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御光堂世界〜Pulinの日記

2011-07-03

ストレート・エッジの概念と若者の離れ現象及び「草食化」について

ストレート・エッジという概念がある。

肉体的精神的な快楽や享楽を求めない(特にミュージシャンにおける)ライフスタイルのことで、一般に、飲酒喫煙・薬物・賭博・快楽目的の性行為を行わないことを指す。

これで分るように、陳腐なロック的観念「セックス・ドラッグ・ロックンロール」へのアンチテーゼである。

ストレート・エッジワシントンDCハードコアバンドMinor Threatの曲「Straight Edge」(1981年)に由来し、その歌詞の一節「Don't Smoke,Don't Drink,Don't Fuck」の実践に象徴される。

ストレート・エッジの「根柢のコンセプトを一言でいえば、他人に文句を言うのであれば自分から正そう、みたいなことだと思う。政治体制だの権力がどーのこーの言う前に、てめえ自身がビシッとやらねぇとエラソーな主張も無に堕ちる。」(『パンク・ロック/ハードコア史』行川 和彦 ストレート・エッジな生き方)、が分かりやすいだろう。

ロックだパンクだ社会批判だ革命だと言ったところで、「だらしない大人」と同じように飲酒喫煙や薬物や自堕落な性行為、博打、フリーセックスと言えば聞き良い乱交、などに耽っているようではどうしようもないと言うことである。

ロックとドラッグとセックスでラブ&ピース的能天気なフラワームーブメント(もはや老人的懐古趣味だ)からの決別でもある。

放蕩の美学なんて認めない。

ここには、マッチョ主義の否定も垣間見える。マッチョ主義ではないが甘さは感じられない硬派である。まさにハードコアだ。

仕事や勉強をきちんとやった上で物を言いましょう的「優等生」の生き方とも違う、生活そのものの根本変革である。

快楽主義の否定は、あたかも修行僧のようであり、実際ここに、生産行為にたずさわらない、金銭に触れない、歌舞音曲に近づかない、を加えると、原始仏教出家者とほとんど変わらなくなるが、音楽などの表現行為を行ったり、現代生活を行うにも、そこまでの徹底は難しいだろう。

ストレート・エッジは、期せずして、○○離れと言われ、旧世代の人々が夢中になった享楽的娯楽的なもの(飲酒喫煙・博打・風俗、その他昔の大人が夢中になった趣味など)からどんどん離れている現代日本の若者の価値観・ライフスタイルともかなり接近してくる。(○○離れのお金がないという理由は措く)

ストレート・エッジも○○離れも、理解できない者からそれで何が楽しいの? と聞かれても、実践者はそれが楽しいまたはそうでありたいからそうある、となってくるだろう。

若者の○○離れ、を包括できる概念として最近よく言われるキーワードの「草食化(草食系)」がある。草食化とはすなわちマッチョ的行き方の否定である。ここからも、ストレート・エッジにつながっていく。

「大人」は「青年(若者)」にはもはや積極的に勧めてきて「堕落」「悪の道」に踏み込ませようとするから、あえて禁欲・潔癖を通すのが何よりの体制への抵抗ともなる。未婚少子化も結果的に社会への反抗である。

ただし、ストレート・エッジは、「宗教や同調圧力への異議の表明であったにも拘わらず、フォロワーたちは教条的・宗教的に受け取ってしまい、酒を飲んでいる観客に暴行が加えられるなど、はからずもストレート・エッジの思想が新たな同調圧力を生む結果と」(Wikipedia)なった、というから、象徴的行為であるストレート・エッジを絶対であるとしてしまえば弊害も現れる。

ストレート・エッジのライフスタイルはファシストに近くなる危うさも孕んでいる。ヒトラーは菜食主義で飲酒喫煙もやらなかったし多くのファシストに同様の逸話がある。(実際はどこまで本当か分らないにしても)

ロックミュージシャンには菜食主義者は多いようだが、ストレート・エッジにまで進んでいる者は少なく、「日本でもパンクロッカーよりもノイズアーティストにストレート・エッジが多い(秋田昌美灰野敬二等がそうである)。」(Wikipedia)

ポピュラー音楽は快楽音楽だから、即「セックス・ドラッグ・ロックンロール」と直結しなくても、快楽要素前提の存在であるゆえ、ロックよりも快楽否定的なノイズミュージシャンの方がストレートエッジに親和性が高いのだろう。

2011-01-18

若者の高級ブランド離れの原因

若者が高級ブランド品(車なども含む)に興味を持たなくなったのは、それが10人のうち8〜9人が手に入れられる、経済的その他の事情で多少難しくてもなんとか無理すれば持てる、そんなものなら持たなければカッコ悪いし持たないと少数派になってしまい肩身が狭いから競って持とうとする、でも手に入れられるのが10人のうち1〜2人である状況なら、8〜9人は経済的その他の事情で持つことがほとんど不可能な状況なら、持っても少数派になってしまうし、所有競争にさえ加わらない大多数の者に対して持つことを誇示したところで虚しいだけ、なので無理しても持とうという動機も無くなる。

