ピョートル4世の<孫の手>雑評 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

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2016-01-29 (金)

[]オーケストラ・ダスビダーニャ第22回定期演奏会を振り返って

◆いよいよ明後日1月31日に第23回オーケストラ・ダスビダーニャ演奏会が迫っているが、都合によりお蔵入りになっていた昨年の第22回の感想を上げて、今回への予告としたい。

◆当日は、ホール手前のラウンジでプレコンサートが行われた。開場時間が開演の1時間前と早いので、やはり早く来るべきところ(私は都合により途中から聴いた)。曲目は、フルート四重奏による「バレエ組曲」(M.オッリス編)より3曲(抒情的ワルツロマンス、ワルツ=スケルツォ。第1番の第1・3・5曲か)。技術的にも立派で、なかなか素敵な雰囲気に仕上がった演奏だった。

◆ホールは改装後の東京芸術劇場、2階席で聴かせていただいた(個人的には朝比奈隆晩年シューベルト演奏後の拍手への立ち姿を思い出す席だった)。

交響詩「十月」Op131(1967)

◆弦楽はスコア順配置で、金管が横1列に並んだ。マエストロ長田の登場からただならぬ雰囲気トランペットには、団長が乗っていないか。

演奏は導入部から、堂々とゆったり歩みを進め、風格すら漂うハ短調)。ホルン・弦楽がふくよかに響き、芸術劇場の左右に広い形状が好ましく感じる。

〜主部に入って、ホルンやフルートによるアラームが響いて緊張感を増すが、余計な力みはなく、堂々とした風格は失わない。しばらくしてようやくスネアドラム登場、ティンパニエコーが響く。

クラリネットが『ヴォロチャーエフの日々』からの「パルチザンの歌」を歌うが、淡々と進んでいく。私の場合、最近はアシュケナージ指揮ロイヤル・フィル盤でこの曲を聴くことが多いが、雰囲気は似ている。

〜その後も、細部まで隙なく展開し、再びティンパニ強打からの凶暴さ。また、イングリシュホルンの「パルチザンの歌」、静かに刻むピツィカート、弦がうねりながら管楽が咆えて力感を増す。最後の盛り上がりも堂々と歌ったうえで、自然ファンファーレへつながる。両翼シンバル音響的かつ視覚的な効果もあって華やかな雰囲気で終わった。

◆という、実に立派な演奏で、改めてダスビが新たなステージに進んでいることを感じさせた。この曲は、悪くすると体制への迎合作と取られかねない作りだ(フィナーレのファンファーレの安っぽさ、取ってつけたようなハ長調の勝利はいかんともしがたいと思っていた)が。それがベートーヴェンのエグモント序曲か何かを聞いているような錯覚に陥った。

映画音楽『ニュー・バビロン』Op18より3つの場面(1929)

◆先年演奏された「バルダ」もそうだったが、1930年代前半までの若きショスタコーヴィチは「アヴァンギャルドモーツァルト」とでも呼びたくなる、才気煥発、遊び心に満ちた付随音楽を書いているが、この作品もその1つ(全曲は約92分)。ただし、本作は、本編映画が最終的には悲劇の(普仏戦争前後の、デパート「ニューバビロン」に象徴される華やかなブルジョワ生活と悲惨なパリ・コミューン鎮圧を対比的に描く)ため、音楽も結末はひたすらシリアス。それ以上に、台詞なしの無声映画であるがゆえに、映像と音楽を全編に渡って完全同期させて総合芸術化してしまおうという野心的な試みだったわけで、ショスタコーヴィチの意欲のほどがうかがえる作品である。

◆しかし、今回のダスビは音楽の中のショスタコーヴィチならではの「遊び」を目一杯体現するための、画期的な演出を採用した。管弦楽演奏会に演出もないものだが…となりそうなところを、思い切りやってくれました。演奏会形式の歌劇上演ではないが、「演奏劇」とでもいうべきものが舞台上で展開されたのである。

◆これは、ただしダスビが勝手にやっているというよりは、元にしたロジェストヴェンスキー版の組曲(7曲。約42分)がそのような構成(楽しげな場面中心に抜粋)をとっていることに起因する(ダスビも演奏会パンフレットでは、主要キャスト紹介など映画についても詳細に解説されている。念のため)。手許のヴェネチア盤によると、ロジェストヴェンスキーがこの組曲版を録音したのが1975年10月なのだが、ショスタコーヴィチが8月9日に亡くなって2か月というところでこんな楽しげな曲を録音したロジェストヴェンスキーって一体?(もちろん氏にはシリアスな問題作の第4番をショスタコーヴィチ生前から盛んに振っていた功績があるわけだが)。

◆なお、映画音楽そのものは、2011年リリースのフィツ=ジェラルド指揮バーゼルシンフォニエタの全曲盤CDで聞くことができるが、ちなみにすでに2000年東京で氏による全曲演奏会が開かれていたらしい。なお、著作権切れの恩恵で、映画そのものを全編下記で見ることが可能である。

(1929) Novyy Vavilon ~ The New Babylon [Grigori Kozintsev, Leonid Trauberg] [subs: de en fr] - YouTube

(無声映画の説明字幕ロシア語で読めないものの、親切なことに英訳テキストダウンロードできる。)

