレアリスム、あるいは痙攣する複数性


絵画と音楽は、書物の世界とは別であり、見るあるいは聞くことで感銘を受けることができる稀有の芸術だと思う。


怖い絵

怖い絵


とりわけ今の私にとって、幸田浩子のCDモーツァルト:アリア集』は聴くことの歓びをもたらしてくれる。ソプラノ美声がきわめて心地良いのだ。


モーツァルト:アリア集

モーツァルト:アリア集

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2008-04-19 グリーナウェイの新作『レンブラントの夜警』は光と影の舞台劇だ

[]レンブラント夜警 レンブラントの夜警を含むブックマーク レンブラントの夜警のブックマークコメント


ピーター・グリーナウェイ監督最新作『レンブラント夜警』(Nightwatchnig, 2007)を観る。『英国庭園殺人事件』もそうであったように、グリーナウェイは絵画への造詣が深い。また、『コックと泥棒、その妻と愛人』では、レストランの壁にはたしかフランスハリス「聖ハドリアヌス市民隊の宴会」が飾られていたように思う。



夜警」そのものに多くの謎があることがつとに指摘されてきたが、グリーナウェイはそれらの謎をある理由により一挙に解決しようと試みる。「夜警」に描かれた人物たちがレンブラントマーティンフリーマン)に襲いかかり、舞台の中央に据えられたベッドから裸で放り出される悪夢のシーンから映画は始まる。舞台の中央にベッドあるいはテーブルが置かれた舞台劇のように物語が展開される。


英国式庭園殺人事件 [DVD]

英国式庭園殺人事件 [DVD]


映像作家と呼ばれるピーター・グリーナウェイの仕掛けは、作品ごとに工夫が凝らされ、観るものを華麗な映像美の世界に引き込ませる。『レンブラント夜警』も16世紀オランダを背景とする時代ものだが、画家レンブラントは、妻サスキア(エヴァ・バーシッスル)に支えられ順風満帆の絶頂期にあった。




市警団から集団の肖像画の依頼がくるが、その背景に陰謀があることを察知したレンブラントは、「絵筆は画家武器だ。何でもできるー侮辱も、告発も」と決意し、「夜警」に市警団の陰謀を告発するような描き方をする。


市警団はレンブラント残酷復讐をして行く。市警団の愛人であるヘールチェ(ジョディ・メイ)が画家のもとへ送りこまれ、レンブラントはその女性とのセックスに溺れることで、妻の死を忘れようとするが、所詮肉体への執着では、癒されないことを知る。三人目の女性少女のときから家政婦として仕えていた召使のヘンドリッケ(エミリーホームズ)で、彼女によって初めて救われる。


市警団の一人が「夜警」の絵を批判することばが、この映画を象徴している。「お前の絵の中にいるのはすべて俳優、一人を除いて。お前自身の自画像だ。新しい様式の絵に自分自身を古い様式で描き、画家としての責任を放棄した。」と酷評することばがまさしく、映画レンブラント夜警』への自己規定であると言えよう。


ピーター・グリーナウェイは、インタビューのなかで「映画重要テーマ」を聞かれて、「<セックスと死>以外に何があるというのだろうか。」と答えている。<セックスと死>とは、類としての人間が存続するための基本であるが、個人がその究極の意味を理解することなく、生まれ老いて死んで行く。『英国庭園殺人事件』(1982)以降、『ZOO』(1985)『数に溺れて』(1988)を経て『コックと泥棒、その妻と愛人』(1990)から『プロペローの本』(1991)『ベイビー・オブ・マコン』(1993)『81/2の女たち』(1999)、そして『レンブラント夜警』(2007)に至るまで、「セックスと死」がテーマであったと言っても過言ではない。


数に溺れて [DVD]

数に溺れて [DVD]

8 1/2の女たち [DVD]

8 1/2の女たち [DVD]

ピーター・グリーナウェイ 初期作品 1 [DVD]

ピーター・グリーナウェイ 初期作品 1 [DVD]

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2008-04-13 世界文学の「長編小説」を読むということ

[]海外長編小説ベスト100 海外の長編小説ベスト100を含むブックマーク 海外の長編小説ベスト100のブックマークコメント


考える人』24号は、特集「海外長編小説ベスト100」、選者129名によって選出されたもの。


考える人 2008年 05月号 [雑誌]

考える人 2008年 05月号 [雑誌]


1.ガルシアマルケス百年の孤独

2.プルースト失われた時を求めて

3.ドストエフスキーカラマーゾフの兄弟

4.セルバンテスドン・キホーテ

5.カフカ「城」

6.ドストエフスキー罪と罰

7.メルヴィル白鯨

8.トルストイアンナカレーリナ」

9.カフカ「審判」

10.ドストエフスキー「悪霊」


ドストエフスキーが3作、カフカが2作品。ふたりで、ベスト10の半分を占める。ベスト1が、ガルシアマルケス百年の孤独」というのは如何なものか。10点の作品は全て所有しているが「百年の孤独」「失われた時を求めて」は読了できていない。


城―カフカ・コレクション (白水uブックス)

城―カフカ・コレクション (白水uブックス)

悪霊 (上巻) (新潮文庫)

悪霊 (上巻) (新潮文庫)


カフカ「城」などは、何度も挫折しながら読了した。呼ばれた測量師がたどりつけない城を巡って物語が展開されて行くが、決して面白い小説ではない。「白鯨」は、新訳の岩波文庫三冊を揃えているけれど、途中で挫折して読み進めない。そんなわけで、私の貧弱な海外小説読了体験から、あえて10作品を選ぶとすれば、どうしても偏向してしまう。

