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2009-02-17 「親殺し」の前に「子殺し」があるということ

[]文学地図 文学地図を含むブックマーク 文学地図のブックマークコメント


加藤典洋関係の原的な負荷―二〇〇八、「親殺し」の文学」(『文学地図朝日新聞社、2008)は、近代文学における単一の主人公が不在である現代文学について、「関係の原的な負荷」をキイワードに、現代社会病理に迫る鋭い分析をしている。


文学地図 大江と村上と二十年 (朝日選書)

文学地図 大江と村上と二十年 (朝日選書)


解読する作品は、沢木耕太郎『血の味』(新潮社, 2000)『無名』(幻冬舎, 2003)、村上春樹海辺のカフカ』(新潮社、2002)、それに岩明均マンガ寄生獣』を対象に、芹沢俊介『親殺し』(NTT出版, 2008)を援用しながら、「親子の関係」とりわけ父・母と子の関係根底にあるものを探り、きわめて説得性に富んだ結論を導いている。


無名 (幻冬舎文庫)

無名 (幻冬舎文庫)

寄生獣(完全版)(1) (KCデラックス アフタヌーン)

寄生獣(完全版)(1) (KCデラックス アフタヌーン)

海辺のカフカ〈上〉

海辺のカフカ〈上〉


日本近代文学は、父への反発、家父長制としての「家」を批判する主体的自我を持つ「単一の主人公」を描いてきた。ところが、世紀末から21世紀初頭の現代文学では、「単一の主人公」の不在を加藤氏は指摘する。とりわけ、この4年間の社会のできごとは、「新聞テレビをにぎわせた事件に、インターネット世界のひろがりと家の内奥の闇ともいうべき二極の対立を感じさせる」(p.293)ものであるという。



親殺し

親殺し


芹沢氏は『親殺し』において、この4年間に起きた事件10件をとりあげ、「親殺し」の前に親たちによる「子殺し」があるという。*1加藤氏は、ここから現代文学が担っている課題へとリンクさせる。既読の『海辺のカフカ』に沿ってみてみよう。


2002年の刊行時に、発売後ただちに読んだが、並行する二つの世界は『世界の終り・・・』と同じパターンで、いわば謎のばらまきに感じられた。しかし、「父殺し」がカフカ少年とナカタさんによって二重化されることで、少年の罪は上書きされる。また、カフカが四歳のとき家出した母が甲村図書館にいる佐伯さんであることはカフカ少年に対して肯定されないが、読者には母親であることが分かるように書かれている。


これは間主観的な関係のうちに成りたつ現象学的な確信成立の構造なのである。この二人(カフカ佐伯さん:引用者)の関係は、こうして、いわば現象学的な確信成立が互いに向いあうような、合わせ鏡構造として、成立することになる。(p.399)


ここから、加藤典洋は次のような結論を導いてくる。


なぜ「関係の原的な負荷」が問題なのか。/・・・(中略)・・・/その理由を、一言でいえる。/いま、いくつかの小説がぶつかっているのは、ここでふれた、言葉にできないものを、どう言葉にするか、という問題にほかならないからである。・・・(中略)・・・/一つは、なぜ「主人公の単一性」の希薄化、「単一の主人公性」の希薄化ということが、近年の「親殺し」とでもいうべき事件と関わるのか、ということである。/もう一つは、『寄生獣』『海辺のカフカ』がともに教えるが、いまでは、一人の人間ドラマを取りだそうとすれば、いったん「一」という単位が壊れなければならないようだ、ということである。(p.406


もちろん、これは「文学」の世界の話であり、加藤氏はこの延長上に、埴谷雄高の「自同律の不快」や、カミュ異邦人』、ドストエフスキーカラマーゾフの兄弟』の近現代の原型的な「親殺し」を、フロイトの知見によって解釈したいとあとがきに記している。


埴谷雄高 (KAWADE道の手帖)

埴谷雄高 (KAWADE道の手帖)

カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)

カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)

[]村上春樹氏の「エルサレム賞」受賞講演 村上春樹氏の「エルサレム賞」受賞講演を含むブックマーク 村上春樹氏の「エルサレム賞」受賞講演のブックマークコメント


まず、イスラエルに赴いたことがいかにも村上氏らしい。某市民団体などが受賞を拒否すべきだというのは、筋違いというもの。それより講演の中で、エルサレムの状況を「壁と卵」の比喩として批判したことこそ、村上春樹小説家の立場からの発言として評価されるだろう。


ノルウェイの森 上 (講談社文庫)

ノルウェイの森 上 (講談社文庫)

*1芹沢俊介氏は、事例であげた10件のような場合、「隣る人」の存在が必要であり、実際に親でなくとも、「親子関係を作り直す」ことが、現実的な有効策であるとする。教育問題や家庭問題に関係するが、本稿は、加藤氏の文学的設問にかかわる問題なので、これ以上踏み込まないことにしたい。

