ピョートル4世の<孫の手>雑評 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

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2009-04-19 (日)

[] 「たまきはるいのち」を奪うものへの抵抗(その3 身辺雑記より)

同僚の四十九日に

今日が四十九日となる。私より4歳下の同僚が心筋梗塞で突然亡くなったとき、私たちは皆、泣いた。当初は悼むにしてもあまりにも辛かった。

◇今でも思い出せばじわじわと思いがつのるが、ようやく書くつもりになった。世間の慣習に最大限の意味を見出す「文化保守」の私としては、「四十九日」という区切りの知恵を改めて感じる。

◇彼は、職場で各部署代表の会議から途中退室してトイレに入ったままとなり、発見が遅れたことからそのまま逝ってしまった。後から思えばもう少し早く見つけてやれなかったものかと悔いは尽きない。

◇私はほんのちょっとの差でその愁嘆場には居合わせず、翌日訃報を知った。当初は、あまりにあっけないことで実感が湧かなかったが、翌々日に現場を訪れ、人から少し詳しく話を聴いて、ようやく事態を呑み込んだ。特に、やはり現場の前で手を合わせたときには、何とも言いようのない彼の無念さを、ひしひしとこの身に感じた。

◇その夜は、何時間も寝付くことができず、「○○ちゃん(彼は周囲から愛称でいつもそう呼ばれていた)、もういいだろう!」と声を出して、無理矢理眠った。そうすると早速に夢を見て、私はその同僚と一緒に長い旅をしていて、その途中、彼は「大丈夫、大丈夫」と笑いながら走っていた。

通夜は業務都合で行くことができず、4日目の告別式でようやく彼の顔を見た。しかし、そこにはもう彼はいないことが明らかだった。人の死に顔をそんなに多く見たわけではないが、彼の場合ほど「これはもう抜け殻なんだ。ここにはもう奴はいない」といった感覚を覚えたのは初めてだった。それは、その日のその時のほんの2時間ほど前までいつ変わらぬ姿を見ていたことによるのだろう。

◇告別式では、やはり直接声をかけていたのは親族たちだったが、私は通夜の日に、心の中で彼にこんな言葉を投げかけていた。― 一緒に戦える同志がいなくなって、実に寂しいよ。今思えば、本当に稀に見るいい奴だった。昨日は夢に出てきてくれてありがとう。とても勇気づけられた。俺がそっちに行く時分になったら、またよろしくな…。

◇彼の若くしての突然の死には、いろいろな理由があるだろう。遺伝的な体質、大学時代に激しい競技をやっていた影響、食生活医者嫌い(瞼の腫れを注意してやってもちっとも行こうとしなかった)、など。しかし、私はちょうど職場でのポジションが彼と同じだったからそう思うのかも知れないが、やはり仕事ストレスは相当大きかったのではないかと思う。

◇さっきの「文化保守」と矛盾するようだが、形だけ実に立派な肩書きの付いた弔電がいくらきたからといって何になるだろう。世が世なら彼ももっと仕合せな人生を送ることができなのではないか、という思いを私は捨てることができない。

東浩紀ルソー論に

◇東浩紀が連載「なんとなく、考える」(『文學界』5月号)でSF作家伊藤計劃氏の死について触れていて*1、こちらは全く私的な事柄ではあるのだが、上記を書いてみる気になったかもしれない。

◇さて、東浩紀のこの回の記事は「ルソーについて(二)」と題されているが、私がずっと待っていた、東の政治論の具体的展開が見られる。いつからかといえば、2005年12月25日紀伊国屋書店でのトークセッションゼロ年代批評の地平」(発言者は東浩紀・北田暁大斎藤環山本一郎)の最後に、宮台真司が客席から発言したのに対して東が答えた「テクノロジー的な手当てをすることによって、全くオルタナティブ民主主義ができるのはないか」(「人権」という人間最大の発明物の組換えによる、政治の効率化)というアイディアがずっと頭の中に引っかかっていたのである(宮台が客席から発言していたのは、先ほど当時のメモを見るまで忘れていたけれど)。

◇ルソーについては、佐伯啓思『人間は進歩してきたのか』*2)や姜尚中テッサモーリススズキ『デモクラシーの冒険』*3)なども教科書的に触れているのだが、東の議論はルソー全集を買い込んで、先の発言のような観点からなされており、さらにそれについて新著を用意しているとのことで期待している。特にそれが、ここにいう「たまきはるいのち」を奪うもの(宮台真司*4村上春樹のいう「システム」?)への抵抗となる理路を示すものになるのかどうかが興味深いところである。