New Babylon (новый Вавилон) (Eng subs)- Music by the Magic Lantern Show Orchestra - YouTube

(こちらは英訳スーパーがあるのだが、音楽は別物)

◆演奏は、一管編成。つまり、弦楽(オリジナルでは各1名)と木管四重奏+金管四重奏(1Tp、2Hr、1Tbの並び)、それに打楽器奏者6名(演奏以上に怪しい動きが多かった?)。まずマエストロにより「お見苦しい点がある」旨の前説があった上でスタート。

1.戦争フランス兵出征〜デパート大売出しの場面)(組曲第1曲/Reel1の冒頭と最後)

◆奇妙なまでに陽気な行進曲から始まる。いかにもダスビ調?なノリ。団長トランペット率いる金管四重奏と弦楽が実に快調。管楽奏者が立ち上がったり、タンバリンが椅子の上に登ったり、弦楽のやけに空疎なトリル風の動きがあったり、終盤にはフレクサトーンを持ったおじさんが指揮者の前まで迫ってくる妖しげな動きを見せたりと…(ちなみに、フレクサトーンの仕組みと音色はこちらで確認できる。この楽器1920年ごろ発明されたようだが、ショスタコーヴィチは南京虫Op19や哀れなコロンブスのフィナーレOp23でも使っている)。

FLEXATONE Mi nuevo juguete! - YouTube

フレクサトーン | 音楽辞書なら意美音−imion−

フレクサトーン - Wikipedia

最後は再び行進曲で締める。

2.パリ(舞踏会〜プロイセン軍の進撃)(組曲第2曲/Reel2全曲)

ワイングラスが出てくる中で、トランペット、弦楽中心にワルツ。トランペットは立ち上がって横向く、ヴァイオリンソロコンマスは立ち上がって歩く。トロンボーンは大あくびする。クラリネットソロが眠たげなメロディ、打楽器は誰が叩くかを巡って6人で協議?…と前半はリラックスした雰囲気?で進む。

◆後半に入ると、弦が高速に音楽を刻み、やや緊迫感が高まるが、切れ味鋭い弦楽のコントダンス風音楽が入ってきたかと思うと、トランペットファンファーレからフレンチカンカン、前説どおり手拍子が入る、映画も微妙にコサックダンス風?だったりするので…こんな感じです。

◆その後、低弦のうねりや大太鼓・固定シンバルにより切迫感が高まり、静かなまま加速していく。この辺りの異様に正確な高速進行は、交響曲第4番のアレグロを予告するようだ(先ほどまでの大騒ぎとのコントラストが実に見事)。ティンパニロールで終結するがそのまま次曲に入る。

3.ヴェルサイユバリケードに立てこもるコミューン〜ブルジョワの歓喜)(組曲第6・7曲/Reel6・7の一部)

◆固定シンバルの持続音とコントラバスの暗いうねりに、金管乗って、シリアスな情景を描写する。弦楽八重奏でワルツ、フルート、クラリネットも乗って、可愛らしい雰囲気に。奥から毛皮コートの女性が歩いてきて、ヴァイオリンソロ、ファゴットとクラリネットの奇妙な絡みなどが続いた後、女性がピアノを弾き始める。簡素なメロディーが弾かれる(曲は実は、チャイコフスキーの『子どものためのアルバム』Op39〜第16曲「古いフランスの歌」引用。ただし、映画版では原曲にない展開がされる。フィツ=ジェラルド盤解説によると、このメロディーはユダヤ民謡に由来するらしく、後年のショスタコーヴィチのユダヤとのつながりからも興味深い)。その簡潔なメロディーに、オケ総員が大泣きする(振り)。

(【2/1追記】昨日購入したCDで確認したところ、ダスビの演奏では、このピアノはロジェストヴェンスキー版の短縮ではなく、映画版の長い展開を持つ版で演奏していた。また、ウソ泣き嗚咽が実に見事だった。)

◆この短いピアノの後は、すぐに大きなワルツ。その後、一瞬だけヴィオラの刻みにコントラバスのピツィカートに金管で不穏になるが、またすぐに軽快なフルートに導かれて、弦楽ピツィカートと金管が明るい未来を導いて(映画本編はここから暗転してクライマクスへつながるわけだが)、再びワルツ(まるでアポテオーズ!)。ロジェストヴェンスキー版組曲ではこの辺りの激しく長大な攻撃描写をカットして、コミューン鎮圧を喜ぶブルジョワの歓喜を、楽しげな組曲を締めくくるフィナーレに仕立てている。ワルツの再現〜フレンチカンカン/行進曲の合体フィナーレは氏の編曲になるものか。オケ総立ちで盛り上がって終幕。素晴らしい夜会だったと思わせるような終幕だった(注:昼公演で、カーテンはありません)。

交響曲第8番ハ短調Op65(1943

第1楽章 アダージョ

◆全曲の半分近く、30分弱を要する楽章。冒頭、マエストロが長い間を置いた後、低弦と第2ヴァイオリンから入る。理想的な立ち上がりによるヴァイオリンを中心とした静謐な響きが支配する進行の後、弱音トランペットやフルートが絡んで、ヴァイオリンの歌が始まる。

〜3本のフルートがほの暗く告げる2度目の前兆から次第に力感を増していくが、そこまでの室内楽的なオーケストラの細分と緊迫感の高まりは、マエストロのマーラー大地の歌」演奏を思い起こさせた。

