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2009-04-21 宗教者こそ「おくりびと」であることを自覚すべきだ

[]おくりびと おくりびとを含むブックマーク おくりびとのブックマークコメント


朝日新聞大阪版)』2009年4月6日朝刊に、『「おくりびと」に危機感』と題して、全日本仏教会会長の松長有慶氏の談話が掲載されていた。内容が気になったので、少し感想を記しておきたい。


おくりびと [DVD]

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松長氏は、高野山真言宗管長を勤め、2008年から現職とのことで、思想的には真言密教系ということになる。松長氏がアカデミー賞外国語賞受賞作『おくりびと』には、「テーマが死なのに、宗教者があまり登場しない」ことを憂えている。また、ヒット曲千の風になって』の歌詞に違和感を抱いた理由として、



私がいやだなと思ったのは、亡くなった人まで利用して、自分の寂しさを癒やされたいと思う現代人の身勝手さを感じたからです。/死者の霊をいつまでも生者の周辺に飛び回らせて、生者が慰められることが望ましい。こんな風潮が広まった背景には、現代社会葬儀形骸化しているからではないでしょうか。本当は死者の成仏儀礼なのに、生者の側の世間体を重んじる行事になっているところに問題があると思います。


本来は、僧侶が「おくりびと」になるべきである、にもかかわらず、葬式仏教となってしまったがために、また、今日医学教育人間物質的な「物」として扱っていることにも原因があり、人を「物」でなく、「者」として、映画おくりびと』の主人公のように、「死」について一緒に考え、真心のこもった行動をする僧侶が求められているという。


たしかに、私自身の経験からいえば、この4月初旬に母の七回忌に帰省してきたが、宗派は真言宗で、各派に共通の「般若心経」と空海の教え「真言」を唱えて死者を供養する形式で、法要が執り行われた。仏教で、一回忌、三回忌、七回忌と葬式以後三度、家族親族が参集した。このような形式は、いわば死者が残された生者を呼び寄せ、普段、集まることのない死者に係わりがあった人たちが一同に会する場を提供していると、ポジティブに捉えることで、了解可能となる。


銭金について

銭金について


たとえば仏教のなかの考えなどは、車谷長吉エッセイ「読むことと書くこと」(『銭金について』所収)のなかで「四苦八苦」について記されいるので、解りやすい。釈迦が唱えた「娑婆苦」「業苦」について、人間の苦しみは「四苦八苦」であり、「四苦」とは「生・老・病・死」、「八苦」とは「愛別離苦(あいべつりく)・怨僧会苦(おんぞうえく)・求不得苦(ぐふとくく)・五陰盛苦(ごおんじょうく)」の四つを加えた「苦」をいう。車谷氏のことばを引用すれば、


釈迦世界観というのは、人間の「業」というもの、あるいは苦しみというもの、「四苦八苦」というものに基づいて構成されている。人間は「苦の世界」を生きている。この苦しみというのは、自己と他者との関係の中で発生する。(p.195「読むことと書くこと」)


車谷氏は「宗教信仰の話をしているのではない」と記しているが、宗教者がこのように解りやすく葬祭の席で語られることはない。釈迦は、その「娑婆苦」「業苦」の世界で、瞑想をするとか座禅をするとか、仏教修行をすることによって悟りを啓いた、と氏はいう。車谷氏は、「悟りを啓かない」という強い意志で、苦しみや運命と闘った記録が「文学」であると述べている。


車谷氏が語るように、宗教者が語るなら、葬儀や法要の席の意味が共有されるだろう。仏教者は、儀式的に読経し回向することをに自らの言葉を付加するならば、多少とも「宗教」への関心が寄せられる可能性がある。松長氏が懸念する状況は仏教者側の責任であることに間違いない。


映画おくりびと』は、拙ブログで昨年度の映画ベストテンで2位にあげている。映画そのものは、葬送という視点から見事な出来栄えだった。それゆえ、松長氏が映画宗教者がいないと感じたのだろう。


さてその後、4月20日付け『朝日新聞大阪版)』に、「僧医」を目指す「対本宗訓氏に聞く」という記事が出ていた。禅僧であった対本氏が、医師資格を取得し、葬送儀礼だけのための宗教ではなく、自らが医師となり医療現場にかかわっていることが紹介されていた。


