Hatena::ブログ(Diary)

御光堂世界〜Pulinの日記

2013-12-31

今日の朝食 お粥に梅干し

今日の朝食はあっさりとお粥に梅干しです。

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2013-12-29

最近はコーヒーを一日十杯位飲む

最近はコーヒーを一日十杯位飲む。もともとコーヒーよりも紅茶の方が好きなのだがなぜかコーヒーばかり飲んでいる。一日十杯飲んでも薄めに淹れているせいか眠くならなくなるといったことはない。

2013-12-27

今日の食べ物 レトルトカレー

レトルトカレーの明治マジックスパイススープカレー

具だくさんのちょっと酸味のあるスープカレーでした。辛さ増強スパイスがついていましたが入れてもそれほど辛くは感じませんでした。

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2013-12-26

寒い

今年の暮れは去年の暮れよりも体感的に寒いような気がする。

体調の変化だろうか。

2013-12-24

Cycling 74 M

Mという音楽ソフトがある。初期のMac用のソフトだったが、その後もMacOSの進化に合わせたバージョンが出て、最新版(2.7.3)はIntel版のMacOSXでも動く。(http://cycling74.com/products/m/) 

(MacOSX10.9でも動くが起動のたびごとにシリアルナンバーを入れなければならなかったりするなどの不具合もある。)

発売元のCycling 74 はMaxという自由度の高いプログラミングができる音楽・映像ソフトを出しているところで、Mはそのごくごく一部の機能を抜き出して特化させたものらしい。

Mがどういうソフトかは簡単には説明しづらいのだが、基本的に4トラックのMIDIシーケンスソフトで、音の長さ、強さ、順番、出現頻度などのさまざまなパラメーターに確率を取り入れていて、偶然性のある実験的なポリリズミックな音楽を作るのに向いている。使いこなすのはなかなか難しいが、複雑なことをしなくてもポロンポロンと音を鳴らしているだけでもそれなりに気持ちよかったりする。(TinyGM(http://www.vector.co.jp/soft/mac/art/se302847.html)というフリーのソフトを使ってMacOSX標準DLSシンセサイザーを鳴らしてやることで外部音源につながなくてもMを鳴らすことができる。)

下の画像のようなそっけないインターフェイス。パラメーターを操作する小さなウインドウをいくつも開いているところ。

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(追記)

最新版は2014年の2月に出たバージョン2.8だが、いくつかバグがあるようで、特定のファイルを開こうとすると突然落ちたり、妙な雑音で鳴ったりすることがある。落ちるファイルはダブルクリックで根気よく立ち上げを繰り返していると十数回目で起動することがある。

2013-12-22

古代人には意識がなかった?

古代人には現代人のような意識がなかったという説があるらしい。

ここでいう意識とは、意識を失うとかの意識ではなく、自己認識といった意味の意識である。

古代人はそれがなかったのだという。自分が自分であるという意識を持っていなかった、自己の存在に気付いていなかったということらしい。文明の発達とともに人間は自己に気付いたらしい。

この説についてはもう少し調べてみたい。


この本がその問題を扱っているらしい。そのうち読んでみようと思う。

神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡

神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡


(追記)

読了したが大部の本なのでなかなかうまく読後感が書けない。

人間の心はもともと、言語を司る左脳と、直観的領域を司る右脳に別れていて、古代人は右能の発する「声」を「神の声」として聞き、その直観に従って物事を判断して生きてきていたということらしい。やがて3000年前の社会変動でそうした心の「二分心」(この本でそうした心の有様を表す用語)システムが崩壊して、左脳が「意識」(「自意識」)を司るようになり、もはや「神の声」は聞けなくなり、現在のような心のあり方に変化していった、しかし、統合失調症患者などにはその名残が残っている、というのがおおまかな論旨である。それを史料によって論証している。


(追記2)

金剛般若経などで「自己という思いを起こしてはならない」と説いているのは、意識がなかった時代の心に還れという意味合いがあるのかもしれない。

そういえば道元禅師も「仏道をならふといふは、自己をならふなり。自己をならふといふは、自己をわするるなり」と言っている。

2013-12-21

初音ミクV3 その3

初音ミクV3でまた試作してみました。

詞を作るのが大変ですね。

(約35秒)

・歌詞

知らない街 歩いてみる こんなにも心揺れている

真っ青な空の白い月を どこかで見てる一人の人

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2013-12-20

初音ミクV3 その2

前回の記事にも載せましたが、初音ミクV3でまた試作してみました。

次の歌詞で曲の断片のようなものです。(約35秒)