〜金管やスネア、ティンパニを中心に高潮、アレグロ・ノン・トロッポへ加速。ピッコロやホルンの盛んなアラーム、弦楽の跛行的な刻みと木管群の高音と木琴、大太鼓連打などにより次第に巨人の姿が顕わになり破壊的な強圧へ、クライマクスでは金管が一斉に咆哮する。

この凄まじいファンファーレについて、私は20年来ずっとチャイコフスキーの「マンフレート(マンフレッド)交響曲」によるものだと信じていて、てっきりダスビのパンフレットか何かで読んだのだと思い込んでいた。しかし、これを書くにあたって他団体のものも含めて過去のパンフレットを引っ繰り返し、手持ちの書籍のページを繰り、インターネットでも検索を繰り返したが、全くそのような記述は見当たらない。私の妄想だったのかと3か月くらい悩んで諦めかけたところ、滅多に行かない新宿の某中古書店で、所有していなかった音楽之友社の『作曲家別名曲解説ライブラリー15 ショスタコーヴィチ』(1993年刊)を発見し、交響曲第8番の項目を見たところ、あった! あの諸井三郎門下の戸田邦雄氏(1948年ごろ公式には日本で初めて12音技法による作品を試作した作曲家である*1)による解説中に、この凄まじい咆哮だけではなく、第1楽章冒頭の2度音型後の動きもマンフレートのテーマと共通の「音の動き」ではないかとの指摘があった。直接の引用のようなものではないし、私ももちろん音楽学的な証明を試みられるものではないが、(チャイコフスキーマニアの私として)魅力的な説である。それにしても、20年近く前に立ち読みした一節をずっと憶えていたのも驚きだが、よくも再び巡り合ったもので、やはり「思えば通じる」ところがあるようだ。

◆演奏に帰ると、咆哮が静まった後のイングリシュホルンのモノローグは、後の第11番の第4楽章の地獄の釜の蓋が開いた場面を思い起こさせた。実に長い長いモノローグとオーボエも入ってのラメント。その孤独に寄り添うように、弦が密やかに歩みを続ける。

〜弦楽のメロディーが回帰してきて濃やかに歌い継ぐが、重い低弦を中心に次第に沈み込むようになり、ホルンとトランペットの小さなファンファーレの後は力を残さず、遅く遅く、静かに消えていく。今M.ショスタコーヴィチ盤を聴きながら書いていてだが、マーラーの交響曲第6番フィナーレとの共通性も感じた。

第2楽章 アレグレット

◆ティンパニの一撃からスケルツォ/行進曲的な楽章が始まる。活力ある表現の一方で、乱雑な部分は全くなく正確な表現で、その意味では端正と言ってよいくらい。どっしりしながら、十分な運動性がある。

〜ピッコロが細かく跳ね回るところから新たな展開を見せる。様々な楽器が続くが、こうしたところでテューバなどもしっかり効いていて嬉しい。弦楽も入って高速パッセージを難なくこなし、主部主題が回帰すると、ムソルグスキー的な酔いどれ表現を思わせる。

〜先のピッコロ主題が弦楽やスネアが入った形で展開したかと思うと、木琴が入ったところで次第に緩んでいき、低回した末にコントラファゴットなども入った後、大きな呼吸でドン・ドドンとティンパニで突如終結する。

第3楽章 アレグロ・ノン・トロッポ

◆ヴィオラ合奏が高速で単純な刻みを繰り返した上に、各楽器の短い響きが重なるが、ここでも機能性が見事(解説のトッカータ風」という表現に納得)。その後、金管や弦楽に受け継がれていく。

〜やがてトランペットが華々しく、スネアが盛大な行進を刻んでいくが、このあたりさすが実に決まっている。

〜ヴィオラ合奏が戻ってくるが、ここでも木琴が皮肉を加えていく。

〜その後に再び最強奏で緊迫感が高まり、大太鼓・シンバル・銅鑼の強大な響きで次楽章に接続する。

〜第4楽章 ラルゴ

◆提示と11の変奏によるパサカリア。弦楽が次第に静まりながら主題を示し、低回した雰囲気の中でヴァイオリン群が奏でる低音が美しい。弦楽による4つの変奏は、音はどこまでも清澄で美しいが、心理的にはあくまで重くわだかまり続けたように繰り返す。第5変奏でホルンソロここも決まっていていい。第6変奏でピッコロ、第7変奏で3つのフルートのフラッター音、第8変奏からクラリネットが入るが、第9変奏以降にも受け継がれる中でクラリネットの低音のつぶやきは次第に「怒りの日」の死の主題かと思うような不気味さで響く。

〜第5楽章 アレグレット

◆2本のクラリネットの響きを引き継ぎながらそのまま入るが、2本のファゴットが道化のように絡みながら明るい歩みが始まったことを告げる。清澄な弦楽がそれを受けるが、ここでは上昇する風のように昇華された美しさとなる。その後もフルートやチェロが自然と歌い継ぐ。

