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御光堂世界〜Pulinの日記

2012-01-31

車に頼らない街作りの機運が起こるのは良いことだ

車に頼らない街づくり…都市コンパクト化へ法案


 国土交通省は、都市をコンパクト化して環境に配慮した街づくりを自治体に促す新法を通常国会に提出する。


 病院や学校、商業施設などの都市機能を中心部に集約し、車に頼らない都市にすることで温室効果ガスの排出を抑える狙いだ。

 新法は「低炭素まちづくり促進法案」で、2012年度中の施行を目指す。新法で対象地域になると、省エネルギー基準を満たした住宅やビルの住宅ローン減税を拡大したり、事業費を補助したりするなどの優遇措置を設ける。震災復興を進める被災地や、人口の空洞化に悩む地方都市の活用を見込んでいる。

 対象地域に指定されるためには、自治体が、都市機能の集約化や建物の省エネ化などを盛り込んだ「低炭素まちづくり計画」を作成する。計画に沿って企業が省エネビルなどを建設すれば、国と地方で事業費の最大3分の2を補助する。大型商業施設に課している駐車場の設置義務も緩和し、複数の施設で共同駐車場を設けることも認める。


(2012年1月30日10時02分 読売新聞


生活圏の野放図な拡散が自動車依存とあいまって進められ人間的な街のあり方が崩されていったことを是正し、再び人間的な街を取り戻すためにも、このような車に頼らない街づくり・都市のコンパクト化構想は好ましいことである。

2011-12-10

自動車依存社会の終焉は道遠し

車重量税1500億円減税…税制大綱を閣議決定


政府は10日未明、2012年度税制改正大綱を閣議決定した。

 政府・民主党間の交渉が難航した自動車課税は、自動車重量税を年1500億円減税することなどが決まった。減税項目では認定省エネ住宅(仮称)向けのローン減税創設などが盛り込まれた。政府は関連法案を来年の通常国会に提出し、年度内の成立を目指す。

 閣議決定後の記者会見で安住財務相は、自動車重量税の減税を決めたことについて、「自動車産業には日本経済のけん引役になってもらわないといけない」などと述べ、円高やタイの洪水被害などで経営環境が悪化している業界への配慮を理由に挙げた。

 自動車重量税の税収は年約7000億円で、今回の措置で2割強の税収減となる。国が定めた燃費基準を達成している自家用の乗用車は、0・5トン当たり年2500円の減税となる。燃費性能の高い車を対象とするエコカー減税は、当初は12年春に期限が切れる予定だったが、燃費基準を厳しくして規模を縮小したうえで3年間延長する。また、11年度第4次補正予算案に、燃費の良い車の販売を支援するエコカー補助金を約3000億円計上する。

(2011年12月10日11時58分 読売新聞


政府がいまだに「自動車産業には日本経済のけん引役になってもらわないといけない」という時代錯誤の認識でいるようでは、自動車依存社会の弊害が一層ひどくなっていくだけである。

2011-12-04

自動車依存社会の終焉を目指して— スポーツカーは不要

このテーマの補足的な感想として。

スポーツカーなんて種類の車は必要ない。モータースポーツの意義は否定しないが、それはレース場(サーキット)でレーシングカーで行えばよいことであり、公道を走る車にそんな性能は要らない。スポーツカーは事故に結びつくだけである。

フェラーリがスリップ…後続車同士、次々衝突か


 4日午前10時15分頃、山口県下関市の中国自動車道上り線・小月インターチェンジ付近で、外国製の高級スポーツカーなど14台が絡む事故があった。

 10人が病院に運ばれたが、いずれも打撲などの軽傷という。

 山口県警高速隊などによると、14台のうち8台がフェラーリ、1台はランボルギーニ、3台はベンツ。残る2台はトヨタ車だった。このうちベンツ1台は、対向車線を走行中で、飛んできた壊れた部品などが当たったという。

 県警は追い越し車線を走行していた福岡県の男性(60)が運転するフェラーリがスリップして中央分離帯のガードレールに衝突し、この車を避けようとした後続車同士が次々に衝突したとみている。現場は緩やかな上り坂の左カーブで、当時、雨で路面がぬれていた。


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事故で大破したスポーツカー(4日正午、中国道小月IC─下関JCT間)

(2011年12月4日22時38分 読売新聞


高級スポーツ車が次々…24台絡む衝突事故 中国道

2011年12月4日19時39分

 4日午前10時15分ごろ、山口県下関市小月町の中国自動車道上り線小月インターチェンジ付近で、高級スポーツカーなど14台が絡む衝突事故があった。10人が病院に搬送されたが、いずれも打撲などの軽傷だった。

 県警高速隊によると、追い越し車線を走行していた福岡県筑紫野市の自営業男性(60)のフェラーリがスリップして中央分離帯に衝突。後続車両が追突したり、前方の車をよけようとしてスリップするなどして約400メートルにわたって事故が続いた。14台のうち1台は下り線を走行中で、事故の衝撃で飛んで来た車の部品が当たった。

