Hatena::ブログ(Diary)

とある大学教員ブログ

2016-01-24

福岡県の性犯罪をどう防止していくか〜通学・通勤経路診断チェックシートを作ってみた

福岡の治安上の問題の一つは性犯罪である。なかなか減らない。私見では今後増加する可能性は充分あると思う。

f:id:QZM03354:20160125024021p:image

それは一つには性犯罪の大半が氷山のように水面下に沈んでいるという性質による。まず、福岡県では現在相談体制が充実しつつある。これによって、氷山が少し浮き上がり、親告率が増加する可能性がある。もう一つは急激な人口増加によってもたらされるという面も否定出できない。つまり氷山が大きくなるということだ。だから、性犯罪の認知件数が増加するといっても、そこには「よい増え方」と「悪い増え方」の両面が含まれているといえる。認知件数の増減に一喜一憂するのではなく、性犯罪全体(氷山)をいかに小さくするかが課題である。

ではどのような対策が必要か。一つには、特に道路、公園、駐車場・駐輪場など、公共の場で起きている犯罪をいかに減らせるかにかかっている(もう一つは顔見知りによる犯罪をどう防ぐかだがそれはまた別の話)。こうした公共の場所における犯罪予防とは、本来は行政による環境整備(再整備)が最重要だと考えるが、それには非常に長い時間がかかる(実は北九州市はそのことに取り組み始めている)。

だが、すべての自治体がそのような考え方をしているわけではない。いずれにせよ、当面の間、女性たちは自分で自分の身を守るしかない。特に、高校・大学・専門学校・社会人などの夜遅く帰宅する可能性がある人たちは、通学・通勤経路を自分でチェックし、犯罪者が好むような危ない場所をあらかじめ知っておくことが大切だろう。そうすれば回避できる可能性も高くなる。

f:id:QZM03354:20160125024023p:image

福岡県警福岡県の性犯罪の現状【平成27年暫定値】」より)

そこで、通学・通勤経路を自己診断できるチェックシートを作成してみた。犯罪者は犯行が見咎められにくく、逃走しやすい場所、いわゆる監視性と領域性の低い場所を合理的に選ぶという前提から、「場所」の危険性に着目したチェックシートである。環境犯罪学の理論的知見を活用したものになっている。

これはまだベータバージョンであり未完成のものである。これから各方面とすり合わせながらシートの質を上げていくつもりである。だが、方向性(妥当性)としてはこれでよいと思う。こういうのは念入りにあたためるよりも、未完成の段階ではあるものの、ある程度役に立ちそうだと思ったら即座に公開してフィードバックを得たほうがよいと判断する。

通学・通勤途中に性犯罪に巻き込まれないよう、このチェックシートを実際に使って、通学・通勤経路をチェックしてほしい。結果のフィードバックをお待ちしています。

f:id:QZM03354:20160125024026j:image

f:id:QZM03354:20160125024025j:image

2015-12-05

二つの課題解決力と当事者意識〜課題解決提案型授業は学生の課題解決力を育成するか

2015年7月15日の『教育学術新聞』に掲載された記事です。5ヶ月ほど前の記事ですが、少し加筆してブログに転載します。

---------------------

課題解決策提案型授業は課題解決力を育成するか

 課題解決力とは、産業界ニーズの高い汎用的技能(ジェネリックスキル)の一つとして、いまや大学教育改革の中で概念としては定着してきた感がある。多くの大学において、課題解決力育成のために、初年次科目やPBL科目等で「課題解決策を提案する」タイプの授業が実施されることが増えてきたように思われる。ただし「課題解決力」の意味は多様である。曖昧なまま用いられていることもある。「課題解決力育成」をめざした教育プログラムが、本当に学生の課題解決力の育成につながっているのか疑わしい時もある。