カルデロン・のり子に

◇さて、小泉以後の政治状況からかなり距離を置いて、音楽のことなどばかり書き付けていたのだが、その中で発言しそこなって後悔している最大のものとしては、蕨市のカルデロン家の両親が国外退去になった1件である。この件については家人とすら意見が一致しないのだが、「現に日本社会で暮らす人間」は最大限日本人と捉えるべきだというのが、「文化保守」からする私の立場である。

◇私は、近隣の市の在住であり、行こうと思えば行けたはずなのに行かず、何の支援もできなかったのははなはだ不徳だった。以前少し書いたことがあるが*5、私は、その近隣の市の高等学校で教壇に立っていた際、前日まで世界史を教えていて、次回参考になる本を持ってくる約束をしていた生徒を「入国管理」の都合で連れ去られた経験がある。

◇彼女も日本で育ち、日本語しか話せない、名前以外のどこをとっても日本人としかいいようのない生徒だった。しかも、彼女は高校3年生で、確か推薦入試合格し、大学への入学の手続期間中にいわば「拉致」されて、その進路をふいにすることになった。これを「個人の幸福追求権への侵害」と言わずして何と言うのだろうか。

◇私は彼女に約束の本を差し入れることができたが、挟み込んだ激励の手紙は規則上渡すことができないとのことで返却された。この場合、結局彼女は2ヵ月後くらいだったろうか、学校に戻ってきて、卒業式の際は、違う感傷にふけってあまりに表に出なかった私を探し回ってくれていたという(私が教師として成した善いことはおそらくこの1件だけだったと思っている)。

◇私は法律論や入国管理制度の実態について詳しいわけでもなんでもない。あるいは、地に足の着かない「人権思想」などを振りかざして、彼女らを支援する人間がいるとしたら、そうした人間は尊敬しない(私より彼女らの役には立つと思うが)。

◇しかし、結局、法律や思想が何か積極的な役割を持つとしたら、それは何か人の仕合せに資するところがあるからであるはずである。

◇確かに彼女らの両親は、日本社会に参入するに当たって過去に不法な行為を行なった。しかし、その事実が現在の家庭の在り方を破壊するのに相当な理由なのかどうか、その際に日本国のこれらの制度がどのような基準で運用されているのかどうか、という点が私の関心事である。

◇この点、『週刊SPA!』の対談連載「これでいいのだ!」で、坪内祐三氏が「超法規的措置」で両親を残すべきだ、日本語を話せて、しかも日本人がやりたがらないアスベスト除去などのきつい仕事をしている人間は日本人として認めるべきだ、といった発言をしていたのに、完全に同意する。

◇宮台真司は<システム>に「役割&マニュアル的なもの」と説明をつけて、<生活世界>(という「善意&自発性」に基づくもの)と対比しているが、日本人がここまで「人情」がわからなくなっていることに私は改めて愕然としている。

◇まずは、源了圓『義理と人情−日本的心情の一考察』*6でも読んで、もう一度近世思想から現代の生活や学問労働について考え直してみたいと思っている。そういえば、ここのところ本当にドタバタしていて(先週、めまいで倒れて職場から救急車で運ばれたというおまけも付いた)、1月からのマックス・ウェーバープロジェクトも中断していた。また、私たちの時代の思想を考えていきたいと思っている。

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*1:私は接点がなかったが、例えばこちらに言及がある。「伊藤計劃氏と「ハーモニー」/人の生の情報量とは - 万来堂日記2nd

*2人間は進歩してきたのか―現代文明論〈上〉「西欧近代」再考 (PHP新書)

*3:最近読んで、いろいろ難癖つけられそうなのは分かるが、やはり良い本だと思った。デモクラシーの冒険 (集英社新書)

*4:今日、『日本の難点』を買ってきたところ。「まもなく幻冬舎新書から『日本の難点』刊行です(出荷開始は18日) - MIYADAI.com Blog」によると、どうやら出荷初日に買えたものらしい。せっかくなので早く読もう。日本の難点 (幻冬舎新書)

*5:「 続報? 今日の岡田民主党代表(おまけ)…のはずが、メディアへの怒りへ飛び火、さらに未だに「鎖国・攘夷」の日本の現状、迫る北朝鮮からの放射能漏れへと…、勝手に破綻しております(長文多謝) - ピョートル4世の<孫の手>雑評」の注9を参照。かなり乱雑に書いてあったが、事実関係は合っていたようだ。それにしてもあれから10年も経ったんだな…。

*6義理と人情―日本的心情の一考察 (1969年) (中公新書)

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