〜オーボエが対話を繰り返した後、弦楽が加速してうねりながら生気を加えていく。木管と弦楽が「農村の踊り」を奏で始めたかと思うと、曲冒頭で示された2度の動機が意味ありげに繰り返される。フルートやイングリシュホルンが絡んだ後、次第に力感が増して、トランペットが何者かの「復活」を告げる。木管・弦楽もそれに応えるが、そこに再び緊張が高まり、行進が始まり、再びあの強大な叫びが回帰する。マンフレートのように、何かを求めて戦うかのように、叫びが繰り返され、打撃を全身に受け止めて終止する

〜その後に、帰ってくるのはバスクラリネットの道化だろうか。ソロヴァイオリンとチェロが対話する(今、白鳥王子を思い出してしまった)が、ファゴットと木琴に茶かされ(例のチャカポコチャカポコの先駆だろうか)て、音楽は静かに解体していく。ごく弱くヴァイオリンのソロが入るが、絶妙の美しさ。これまた弱いピツィカートとフルートの低音のつぶやき、チェロの低回、コントラバスの弱い震えとともに消えていく。そして、長い長い長い沈黙

◆今回、これまでの人生上の厄を一度に掻き集めたような諸々の事情(大半は自業自得だが、屋根から転がり落ちてきた猫に顔面を直撃された一件だけはどうにかしてほしかった)により、途中まで書いてお蔵入りになっていた感想をまとめてみたが、やはり書いてよかった。今年の演奏会は早くも明後日に迫っているが、きっと素晴らしい演奏を聴かせてくれるだろう。

*1:【2/1】追記:戸田邦雄の作風は、十二音技法を経ながら人間的な音楽を目指すもので、バルトーク、ジョリヴェ、シニートケ(シュニトケ)などの系譜に連なる。特に近いのはマルタンか。音源で聴けたのは、ヴァイオリンとピアノのためのソナタ合奏協奏曲「シ・ファ・ド」だけだが、どちらも知的な構成の中に情念を感じる興味深い作品だった。全作品を演奏・録音してほしいものである。後者の日フィル盤の片山杜秀氏の解説によると、戸田邦雄は1939年からしばらく外交官としてモスクワに勤務し、プロコフィエフやショスタコーヴィチの強い影響を受けたという。

2014-03-17 (月)

[]オーケストラ・ダスビダーニャ第21回定期演奏会の感想〜アンネ・フランクウクライナ、日本社会をめぐる理想と現実〜

◆今年もオーケストラ・ダスビダーニャの演奏会に行くことができた。喜ばしからずや。今までにないほどのさらに充実した演奏を聴くことができた。また楽しからずや。音楽としてあくまで上質でありながら、音楽を超えたものを示す。また君子ならずや。

◆何やら久し振りに書き始めたら『論語』冒頭のパロディになってしまった。論語は我が東洋の人道(倫理)の古典であるが、ショスタコーヴィチの音楽もそうした普遍的な道を指し示す域に達していると思う(internasionalen!)。

2月11日すみだトリフォニーホールにその音は響いた。その言葉が歌われた。その一端でも書き留めておければと思う。指揮者はいつもどおり、長田雅人氏、テルミン独奏は濱田佳奈子氏、バス独唱は岸本力氏、合唱はコール・ダスビダーニャ。

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2013-11-04 (月)

岡信孝「東福寺の秋」(川口市HP)

[]川口市制80周年記念「至宝の日本画展」(11/11まで)

◆川口駅前の総合文化センターリリアでは、以前にもモーツァルトベートーヴェンシューベルトの手稿展示などの小規模な無料展覧会が行われていたが、今回は市制80周年記念ということで、箱根成川美術館から日本画約40点の出品。期間が11/11までと短いが近くに住んでいれば、ぜひ見に行くべきところ。

川口市/ページが見つかりません

作家は著名なところでは、平松礼二平山郁夫が出ているが、個人的には川端龍子門下の牧進・岡信孝の作品を見れたのが良かった。特に、牧進については無知だったのだが、繊細かつデザイン的な正確さを持つ画風に一発で魅了された(で、早速画集を買ってしまった)。

◆また、平松礼二の「路―桔梗が原」、森田りえ子の「秋蒼穹」(ともに四曲一双屏風)も実に華やかかつ壮麗で、一見の価値がある。他にも、東山魁夷杉山寧作品も出ており、もっと作品を見たいという気にさせられた。

◆最近は、週6日、1日16時間ぐらい仕事をしているので、こういう息抜きの機会が身近にあるのは実にありがたい。

2013-06-23 (日)

[] オーケストラ・ダスビダーニャ第20回定期演奏会の感想〜ショスタコーヴィチ交響曲第4番について4ヵ月近く考えたこと〜

Shostakovich Symphony No.4 - Trickster,Tyranny,Mystique,Mahler.