私が禅僧として積み重ねてきた長年の修行が本物であれば、それらはすべて私の血となり肉となっているでしょう。宗教者としての力がそなわっていれば、自分自身の言葉で表現できるはずです。日常言葉で語らなければ、生老病死に苦しむ患者さんの耳には届きません。


僧医として生きる

僧医として生きる


まさしく、このような宗教者を待っていたというべきか。紋切型のお経を唱えて、自分言葉を持たない、しかも、宗派内での行動と檀家への依存によって葬送儀礼のみ行っている僧侶がほとんどである。「戒名」は金額によって位が異なるなど、宗教本来の主旨からいえば言語道断であろう。宗教者に、「死者」を「人」として丁寧に葬送する「おくりびと」の納棺師存在を否定する権利などない、と言っておかねばなるまい。



ブッダのことば―スッタニパータ (岩波文庫)

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龍樹 (講談社学術文庫)

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2009-04-18 「インド映画」をイギリス人が撮ると

[]スラムドッグ$ミリオネア スラムドッグ$ミリオネアを含むブックマーク スラムドッグ$ミリオネアのブックマークコメント


ダニー・ボイル監督アカデミー賞作品監督賞受賞の『スラムドッグ$ミリオネア』(2008)を公開初日に観た。『トレインスポッティング』(1996)で進出してきたイギリス人監督は、以後、ハリウッドシステムの中でいまひとつ、本来の実力が出てないなと感じさせるフィルムが続いていた。


トレインスポッティング [Blu-ray]

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10数年間の不振を吹き飛ばすかのような、エキサイティングでパワフルな作風が、インドムンバイボンベイ)という土地を得て、インド映画*1エネルギーを吸収するかたちで見事なエンターテインメントに仕上がっている。


Slumdog Millionaire

Slumdog Millionaire


クイズ番組ミリオネア」は世界中で作られているようだが、インドスラム街出身の兄弟と一人の少女物語クイズ番組の背後から、全面へ押し出す仕掛けが実に面白い。なぜ本命の『ベンジャミンバトン』を凌駕しえたのか。本作を観ることで納得させられる。しかし一方では、映画のもつ普遍性という点では、人生の機微を逆説的に捉えたデビッド・フィンチャー作品が残るようにも思えるのだ。


スラムドッグ$ミリオネア』は、18歳のジャマールテレビ番組ミリオネア」で一問づつ解答して行く、なぜスラム出身の彼が解答できたのか、その背景を明らかにしながら物語が展開して行く。映画は冒頭でジャマール青年警察逮捕され、クイズの解答でインチキをしているのではないかとの疑いのもと、担当警部に、一つひとつの問題にかかわる少年人生が、解き明かされる。ジャマール少年は、兄サリームとともに、たくましく生き抜く。宗教対立の騒動に巻き込まれ、母親が撲殺される。目前で殺されたのは、ヒンドゥー教イスラム教宗教対立のせいであり、母の死因がミリオネア問題の一問に関係していたのだった。


過酷な状況のなかで、大人たちに利用されながらも、たくましく自立して行くジャマール兄弟と少女。問題のすべてが、過去の人生で苦労した思い出に関わっていたからこそ解答することができた、その経緯が、フラッシュバック方式と、過去が現前化するリアリティで、フィルムは生き生きと輝く。


最後の問題の前に逮捕された青年ジャマールは、警部にひとつづつ説明し終わると、解放され最終問題に突入する。最終問題も、ジャマールと兄サリームと少女の三人に関係するものだった。そしてエンディングロールでムンバイ駅のホ−ムを舞台としてインド音楽による踊りが心地よく展開され、見るものにカタルシスをもたらす。


ジャマールは正直を絵に書いたような人生で、少女ラティカを一途に思いつめる。兄は如何なる状況にも柔軟に対応し、金銭に魅せられて行く。いわば対照的な生き方だが、ラティカを巡って対立する。もちろん、ラストには、ジャマールラティカにハッピーな結末が待っているわけだが、そこに至るまでに、多くの死者たちがいる。それらすべてを、歌と踊りが昇華させてくれるエンディングの巧みさ。全員インド人による出演で、イギリス人による脚色(『フルモンティ』のサイモン・ビューフォイ)と監督ダニー・ボイル)によって、摩訶不思議インド映画が出来上がった。



