整腸亭日乗 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2004 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2005 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2006 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2007 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2008 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2009 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 07 | 08 | 09 | 12 |
2010 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2011 | 01 | 02 | 05 | 09 | 12 |
2012 | 01 | 02 | 03 | 05 | 06 | 09 | 12 |
2013 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2014 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2015 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 10 | 11 | 12 |
2016 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2017 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2018 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 |

2012-03-20 世界の総体を鋳直す「解釈者革命」をルジャンドルは提起する

[]西洋エンジンテストする 西洋をエンジン・テストするを含むブックマーク 西洋をエンジン・テストするのブックマークコメント


恐るべき書物だ。

ピエール・ルジャンドル著,森元庸介訳『西洋エンジンテストする―キリスト教制度空間とその分析』(以文社,2012)を読み、世界知を読み換える試みの書であることに驚いた。



実際は、三つの講演を収めた書物だが、その眼目は第3講演「世界総体を鋳直す」にある。


つの問題点の指摘


まず、ヨーロッパですでにひさしい以前からはびこっている宗教的・政治的な幻滅。また、産業による虐殺発明に起因する大陸の荒廃。(p.58)


さらに前提として、西欧化されたモデルとグロ−バル化したマネジメントに言及する。


ヨーロッパアメリカモデル適応した国家というモンタージュを、押し付けたり同意を取り付けたりしながら輸出すること。民主制なるものについてスタンダード化された説教西洋が唱え立てること。そこには―「自然な」とあえて言うが―付随物として、防衛的なレトリックに支えられた過剰武装がともなっている。そのうえで、惑星の全体を見渡してみるなら、いたるところで、同様のメカニズムがそのたびごとに都合のよい言説を取り合わせながら機能していることがわかるだろう。(p.58)



グローバル化通称される事態の水準にあって、マネジメントは、疑いようもなく、己の出自から継承した原理主義を伝搬している。第一に、産業システムの闘争的な合理性、ならびにその延長としての、人間紐帯に関する技術主義的な思考。第二に、全体戦争殺戮科学プログラミングに稗益すべく20世紀に到来した組織化の完遂。実践のうえで、世界化された効率性(efficiency)の根底に、企業国家行政、また超大陸規模の封建制度への軍事的思考の移入があるのは明らかだ。そして、こうした傾向のうちで、純然たる道具的思考が法の領域を浸食している。慣用となった言い方をするなら、マネジメントは法という手段をモビライズしている。(p.59)


第一の講演より


第一の徴候として、創設シナリオ紐帯不安定化した結果、正統性の原則が恣意に委ねられるものとなりました。

第二の徴候として、キリスト教固有の分裂に起因して範域相互が切り離された結果、法的領域―それまで歴史的には、技術性の原則の大いなる担い手であるローマ法に服属していた範域なのですが―の孤立にとって有利な条件が生まれました。

第三の徴候は、わたしたちの制度抽象化に蝕まれているということです。・・・(中略)・・・今日法律家は自身の知に騙されつつあるのではないか・・・法律家は、全面化した抽象化傾向の代価をそのように支払う一方で、主体と文明構造的な相互帰属を検討するための力を失っているのです。(p.100)


第二講演より


いまこそ人間社会解釈学的な構築というものを理解し、首尾一貫して筋の通った問いかけの方途を探らねばなりません。社会科学人文科学経営科学を荒廃させている実証主義に明確な意識とともに背を向け、きっぱり、そう、きっぱりと「文化の進展は個人の進展に類似し、同じ手段にとって為される」(フロイト)のだと考えることです。(p.115)


第三講演より


西洋思想家たちは、いまだ狡猾さを発揮して次のように確信している。ヨーロッパ発明された諸々の用語は無制約にその意味を保存しているのみならず、2000年以上にわたる恒常的な使用によってスタンダード化されたのだから惑星のいたるところにあって合法的な語彙として吸収されるのでなければならない、と。だからまた当然の帰結として、宗教と呼ばれるモンタージュは、アメリカ連邦裁判所判事たちが最近になって「思想の自由市場」と呼んでいるものへ切り詰められてゆくわけです。この惑星市場は、しかるべくして、あえてそう言いたいのですが、多国籍のごときものと化したキリスト教に支配されていますグローバル化時代国境の開放、あるいは 文明平等といった政治マニフェスト時代にあって、キケロが述べていた「唯一無比の智慧」は相変わらず西欧的由来の文明の独占物となっているのであり、この文明は、意味論上では明らかに事実にどこまでも抗いつつ、自分たちが普遍的に君臨しているのだという心づもりを大っぴらにひけらかしている。(pp.147-148)


結論的に「何が普遍であるのか」との問いに


西洋をこそ民族学の対象とするのでなければなりません。わたしたちが他の解釈システム、他のひとびとの他の宗教に押しつけてきたのと同じ扱いを西洋に押しつけねばならない。こうした見地からするなら、普遍とは、表象の生の論理、また一連の命法―解釈し、因果性についてのヴィジョンを練り上げ、つまりは系譜的に組織された世界という語りを構築して再生産するという命法―の前にあって、人間社会平等であることを意味しています

神話宗教、創設シナリオは交換することができません。他人の代わりに夢を見たり考えたりすることは誰にでもできないからです。だから、力づくによる強制によってというのでなければ、どんな文化にもあれ、己を消し去ってしまうことなどありえないのです。(p.180)


