Notae ad Quartodecimani

情報や資料のノートの蓄積

ウパニシャッド研究の外縁から

オルデンベルクは
ウパニシャッドを研究するためのふたつの方法を挙げる
1.神秘主義の道
2.カントの道
そこで彼はカントの道を断つ
その理由は、当時のドイッセンの探求法1922(カント=ショーペンハウエル)と決別することにあったと<ドイッセン「一度目はインドでウパニシャッドに、二度目はギリシアでパルメニデスとプラトンに、三度目は近世のカントとショーペンハウエルに、普遍的な課題と解決の更に明らかな意識を高めた」>ドイッセンには「ヴェーダの60篇のウパニシャッド」1897がある
オルデンベルクに云う神秘主義の道とは、高度に発達したものではなく、バラモン=祭官のような原始思考に類いする。
ヴェーダ学者アルフレート・ヒルデブラント
ウパニシャッドは「儀式と自然観、そして迷信に類いする事柄」
「祭式と民衆の見解に由来する」「思考方向の多様な見解の蓄積で、矛盾は明らか」1926

しかし、ショーペンハウエルはウパニシャッドのペルシア語版からラテン語に部分的に訳されたもの<ウプネカット1802>を知っていたばかりであったが、彼はそれを自らの哲学の基礎に据えたことを隠さない。だが、その後サンスクリット語からのウパニシャッドの翻訳が出て来てもそれを受け入れることをしなかった。
ショーペンハウエルが心酔した理由は、古代インドが現象と究極的実在的という二つの世界を認める思考構造を持つと彼が直感したからであると
これはイデアプラトンとカントに他ならない。
現象界の背後に、真実の存在、究極的存在が容認される、そうでなければ、人間の形而上学的な要求は満足させられない・・


所見;ウパニシャッドは守備範囲外ながら、ここでは学者連の発想や論旨の積み上げ方の方に注意が向いてくる。
19世紀から20世紀にかけての思想潮流のような事態が欧州、特にドイツに於いて激しかったこと、また、自由主義神学のゆりかごがここにあるように見える。

しかし、20世紀に入ってくると、ショーペンハウエルがウパニシャッドを持ち上げ過ぎていて、矛盾に満ちた単なる民話のように言われてしまっている。

自分の思想や主義を何に置くかというところで、大哲学者となると、もう後戻りは許されないところが気の毒に見える。
加えて、膨大なインド宗教の野放図な文献をドイツ人学者が精緻にのめり込むほどに、定説を打ち立てることが困難になっているようで、インド人とドイツ人という正反対に見える民族性のミスマッチなのではないかと場外の傍観者としては見えるのだが・・ヒルデブラントの評がすべてを言い当てているように思える。


◆ウパニシャッドそのものは、リグ・ヴェーダの一部で死後の世界を説いている。(前9-8世紀頃成立)
生と死との連結するリングを成しているのが睡眠(夢らしい)であると。それは魚が両方の川岸を行き来するようなものだと
また、アートマンと呼ばれる「光」は大宇宙の原理であり、人はその光によって歩み、座り、仕事し、帰宅するという
しかし、陽が沈むと暗闇が訪れ、睡眠に落ちて行く
ウパニシャッドは神秘主義で出来上がっているが、その主義は受動的であると
能動的瞑想も避け、我欲を掃うのも、自己が究極的存在(神)と合一するためである。恍惚から「梵我一如」
神の恵みを自分の中での神の活動を解し、自分の感受性を高める
ウパニシャッドの主眼は「瞑想」(ウパース)にあり、苦満ちる世界からの解放、ブラーフマナ(儀式)による神との合一を目指す
永きに亘りインドの森ではバラモンやクシャトリヤが隠遁生活をしていたとのこと

人には生気が働いており、それが人から去ってしまい、他の人に入ることもある。
人(プルシャ)が死ぬとき、あの世に行く、しかしプルシャがあの世でも死ねば、再びこの世に戻ってくるが、新しい体に入り誕生してくる。


所見;ウパニシャッドは仏教への細道をも成しているそうだが、確かにそのようだ。カルマも説かれ、良い再生と悪い再生は生前の行為による。また解脱も説かれているので、仏教の形はほとんど備わっているようだ。だが、ブッダの理念とは違うように思えるのだが・・
しかし、ずっと神秘的に出来ている。これが交霊術と幾らか違うように見えるのは、「生気」が無人格的だからのようである。
今日でいうところのスピリチャルであり、様々な教師が大まかな枠組みを残しながら、多様なことを言い残してきたことが積もり積もってウパニシャッドに構成されているらしい。(後代のタルムードも同類で蒙昧と矛盾に満ちる)
ウパニシャッド」という名称の意味については依然、論議の的ではっきりはしないとのこと。

つまるところ、悪霊との隠喩的交わりのように見える。
シュメルがジッグラトを立てたように、インドでは瞑想に向かったのでは? 相当に強い交霊の記録がインドに残されてきたのだろう。
ヨーガが流行しているが、インストラクターが本当の意味を言えないほどのポーズの名がいろいろとあるという。
意外に身近に間口の広い世界となっている。


※近世という時期は、古代の蒙昧をどう処理するかの方法を模索していた時代ではないか?だが古代の文化がどんな価値を持つのかさえ諸説があってまとまらないで20世紀までもつれこんでいるようなところがある。欧州がユダヤ教キリスト教に敵意を抱いた理由は、「身近に在った」からのように思える。それは生活に影響し、欧州人を放っておいてはくれなかった。またイスラムもそう遠いものではなかった。
だが、インド文化やペルシア文化は「他人のもの」で影響もない。そこで牧師の息子のニーチェはゾロアストロスを引っ張り出し、ショーペンはウパニシャッドを有難がった。早い話が「新し物好き」なのでは?あるいは、身近な宗教の圧力に嫌気が差して、「瓦礫」を掴んだか?
最近は、欧州で禅宗が人気を得ているのも同じ風情では?つまり、「科学教」に飽き足りないところを満たすものとして。
人は、何かしら形而上の問題を片付けたいものなのだろう。いずれまた何かを引っ張ってくるだろうが、その最後にはたいへんなものを掴むのだろう。


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イラン神話はヒンズーの諸神と共通するものがある。
アフラ・マズダはアシュラと同定され、ミトラはヴァルナと共にインドに於けるアスラ族諸神の代表格である。
ミタンニ・ヒッタイトの国家間条約文にもヴァルナとミトラの名が記されているがこれは非常に古い(前14C?)、また地域が異なるところが驚異的。
リグ・ヴェータでは、始原神の地位をブラフマーに奪われている。(ブラフマーはトリムルティ*の一柱であり、言語の神として四面の姿で描かれることがある)*ほかにヴィシュヌとシバ

イランでは、アフラ・マズダとミトラは太古のアスラ族神で、アーディティア神群に属す。
アスラはアシュラ(阿修羅)として仏教にも含まれ、帝釈天*と戦うところが印象付けられたか、闘争心による六道の一つともされてきた。
興福寺の国宝では三面六臂の姿に作られている。*(ヒッタイトの神インドラと同定される、ゾロアスターでは武神)





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