An Essay on Orchestra "Do Svidanya" #20 Concert

◆私にとって13回目のダスビ(オーケストラ・ダスビダーニャ - Wikipedia)定期に臨席したのが3月3日。昨年の3.11後ちょうど1年後の定期演奏会は仕事都合で参加できなかった(当日夜にこちらの記事を読んで、少しく渇きを癒すことができた。オーケストラ・ダスビダーニャ ショスタコーヴィチ 交響曲第7番「レニングラード」 & 伊福部昭 日本組曲 3/11 ?: アリスの音楽館)ので、2年ぶりの定期だった。会場はすみだトリフォニーの大ホール、いつものとおり3階バルコニー席、今年は右側で聴いた。

◆3.11を挟んで2年ぶりのダスビ、しかもメインが第4番だったということで、自分なりに消化するのに3ヵ月近くかかり、ようやくオンラインアンケートに回答。それまでに、ショスタコーヴィチの交響曲全集約2周(第4番だけは20回近く)とミケランジェロ組曲弦楽四重奏曲全集といくつかの室内楽曲ピアノ曲、ムツェンスクのマクベス夫人を手元の音源で聴いて、ようやく第4番について、自分なりの位置づけがしっくり定まった気がする。

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2012-03-03 (土)

[]第18回オーケストラ・ダスビダーニャ定期演奏会の1年遅れの感想〜東日本大震災1年の定期演奏会へのはなむけに〜

◆ここに掲げるのは、2011年2月20日にすみだトリフォニー大ホールで行われた、標記の演奏会(長田雅人指揮)の感想である。ダスビの演奏会は毎年定例的に聴かせていただいており、感想も2006年の第13回以降、当ブログで毎年書いていたのだが、一昨年のものは書くのが1年遅れとなり、昨年のものもせいぜい2週間程度で書くはずが、延び延びになって今に及んだ。その理由として、某国家試験受験にかまけていたこともあるが、もちろん3月11日の大震災経験を外すことはできない。

◆来る2012年3月11日には、ダスビの第19回定期がまたすみだトリフォニーで開かれる(曲目は交響曲第7番「レニングラード」ほか)のだが、今年は特に3月11日開催ということもあって、定期演奏会案内とともに「団長挨拶」がホームページに掲げられている

先の震災で、4人の知人が亡くなりました。また、7月には高校時代の吹奏楽部の同期が急死し、そして8月に入ると、まだ8才の従甥が祖父と共に山で遭難しました。私は、突然思い立って、青森の「ねぶた」と弘前の「ねぷた」、それから仙台の「七夕」を観に行きました。

とあり、東北での祭りの体験、今回のチケットの売上や会場での物品販売の売上(一部の例外を除く)を義援金とする旨、東北のアマオケ向けの募金を行う旨、さらに瓦礫撤去に参加した際に地元のおじいさんが「皆さんありがとう津波さんも地震さんも、みんなありがとう」と語ったことなど、が綴られている。

◆私の方は、直接の知人に犠牲者はおらず、また阪神大震災の時と同様に、被災地の役に立つ活動とて何もできなかった。しかし、あくまで個人的な体験としてではあるが、この震災後ほど音楽の有難さを感じたことはなかった、ということを書いておきたい。振り返るこの演奏会は、震災前のものであったが、関連するいくつかの演奏会も取り上げて、震災後の音楽についても書いておこうと思う。被災地では「震災後」の日常が続いているが、その中でこそ、幾多の音楽が奏でられ、人々を勇気づけてきたのは間違いのないことだと思うから。

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2011-09-23 (金)

[] ナデージダ公式動画YouTube掲載!

◇2年半ぶりくらいでまた忙しくなり、お約束のダスビ感想も書けないまま(今しばらくお待ちください<m(__)m>)。はてなダイアリーの書き方を忘れていて愕然とした今日この頃。

プロアマ混成によるオーケストラ・ナデージダの、私も聴いていた演奏会から、忘じがたい名演を2曲掲載しておく。

ラフマニノフ「リラの花」(ピアノ:丹千尋)

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◇このアンコールの前の本編は、アッテルベリのピアノ協奏曲(勝手に「ブラームスのピアノ協奏曲第3番」と呼びたくなる、壮大な名曲)リンク先のCDで聴ける。

スヴェトラーノフ「詩曲」(ヴァイオリン相原千興、指揮:渡辺新)

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◇上記CD発売記念のアッテルベリのピアノ五重奏曲ほかの演奏会の終演後、CDにメンバーのサインをいただいた際に、相原さんに「詩曲のソロが忘れられない」とお話しした(そのお話しした日は実は帰ったら38.3℃の発熱だった…)が、こうしてまた感涙ものの演奏を聴けるのは本当に喜ばしい。「そう、これがヴァイオリンの音だよね」と思える王道的な?音色表現力があると思う。

2011-02-24 (木)

[] 丹千尋ほかの「室内楽の夕べvol.4」の感想

(当日に20行くらいで書こうと思ったのだが、また長大に。今年のダスビ感想はしばらくお待ちください。って、待っている人いるのか? 「一年遅れ」が多少検索に引っかかってますが。)

東京では珍しい一日雪の休日(2月11日のことです…)。私は出勤でしたが、夕方に標記の演奏会に。オケの演奏会は90年代後半来それなりの回数行っているが、室内楽単独の「ちゃんとした」(オケついでのロビーコンサートとかではない)演奏会に行ったのは、ほとんど初めてかもしれない。まして、プロの白熱の演奏を云々するような素養もないのだが、少々感想を書き連ねてみる。

丹千尋さんのピアニズム

◇行ったきっかけは、オーケストラ・ナデージダの演奏会。このオケはプロ・アマ混成の自主運営オケといえばいいのだろうか? 年2回の定期でロシア北欧もの(日本初演も多い)の充実した演奏を展開している。その第2回・第4回に登場し、ステンハンマルのピアノ協奏曲第1番とアッテルベリピアノ協奏曲ソリストを務めていたのが、丹千尋さんである(前者はすでにCD発売中*1リンクAmazonから買える)、後者も近く発売されそう(…って私がノンタラ書いている間に、丹さんがtwitterデビューされました☆)。

