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御光堂世界〜Pulinの日記

2017-04-27

言語の理論としての構造や操作は実在するのか

言語学の生成文法理論などでは言語の階層構造を考えたり構成要素が移動する操作などをもって言語の仕組みを理論的に説明しようとする。

その場合に考えている構造や操作などは実在するものなのだろうか。それらは言語を説明するためにいわば便法として理論的に仮構されたものなのか、あるいは実在の何かを表しているのか。つまり脳内に言語回路のようなものがあって確かに言語をそのように扱っているのか。そうやって理論は物理的実在と対応しているのか。果してどうなのか。

YAGURUMAYAGURUMA 2017/05/02 12:49 お久しぶりです。

 前にも説明させていただいた通り、言語表現を直接支えているのは話者の認識です。話者の認識は脳の機能として実在し、認識は能動的に運動します。
 さらに、この認識は対象としての実在に対応しています。

 現在の生成文法や認知言語学(その元はソシュールの構造言語学です)では、この対象→認識→表現の過程的構造を捉えることができないため、音声という空気の振動の形やインクの描像として物理的に存在する実体を言語として捉えるしかないため、物理的な操作や階層を論じるしかない段階です。

 この誤りを、言語実体観、構成主義的言語観として指摘したのが時枝誠記の言語過程説ですが、時枝も現象学という観念論哲学に依拠したため、詞が辞を包むという機能主義的な発想を超えることができませんでした。包むという機能的発想が操作という機能的発想と同根であるのは見やすい道理です。

 現在の言語実体観、機能主義的言語観の根底にはデカルトの心身二元論という観念論があり、キリスト教単性社会である西欧文化はこれを乗り越えることが出来ていません。

 この、心身二元論を乗り越えるには唯物弁証法による一元論の論理を展開しなければなりませんが、その雛形がヘーゲルによる絶対精神一元論という観念論哲学の到達点です。
 
 これを唯物論的に転倒したのが、マルクス/エンゲルスの唯物弁証法ですが、認識論を展開するまでには至りませんでした。

 これを成し遂げたのが、三浦つとむによる言語過程説の展開ですが西欧追随の能しかない現在の日本アカデミズムは、この業績を無視するしかないのが現状です。

 この認識論に基づき、神話、古代史を解明したのが古田武彦による九州王朝論、記紀解明、万葉学転換の業績です。
 
 これは、ヘーゲルとベルリ大学の同僚であったアウグスト・ベークのフィロロギー(文献学)の「認識されたものの再認識」というテーゼからキリスト教単性社会の限界を克服することにより戦後史学の津田左右吉の記紀造作史観を乗り越えたものです。

 これらこそが、世界に誇るべき日本の戦後思想の精髄ですが、これが広く認知、展開されるためには、日本の政治、アカデミズムが根底的に改革されなければなりません。

 現状では絶望的ですが、唯物弁証法の否定の否定という論理に従えば、歴史的必然であることは自明かと考えています。■

PulinPulin 2017/05/02 19:13 >YAGURUMAさん
コメントありがとうございます。

言語をはじめとして人間の思考は脳内でどう処理されているのか、それが人間が感じる意識のレベルとどう接続しているのか、まだ判明していないことが多いようですね。プログラムのフローチャートのような仕組みが脳内に実装されて最下層のレベルではアナログコンピューターのようなものなのだとしても、それが意識経験とどうむすびついてくるのか色々謎です。

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