小松左京氏死去

小松左京さんが死去 「日本沈没」「復活の日

2011年7月28日20時17分


小松左京さん=1999年、大阪市西区土佐堀
 「日本沈没」「復活の日」などのベストセラーで知られ、日本SF界を代表する作家、小松左京(こまつ・さきょう、本名実〈みのる〉)さんが、26日午後4時36分、肺炎のため大阪府箕面市の病院で死去した。80歳だった。葬儀・告別式は親族で行った。

 1931年、大阪市生まれ。京都大文学部卒。在学中にモリミノルの筆名で漫画を描き、同人誌などに小説を発表。作家の故高橋和巳とは学生時代からの同人誌仲間だった。ラジオのニュース漫才の台本を執筆する一方、米国のSF小説に大きな影響を受けた。

 61年、「SFマガジン」誌のコンテストで「地には平和を」が入選。以後、生物兵器ウイルスと核戦争による人類滅亡を描いた「復活の日」や社会性の強い「日本アパッチ族」、超能力者スパイをめぐる活劇「エスパイ」、第6回日本SF大賞受賞作「首都消失」、自ら映画監督も務めた「さよならジュピター」など多くの話題作を送り出した。

 中でも、当時の地球物理学の最新研究を織り込み、地殻変動で日本列島が海に沈む「日本沈没」(73年)は400万部のベストセラーに。危機に直面した国家と日本人の姿がセンセーショナルな話題を呼び、ドラマ、映画化もされ、一大ブームを起こした。

朝日新聞


日本沈没』の真のテーマに関して、「故郷を失ったら日本人はどうなるのだろうか?」という問いを小松左京はずっと抱いていて、このテーマは『日本沈没』(1973年)以前に『果しなき流れの果に』(1966年)において、日本列島が沈没し故郷を失って流浪の民として世界中をさまよい差別れる日本人のエピソードとして現れている。つまり『日本沈没』はその巨大な物語のための詳しく書かれた序章であった。
小松左京作品は話の面白さは無論のことテーマ性も強かった。


pulin_gkd 御光堂
小松左京『果しなき流れの果に』は、中段のSFアクションぽくなる本筋の部分よりも、導入部と結末の、恋人の突然の失踪と長い年月を経ての再会の部分が好きだった。
21時間前


pulin_gkd 御光堂
小松左京の奥底にあるテーマは常に日本人論だったように思う。
21時間前


pulin_gkd 御光堂
「保護鳥」「まめつま」このあたりもジワジワきたおぼえがあった。
20時間前


pulin_gkd 御光堂
「結晶星団」の結末、私には判断がつかなかった。
20時間前


pulin_gkd 御光堂
「お召し」、今の子供だったら成長が早いから成り立たない話かも。
19時間前


pulin_gkd 御光堂
小松左京「汚れた月」。乞食、今で云うホームレスの話、強烈なスカトロ青春文学。切なくなる。
3時間前


pulin_gkd 御光堂
小松左京「静寂の通路」。環境汚染がテーマ。胎児の異常、「奇形児」など、今の日本の世相にも合っている。
3時間前


pulin_gkd 御光堂
小松左京の文章は一読してすぐ分るほど—(ダッシュ)の多用が印象的だった。
3時間前


pulin_gkd 御光堂
小松左京『青い宇宙の冒険』。少年小説。怪現象、奇妙な伝説のある土地など、オカルト要素がふんだんに盛り込まれた導入部から、宇宙規模のSFへ。
3時間前


pulin_gkd 御光堂
小松左京召集令状」。若い男達に「召集令状」が届きはじめる。それは戦争中の様式と同じものだった。召集令状が届いた男達は入隊の日時になると姿がかき消えていく。やがて「戦死公報」も遺族の元に届けられるようになる。この怪現象を止めるすべが無く、戦時ムードになる社会。主人公はついに現象の原因を突き止めるのだが。。。
3時間前


pulin_gkd 御光堂
小松左京召集令状」は戦争の記憶ものとして「二〇一〇年八月一五日」とペアになっていると思われる。ハヤカワ文庫では続けて収録されている。
2時間前


pulin_gkd 御光堂
小松左京「オフー」。空飛ぶ円盤の目撃多発現象と健康食品として流行しはじめた不思議な果実をめぐる不気味な寓話。
1時間前


pulin_gkd 御光堂
小松左京の、戦争の記憶もので、「召集令状」と逆の方向からのアプローチが「戦争はなかった」。戦後、主人公がふと気付くと、他の誰もが太平洋戦争のことを憶えていなかったというか、この世界が戦争の起きなかった歴史の別次元になってた。主人公は、「戦争はあったんだ」と必死に訴えていくが。。。
2分前



(追記)
上の「二〇一〇年八月一五日」とペアになっていたのは「戦争はなかった」の方だったようだ。