アカデミー賞作品賞受賞もうなづけるが、デビッド・フィンチャーベンジャミンバトン』と比べた場合、フィッツジェラルド短編作品映画化した、ブラッド・ピットの逆回転人生の悲哀が、映画としての深みを出していたと思われる。ケイト・ブランシェットブラピーという超有名人俳優を配していることが、無名のインド少年ドラマに敗北したことの意味は、他ならぬアメリカ発の金融不況の影が大きいと今では思うのだが、さて如何であろうか。




スラムドッグ$ミリオネア』は見方を変えれば、かつての植民地インド宗主国イギリス人監督ポストコロニアルの視点でアイロニカルに撮った映画といえるのかも知れない。


【追記】(2009年4月20日

[]ルポ貧困大国アメリカ ルポ貧困大国アメリカを含むブックマーク ルポ貧困大国アメリカのブックマークコメント


ハリウッド、すなわちアメリカ社会では「アメリカンドリーム」の実現がきわめて困難であるからこそ、インドボリウッド映画」で、スラム出身の青年がまさしく「アメリカンドリーム」実現の代替として、アカデミー賞協会が、『スラムドッグ$ミリオネア』を作品賞にした、と言えなくもない。


ルポ 貧困大国アメリカ (岩波新書)

ルポ 貧困大国アメリカ (岩波新書)


実際、アメリカ社会は、医療制度教育、さらには戦争まで民営化されていることは堤未果ルポ貧困大国アメリカ』を読めば明らかだろう。格差が徹底され、貧困層から「アメリカンドリーム」を体現することはできない。



政府国際競争力をつけようと規制緩和法人税の引き下げで大企業を優遇し、その分社会保障費を削減することによって帳尻を合わせようとした結果、中間層は消滅し、貧困層は「勝ち組」の利益を拡大するシステムの中にしっかり組み込まれてしまった。(p.140『ルポ貧困大国アメリカ』)



アメリカがその後、リーマンショックにより金融危機の引き金となったことは周知のとおりだ。日本アメリカ追随の果てに数年遅れて、上記の事態を模倣反復する可能性なきにしもあらずだ。このような光景が『スラムドッグ$ミリオネア』のアカデミー賞受賞の背景からみえてくるというのは極言だろうか。


ムトゥ 踊るマハラジャ [DVD]

ムトゥ 踊るマハラジャ [DVD]

ボンベイ [DVD]

ボンベイ [DVD]

*1インド映画は『ムトゥ踊るマハラジャ』『ボンベイ』『ラジュー出世する』などで日本ではブームになったが、以後、インド映画は殆ど公開されていない。

2009-04-14 「図書館司書」について再々考する

[]図書館法施行規則を改正する省令 図書館法施行規則を改正する省令を含むブックマーク 図書館法施行規則を改正する省令のブックマークコメント


2009年4月2日付けで、文部科学省司書科目の改正の省令告示にあたって、再度、パプリックコメント募集している。締切は4月22日。個人的な意見も受け付け可であり、公共図書館関係の方は、ぜひ現場意見を提案されることを期待したい。


案件番号185000396 「図書館法施行規則の一部を改正する省令案について」

http://search.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=Pcm1010&BID=185000396&OBJCD=100185&GROUP=


なお、この意見募集は、2月18日の正式な報告書を受けて、再度省令告示前に意見公募を行うものであり、慎重を期してるのか、あるいは、形式的に意見公募をしてるのか定かではないが、「司書資格取得のために大学において履修すべき図書館に関する科目の在り方について(報告)」(平成21年2月これからの図書館の在り方検討協力者会議)の内容が反映されている。

「報告書」は文部科学省HPに掲載されている。

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shougai/019/index.htm


いずれにせよ、公共図書館の「司書」が目指すべき省令科目(13科目、24単位)になることに、変更はないだろう。公共図書館が「図書」中心から「情報資源」中心に移行することは確かだ。


ブログで、既に二回、本件について意見の述べているので、繰り返すことは避けるが、公共図書館の「司書」の在り方が根底的に変容しようとしている。公共図書館自体が、「指定管理職制度」の導入等で、現場サイドが大きく変化していることは周知のとおりである。一番大きな問題は図書費の削減であり、2008年都道府県別の予算が各県ほとんどが削減されていて、例えば、いま注目されている大阪府は、 21,150千円削減され122,085千円になっている。