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2009-02-06 水村美苗と内村剛介の2008年

[]みずず2008年読書アンケート みずず2008年読書アンケートを含むブックマーク みずず2008年読書アンケートのブックマークコメント


恒例の『みすず2009年1・2月号「2008年読書アンケート」を通読。例年であれば、獲得票で確認しているが、2009年の場合、突出して選出されているのが少なく、水村美苗さんと内村剛介氏を4人が取り上げていることに言及しておく。


日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で

日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で


4人が選出しているのが、水村美苗日本語が亡びるとき』(筑摩書房、2008)。


栩木伸明(アイルランド文学

この本の読ませどころどころは内容だけではない。日本語の文体そのものが均整美をたたえている。明晰な論理と例証を積み重ねていく散文のレトリックに、著者の主張が体現されているからだ。(p.12)


宮下志朗フランス文学

みずからの言語文学経験に深く根ざしたエッセイ。わたしはルネサンス研究者なので、ラテン語と世俗語のせめぎあいのなかから生まれたさまざまの作品や、その作者の言語文学的な生きざまに思いを馳せた。「パリでの話」は現場居合わせたこともあって、とても懐かしかった。(p.15-16)


村上由見子(著述家・大学講師

冒頭のアメリカ大学に集まった世界二十数カ国からの作家たちが印象的。それぞれの母国語で書いている人たちがこれほどまでにいる。片や、世界各地の言葉が急速に亡びている現実の恐ろしさ、英語という流通語が「暴政をふるう」悲しさ・・・。(p.41)


大竹昭子(文筆業)

疑問符をつけたい部分はあるものの、日本語ヨーロッパ語の成り立ちを、翻訳という概念を通して解き明かしたことは示唆に富んで、刺激的だった。(p.58)


水村美苗日本語が亡びるとき』は、『ユリイカ2009年2月号で特集されている。




次いで、3人が選出しているのが、陶山幾朗編集・構成『内村剛介ロングインタービュー』(恵雅堂出版、2008)であった。




安部日奈子(詩人

粛正をコミュニズム宿命と断じた『生き急ぐ』も衝撃的だった。一九九七年から始められたインタビューは、七年半の長きにわたっている。玉音放送を聴き、アウステルリッツの戦場で抜けるような空を見上げて横たわる瀕死のアンドレイを想った内村剛介。(p.24-25)


野崎昭弘(数学

ロシアのことが本当にわかっている人の談話。(p.74)


大室幹雄歴史人類学

伝記というには生々しすぎる。一人の日本知識人の思念(内村の語彙)のみごとな再現である。後世、the happy few が再生したとして、彼らがこの本や内村氏の著書を読むことがあるかも知れないと想像すると、眼だけは宙づりにして置きたいと私は痛切に思う。(p.87)


[rakuten:book:12941834:detail]


成田龍一歴史学)が、『内村剛介著作集 第一巻』(恵雅堂出版、2008)を取り上げている。これで内村氏への言及が四人。


シベリア抑留の体験を核につむぎだされた内村さんの思索の軌跡が刊行され始めた。第一巻には、そのシベリア体験を含む思想的な歩みを綴る文章が収められる。編集と解題も行き届いている。(p.90)


内村剛介氏の訃報は、1月31日朝日新聞朝刊で知った。戦後知識人がまた一人去った。ご冥福を祈りたい。このアンケートの回答時期は、内村氏の病状など知らされていないはず。『みすず』で四人が取り上げていることの意義は大きい。


他には、石原千秋氏が、松宮秀治『芸術崇拝の思想』(白水社、2008)を取り上げていたのが印象に残った。


芸術崇拝の思想―政教分離とヨーロッパの新しい神

芸術崇拝の思想―政教分離とヨーロッパの新しい神

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2009-02-03 聖書は文学を超えるか!

[]イエス・キリストの生涯を読む イエス・キリストの生涯を読むを含むブックマーク イエス・キリストの生涯を読むのブックマークコメント


小川国夫イエス・キリストの生涯を読む』(河出書房新社、2009.01)読了。昨年4月他界された作家小川国夫は、オートバイ地中海沿岸を旅した経験をもとに綴られた『アポロンの島』が、島尾敏雄に認められ作家活動に専念した。故郷藤枝市に住み、中央の文壇から距離を置いていた。


イエス・キリストの生涯を読む

イエス・キリストの生涯を読む


アポロンの島』は、簡潔な文体で、これまでの戦後文学にみられない新鮮な感覚で登場した。洗礼を受けた作家として、『試みの岸』や『或る聖書』などで評価を得た。世代的には、「内向の世代」とされているが、文学的にも孤立していたように思えた。同郷の先輩作家藤枝静男がいた。