◇私はロシアもの中心の人なので、どちらの曲もこの演奏会で初めて聞いたのだが、どちらも素晴らしい名曲で、グリーグのピアノ協奏曲と並び、北欧3大ピアノ協奏曲と呼ぶのも全く誇張ではない。また、演奏もオーケストラ、ソリストとも非常に気魄のみなぎった演奏で、最初の2〜3分でぐいっと引っ張られたように虜になってしまったのである(私はライブ録音のCDを待ちきれず、アッテルベリの協奏曲の既発CDに加えて、アッテルベリ交響曲全集(セットで安い!)と「デンマークチャイコフスキー」ことベアセンの交響曲全集第1番ほか第2・3番)まで買ってしまった)。

◇ピアノ演奏についても、私はこれまで録音上も大して聴いてきていなかったのだが、丹さんのピアニズムは、シャープできらびやかでかつ強く熱い。イメージとしては、ブレンデルのように正確で(リストは得意レパートリーかと)、ギレリスのように強力で推進力があり(ブラームスも行けそうだ)、加えて独自の華やかさがある感じ(透明感あるキラキラした感じはロシアものに向いている)かもしれない。

プロフィールを見ると、5歳で丹羽正明氏藤井一興氏スカウトされたとある。藤井氏は、最近では千住真理子のCDの伴奏でよく見かけるが、私のクラシックの聴き始めが90年前後のNHK−FMで、そのころ室内楽の演奏で野平一郎氏や練木繁夫氏と並んで藤井氏のピアノをよく聴いていた気がする。丹さんは藤井氏にも師事しているので、そういう系譜からも関心があったりする(あ、ヴィシネグラツキーのCD、藤井氏だったのか。1988年発売で現役盤なのが素晴らしい。久し振りに聴いたが、やはりとても興味深い曲だった)。

◇ついでに、全く非音楽的な感想で恐縮だが、丹さん、ホームページジャケット写真では分かりにくいが、とても笑顔の素敵な方である。上記、第2回の時に、純音楽的見地から演奏後に「ブラヴォー」を投げかけたところ、凄くにっこりとほほ笑まれたので、何だかこちらが恥ずかしくなってしまったくらいである。今回の演奏会でも、ステージ上で寛いだ感じの笑顔が華やかで、聴く方も楽な気持ちで曲に入れる。現在、ピアノの特訓中(?)のうちのもうすぐ6歳の娘もこんな感じになれれば大したものだと思ってしまう(←なんだそれ?)。

プログラム

◇さて、今回の演奏会は、下記のプログラムであった。

室内楽の夕べvol.4

2/11(金)19:00〜 ルーテル市ヶ谷ホール

シューベルト:弦楽三重奏曲第1番変ロ長調D471*

ブラームス:ピアノ四重奏曲第1番ト短調Op25+

フランク:ピアノ五重奏曲ヘ短調#

アンコールドヴォルザーク:ピアノ五重奏曲イ長調Op81〜第3楽章スケルツォ(フリアント)†

Piano:丹千尋+#†

Violin:遠藤百合*#(1st)†(2nd)

Violin:川又明日香+#(2nd)†(1st)

Viola:吉瀬弥恵子*+#†

Violincello:朝吹元*+#†

◇クラシックを多少知っている人なら、結構凄いプログラムだと思うかもしれない。最初のシューベルトは単一楽章なので序曲扱いだが、ブラームスとフランクはそれぞれ重量級で、オケで言えば大交響曲が2曲並んでいる感じである。実際、ブラームスのピアノ四重奏曲第1番は、1937年シェーンベルクが管弦楽編曲を行っており、ピアノ協奏曲第1番と並んで交響曲第0番にしていいくらいの内容と規模を持っている(若杉弘盤も先月復活!「ピアノ四重奏曲第1番(シェーンベルク編曲管弦楽版)、悲劇的序曲 若杉弘&ケルン放送交響楽団(1978、1983) : ブラームス(1833-1897) | ローチケHMV - ALT204

)。

◇このシリーズについて過去の記録が分からないが、川又さん以外は桐朋学園大学出身。今回は、若い川又さんがゲスト的に参加したものらしい。なお、それぞれのお人柄はこちらの記事によく書かれている→「〜室内楽の夕べ vol.4〜・・・・昨日の続き・・・。 七転び八起き?!ヴァイオリン奮闘記!!/ウェブリブログ」(ちなみに、朝吹さんは、同性から見てもなかなかの男前でしたよ)

◇会場のルーテル市ヶ谷ホールは、音楽ホールとしてよく使われるが、教会礼拝堂でもある。定員200名だが、オケ向けの大ホールに慣れていると、とても小さく感じる。客席の全長12メートルで、ステージと客席の隔ては2段のステップしかない。私は向かって左側、中央通路沿い5列目くらいに座ったが、本当に奏者の方々が目の前で弾いてくれてる感じ。息遣いが聞こえるくらいで、正に「室内楽」の醍醐味を味わえた。