ちなみ、第1位・東京都255,607千円(13,924千円増)、第2位・岡山県217,291千円(11,188千円減)に次いで、都道府県別で大阪府は第3位に位置している。人口比から言えば、岡山県鳥取県105,496千円(2007年度と同額)が突出している。(日本図書館協会HPより)

http://www.jla.or.jp/statistics/siryohi2008.htm


図書館法第2条に


図書館」とは、図書、記録その他必要な資料を収集し、整理し、保存して、一般公衆の利用に供し、その教養、調査研究レクリエーション等に資することを目的とする施設

と記されており、国民がひとしく図書資料の利用ができることが大原則であるとすれば、現実地域によってかなり不平等になっている。まず自分が所属する地域公共図書館の図書資料費を確認することを薦めたい。


いまひとつ気になる点は、電子資料の保存問題である。パッケージ電子媒体にせよ、ネットワーク系にせよ、インフラの崩壊(例えば出版社倒産等でサーバへのアクセスが不可能になる)によって、電子データが消滅する危険性を誰もがあまり気にしていない、ということだ。



2009年3月9日国立国会図書館主催電子書籍流通・利用・保存に関する調査研究」報告会からの、中西秀彦氏の報告「電子書籍の保存」によれば、「すべての文化遺産は、それが生まれたときから保存を考えておかねばただちに散逸してしまう。」と警告*1している。

http://current.ndl.go.jp/FY2008_research


歴史的にみて数百年単位で保存されるのは、本・書物という形式であり、この点からも図書資料よりも、情報資源ウエイトを置こうとする「省令・新司書科目」は、大きな問題を孕んでいると言わざるを得ない。ウッブ依存現象すなわち電子情報に何の疑問をもたない能天気な人たちが、図書館の資料保存まで視野に入れているかきわめて疑問だからだ。


バルトフーコーデリダ名前をあげ、図書資料を「著者/テクスト関係のゆらぎとして捉え、斬新な書誌コントロール論を展開する柳与志夫『知識の経営図書館』(勁草書房、2009)は、文化・知的情報資源へのアクセス構造化することに言及している注目すべき論考だが、その文化・知的情報資源の保存問題に触れられることはない。


知識の経営と図書館 (図書館の現場8)

知識の経営と図書館 (図書館の現場8)


ウッブという「流行」を追うのは結構だが、「図書館司書」に求められるのは、ネット関係技術ではなく、図書資料を根底のところで思考できる人物ではないのか。


利用者として、また、図書館に関心を持つ者として、司書資格のための省令科目について既に二回、拙ブログに記載したので、今回はここまでに留めておきたい。


図書館学基礎資料

図書館学基礎資料

*1:例えば、10年以上前に発売されたCD-ROMなどはOS環境変化のため読めないケースがあるのは、誰もが知っていることだ。中西氏は媒体変換による保存を提言しているが、本の場合は読めないことなどあり得ないことを思うと、本・書物として残すことの重要さが実感できるだろう。

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2009-04-12 『ミュージアムの思想』が問いかけること

[]ミュージアムの思想 ミュージアムの思想を含むブックマーク ミュージアムの思想のブックマークコメント


松宮秀治『ミュージアムの思想』(白水社、2009)が新装版として3月に発売された。もちろん、柄谷行人が絶賛した『芸術崇拝の思想』(白水社、2008)の好評に応えて、5年前に出版された本に新たな「あとがき」を付して再版されたものである。


新装版 ミュージアムの思想

新装版 ミュージアムの思想


松宮氏は、近代ヨーロッパ宗教の代替として「芸術崇拝」を見出し神殿を「ミュージアム」と規定したところに新鮮な視点がある。松宮氏によるミュージアムの定義は次の引用に集約される。


ミュージアムとは西欧のみが創造しえた、またその本質から見ても徹頭徹尾西欧的なものである。ミュージアムとはその機能から見れば、西欧近代が新たに発見した価値観念、つまり「芸術」「文化」「歴史」「科学」といった観念によって、新しい「聖性」を創出し、その聖性のもとで新しい「タブー領域」を確定していくものであり、そしてそのもっとも基本的な特徴は、この聖性とタブー領域を絶えず拡大し、巨大化させていくことである。この機能を作動させていくのがコレクションの制度化である。コレクションの制度化とは、コレクションのに社会的な公認の価値を認め、政治的な目的にしていくことであり、西欧以外の文化圏ではコレクションの制度化をなしえたところは存在しない。(p.14)


