宗教を言葉で理解しようとすることについて

宗教においては言葉であれこれ考えるよりも心で感得するものだという考えがあり、禅において不立文字などというように言葉よりも心から心へ伝えることの大切さが説かれ、また、弘法大師空海密教は経典を読んで理解するものではなく直接体験によって会得するものだということを言っている。その一方で道元禅師も空海も著作が多く、積極的に言葉で宗教的な何かを語ろうともしているわけで、実際は言葉の意義が否定されているわけでもない。人間である以上、言葉から離れることはできないということか。言葉は不要ということを言うのも言葉である。