Py

自分の思考回路

最近昔の自分が帰ってきた感覚になることがある

今の自分は考えるときほとんど頭を使わない
思っていることを紙に書き出して
それで分かったつもりになって良しとしている

でも昔の自分は紙に書く書かないにかかわらず
常に分かるという感覚に重力というか
なんというか圧力を感じてた

だから分かるという状態になるまでに他人よりも多くの時間とエネルギーと紙を費やしていた

数学の問題も先生が教えてくれても全然満足できず
分かりたいという半ば生理的欲求に近い願望の赴くまま
ただただペンを走らせた

さらに真の「分かる」に近づくために
教科書の例題、問題が解き終わった後は
先生の説明を聞き流しながら問題集を開いて関連した問題を解いていた

自分にとって「分かる」とは何の説明もなしに自力で問題が解けるようになることであり、そのためには色々な角度からの問題を解きカズをこなす必要があった

「分かる」というのは、自分にとっていつも高い壁だった


…でもいつからだろう

問題を「分かる」のではなく「知る」にとどめるようになったのは


彼女ができてSexにしか興味がなくなったときからだろうか
数学は暗記だなんて本を読んだときからだろうか
数学の先生になるっていう夢をなくしてしまったときからだろうか
あの子に数学を教えていた放課後がなくなったときだろうか


分かりたいと思っていた自分はいつのまにかいなくなって
出来ればいい、やれればいい
そんな自分になっていった


欲求が満たせればいい
深く考えないでいい
次に進めればいい
自分はなにもしなくていい


こんな自分に
なんの価値もないことに気づくのには
多くの時間とひとつ別れが必要だった


そして新たな出会いも


旅はひとを成長させる


これはきっと本当のこと


新たな発見がいっぱいあった


このままじゃだめだと思った




そんなとき再び出会ったのは頭のなかに漂う心地よい重力


昔は持っていた


でも忘れていた


自分の思考回路がまた動き始めた






そんな今日この頃