 筆者は、平成24年〜26年において実施された文科省の「産業界のニーズに対応した教育改善・充実体制整備事業」において、九州・山口グループの8大学による学修評価サブグループ(以下本グループ)として、課題解決力の育成と検討に取り組んできた。具体的には、8大学の学生で構成される学生グループ(1グループ4〜5名)を編成し、課題解決力育成のための様々な研修を試行したり、企業や団体の協力のもとで課題解決型インターンシップに参加させるといった取組を行い、その結果や効果を検証する評価制度の確立に取り組んだ。

 そのうちの一つとして、様々な資料やデータを読み取らせることを通じて思考力、知識活用力、課題解決力を育成するための研修を複数回実施し、教室の中で課題解決力をどのように育成できるかを検討してきた。具体的には、8大学から集めた学生50人程度を5人1グループに編成し、ジグソー学習法などのグループワークの手法を用いて多くの資料を読み、ブレーンストーミングKJ法を使いながら問題点や課題を発見し、そのうえで解決策を構想して、最後にグループごとにプレゼンするというプログラムを1泊2日で集中的に実施した。扱うテーマとしてはその時々のトピカルな課題(例えば「女性が輝く社会づくり」とか「地方創生」など)を選び、教材も大学をこえて様々な教員が集まって協働で作成した。この研修を実際に実施する中で気づいたことは、課題発見の段階では鋭い視点がみられたものの、解決策という点から見ると、学生チームの多くは、「職場での託児所の整備」といったあまりにありふれた内容しか提案できなかったということである。

 他方で、本グループが企業や自治体等の協力を得て実施した課題解決型インターンシップでは、一部の学生チームは会議室にこもり、模造紙とポストイットを前に延々議論する場面が見られた。上に述べた研修が裏目に出てしまったのである。我々は学生たちに、現場に戻ってもっと人の話を聞き、情報を集め、自分の目で観察するようにと指導せざるをえなかった。

 このようなことは多くの授業やインターンシップで起きている。しかも、解決策の提案に際して、「学生らしい視点で」という条件をつけようものなら、提案される解決策はSNSを利用したプロモーションゆるキャラの導入、ご当地食材を活かしたB級グルメ提案といったワンパターンで独創性のないもののオンパレードになる。

 なぜこのようなことになってしまうのだろうか。


二つの課題解決力の育成方法の違い

 ここで指摘したいことは、課題解決力には、「リテラシー(知識活用力)」としての課題解決力と、「コンピテンシー(経験によって蓄積される力)」としての課題解決力の二種類があるのではないかということである。

 リテラシーとしての課題解決力とは、いわゆるPISA型学力リテラシー領域に近い概念である。「知識をもとに考える力」や「知識活用力」と言い換えることもできるだろう。このスキルを、もう少し細かいプロセスに分解すると、「情報収集力→情報分析力→課題発見力→構想力→表現力」という一連の流れとして説明できる。大学においてレポートや報告書、論文を書く際には、このプロセスを回す力が必要になる(実際には各プロセスを行きつ戻りつするが)。

 この課題解決力のうち、最も重要なポイントは、「課題発見力」すなわち仮説構築力であろう。現実の様々な現象を分析し、その中から真の課題を発見し、その課題を生み出している要因を特定できれば、すなわち因果関係のセットを発見できれば、課題解決の8割は達成したようなものだ。

 仮説構築能力とは科学的思考そのものであり、社会科学や工学分野では研究活動の本質的な部分だといってよい。社会科学系の論文においても仮説構築ができれば論文の骨格はほぼ完成したようなものだと言われることが多いのも、課題発見力の難しさとその重要性が伺えるだろう。その意味では、リテラシーとしての課題解決力はジェネリックスキルではありながらも、専門教育を通じた育成が重要になる。