その蒐集の中心に図書があったとの指摘は、きわめて興味深い。人文主義者たちの古代文献蒐集がヴァチカンの図書蒐集と結びつき、さらに公共図書館の設立と結びつくのだが、それは「図書の蒐集は単なる私的領域を超えてた広いネットワークの中でなされ」、更に「図書の蒐集が美術保護とは比較にならないような重要社会的意味を持っていた」と著者は言う。


通常私たちの認識では、「ミュージアム」とは、美術館および博物館イメージするが、松宮氏は西欧の「ミュージアム」の概念を上記の引用にあるよう「芸術」「文化」「歴史」「科学」を綜合し視覚化のために制度化したことを実証して行く。

日本など非西欧圏が、ミュージアムを導入する場合はどうすべきか。松宮氏の答えは以下のとおりである。


もし西欧近代のミュージアム制度を非西欧圏が導入しようと図るなら、それが国家事業であること、しかも国家の「大事業」であることを学ばなければならないだろう。そうでないなら、ミュージアムの思想そのものを正面から否定し、それを可能にする論理の構築に向かうべきであろう。(p.268)


ところで、日本西欧的なミュージアム制度を導入してきたのだろうか?


新装版へのあとがき」において、松宮氏が記す以下の要約が、本書の主張する意図と内容を示している。


この書では、ミュージアムが西欧の「帝国理念の産物であること、いいかえると、西欧の絶対主義王政の政治理念が、キリスト教普遍主義に対抗するため、自然物(創造者)と人工物(人造物)のコレクションを通じ、世界を一元的な価値で掌握していこうとする過程での産物であったこと・・・・・(p.278)


芸術崇拝の思想―政教分離とヨーロッパの新しい神

芸術崇拝の思想―政教分離とヨーロッパの新しい神


そして、なぜ「美術芸術作品」を収納する美術館が他のミュージアムよりも優遇措置を受けたのかは、『芸術崇拝の思想』に記述されているので、両書を併読することで、松宮氏の目指す方向が理解できるという仕組みになっている。


松宮氏が「参考文献」としてあげている図書の一部

toshiromitsuokatoshiromitsuoka 2009/06/25 18:08 初めまして。ミュージアム研究をしている院生(社会学)です。『芸術崇拝の思想』を柄谷さんが絶賛しているというのをこちらで初めて知りました。やはり、文学批評という共通のバックグラウンドがあるからでしょうか。
両者とも非常に文献をよく整理されていると思うのですが、『芸術崇拝』に関しては、近代国家における宗教としての美術が先上がりの結論としてあって、そのために有利な例証だけを重ねている印象も受けたもので。
無知を曝しているようで少し恥ずかしいのですが、ここでの紹介のされ方に触発されまして。不適な内容でしたら、削除してください。それでは。

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2009-04-11 『無趣味のすすめ』は,総論反対・各論賛成である