昨日買った上着をどこに来て行こうか 誰からもきっと呼ばれない私

いつもちょっと楽しく だけどもっと寂しく それが普通で悲しくないけど

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2013-12-17

初音ミクV3を試す

このたび初音ミクV3を導入しました。

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初音ミクの他、DAWソフトのStudio Oneの機能限定版が付属しているセットですが、DAWはすでに手持ちの使い慣れたAbleton Liveがあるのでこちらを使うことにします。ホストアプリケーションからプラグインとして初音ミクを編集するPiapro Studioというソフトを立ち上げる方式です。(当方の環境はMacOSX10.9)


さて、インストールしてアクティベートも済ませ、Ableton LiveからPiapro Studioを起動してみると、いきなりクラッシュ。Liveごと落ちました。Piapro StudioはOSX 10.9以前に出たソフトだから対応してないのかなと思って調べてみると、発売元のクリプトンのサポートページ(http://www.crypton.co.jp/mp/do/support/vi_engine?id=26)から最新アップデータをダウンロードできることが分かり、アップデートをかけてみると今度はうまく起動しました。


マニュアルをほとんど見ないで直感で触ってみているうちに基本的な使い方は何となく分かったので、歌を入力してみました。どういう歌詞にするかということに一番悩みました。

とりあえず次の詞を作って入れてみました。


いつかしら 虹の道 ふわふわと歩いてく

夢の中 面影も 蜜のように溶けてくの


Piapro Studio 入力画面。

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画面左上のほうの歌に表情をつけるパラメーターはまださっぱり分からないのでただそのまま入力しました。なのでやはり歌だけ聴くとかなり不自然に聞こえたのですが、バックをつけると不自然さがいくらか緩和されました。

そうしてできた曲の断片のようなものがこれです。(約35秒)

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パラメーターの使い方は今後の課題ですね。


その他気付いた点。

・Piapro Studioは1小節目の頭から歌わせることができない。歌い出しの関係で必ず無音時間が入る。

・Piapro Studio内の再生ボタンを押してもうまく再生されないときがある。またLiveでオーディオ書き出しをするとPiapro Studioのトラックだけピッチがおかしくなってしまうこともあった。このときはとりあえずLiveの環境設定で入出力サンプルレートをいじったり(48000→44100→48000のように変更すると)、オーディオ出力先を選び直したりすると、正常になるようだ。

・Piapro Studioを再生していると、パソコン(MacBook Pro)のファンが激しく回り出す。CPUにかなり負荷がかかっているらしい。(一応、2.2GHz Core i7 メモリー8GB) ソフトシンセ数トラックのバックと一緒に再生してLiveのCPUメーターでは15%程度になっているが、アクティビティモニタで見るとLiveが150%位になっている。

Ableton LiveとPiapro Studioの相性はあまり良くないのかもしれない。


(追記2)

・Piapro Studioはサンプリングレート44.1kHzで使うことが推奨されているのだった。バッファサイズも大きめに取らなければならないらしい。(http://www.crypton.co.jp/mp/do/support/faq?id=469

サンプリングレート44.1kHz、バッファサイズを512sampleにして同じプロジェクトを再生してみるとCPU使用量は90%程度になった。

そして、プロジェクトのサンプリングレートとオーディオ書き出しのサンプリングレートを合わせないとピッチが変わってしまうのだった。



(追記)

もう一つ試作してみました。パラメーターの使い方が少し分かってきたのでいじってみましたが自然な歌い方にするのはなかなか難しいようです。

(約35秒)

・歌詞

昨日買った上着をどこに来て行こうか 誰からもきっと呼ばれない私

いつもちょっと楽しく だけどもっと寂しく それが普通で悲しくないけど

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さらにもう一つ。

(約35秒)

・歌詞

知らない街 歩いてみる こんなにも心揺れている

真っ青な空の白い月を どこかで見てる一人の人

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歌や音楽を作るだけでなく言語学の研究にも使えるかな?

2013-12-15

今日のお食事 つけ麺

中野のサンモールの脇道にある青葉でつけ麺(700円)。

細めの麺に酸味の利いたつけ汁です。麺は結構量がありました。

この店は冬でも戸を開け放しにして営業しているので少々寒いです。

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2013-12-14

国立駅前の夜景

国立駅南口前の夜景。

年末になると木にイルミネーションが飾られます。

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2013-12-13

2013-12-12

2013-12-11

ボーカロイドは音声学の研究に使えるのだろうか?