 たとえば、企業から課題を与えられるようなPBLにおいては、経営学科の学生ならば、社会科学的な仮説構築の方法論を用いてから現実の課題を発見し、說明できるようになることはもちろん、経営学フレームワークや理論を用いることも望まれるだろう。だが、初年次の段階で知識ストックが不足していたり、仮説構築の方法論に慣れていない初年次の学生では表層的な解決策しか提案できないのも当たり前である。そればかりか、何を指摘すればよいか分からない学生にとっては、モチベーションが低下することもしばしば見受けられる。したがって、初年次教育の中でこうしたPBLを実施することには少し無理があるように思われる。2年次以降の講義科目や演習科目を連動させたうえで本格的なPBL科目を実施するカリキュラムを導入している大学も見受けられる。

 このようなカリキュラム上の工夫は必要だが、それだけでは十分ではないように思われる。リテラシーとしての課題解決力は、社会で必要となる課題解決力の一面でしかないからである。

 社会の現場では、課題が発見され解決策が提示されるだけでは物事は解決しない。コンサルタントの仕事としてはそれで完結するかもしれないが、実際には組織の一員としてその解決策に取り組み、粘り強く実行・改善を続けることが不可欠である。現場では、課題解決のために、コミュニケーション能力などの対人スキル主体性ストレスマネジメントなどの対自己スキル、刻々と変化する状況の中で計画を柔軟に修正するといった対課題スキル、そして何よりも結果を出すまで粘り強く試行錯誤を続ける「実行力」といった総合的なコンピテンシーが求められる。これはリテラシーよりも広い観点からのスキルのことであり、OECDのDeSeCoプロジェクトによってまとめられたキー・コンピテンシーをふまえている。

 こうしたコンピテンシーとしての課題解決力を身につけるためには経験を必要とする。実際に解決策を自ら試行し、トライアルアンドエラーで計画を修正しながら、課題解決を目指す経験を積むことが大事になってくる。会議室で解決策をプレゼンするだけでなく、現場でのコミットメントが求められるのである。

 だが、現場に浸り、その中で課題発見・課題解決を達成する経験を積むには時間が必要である。半期15回の授業でそのような実行力を身につけることは可能だろうか。ここでも複数のPBL科目が連動するようなカリキュラム設計が求められるのである


課題解決力と当事者意識

 社会で求められる課題解決力とは、上に述べた二つの異なった位相の課題解決力の掛け算と考えられる。だからこそ、現在の大学では、教室内で知識習得を伴う課題解決力の育成と、PBLやインターンシップなどで実際に他者とともに課題解決に携わる経験の両方が要請されているのである。

 そして、両者を結びつけるうえで不可欠なのは「当事者意識」ではないかと筆者は考える。

 リテラシーとしての課題解決策は、しばしば当事者意識を欠いた評論家的なものになってしまうことが多い。自らが実行するつもりのないビジネスプランや、それができれば苦労はしないという地域活性化プランなどが提案できたとして、それは大学教育の成果としてふさわしいだろうか。そこで学んだ力は企業などの産業界が大学生に期待している能力といえるだろうか。

 多くの企業で、特に新人社員にとって重要なのは、目の前の課題に対して、現場で他者協働しながら、粘り強く解決に取組む実行力であろう。その意味で、専門科目や卒論執筆等を通じてリテラシーとしての課題解決力を育成できたとしても、コンピテンシーとして課題解決力が補完的に育成されている必要がある、というのが産業界からの要請であるように思われる。

 さらに言えば、両者のスキルを技術的に身につけるだけでは十分ではない。むしろ大切なことは、自分にとってその課題に取り組む意義は何なのか、どのような立場から解決策を考えるのか、といった自身の視点や自分の立ち位置を明確にするといった態度・姿勢ではなかろうか。

 たとえば、「大学生らしい地方創生プラン」を提案するとは、まずは「自分にとって地方はどういう意味があるのか」とか、「自分自身は地方でどういう生き方をしたいのか」といった自分自身の考えや価値観を問いなおし、自分の立ち位置をはっきりさせることから始まると筆者は考える。それが聞き手を共感させ、他者を巻き込む解決策の立案につながるばかりか、地に足の着いた現実的な課題解決策の提案につながると思うからである。