アポロンの島 (講談社文芸文庫)

アポロンの島 (講談社文芸文庫)

試みの岸 (講談社文芸文庫 おI 3)

試みの岸 (講談社文芸文庫 おI 3)


聖書を背景とした作品世界は、文体が簡潔だが、内容的には理解されにくい題材であった。初期作品は読んだけれど、『悲しみの港』で伊藤整文学賞受賞、その後、いくつかの文学賞受賞などがあったが、律儀に付き合うことはしなかった。2008年4月に80歳で他界されたのち、二冊の作品『止島』『虹よ消えるな』が出版された。


止島

止島


没後一年記念出版として、今回、NHK人間大学テキストを再録した『イエス・キリストの生涯を読む』は、小川国夫キリスト観を伺うことができるのでは、との期待を持って久々に小川国夫著書を購入した。


小川氏は、聖書を読むうちにキリストに興味をいだき、魅力にとりつかれ洗礼を受けるまでになった。本書は、その小川氏が文学者として聖書をよみ解くというかたちをとっている。従って、新約聖書マタイによる福音書』『マルコによる福音書』『ルカによる福音書』『ヨハネによる福音書』をもとに、イエスの生誕から、磔刑・復活までを丁寧にたどった小伝になっている。


或る聖書 (1973年)

或る聖書 (1973年)



福音書は「福音書記官の独創的な記録ではないか」という疑問に対して、ルカ福音書の序文に依拠して次のように小川氏は述べている。


すべては、「私たち」、イエス・キリストを信じるグループのあいだに成り立ったことだと言うのです。ですからこれは、「私たち」に共有の信頼である。その内容である、という意味になります。新約聖書信仰告白だということを、はっきり言っているのです。(p.19「誕生」)


「荒野の試み」では、悪魔からの誘惑に対するキリストの姿勢に、以下の引用小川氏のキリストへの傾斜ぶりが分かる文章になっている。


キリストの中の神性、人生関係が見えてくると思うのです。人間的に豊かであればあるほどその迷いは大きいのですが、そのことも聖書はけっして見逃さず書いています。キリストですら転落してしまうかもしれないほどの、迷いの淵が見えてくるということもあるということです。(p.45「荒野の試み」)


キリストリアリズムを見る。


キリストの「無一物で生きろ」というこの考えは、意志して大変な厳しい修行を経てきて、ようやくできあがった、いわば究極的な覚悟だとみるのです。・・・(中略)・・・何も持たない、神様の計らいだけでよろしい、というイエスの決意は、俗世のリアリズムを超えたリアリズムといえると思うのです。(p.76-77「野の百合を見よ」)


小川国夫は、「聖書」を深く読み取っている。


聖書イエスの置かれたさまざまな状況をつたえておりますが、その状況が、一つとして同じパターンで書かれていないのです。それぞれに特殊な場合として、一回限りのこととして描き出されます。・・・(中略)・・・われわれが聖書に傾倒するのも、表現のよさ、その迫力をとば口にして入っていくわけですから、ゆるがせにできない問題であると、文学者である私は考えるのです。(p.153-154「逮捕裁判」)


キリストの生涯を描いた聖書は、この死(磔刑による死:筆者註)を直視しているということなのです。キリストは眠るような大往生を遂げたというような、きれいごと楽天主義な表現はしていないのです。彼の死の苦しみのどん底まで味わったと、はばからず書いています。このことは大変大事なことだ思います。(p.163「十字架」)


キリストの死後、新約聖書が書かれた理由を次のように述べている。


新約聖書全体が、なぜ書かれたかといいますと、その決定的な動機はキリストの復活にあったのです。信仰の告白として、そこからさかのぼって書かれたのです。キリスト十字架上で息を引き取ったときに、弟子たちの信仰は危機にさらされました。しかし、キリストに対する信頼が、彼の復活を見たという確信によって完全に回復される、そういう事情聖書の成り立ちにはありありと見てとれるのです。(p.182「復活」)


信仰の危機を克服するために、「キリストの復活」が聖書を書かせたというのである。


小川国夫の没後一年記念の出版として『イエス・キリストの生涯を読む』は、聖書を読み解く姿勢から、「聖書文学を超える衝撃力」をもっているという言葉によって、小川氏の生涯が照射されるという構造を持つだろう。

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2009-02-01 今こそ時代を超えるゲバラを知ろう

[]チェ 28歳の革命 チェ 28歳の革命を含むブックマーク チェ 28歳の革命のブックマークコメント


スティーブン・ソダーバーグ『チェ 28歳の革命』(Che part1;The Argentin 、2008) を観る。アルゼンチン生まれのゲバラが、カストロ出会いキューバ革命の成功までを描いた二部作の前半、いわば栄光のチェ・ゲバラを描く。