シューベルト:弦楽三重奏曲第1番変ロ長調D471

◇15年くらい前にNHK−BS放送で1回聴いたかも?というくらいで、ほぼ初めての曲。ヴァイオリンヴィオラチェロの掛け合いで進行する、シューベルトとしてはまだまだ古典的な雰囲気の曲。遠山さんのヴァイオリンはとても輝かしく艶のある音。吉瀬さんのヴィオラはメカニカルな刻みが実によく効いていて、後の2曲でもアンサンブルの要になっていたのではないかと思う(舞台上では、ヒールが高いせいかゆったりと動き、無口・無表情で通されていましたが、最後にマイクを握ると…面白い方でした)。朝吹さんのチェロはどっしり太い声で歌う。ただ、こちらの方が書いたように(2011年02月12日の記事一覧 - 詳細表示 - Yahoo!ブログ)、そういえば出だしがちょっと怪しかったかな…?しかし、全体としては、この演奏会の序曲として充分な演奏だったかと。

ブラームス:ピアノ四重奏曲第1番ト短調Op25

◇若きブラームスの力作で、今回は楽章ごとの表情の違いが際立った良い演奏だった。

第1楽章:チェロとピアノの低音がどっしり歌う、いかにもブラームス的で重厚なアレグロ楽章。全体に充実していたが、特に最後は大きく盛り上がり、丹さんが2、3度、ヴァイオリンの方を振り向いて見ながらバンバンと決めてダイナミックに終結。←稚拙表現で失礼<(_ _)>ただ、アッテルベリも腰を浮かせての強打が実に効いていたのが印象に残っている…(早くCD出ないかな〜)。

第2楽章「間奏曲」:この楽章、タイトルどおりの小品で、全曲の中ではやや印象が弱い。完成まで6年かかっているので、他の楽章が充実していく中で少々取り残された感じかもしれない。しかし、今回の演奏はそのテクニカルな側面に徹していて良かったと思う。特に中間部のトリオに入るところ(標語はAnimato)で、丹さんのピアノがキラキラと、本当に活き活きした感じで入ってきて雰囲気がさっと変わったのが見事だった(時々日本人の演奏で本当にこれは凄い!という気の入り方を感じる時がある*2が、これは日本人同士だからなのか、普遍的に通用するものなのか、どうだろうか?

第3楽章:冒頭から弦楽が強く歌う。川又さんのヴァイオリンは、遠藤さんとは対照的に、しっとり湿ったコクのある音で、そのためもあってか最初はあまり目立たない感じを受けたが、この辺りからよく鳴っていて、ヴィオラとの歌い合いが美しかった。この楽章の中間部も、丹さんのピアノが相当な速さを保ちながら(第2楽章の方か?手元で聴けるボロディン・トリオの演奏とはかなり印象が違う)進行していて印象に残ったのだが、やはりここもAnimatoだ…と今納得した。

第4楽章「ジプシーロンドハンガリー舞曲集よろしく、ズンチャンズンチャン賑やかなフィナーレ。この頃のブラームスにはまだチャイコフスキーの交響曲第5番フィナーレをしたり顔で(?)けしからんと評したような晦渋さはない(この1件だけはどうにも気に入らない)。これも本当に気の乗った演奏で、まだロンド1回転目のところでポンッと拍手しかけた人がいたくらいである。前半だけで相当な充実感。

フランク:ピアノ五重奏曲ヘ短調#

◇さて、後半にはこの独自の大曲が。3楽章形式で名作なのだが、実に独特である(この方の記事のとおり→「ピアノ五重奏曲 へ短調(フランク):みどりのこびとちゃんのクラシック音楽日記:So-netブログ」)。そもそもピアノ五重奏は、弦楽四重奏+ピアノという構成なので、室内楽的に最強っぽい感じだが、この作品はそうした形式論も突き抜けて、独自の内容を盛り込んでいると思う(演奏時間は40分に達しない程度なのだが、内容的に非常に長大な印象を受ける)。

第1楽章:序奏から、弦楽四重奏とピアノソロが交錯して、雰囲気満点の歌を形づくった後、前半のブラームスと同様アレグロ楽章として力感と推進力を持って盛り上がる。まだここまでは、普通のロマン派の曲らしい姿を見せる。

第2楽章:さて、この楽章からフランクの本領発揮。サロン音楽風の伴奏としてピアノが和音を奏でる(こういう疑似サロン音楽的な書法はチャイコフスキーもよく使う。ここでも丹さんのさりげない弾き方が実に魅力的だ)上に、ヴァイオリンソロが物憂げなメロディーを歌う(遠藤さんのヴァイオリンも力強く歌う)。残りの弦三本がヴァイオリンの後を受けて、歌い合う。この展開までは、まあありがちだが、この楽章が特異に感じられるのは、中間部で雰囲気を変えるというよりは冒頭の物憂げな歌の雰囲気をずっと引き摺ったままでしかも延々と盛り上がり続けることである。聴いていてくらくらするような、陶酔というのか、耽溺というのか…。シューマンがシューベルトのザ・グレートを評した「天国的な長さ」も当てはまりそうな楽想ながら、情熱的でロマンティック…という、そのよく分からなさが素晴らしい。ドイツベルギー人で、14歳以降はほとんどパリ暮らしたというフランク。もしフランクがドイツで生活していたら、こういう曲は絶対書けなかっただろうと思う。演奏もこの曲調に沿って綿々と歌い続けて、濃密でありながら美しかった。