当事者意識と現代の教養

 私が学部時代の教養ゼミに参加して学んだヨーロッパ中世社会史家の故阿部謹也教授は、研究対象と自己の立場や価値観を切り離すことを強く戒め、「それがなくては生きていけないという研究テーマを探すように」と常に語っていた。社会や組織の課題解決に取り組む際も、課題を自己の問題意識と結びつけ、当事者意識を持ちながら解決策を考えることは同じ意味で大切だと筆者は考える。それこそが現在の大学において分裂しがちな専門教育とキャリア教育を接続するための実学的思考であり、別の視点からみるとそれは“現代の教養”と言ってよいようにも思えるのである。

 ひるがえって考えると、現在の日本の大学が抱える課題に対して、大学人である我々は傍観者的な立場から、実現可能性とは無縁の解決策を披露するだけで満足してはいないだろうか。学生に先立って、我々自身が課題を自分事として捉え、実際にそれぞれの現場で課題解決に取り組む“実行力”を発揮することが求められているのではないだろうか。

2014-12-23

大学で育成すべき“ジェネリックスキル”とは何か?

ご無沙汰しています。ブログの更新がかなり止まってしまっていました。

さて、岡山にある「つながる地域づくり研究所(http://www.tsunaken.net/)」というところが発行している地方自治体情報誌“つな研ナビ”の第35号(12月発行予定)に、「大学で育成すべき“ジェネリックスキル”とは何か?」というテーマで寄稿しました。本来は会員しか読めないのですが、転載を許可していただいたので、ブログにも掲載します。

つな研の代表理事の一井暁子さんは、元岡山県議会議員で岡山県知事選にもチャレンジしたパワフルな方。実は僕とは小学校1・2年と中学校の同級生です。小学校1年の時から抜群に頭が良かった人で、岡山の未来を切り開く注目人材の一人だと思っています。一井さんとはFacebookが縁で再びつながり、僕もいろいろご相談させてもらったり、このように文章を寄稿したりということが始まりました。

さて、昨日中教審の大学入試改革答申が出されました。大学改革答申クリスマス前後に出るのでしょうか? 6年前の学士答申クリスマス・イブの日でした。この入試改革答申では、大学入試センター試験に代わって、知識の活用力や思考力を評価する試験への転換といった内容が含まれています。さっそく、いろんな議論がでていますが、ジェネリックスキルと大学教育との関係についてもう少し説明があったほうがよいのではないかと思ったので、急遽掲載します。短い字数の中に詰め込んだので、本当はもっと丁寧に説明したいところもたくさんありますが、またそれは別の機会にしようと思います。

---------------------

大学で育成すべき“ジェネリックスキル”とは何か?

はじめに

 今、大学で身につけるべき力として“ジェネリックスキル”という概念が注目されている。特定の職業を越えてあらゆる仕事で必要となる力という意味である。具体的には、「知識活用力」や「課題解決力」などの“考える力”、「コミュニケーション能力」や「自主性・自律性」などの“生きる力”のことを指す。平成20年中央教育審議会が取りまとめたいわゆる「学士答申」においても、各専攻分野を通じて培う学士力として、「汎用的技能」や「態度・志向性」が含まれている。

 日本の企業は、大学生に対して、「コミュニケーション能力」「チームワーク・リーダーシップ」「論理的思考力・問題解決力」「倫理観や自己管理力」「成長可能性」等のいわゆる“社会人基礎力”を求めているといわれる。ジェネリックスキルが注目を集めるのも、こうしたニーズに応えるためでもある。

 だが、なぜジェネリックスキルが社会で必要になるのか、また、どうすれば大学でジェネリックスキルを身につけられるのかといった疑問に答えられる人は、大学関係者にもあまり多くはない。そこで、ここではそうした厄介な概念であるジェネリックスキルについて簡単に説明していきたい。