トラフィック』(2000)で確立した手法、群像劇手際よくさばき、それが『オーシャンズ11』(2001)『オーシャンズ12』(2004)『オーシャンズ13』(2007)の痛快娯楽作に生かされた。


トラフィック [DVD]

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『チェ 28歳の革命』では、1964年国連にキャーバ代表として出席するゲバラと、同年リサ・ハワードによるゲバラへのインタビューモノクロ画面として挿入され、行動する若きゲバラを捉える色彩映像カットバックにより映画を構成している。


キューバ革命の成功には、市民や農民が支援している背景があり、とりわけサンタクララ陥落のシークエンスは、熱く、見るものを興奮させる。ここでの暴力戦争は、「正義」を掲げている故、正当化されている。


ゲバラにとって、革命戦士となるためには、自己を律することが求められる。闘うだけではなく、読み書きや知識を持たずして革命は成立しないことを、映画のなかでみせている。第一部のベニチオ・デル・トロは、引き締まった体型で顔の頬も削げており、若きゲバラそのものである。


映画をみることによって、見るものを鼓舞するフィルムは多くない。『チェ 28歳の革命』には、見るものを興奮させる要素がある。久々にアドレナリン放出する映画をみた。


チェ・ゲバラ伝

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チェ・ゲバラ 人々のために [DVD]

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[]チェ 39歳別れの手紙 チェ 39歳別れの手紙を含むブックマーク チェ 39歳別れの手紙のブックマークコメント


1月31日公開の続編『チェ 39歳別れの手紙』(Che part2;Guerrilla, 2008)を観る。第一部が「明」とすれば、第二部は「暗」に相当する。画面は終始暗い。ボリビアに偽名で侵入し、ゲリラ闘争を指導するゲバラは、ボリビア共産党からの支援を得られず、ゲリラ仲間の士気はいまひとつ盛り上がりに欠け、更に、頼みの農民に支持されない。追い打ちをかけるように、農民に密告されてしまう。孤立無援の1年あまりの解放闘争は、革命家の「宿命」なのか。あまりに悲しい。


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結果として二部作になった『チェ』は、ボリビアでの武装闘争から撮影を始めたようだ。ベニチオ・デル・トロの体型も腹が出た中年体型で、冒頭、カストロがチェからの手紙テレビで読み上げるシーンから始まり、続いてゲバラは、OAS米州機構)の特史ラモンに変装して登場する。一旦、キューバの自宅で父の友人ラモンとしてくつろぐシーンがあり、家庭的な雰囲気をみせるが、画面は直ちにボリビアに転ずる。



ゲバラ自身は、アルゼンチン生まれであり、若い頃から旅を愛した。最初の旅行は『モーターサイクル・ダイアリーズ』(2004)に記録されており、カストロとの出会いが、医者から革命家に転身する契機となったわけだが、ボリビアでのゲリラ闘争とは、ゲバラにとって何であったのか、ラストシーンから、第一部のキューバへ向かうゲバラにに戻り、無音のエンディング・ロールを見続けていると、映画を逆回転させて、第二部を見てから第一部を見た方が、ゲバラ生き方がより良く分かることに気づく。


二本が、あまりに対照的に撮られているが故に、ソダーバーグによる伝記映画の手法が分裂しているのではなく、敢えて異質な作品に仕上げたことが分かる。第一部はシネマスコープ、第二部はビスタサイズと画面の大きさを変えている。横長サイズの第一部は、希望と明るさに満ちているが、ビスタサイズの第二部は陰々滅滅たる色調に変化を持たせているのも、スティーヴン・ソダーバーグ意図があったからだ。


『チェ』は、132分+133分、計265分(約4時間半)の大作であり、ベニチオ・デル・トロの代表作になった。もちろん、ソダーバーグにとっても、アメリカ人として、チェ・ゲバラ映画化したことは勇気のいることであり、自身の代表作になったことは申すまでもない。傑作である。



なお、リチャード・フラーシャーが『革命戦士ゲバラ!』(Che!, 1969)を、1967年ゲバラ死後2年目に撮っていたことを、吉田広明『B級ノワール論』(作品社、2008.10)*1で知った。


B級ノワール論――ハリウッド転換期の巨匠たち

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■スティ−ヴン・ソダーバーグの作品

KAFKA 迷宮の悪夢 [DVD]

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イギリスから来た男 デラックス版 [DVD]

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オーシャンズ13 (Blu-ray Disc)

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*1吉田広明『B級ノワール論』は、『拳銃魔』『ビッグコンボ』などの傑作で知られているジョセフ・F・ルイス、『ウィンチェスター銃'73』『グレン・ミラー物語』のアンソニー・マン、『ミクロの決死圏』『絞殺魔』のリチャード・フライシャーの、フィルム・ノワールに限定した作家論および40〜50年代アメリカ映画史として記述された貴重な映画論。後日覚書として報告予定。

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