西洋をこそ民族学の対象とする」こと「他のひとびとの他の宗教に押しつけてきたのと同じ扱いを西洋に押しつけ」ることが、今後の課題であるというわけだ。


ほとんど引用しか、説明できないけれど、ルジャンドルの「ドグマ学」は、基本的にキリスト教歴史的な法的解釈に依拠している。

キリスト教が、ローマ法を取り入れてローマ法=キリスト教会法として中世以後、今日まで継続していることの問題点を指摘しているわけだが、グローバル化の中で惑星規模での、系譜的な再組織化の必要性を強調していると理解できる。ここまで、世界的な問題の本質を抉り出している思想家は、ルジャンドルしかいない、と思うのだが。如何なものであろうか。


問題解明の鍵として、シュルレアリスム画家ルネ・マグリットの『禁じられた複製』とマックス・エルンスト『第二の眼に見える詩』*1を、巧みに導入している。


ルジャンドルは自身の手法を「解釈革命」と定義しており、引用箇所から読みとれるとおり、主張される言説は、きわめてラディカルで根底的な、世界への異議申し立てなのである


ピエール・ルジャンドルの著作

ルジャンドルとの対話

ルジャンドルとの対話

*1マグリットの『禁じられた複製』および、エルンスト『第二の眼に見える詩』は、本書の口絵に図版として掲載されている。前者は<鏡を見つめる男が、鏡に映る自分の背後像を見ている>構図。後者は<夜空を背景にして笑う神の顔が、その視線の先、つまり絵画の下部に優美な手が書物(聖書)の上に水平に置かれている>構図。

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/PreBuddha/20120320

2012-03-16 吉本隆明氏の死は事実上の戦後の終焉である

[]吉本隆明を追悼する 吉本隆明を追悼するを含むブックマーク 吉本隆明を追悼するのブックマークコメント


2012年3月16日未明戦後最大の「知の巨人」と言われる吉本隆明訃報が入る。吉本隆明は死なない人だと思っていた。吉本氏を知ったのは、あの名著『共同幻想論』(河出書房新社,1968)であり、1970年第15版が手元にある。


改訂新版 共同幻想論 (角川ソフィア文庫)

改訂新版 共同幻想論 (角川ソフィア文庫)


この時期、勁草書房から吉本隆明全著作集・全15巻』が刊行中であり、第4巻所収の「マチウ書試論」、第12巻『思想家論』の「丸山眞男論」「カール・マルクス」、第13巻『政治思想評論集』の「転向論」ほか、そして第9巻『島尾敏雄』(1975)など多数の思想論・評論文学論を読んだ。


マチウ書試論・転向論 (講談社文芸文庫)

マチウ書試論・転向論 (講談社文芸文庫)

カール・マルクス (光文社文庫)

カール・マルクス (光文社文庫)


その後、単行本として「日本詩人選」の一冊、『源実朝』(筑摩書房,1971)、『書物の解体学』(中央公論社, 1975)『最後親鸞』(春秋社, 1981)における「往相」と「還相」の提示が記憶に残る。


源実朝 (1971年) (日本詩人選〈12〉)

源実朝 (1971年) (日本詩人選〈12〉)

書物の解体学 (講談社文芸文庫)

書物の解体学 (講談社文芸文庫)

最後の親鸞 (ちくま学芸文庫)

最後の親鸞 (ちくま学芸文庫)



最近の本として『夏目漱石を読む』(筑摩書房, 2002)が、吉本氏が評価していた小林秀雄賞(第2回)を受賞している。


夏目漱石を読む (ちくま文庫)

夏目漱石を読む (ちくま文庫)


大衆の原像」が、80年代以降、自立の思想的拠点として機能しなくなったと思い、しばらく吉本氏に距離を置いていた。

近年は、糸井重里リスペクトによる、講演集のCD化、『吉本隆明五十度の講演』(東京糸井重里事務所,2008)があり、2012年最後の著書『吉本隆明が語る親鸞』(東京糸井重里事務所,2012.1)が 刊行された。これは入手した。


吉本隆明が語る親鸞

吉本隆明が語る親鸞


吉本隆明を、思想的に評価することは、私には出来ない。70年代に氏に遭遇し、「幻想」「対幻想」「共同幻想*1の考え方、更に、親鸞における「還相」としての在り方に感銘を受けた。


勁草書房の『吉本隆明全著作集』が、続篇の途中で何故か中止になった。大和書房からの『吉本隆明全集撰・全7巻』は、既刊分を購読した。

膨大な著作があり、その内、入手・読了した書物は多くない。どちらかと言えば、初期・中期の著作を読んできたことになる。

時代とともに、吉本隆明を追ってきた訳ではないが、氏の存在は常に大きな拠り所となっていたことは確かだ。しかし、いまはこれだけしか書けない。

吉本隆明氏のご冥福をお祈りしたい。合掌。


吉本隆明×吉本ばなな

吉本隆明×吉本ばなな

柳田国男論・丸山真男論 (ちくま学芸文庫)

柳田国男論・丸山真男論 (ちくま学芸文庫)

吉本隆明詩全集〈5〉定本詩集 1946‐1968

吉本隆明詩全集〈5〉定本詩集 1946‐1968

定本 言語にとって美とはなにか〈1〉 (角川ソフィア文庫)

定本 言語にとって美とはなにか〈1〉 (角川ソフィア文庫)

心的現象論本論

心的現象論本論

*1吉本隆明氏固有の「キーワード」として「共同幻想」「対幻想」「自己幻想」のほか、「自立の思想」「大衆の原像」「関係の絶対性」(マチウ書試論)「往相/還相」(親鸞論)「自己表出/指示表出」(言語にとって美とは何か)「アフリカ的段階」など独特の言葉=用法で表現されている。

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/PreBuddha/20120316