ジェネリックスキル育成の意義

 ジェネリックスキル育成が大学教育において必要だと言われる理由をまとめてみよう。

 まず第1に、大学で学ぶ専門知識だけでは一人前の社会人・職業人を育成できないことは、はっきりしている。「◯◯という知識を身に付ければ◯◯という職業につける」というほど現実は単純ではない。職場では、日々新たに生じる課題に対して有効な解決策を考えだし、協働で実行できる力が求められている。ジェネリックスキルがなければミスマッチが容易に起こりうる。それが多くの職場で起きている早期離職につながっているという見方もある。

 ジェネリックスキルは、人文・社会科学系のように出口が幅広い分野だけでなく、薬学部や保育学部といった職業教育を行う学部でも重要となる。例えば、薬剤師は、医師処方箋に基づき薬を処方する仕事だけでなく、医師看護師とのチーム医療の中で、薬学という知識をもとに、患者とのコミュニケーション処方箋の提案力といったスキル要求されるようになってきている。化学が得意なだけで薬剤師として仕事ができる時代は終わったのだ。同じことは、日本の産業構造製造業からサービス業へと移行しつつある中で、あらゆる分野で起きている。

 第2に、日本の企業や組織は、従業員に “つぶしのきく”力を求めるという事情もある。日本企業の社員は様々な部署を経験しながら昇進していく。とりわけ学生に人気の高い自治体職員などの公務員はそうした働き方を要求される。そこで必要となるのは「新たな課題に関する学習能力」や、「様々な人々と協働しながら課題解決にあたれる能力」である。また、多くの職業で仕事の幅が広がってきている。例えば、地域防犯の役割が高まるなかで、都道府県の警察官も県や市町村など自治体への出向が増大している。警察官にも幅広い視点からの政策立案能力が求められる時代なのである。

 第3に、大学進学率が上昇するに伴い、多様な学力を持った学生が増えたことも大きい。高校までの基礎学力が大幅に不足している学生も多い。ジェネリックスキルは大学で専門分野を学んだ結果として伸びることも多いが、大学の学習を円滑に進める上でも必要となる。だからこそ、多くの大学では初年次教育(1年次教育)においてジェネリックスキルを“意識的”に育成しようとしているのである。


ジェネリックスキル育成の方法

 かつての日本の大学生、特に文系学生は、就職の際に大学で学んだ内容が問われることは少なかった。進学率は低く、しかも全員が受験勉強を経験していたからである。だが、現在は入試形態が多様化し、AO入試や推薦入試など面接のみで入学する学生も多い。全入状況の大学も増大している。大学生が社会で通用するジェネリックスキルを習得できるかどうかは、大学の教育にかかっているのだ。

 上で述べたように、ジェネリックスキルは学習の“結果”や“副産物”として身につくものが多い。資料をもとにレポートを書いたり、プレゼンテーションを行ったり、ゼミで文献を読みながらディスカッションを行ったり、卒論を書いたりするような、いわゆる大学生らしい学習を積み重ねることは、「知識活用力」や「課題解決力」といった“考える力”を伸ばすうえで重要であることは言うまでもない。

 ただし、現在では、入学時にきちんとした文章表現能力やディスカッション能力のある学生は多くはない。だから、入学直後から一歩一歩、段階的に育成する必要がある。多くの大学の初年次教育において、アクティブ・ラーニングや文章表現科目が導入されている理由はここにある。

 他方、「コミュニケーション能力」や「自主性・自律性」といった“生きる力”は、授業で知識として教えられるものではない。様々な経験を通じて蓄積されるものである。就職活動で部活動やアルバイト等を含めた大学生活全体の経験が問われる理由はここにある。授業でも、アクティブ・ラーニングや、PBL(Problem Based Learning / Project Based Learning)といった協働学習・経験学習的なアプローチを導入し、学習の“副産物”としてこれらの力を育成することが求められている。