 また14台のうち、12台が外車で、8台がフェラーリ、1台がランボルギーニ、3台がベンツだった。車の愛好者らのグループが、九州から広島方面に向かっていたという。事故車両も含め、約20台の外車が現場付近を走っていたという。

 現場は緩いカーブで、路面はぬれていたという。事故の影響で上り線の小月インターチェンジ―下関ジャンクション間で6時間以上にわたって通行止めとなった。


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24台が絡んだ多重衝突事故で大破した高級車=4日午後、山口県下関市小月町の中国自動車道


(朝日新聞)

自動車依存社会の終焉を目指して—8. 自動車のあるべき姿

自動車にはさまざまな弊害が大きいが、役に立っている面もあるわけだから、いきなり全否定してしまうことはできない。人間は常に足で歩くだけでよいとはいかない。「乗り物」が必要なこともある。

そこで自動車のあるべき姿を考えてみよう。

原則として道路は人間のものであるから、道路の優先順位は、

人間(歩行者)>自転車などの軽車両>自動車

であることが基本でなければならない。

道路では、人間の歩行を妨げない範囲において軽車両の通交が認められ、人間と軽車両の通交を妨げない限りにおいて自動車の通交が認められるべきである。現在はそれがそっくり逆さまになっている。(→*1)

今、短距離移動のための、特に高齢者向けの乗り物として、原動機付き自転車と自動車の中間に位置する超小型自動車が注目されるようになってきている。(→*2)それらは環境や省エネといった面から注目されることが多いが、むしろ、人間の生活や都市のあり方から考えてみるのがよい。乗り物は「環境に優しい」以上に「人に優しく」なければならない。

高齢者向けに限らず、そのような乗り物で、かつ、ごく低速でしか走行できないもの(「飛び出すな車は急に止まれない」なんて車中心の横柄な標語を不要とするもの)が、市民社会において本来的に「自動車」として許容される乗り物の限度であろう。現状の自動車のような市民社会の自由を侵害するものであってはならない。(→*3)

すくなくとも個人的な「乗用車」はそれを限度とし、現行の自動車はそれに置換され、公共交通機関が「社会的共通資本」として技術と責任を持った専門家によって運営されるのが望ましい街や地域社会の姿である。

近年、若者の車離れ(→ )がいわれるようになって、日本の衰退の兆候の一つととして嘆く意見もあるが、自動車依存社会への抵抗として自動車産業に対する消極的な不買運動とみることができる。若者の車離れは日本の衰退ではなく、文明転換への曙光ととらえよう。

自動車はアメリカ型大量消費社会のマッチョ志向が産み落とした怪物であった。その怪物が逆に人間社会を蹂躙してきた。自動車という怪物は葬り去られねばならない。日本におけるモータリゼーションが20年かけてなされたのなら、モータリゼーションから転換するのに20年かけてもよかろう。その時、人間中心社会が取り戻せるのである。(→*4)

(了)


(注)

*1

だから、自転車は車道を走れというならば、車道では自転車の方が自動車よりも優先されるべきなのである。


*2

超小型EVで知恵絞る=高齢化社会の「足」に−東京モーターショー


 軽自動車より小さく、原付きバイクより安全−。

3日に一般公開が始まった東京モーターショーで、短距離移動に特化した2〜3人乗りの超小型電気自動車(EV)が相次いで登場した。高齢化社会を支える新たな交通手段として、国土交通省や地方自治体は超小型EVに注目。メーカー各社は、操作性や安全性確保に知恵を絞っている。

 ダイハツ工業の「ピコ」は前後2人乗りで、子供の飛び出しなどの危険をレーダーで感知して音や光で警告、必要に応じて自動停止する機能を持たせた。駐車場などで進行方向に障害物がある場合、アクセルとブレーキを踏み間違えても急発進しない。

 スズキの「Qコンセプト」も前後2人乗りで、運転席を回転させて横向きにできるため乗降しやすいのが特長。後部座席の代わりに荷台を設置すれば、小口の集配にも利用できる。ホンダの「マイクロコミューターコンセプト」は幅1メートル25センチの小さな車体ながら、前に大人1人、後ろに子供2人が乗れる設計。ハンドルの代わりに、2本のレバーで感覚的な運転操作ができる。(2011/12/03-15:23)

(時事通信)

こういった乗り物がベストというわけではないが、多少望ましい形には近づいている。事故が起きた時できるだけ被害が少ないような構造にするだけでなく人為的ミスを補い積極的に事故を防ぐシステムの実装は重要であろう。

地方であっても、このような簡便な乗り物で充分である。それは自分の地方生活の経験から分った。


*3

ここでいう「市民的自由」とは、宇沢弘文の考え(→)に従い、健康で快適な生活を営むことができる「生活権」および安全にかつ自由に歩くことができるという「歩行権」を含む、基本的な市民的権利を享受する自由のことを指す。そして、トートロジー的になるが、自動車によってそれが侵害されない自由である。


*4

ゆえに、政府のなすべきことは、自動車の消費低迷に対して税を安くしてまで自動車を買わせようとすることではなく、むしろ自動車には「社会的費用」としての重税を課し、新たに真に人間的な乗り物を促進・普及させていくための、交通政策の転換である。大都市部では自動車通行量の積極的な抑制、公共交通機関として路面電車網の再整備なども重要になってくる。


(承前)

自動車依存社会の終焉を目指して—7.「犯人」は誰か?

