ミセスな女①  「昼顔」のカトリーヌ・ドヌーブ

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 「ミセス」って今や現代における最大の秘境かもね?

 既婚の私が言うのも何なんですが。でも子供無で共働きの主婦にとって、「自分がミセス」なんて意識は殆ど無いよ、それが例えパート勤務であったとしてもね。そして子育てで家にいるっきりの主婦にとってもミセスってのは実は遠い存在、かなりのセレブでも子供が何かやらかすと、自分の責任にされてとっちめられると日々戦々恐々としてる女も多いしね。この手合いで旦那や自分もエリート系の人びとで地味な奥さんやってるのに、突然モンスター・ペアレンツになっちゃう主婦なんかも「ミセス」という響きが持つエロスのかけらもないことでしょう。私は「ミセス=人妻=専業主婦」に男性側の一方的な幻想だけでなく、先進国が高度成長を遂げて個人の家庭環境がレベルアップされていく時代の理想像をも一緒に託されているような気がしてしょうがないんですが。 セヴリーヌ=カトリーヌ・ドヌーブは形はかなり歪んでいるけど、その手のアイコンとしてのミセス像として長く君臨し続けています。雑誌「ミセス」の表紙とかセヴリーヌはドンぴしゃ、これが「VERY」、「STORY]とか「婦人画報」や「ヴァンサンカン」だとちょっと違うの。美容院に置いてあるセレブ女性雑誌(ちなみに「ミセス」だけは美容院でもほぼ一度も置いてあるのを発見したこと無)を読むご婦人は本当のこと言うと、「下情に通じた」生臭い一面を持った金満オバちゃんたちだからさ、初心で世間知らずゆえに娼婦のパートタイマーに励むセヴリーヌちゃんとは違うのだっ。

 とにかくセヴリーヌと夫ピエールにとって「結婚している二人」こそが重要なの

 最初に「昼顔」をTVの短縮版で観た時(確か十代後半くらい)にはセヴリーヌの夫ピエール(ジャン・ソレル)ってホントこいつアホじゃねぇか? というくらい間抜けな旦那だと思っていました。端正な二枚目っていうのがさらに「浮気されているに気が付かないお人よしなヒト」感を増幅したもんだったのさ。で、歳食って既婚になってから改めてディレクターズ・カット? を鑑賞して強く感じたのですが、セヴリーヌって奥さんは本当にこの夫ピエールのことが大好きなようなんですね。だって彼女の頭の中は「どSな旦那にとことん支配されて嬉しい」で一杯なんだもの。心から夫を愛していて、それ故に夫に対して身体を開けないっていうまるで「妻を聖女のように崇めているから他の女とやりまくる夫」がそのまんまひっくり返ったようなヒロインが実はセヴリーヌなのさ。そりゃ男も女も性欲がこじれることはあるだろうが、性別によって多少はスキーム(体系)が違ってくるだろうし、現れ方も違ってくるだろうにと私なんかは思うのですが。ピエールの方もセヴリーヌの真相について知ってんだか知らないんだか(まあ知らないはずだけど)、なんだかお互い納得ずくでセックスレスの夫婦生活に満足しちゃっているのがとっても不思議。ここにはフランス映画によく出てくるコキュ(可哀想な寝取られ夫)の肖像は影も形も無いのさ。むしろセヴリーヌを取り巻く男たちの中で最もどうでも良い扱いされていて、映画の中でもコケにされているのがインテリで独身主義者のアンリ(ミシェル・ピコリ)だもんね。・・・いやあ若い頃はとんと気が付かなかったなぁ。(それとも結婚してなかったからかな)
 で、何故にセヴリーヌはこれほどまでにセックスに対して屈折しきっているのかというと、幼少期に変質者のジジイによって性的虐待を受けたというまったくもって身も蓋もない深刻な過去のトラウマがあるからで、映画の中でセヴリーヌとピエールの場合二人の絆が固く結ばれていればいるほど悲劇的な夫婦の純愛にしかならないんですがね。公開当時の観客にはこのエピソードはあまり流布されなかったらしくて未だに「セヴリーヌが何故他の男との放蕩に走るのかあんまり映画で説明されていない」と思い込んでいる女も年長者だと多いようです。

 でもこんなコトは絶対安全地帯にある「セレブ妻」だからできることだよねぇ・・・

 かくて愛する夫の為に、また自分の本当の欲望を叶えるためにもセヴリーヌはせっせと社会勉強に励むのでありました。同僚にはモデルという他に立派な職業を持っているのに金のかかる恋人の貢ぐためにパートタイマーで高級娼婦になったり、セヴリーヌのようにたいした理由もなくする女性もいる。客の方はアジアの金持ちビジネスマンや「棺桶に入る美女」との葬式ごっこにはまっている老貴族のジジイとかマニアックな連中ばかりで戸惑うことも多いけどそんなに大変じゃあない。だいたい彼女って自分より明らかに格下の男との情事にむしろ興奮するタイプ。でも結局これって性犯罪に遭ったトラウマからきているだけだし、それでいて上手くやりさえすれば自分のイイとこの奥さんである地位が揺らぐことがあるなどとは思いもしない。何故彼女はそこの部分にまったくと言っていいほどの疑いを持たないのかが日本人には理解できないのですが、そこがフランスの厚い階層社会の凄さというか、ブルジョワ層にとっての「結婚」の重さなのかもしれません。日本でブルジョワのお嬢様というと、新陳代謝の激しい競争社会を生き抜くため「腕のある成り上がりの青年」を自分で発掘してきたり、成り上がり男と政略結婚されられるケースもあるくらいなので、格下の男とセックスしたくらいで己が穢れたとか、自罰行為では?とかいちいち考えてたらやってられません。だから貧乏青年の顧客マルセル(ピエール・クレマンティ)が自信持っちゃてセヴリーヌに「夫を捨てろ」と言い寄るのに日本人は(女性観客でさえ)何の違和感も感じないのですが、セヴリーヌはマルセルの主張自体の意味がよく判んなくてただポッカーン・・・なんですね。登場人物間だけではなく、製作者と観客の間にも何だか激しい「勘違い」を生んだからこそ世界的なヒットに繋がったのかも。

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 「昼顔」が大ヒット過ぎて、調子狂っちゃったよな

 と思ったのかどうか、「悲惨な結婚生活に苦しむ女性の悲劇ったらここまでやらんにゃあ駄目だよ」と考えたのか、「昼顔」の脚本家とは別の作家に頼んで撮ったカトリーヌ・ドヌーブ主演第二作。ただし「昼顔」の亭主よりずっとジジイの貴族(フェルナンド・レイ)が相手役だったのが悪かったのか、どうも「夫婦の愛憎劇」とは認知されずその代わりに親子程の歳の差のある若い女に手を出したばかりに結局は悲惨な老後に苦しむジジイの悲劇という側面に観客はより身につまされちゃったようです。・・・でもそんなら今後はそっち方面で行くかぁ、と前向きに映画製作を続けたブニュエル監督、苦労人は些細なことにはこだわらないのだっ。
 ちなみに「昼顔」の脚本担当は現代フランス映画界の大物ジャン・クロード・カリエールという人で、世代的にいうとウチの父親よりだいたい5、6歳上の世代。今回「ミセスの女」というカテゴリーで作品探してみたら他の映画の脚本担当者も実はこの世代の作家で偶然にも60年代後半から70年前後製作の映画でやってる仕事なのでした。だからって共通点があるのかどうかは知りませんが。