 さらに、多くの日本企業は、大学生に「仕事を通じて学び成長し続ける力」を求めている。だから、大学生の段階から「経験から学び成長する」力もつけておく必要がある。経験から学ぶとは、経験を「ふりかえり」、その中から自分なりの本質的な意味に「気づき」、そこから「次の新たな一歩を踏み出す」というサイクルを自分で回せるようになることである。これらは言葉による活動であることに注目したい。経験学習も単に経験するだけではだめである。経験から学ぶための言語能力を大学の授業を通じて伸ばすことが求められる。

 京都大学の溝上慎一教授によれば、学生の就職状況には、初年次の意識転換や成長が大きな影響を与えているという。学生自身が初年次の段階で、考える力や経験から学ぶ力(生きる力)が必要だと気づくことは、その後の4年間の成長にとって大切なのである。


おわりに

 我が国の大学進学率はこの20年間で25%から50%に急上昇した。その間、高卒者求人数は8分の1に減少した。国内の高卒職の減少が大学進学率を押し上げたのだ。他方で、日本学生支援機構奨学金を借りている大学生は約35%にのぼっている。多くの学生は卒業後に返済しなければならない借金を抱えながらも、高卒で就職する選択肢がないため大学進学を選択せざるを得ないのだ。

 このような状況で、もはや大学をモラトリアムだと思っている大学生は少ない。ただ、「◯◯学部に行けば◯◯という職業人になれる」とか「◯◯という資格をとれば就職できる」といった進路指導を受けて大学に入学したものの、現実とのギャップから不安を感じて前に踏み出せない学生もいる。

 大学は今まで以上に、多様な学生をきちんと教育し、自立した社会人・職業人へ育て上げるという社会的な役割をより強く意識せねばならないだろう。ジェネリックスキル育成はその中心的課題となるはずである。高校においても、社会に出るためには大学で知識活用力や経験から学ぶ力を伸ばすことも重要だという進路指導が期待される。

(以上)

2014-07-15

大学の勉強は何の役に立つのか? その2

前回紹介した小説では、主人公の「私」は、パンフレットの制作を任された時に、自分の頭だけであれこれ考えるのではなく、「情報収集→情報分析→課題発見→構想→表現」といったプロセスをふまえ、質の高いアウトプットを出していました。こうしたプロセスをきちんとふまえることが「知識習得・知識活用のやりかた」であり、「課題解決力」と言われることだと考えています。

そして、お気づきのように、この「情報収集→情報分析→課題発見→構想→表現」というプロセスは「レポートや論文を書くプロセス」そのものでもあるのです。だからこそ、大学時代に日本文学をこつこつ勉強したって、一般的なイメージとは違って、仕事で役に立つ能力は十分身につくのです。これは、多くの人(特に大学の先生)がなかなか気づいていない点ではないかと思うのです。

さて、今回は、「大学の勉強は何の役に立つのか」について、また別の視点からの文章を紹介しましょう。これまた私が書いたパロディ的な文章で完全な創作です、念のため。前回は、学士力でいう「汎用的技能」を扱いましたが、今回は「態度・姿勢」に焦点をあててみることにします。専門外のことを扱っているのでその筋の専門家が読めばオカシイと思われるところもあるかもしれませんがご容赦。あ、関西弁もニセです。すみません。。

--------------------

[設問]以下の文章は東都大学名誉教授で数学者の林毅のインタビューの一部である。文章を読んで以下の問に答えなさい(問は省略)


大学で学ぶ知識が社会で役に立つかどうか、ってそんな質問、ボクからしてみたらアホやなあと思うね。役に立たないにきまってるやないの(笑)

ボクがやってた数学っていう学問分野はね、問題が解けるか解けないかが分かることが大事でね。解けるって分かった瞬間に、数学者は興味を失うわけですよ。高校までの数学は問題を解いて答えを出すことが数学だと思ってるでしょ。でも学問としての数学は、この問題はホンマに解けるのか、ということが問題になるわけでね。それに、学問としての数学分野の最先端でやってることは、ほとんど実社会の役になんかたたへん。物理学だっておんなじ。量子力学なんて20世紀前半に確立した分野で、もちろんすでにいろんな分野で活用されているけれど、じゃあ量子コンピュータが実現したかというと、100年近くたってもまだ実現してない。科学者が考えたことが実社会で役に立つのは、100年後かもしれないし、もしかしたら永遠にわからへんかもしれないね。そんなん、源氏物語の研究でもなんでも多かれ少なかれ同じやで。