[]無趣味のすすめ 無趣味のすすめを含むブックマーク 無趣味のすすめのブックマークコメント


村上龍無趣味のすすめ』(幻冬舎、2009)、購入した日に読了できる分量。総論反対、各論賛成という刺激的な本だ。


無趣味のすすめ

無趣味のすすめ


無趣味のすすめ」と題された冒頭の序文に相当する内容は以下のとおり。



まわりを見ると、趣味が花盛りだ。手芸、山歩き、ガーデニングパソコン料理スポーツペット飼育や訓練など、ありとあらゆる趣味情報が愛好者向けに、また初心者向けに紹介される。趣味が悪いわけではない。だが基本的に趣味は老人のものだ。好きで好きでたまらない何かに没頭する子ども若者は、いずれ自然プロを目指すだろう。/老人はいい意味でも悪い意味でも既得権益を持っている。獲得してきた知識や技術、それに資産や人的ネットワークなどで、彼らは自然にそれらを守ろうとする。だから自分世界意図的に、また無謀に拡大して不慣れな環境や他者と遭遇することを避ける傾向がある。/わたしは趣味を持っていない。小説はもちろん、映画制作も、キューバ音楽プロデュースも、メールマガジン編集発行も、金銭のやりとりや契約や批判が発生する「仕事」だ。息抜きとしては、犬と散歩したり、スポーツジムで泳いだり、海外リゾートプールサイド読書したりスパで疲れを取ったりするが、とても趣味とは言えない。/現在まわりに溢れている「趣味」は、必ずその人が属す共同体の内部にあり、洗練されていて、極て安全なものだ。考え方や生き方リアルに考え直し、ときには変えてしまうというようなものではない。だから趣味世界には、自分を脅かすものがない代わりに、人生を揺るがすような出会い発見もない。心を震わせ、精神をエクスパンドするような、失望も歓喜も興奮もない。真の達成感や充実感は、多大なコストリスクと危機感を伴った作業の中にあり、常に失意や絶望と隣り合わせに存在している。/つまり、それらはわたしたちの「仕事」の中にしかない。(p.6-10「無趣味のすすめ」)


著者にとっての「仕事」は、通常「趣味の範疇」といえなくもない。著者が「趣味」という「手芸、山歩き、ガーデニングパソコン料理スポーツペット飼育や訓練など」は、「趣味」というより「道楽」という言葉ニュアンスに近い。 

印象に残った箇所を以下に引用する。


一九七〇年代のどこかで近代化が終わり、九〇年代には日本資本主義システム雇用を中心として画期的に変化した。官庁および企業が急速にインセンティヴと求心力を失っていく中で、個的な目標を見出すことができた個人が、組織・集団の枠を出て、クール科学努力継続させて成功者となるという構図が露わになった。(p.57「情熱という罠」)


問題は品格美学などではなく、Money以外の価値社会および個人が具体的に発見できるとかどうかだと思うのだが、そんな声はどこからも聞こえてこない。(p.100「品格美学について」)


やるべき価値のある仕事を共にやっていれば何か特別なことをしなくとも、つまりことさらに何かを教えなくても、人間自然に成長する。問題は部下との接し方ではない。取り組んでいる仕事が本当にやるべき価値があるのか、そのことを確認して、その価値を共有することのほうがはるかに重要である。(p.154−155「部下は「掌握」すべきなのか」) 

           

                                  

わたしたちは大きなジレンマを抱えてしまった。消費者の立場では「王様」と呼ばれるが、労働者の立場では、一部のスペシャリストを除いて、消耗品となりつつあり、働きがいは失われつつあって、肝心の消費も縮小している。「大きな政府」に戻ろうにも、逼迫した財政状況がそれを許さない。非常にやっかいな循環が始まっていて、今のところ解決策は見当たらない。(p.178−179「労働者消費者」)


うまい文章、華麗な文章、品のある文章、そんなものはない。正確で簡潔な文章という理想があるだけである。(p.208「ビジネスにおける文章」)


いわば、村上龍による仕事に対する箴言になっている。「無趣味」自体が、村上龍生き方が反映された言葉だ。しかし、ここに村上春樹を対置してみるとどうだろう。マイペースで、「雪かきしごと」のように小説翻訳を次々と出版している作家村上春樹。彼の作風は、文体に支えられている。ビジネスの文章と対極にある。


走ることについて語るときに僕の語ること

走ることについて語るときに僕の語ること


ビジネス世界では、村上龍の本書は、一種カノン的な役割を果たすだろう。一方で、ビジネス以外の世界では、どうふるまえばいいのか。それを教育次元で語っているのが、内田樹氏である。


街場の教育論

街場の教育論


無趣味のすすめ』に比肩するのは、教育的側面では内田樹『街場の教育論』(ミシマ社、2008)であろう。思想的にはやはり内田樹『街場の現代思想』(NTT出版、2004)になる。つまり、いま若者たちの指針となり得るであろう書物として、この三冊を推したい。


街場の現代思想 (文春文庫)

街場の現代思想 (文春文庫)


再度確認しておきたいのは、村上龍無趣味のすすめ』は、総論反対、各論賛成であるということ。「趣味」は必要なのだ。更に付け加えておけば、『無趣味のすすめ』には一切「問題への回答」が書かれていない、ということだ。もちろん、内田樹氏の著書にも「回答」はない。

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