第3楽章:続く最終楽章がまた凄い。冒頭からヴァイオリンが小刻みで無窮動的な動きを奏するのは、20世紀現代音楽を先取りしたかのようである。カトリックの連想でいけば、メシアンを借用して勝手に「世の終わりの」(ピアノ五重奏曲)とタイトルを付けてしまいたくなる。まだ前半は通常のアレグロのフィナーレっぽいが、終結が近づくにつれ、ピアノは葬送行進曲のごとき楽想を奏で、死と狂気の色が曲を支配しながら強烈に盛り上がるラフマニノフの交響曲第1番に通じるような破滅性が、なんでフランク50代後半の充実期(この曲が晩年の「傑作の森」の始まり)に出てくるのかは不思議だ。プログラム解説にも書いてあった、弟子ピアニスト・作曲家のオーギュスタ・オルメスに惚れてしまったという事情によるものか(ちなみにサン=サーンスもこの女性に惚れ込んでいたそうで、いい年したオジサンが二人して何やってんの的な状況からこういう曲が生まれてしまうのがさすが*3。ちなみに、サン=サーンスはこの曲の初演ピアニストでもある)。演奏は、本当に力演で息つかせぬものだった…ので、終演後本当に「うはぁ」と嘆息(オケなら大ブラヴォーを叫ぶところだが、さすがに近くて恥ずかしいので)。

◇さて、演奏後、丹さんがマイクを持ってきて「雪の中…」といたわりのコメント、他の方も一言ずつ。実にアットホームな(?)感じでいいですね。そして、アンコール。

ドヴォルザーク:ピアノ五重奏曲イ長調Op81〜第3楽章スケルツォ(フリアント)

◇川又さんが第1ヴァイオリンに変わって、また民族的な曲。早い舞曲の中でまた丹さんのピアノがキラキラと舞い、そして弦楽が上質なフォークチューンを奏でて、心温まる演奏会が終わった。さて、次回11/6は大変残念ながら、業務都合で行けないのがほぼ確定だが、他にも丹さん出演の演奏会がいくつかあるようなので、ぜひまた聴いてみたい。

◇最後に丹さんのCD紹介。リンク先(Amazon)から買える。

第1アルバム『CHIHIRO』CHIHIRO

バッハショパン、リストから、ラフマニノフ、ラヴェル、そして武満や丹さんによるガーシュイン編曲とオリジナル曲まで、全11曲収録。ピアノ内部に響く音まで拾っているような独自の音響で、私のしょぼい機器ではなかなかうまく再生しきれなかったりするのだが(ボリュームを絞り目にすると実はすごく広がりのある音かもしれない…)、演奏はどれも魅力的。丹さんによる曲目へのコメントも詩的で、とても素敵だ。

第2アルバム『one earth』one earth

ショパン、リストとフォーレ、フランク、そして丹さんのオリジナル2曲(うち1曲は川又さん参加)、オーバーザレインボウとアメイジング・グレイスの編曲とやはり盛り沢山の全10曲。音響はこちらの方がやや一般的。それと、オリジナル曲も聴いていて思わず引き込まれる。作曲家としても相当の力量があるのは間違いない。

※上記2枚の曲目詳細と試聴:丹さんのページへ

川又明日香『i(アイ)』i

川又さんのデビューアルバムの伴奏を丹さんが務める。音響面が気になり、当日会場で買わなかったが、結局Amazonで購入。モーツァルトとサン=サーンスのヴァイオリン・ソナタと小品4曲収録。小品2曲のうち、チャイコフスキーの「メロディー」、ラフマニノフの「ヴォカリーズ」が、しっとりしたヴァイオリンによく合っている。また、最後に収録されているサン=サーンスのソナタ第1番が素晴らしい。もともとピアノパートも華やかな曲だが、殊にフィナーレでは、丹さんの爽快かつ明確なアレグロときらびやかな音色の良さを堪能できる。音響はかなり自然で広がりがあるので、ステンハンマルに次いで、まず聴くにはお勧めの盤かもしれない。

※曲目詳細と試聴:川又さんのページへ

*1ステンハンマル ピアノ協奏曲第1番 変ロ短調作品1 日本初演

*2:例の「北原加速」など「【7】北原幸男指揮NHK交響楽団★★★★☆ - ピョートル4世の<孫の手>雑評

*3:こちらにもフランクを巡る興味深い記事が→「IIJ4Uサービス終了のお知らせ」。曰く、「フランクは私にとって最も古い地層に属する。その音楽を聴いたのは、いわゆるクラシック音楽に興味を持ち出して間もなくの事で、交響曲とヴァイオリンソナタの2曲くらいしか聴くことができなかったにも関わらず、特定の作曲家に関心を持つ最初のケースであった。」「フランクの音楽は徹底的に内面的で閉ざされていて、身体性すら捨象したような心の音楽であり、そこには風景というものはない。」私にもこういう高尚な文章が書けるとよいのですが…。「小林秀雄はフランクを聞いて吐いた経験を河上の全集によせた跋文で披露しているそうだし、こちらは河上の回想によれば、小林秀雄の有名なモーツァルト論の背後にもフランクの音楽の影があり、更にはそれが晩年に至るまで伸びているにも関わらず、小林秀雄はそれをある意味では抑圧し続けたらしい」むむむ奥が深い。