そもそもね、「役に立つ」ってどういう意味で使ってるんかなあ。それって、「今の社会にとって」って意味やないのかな? 社会はどんどん移り変わっていくからね。今役に立つと思ってる知識が役に立たなくなる時代もすぐにくるよ。そのスピードは結構早いよ。むしろ、今はムダだと思ってるものの中に、将来役に立つ知識になるものがあるかもしれへん。だからね、ボクは若い人には、いっぱいムダなことを勉強せいというの。人生何があるかわからんからね。大学では、はたからみたらムダにみえるかもしれんけど、自分がオモロイと思うことを勉強して、自分の世界を広げていくほうがずっといいよ。いっぱいムダなことを勉強したほうが、将来ムダにならん確率のほうが高いんちゃうかなあ。

それにね、一番大事なことを言おうか。そもそも、いろんな物事を「役に立つかどうか」で判断するヤツって、絶対人から好かれんよ。「あいつは役に立ちそうだから友だちにしとこ」なんて考えてるやつの周りには、おんなじような打算的な人間しか集まらんよね。異業種交流会とかなんとかセミナーとかに集まるやつらって、そんなの多いじゃない(笑) 逆に、「あいつはオモロイところがあるから友だちになろ」って友だちをどんどん作るやつの周りには、オモロイやつが集まるようになってんのや。で、そういう友だちは結局のところ、ほんとうの意味で「役に立つ」友だちになるんですよ。

 知識もまったく同じ。要は「これは世の中では役に立たない知識かもしれないけれど、オモロイからもっと知りたい」と自分が心から思えるものを探す姿勢が大事でね、その姿勢こそが、「役に立つ」人間になる第一歩なんですよ。

(出典)林毅(注意:実在しません)『林センセイは本日休講』音羽出版

2014-07-14

大学の勉強は何の役に立つのか?

あちこちの大学でオープンキャンパスが開始される時期がやってきました。多くの大学では、「うちの大学で◯◯という分野を勉強すれば◯◯という仕事につける」と言うことが多いようです。

たしかにそれは、医・薬・歯学部や教育・保育、理工系などには当てはまります。しかし文系はなかなかそうはいきません。マスコミの勉強をすればマスコミに就職できるわけではないのです。経済学部を出たら銀行に就職できるというものでもありません。

文系学部の一番の課題は「職業との関連性が見えにくい」ところです。それは大学の問題でもあるのですが、同時に日本の雇用形態の問題でもあるのです。しかし、ここではその話には深入りしないでおこうと思います。

一つ確かなのは、今の大学では教員が「この分野、この科目の勉強は社会とどうつながるのか」という説明を考えることは不可欠だといえます。私も授業の第1回目のガイダンスでは、そのような内容を含めるようにしています。そうでなければ、この間まで高校生だった学生に、専門分野に興味をもてといって難しいのが現状です。それに、これが「すべての科目にキャリア教育の視点を入れる」という意味だと考えています。

そこで、「大学での勉強は仕事とどうつながっているのか?」というテーマで、たとえばこんな風に考えられるのではないかというものをエッセイ小説風に書いてみました。これは昨年書いたもので、初年次科目の教材にも使ったものですが、なかなか好評だったので転載します。文体パスティーシュっぽくなっていますがご容赦ください。

-------------------------

 私は、新橋にあるちいさな出版社で編集の仕事をしている。出版社というとなんだか華やかそうなイメージがあるけれど、作っているものは企業のチラシやパンフレットだし、会社の事務所が入っているビルもとても古い。会社には、ガハハとよく笑う太った社長と、細くて背が高いのに腰の低い専務と、社員が5名いる。あとは経理のおばちゃんもいる。社長はいつも景気が悪いとグチをこぼしている。