順位不同であげると、


ドン・キホーテ〈前篇1〉 (岩波文庫)

ドン・キホーテ〈前篇1〉 (岩波文庫)

うたかたの日々 (ハヤカワepi文庫)

うたかたの日々 (ハヤカワepi文庫)


現在ベスト10は以上となるが、今後読みたい、読むべきだと思っている長編小説をあげてみたい。プルーストはまず読了は難しいだろうから除外するとして。


夜の果てへの旅〈上〉 (中公文庫)

夜の果てへの旅〈上〉 (中公文庫)

灯台へ (岩波文庫)

灯台へ (岩波文庫)


それに、読みかけ途中で放棄している


百年の孤独 (Obra de Garc´ia M´arquez)

百年の孤独 (Obra de Garc´ia M´arquez)


これで10点になるが、さて読了できるかどうか、それが問題だ。今は読む時間がないけれど、書いておくことで義務感が生じるだろう。

池澤夏樹個人編集による『世界文学全集』(河出書房新社)が刊行中。『巨匠とマルガリータ』を本日入手した。まずはブルガーコフから始めてみたい。


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2008-04-04 「バートルビー症候群」こそ「書く」ことの本質を示している

[]バートルビーと仲間たち バートルビーと仲間たちを含むブックマーク バートルビーと仲間たちのブックマークコメント


それは朝のラジオ番組、「森本毅郎スタンバイ!日本全国8時です」3月25日火曜日ゲスト荒川洋治氏による本の紹介によって始まった。ハーマン・メルヴィルに『バートルビー』という作品を知る。書記バートルビーの導きにより、書かないあるいは書けなくなった作家について書いている作品、エンリーケ・ビラ=マタス『バートルビーと仲間たち』(新潮社、2008.2)の紹介からであった。


バートルビーと仲間たち

バートルビーと仲間たち


3月26日朝日新聞』の加藤典洋文芸時評」の最後の日の末尾に、『バートルビーと仲間たち』をとりあげ、さりげなく「素晴らしい。自分は何者でもないと信じる、心ある世の少数の人々は、好きだろう」と結んでいる。同感である。


白鯨 上 (岩波文庫)

白鯨 上 (岩波文庫)


まずハーマン・メルヴィル、あの『白鯨』の著者だ。そのメルヴィルの作品『バートルビー』を読むことから始める。岩波文庫版『幽霊船ほか一篇』(1979)に、ほか一篇として収録されているのが『バートルビー』であり、短編のことだから一気に読む。


書記として雇用されたバートルビーは、書写をやめ「ぼく、そうしない方がいいのですが」と、どのような問いに対しても同じ答えを反復する。やがてバートルビーは全てを拒否し続けた果て浮浪者となり牢獄にて死す。


ライ麦畑でつかまえて (白水Uブックス)

ライ麦畑でつかまえて (白水Uブックス)

キャッチャー・イン・ザ・ライ

キャッチャー・イン・ザ・ライ


一世を風靡し世評を高めた作家が、その後沈黙を守るあるいは書けなくなる。『ライ麦畑でつかまえて』=『キャッチャー・イン・ザ・ライ』のサリンジャー日本では『赤頭巾ちゃん気をつけて』の連作のあと、ひたすら沈黙している庄司薫がいる。


赤頭巾ちゃん気をつけて (中公文庫)

赤頭巾ちゃん気をつけて (中公文庫)



バートルビーとその仲間たち』の著者は、「バートルビー症候群」と名づけているメルヴィルバートルビー』の書記の症候を、ランボーサリンジャーにみる。多くスペイン文学者の例をあげているが、書かない作家の書かない理由、あるいは書けない理由とはを86篇の短文により示す。


トリエステ生まれのボブ・バズレンは、あらゆる言語で書かれたすべての本を読んでいた。


今は本を書くような時代ではないと思う。だから、わたしはこれ以上本を書かないことにした。たいていの本は、ペ−ジの下に書くメモ程度のことを何冊もの本に膨らましているにすぎない。だから、わたしはページの下にメモを書くだけにとどめた。(p.28−29『バートルビーと仲間たち』)


ノートに書かれたメモは『テキストのないメモ』として、彼の死後5年経過後、出版されたという。


ホーフマンスタール『チャンドス卿の手紙』のなかにつぎのような言葉がある。


それは目立たぬかたちをして、だれの眼をひきこともなく横たえられ、あるいは立てかけられてあり、なにひとつ語ることなく存在しているのですが、しかもそのように存在していることによって、あの謎めいた、言葉にならない無限恍惚感をよびおこしうるなにかです。(p.118『チャンドス卿の手紙』)


[rakuten:book:10316007:detail]


文学活動を放擲することの自己弁明の書と前書きされたホーフマンスタールは、このとき「バートルビー症候群」にあったといえるだろう。


著者ビラ=マタスが、ニューヨークバスの中で、サリンジャーに会ったくだりは、いかにも沈黙の老作家を想起させる好短編となっている。


ムージル以後評価に値する作品はないと友人が語ると述べながら、実は著者エンリーケ・ビラ=マタスの文学に対する姿勢が伺える。


ロベルト・ムージル

ロベルト・ムージル


書くことへの根底的疑問。書くに値するなにほどのものがあるのか。ボブ・バズレンの言葉の前には、無言たらざるを得ない。「ページの下にメモを書く」こと。まさしく、私自身が「バートルビー症候群」にほかならないからだ。

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