2011-12-03

自動車依存社会の終焉を目指して—7.「犯人」は誰か?

自動車依存社会がもたらすさまざまな害悪について、ではその「責任」は誰にあるのか、誰が「犯人」なのか、と考えていくと途端に不明瞭な状況に直面することになって、この問題の解決の難しさが浮き彫りになってくる。

他の交通システムでは、たとえば鉄道ならば運営している事業者が存在するので責任の所在は明確であり、鉄道の弊害については鉄道事業者を追及すれば済むのである。

自動車問題はここが難しい。道路の騒音や排気ガスなどをめぐって道路管理者である国などが訴えられることがあるが、自動車という交通システムの運営主体は存在しない。中央集権的な交通システムである鉄道や旅客機と違って、自動車は分権的なシステムのような外観を持つ。

具体的な「犯人」や「敵」が設定されないと社会問題として関心を引きづらい。

宇沢弘文氏においては、社会運動的な「責任者」「犯人」の所在を問うよりも、自動車使用者が外部化している社会的費用を内部化して相応の負担をすべきことが説かれる。(→

二木雄策氏においては、交通事故の賠償が被害者に即したものである必要性が経済学の立場から説かれる。(→

この二人の経済学者の根本にあるのは、自動車にひそむ本質的な不経済性と反社会性の問題だろう。宇沢弘文は、自動車は経済社会自体を破壊する性格を持つガン細胞であると言う。二木雄策は「くるまを運転しない人をも含め、この社会に住むすべての人々が現在の「くるま社会」が異常なものであるということを自覚しなければならない」と言う。

松本清張は、凶器のような自動車を売ってひたすら利益を貪る自動車メーカーを批判する。(→ )この立場を強めれば交通事故の加害者もまた自動車によって加害者にされてしまったむしろ被害者でもあるとなってくる。

自動車とはつまり交通事故を起こすのも交通事故に巻き込まれるのも自動車依存社会に生きるものの「自己責任」ということで結局泣き寝入りさせる狡猾なシステムであるといえよう。

もし、事故が起こる確率が年間1回だけだがその際には6000人の死者が出ると見込まれる交通システムが事業者から提案されたら、社会は導入を拒否するであろう。(→*1)しかし、自動車という交通システムは年間6000人の事故死者を出しても1日単位では10数人でかつ全国に分散されるので一見被害が少ないように「見えて」しまうので受け入れられている。算術的なトリック・錯覚といえる。これも自動車が分権的なシステムのように見え責任の所在が不明だからである。

自動車には個人のドライバーには負い切れない重大な責任が求められるのに、「自己責任」とされる。「自己責任」とは「無責任」と同義である。重大な人身事故によって被害者も加害者も苦しむことになろうが同じ社会に暮らしていても他人からは「運が悪かったね」としか受けとめられなくさせるのが「自己責任」という考え方である。自動車によって街や地域社会が衰退しようが自動車を使った者の「自己責任」とされてしまう。つまり自動車依存社会は「社会的責任」を果たしていないのである。

人権や市民的自由(→*2)の観点に照らして適当なものかどうか吟味されないままに自動車の導入が行われてしまったことが誤りの始まりであった。

自動車は分権的な交通システムであるかのごとき観を持ち、自由な移動の手段となることからも、自由の象徴として受けとめられたのかもしれないが、それはもっと普遍的的で本質的な自由を侵害した上でしか成り立たない自由であった。とてつもない錯誤であった。

自動車依存社会から人間中心社会へと転換しこの誤りを正さなければならない。


(続き)

次回は結論的に、自動車という乗り物はどうあるべきか私見を述べたいと思う。

自動車依存社会の終焉を目指して—8. 自動車のあるべき姿


(注)

*1 

それゆえ例えば1000人乗り以上の旅客機が実現するかは疑問である。墜落一回で数千人の死者が出ることに社会は耐えられないだろう。もし実現してそんな事故が起きた時の社会的衝撃の巨大さは想像もつかない。ちなみに交通関係の事故死者はタイタニック号の沈没による1500余名が史上最大である。


*2

すなわち、健康で快適な生活を営むことができる「生活権」・安全にかつ自由に歩くことができるという「歩行権」を含む基本的な権利を享受できる自由。


(承前)

自動車依存社会の終焉を目指して—6. 自動車が街や地域社会を破壊している