 私は大学では近代文学を専攻した。自分で言うのもなんだが、大学ではわりとまじめに勉強したと思う。卒論太宰治キリスト教の関係をテーマにした。いろいろ資料を集めたが、指導教官からは自分なりの視点を見つけることが大事だと言われた。自分なりの視点なんて学生の分際でそう簡単に持てるものじゃないだろうと思ったけれど、最初に太宰治を読んだ時の気持ちに立ち戻って、なんとか考えたのだった。その後、論文の構想を立て、お正月はずっと家にこもって卒論に没頭した。出来上がった時には感無量だった。

 でも、友人たちが就職活動をやっていたのに、その間、私はぼおっとしていて、いつの間にか卒業する時期になってしまった。それを見かねた親が、知り合いのつてをたどって、今の会社を探してくれたのだ。

 私は特に出版社で働こうなんて考えてなかった。編集の仕事がなんなのかも全然知らないまま、社長から「日本文学をやったんだったら、文章は書けるだろう、ガハハ」といった感じの簡単な面接だけで採用されたのだった。提示された給料はすごく安かった。でも、他に行くところがないから仕方がない。しばらく働いてみようと思った。

 仕事はわからないことばかりだった。ある会社の新卒採用パンフレットをはじめてまかされた時には、途方にくれた。相手先との打ち合わせは先輩が手助けしてくれたけれど、先輩は忙しいみたいで、あとは一人ですすめてくれ、とほうりだされたのだった。

 相手先の会社から渡された資料は、会社概要や売上とか社長のメッセージとか、その会社が作ってる製品の細かい説明とか、ありきたりなものが多かった。こんな資料をもとにどうやって採用試験を受けようという学生にアピールする内容のものを作ればよいのだろう? 途方にくれた。

 しかたがないので、他のパンフレットを見たり、図書館に行ってデザインの本を調べたりした。あるデザインの本には、「広告とは、目指す相手に届けるメッセージだ」と書いてあった。私はそれまで、パンフレットはきれいな写真と図が入っていたらそれでいいのかと思っていた。だからこの一文を読んでうむむとうなったのだった。

 そこでもう一度、相手の会社の担当者に話を聞いてみた。すると、

「ウチは地味だけど作ってる製品もいいし、雰囲気も良くていい会社なんだ」と言われた。ほかにも、

「どんどんアイディアを出して自分から動く人に来てもらいたいんだよなあ。ウチみたいな会社が生き残るためには、みんながそんな風に仕事をしないとね」とも言っていた。

 どんどんアイディアを出して自分から動くって、どんな感じなんだろうと思って、私はその会社で製品を開発している人に話を聞くことにした。メガネをかけた地味な年配のおじさんだった。でも、話を聞くと面白かった。会社のみんなでお酒を飲んでる時に、突如アイディアを思いついたのだそうだ。そこから飲み会を切り上げてみんなで会社に戻って、一気に設計図までつくったらしい。社員はみんな仲が良さそうだった。

 こういう会社は小さいけれど楽しそうだなあと思った。だから、パンフレットのタイトルは、「こんな小さな会社だけど未来がある――みんなのアイディアを活かす職場」とした。そこからパンフレットの内容は自然に決まっていった。写真も図も少ないけれど、みんなが何のために仕事をしていて、どんな風に協力しあってるのかを具体的に書いた。開発者のおじさんと若い社員の対談も載せた。大学の友人に見せてダメ出しをしてもらって、直したりもした。

 できた案を持って行くと、相手先の担当者は「こういうことを伝えたかったんだよ」と言ってくれた。うちのガハハ社長も喜んでくれた。「やっぱり大学でちゃんと勉強した人は強いね、仕事のやり方がわかってるなあ、ガハハ」と言ってくれた。私は大学でそんな勉強したことないのにと思ったけれど、でもちょっとうれしかったのだった。

----------------------