ボーカロイドは音声学の研究に使えるのだろうか?

いじってみなければ分からない。何かそういう例はないか。

2013-12-10

いま『日本文法の系譜学―国語学史と言語学史の接点』を読んでいる

いま『日本文法の系譜学―国語学史と言語学史の接点』を読んでいる。なかなか面白い。読み終わったら感想を書く予定。

内容(「BOOK」データベースより)

近代日本に存在した「反普遍文法」の系譜。その煽りを受け不当に無視された松下大三郎の文法論。国語の本性を追求した山田孝雄。その個別言語主義と18世紀普遍文法論との意外な類似性。主観を排した近代文法の嚆矢、大槻文彦の日本文典。その大槻文法に垣間見える矛盾した言語観と西洋言語学の関係!斬新な視点から国語学史と言語学史を縦横に論じ、読者を言語研究の世界へ誘う。

2013-12-09

今日の食べ物 レトルトカレー

中村屋のインドカリービーフスパイシーに豚肉とじゃがいもを追加して煮込んで新たなカレーにして食べてみました。一食分だと煮込むには量が少ないので二三食分使うとちょうどよくなります。

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2013-12-08

今日の食べ物 ベーグル

朝食にベーグルとカフェオレ。

このベーグルは国立の柿屋ベーグル黒糖クルミとチョコレートのベーグルです。

柿屋ベーグルはいつも行列ができていてこれも並んで買いました。

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2013-12-07

今日の食べ物 サーモンの刺身

サーモンの刺身とキムチでご飯です。

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2013-12-06

2013-12-05

2013-12-04

今日の食べ物 レトルトカレー

ヤマモリのレトルトカレー、タイダンス蟹と卵のカレー。

蟹と玉子を使ったタイカレーですが、蟹の味が非常に強くて、カレーとしては珍しくて新鮮な気がしました。

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2013-12-03

「楽しい過ぎ」「嬉しい過ぎ」といった言い方について

本来「楽し過ぎ」「嬉し過ぎ」「面白過ぎ」などと言うところを、「楽しい過ぎ」「嬉しい過ぎ」「面白い過ぎ」などと言う用法が現れてきているようだ。そのような事例をネットで結構観察することができる。

これらは形容詞終止形にそのまま「過ぎ」をくっつけているわけである。こういった言い方をする人は、本来の「形容詞語幹+過ぎ」という造語法の意識が薄れているのだろう。この方が形容詞語幹を切り出す手間が省けるから簡単と言えないこともない。そもそも形容詞語幹という意識も薄れているのだろう。

こうした言い方が広まって定着してしまうのか、一部の人の誤用で終るのか、将来的にどうなるかは分らない。


(追記)

同様に「大きめ」「小さめ」「緩め」と言うところを「大きいめ」「小さいめ」「緩いめ」と言うようなケースも観察される。

これも「形容詞語幹+接尾語」という造語法の意識が薄れていると思われる例である。


(追記2)

さらに、「楽しいかった」「嬉しいかった」「面白いかった」、「楽しいくない」「嬉しいくない」「面白いくない」などと言っているケースも見られる。

形容詞語幹という意識が薄れているのではないかと上では書いたが、形容詞終止形自体が新たな「語幹」として認識されるようになってきたのかもしれない。「楽し」「嬉し」「面白」といった形容詞語幹が不安定に感じられるから、「楽しい」「嬉しい」「面白い」という終止形を「語幹」として使ってしまうのではなかろうか。

「楽し」「嬉し」「面白」といった「形態素」(単語よりも小さいレベルで意味を担う最小単位)が存在しているという無意識の認識が薄れているのかもしれない。(形態素という言葉は知らなくてもそうした単位があると無意識的に認識しているからこそ言葉が使えるのである。)つまり、形容詞終止形そのものが新たに「形態素」となってきたという変化とみなせる。


このような言い方が一般的になるということは、すなわち形容詞の「活用」が消滅する方向に変化するということである。


どうも書き足し書き足しでまとまりが悪くなったので、あらためて書き直してみる予定。

2013-12-02

今日のお食事 つけ麺

立川の青樹でつけ麺(780円)。麺の量は無料で大中小と選べますが中(300g)にしました。

どろっとしたつけ汁は魚介の風味が効いて、大きめの角切りチャーシューが結構入っていました。

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