みんなが持ってるから・してるから、自分も持つしする、みんなが持ってないから・してないから、自分も持たなくてもしなくてもいい、ということで、若者の○○離れは価値観の多様化ではなく、価値観(みんなと同じがいい)は画一的だがその方向が変わっただけとも考えられる。

だから、高級ブランド品を持とうという気運が起こるとわれもわれもと持ちはじめ、高級ブランド品を持たなくてもいいとなると、誰も持とうとはしなくなる。

他人が持っていないものを持ちたいという気持ちも、他人も持ちうる範囲において他人が持ってないものを持つことにこそ意味があるのである。

2010-03-02

若者の何とか離れ 若者だった頃の自分を振り返ってみる

今、若者の○○離れがまたネットで話題になっているようです。最近言われている若者の○○離れ一覧。

思えば15年前の自分はすでに離れの先駆的な若者だったかもしれません。


たとえば、


・車やバイクに興味なし(同じアパートに住んでいた同年代の人はカッコいいスポーツカーを買ったりしていましたが、自分は自転車代わりの10万程度の中古車を必要に迫られて持っていただけ、引っ越していらなくなったら捨てた)

・酒に興味なし(職場の付き合い以外ではまず飲まない、付き合い自体年2〜3回)

・煙草はのまない

・スポーツやレジャーに興味なし(健康維持の為にときたまに身体を動かしてみる程度)

・スキー、ゴルフ、テニス、サーフィン等一度もやったことない

・ギャンブルは一回もしたことない

・テレビ持ってない、新聞はとってない

・野球、サッカーには関心皆無

・ゲームやらない

・活字(本や漫画や雑誌を特に読みふけったこともない)

・映画は一年に一回程度も見ない

・アニメにはまるで興味なし

・旅行(ほとんどしない)

・献血は生まれてから一回もしたことない

・当時は既にネットや携帯は出現していたけどほとんど興味なし(とりあえずパソコンは持ってたけど)

・食べ物は安くて栄養がつけば何でも良いよ

・仕事自体にも金がもらえる以上の興味なし

・勉強嫌い

・政治はよくなればいいとは思っても能動的な関心なし

・恋愛に興味なし(やる意味がわからなかった)

・ファッション、どんな格好しても同じ

・生き甲斐自体なし


と、みるとまさに昨今のあらゆるものから離れているかのような若者像と重なります。

先駆的というより、今まではそういう自分のような人種は年齢が若くても既に若者ではないと見做されていたから、特に関心も集めることじゃなかったのかもしれません。

現代のひどい不景気と、若者の離れ現象がたまたま同期して見えたというのがことの真相なのかもしれせんね‥‥。

2009-07-05

若者の何とか離れ、理工系離れ

若者の「何とか離れ」で、消費行動とは少し違うが、理工系離れというのもよく言われることである。

高校で理系科目を選択したり大学の理工系を志望する生徒が減っているのだそうだ。

かつて不景気の時は理工系人気になると言われてきたので、いま理工系不人気なのはよほどのことである。

理工系はしなければならない勉強の大変さに比べて、仕事での給与や待遇で恵まれていないのが理工系離れの原因という。

理工系は専門職なので好きな仕事(モノヅクリ)・研究ができれば幸せだから給与や待遇などどうでもいいだろう、なんておためごかしが通じなくなったということであろう。

そこのところをなんとかしないと、例えば子供に理科の楽しさを教える、それで理工系に送り込む、というような対策を行ったとしても、いざ理工系に進んだ段階で、こんなはずじゃなかった、と理工系ドロップアウトをするだけではないかと思う。それは根本的な対策にはならないのではないか。

また、科学技術が地球環境を壊しているという現実も、理工系そのものに対する白けに繋がっているかもしれない。

むずかしい問題だ。


(追記)

理系離れの本質は学問離れである、という指摘をみてなるほどと思った。今は、学校で学んだことなんか社会では役に立たない、それよりもコミュニケーション能力だといわれる。ならばなおさら、お金も時間もかかる理系の学問なんかに若者が向うわけがない。

2009-06-13

若者の何とか離れとは結局

若者の何とか離れについて、思いつくことをいくつか書いてみたが()、いずれも放言であって、もとより裏付けがあるわけではない。そもそも「若者」「離れ」の定義もはっきりしていないのだから、何かをする若者が減ったというのも、単に若い人の絶対数が減少しているだけの話かもしれない。ただ、それぞれの業界の現場の人にはそれだけではない、ほんとうに若者が離れているような実感はあるのだろう。それにはやはり現代の若者の経済状況が関係しているだろうし、それから結局社会の変化(どういう変化なのかははっきりとは言えないが)ということなのだろう。そもそも何にでも流行り廃りはあるものだから。

興味深いテーマだとは思うが、ゆるりゆるりと観察していきたい。