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2006-11-18 「大島怜也」は天才である。

ぼくは天才です。

などと書いてしまうと、反感を買うか頭がおかしいと思われるかそう思われたうえでエンターテイメントとして消費されるか、まあそのいずれかになると思う。それでもあえて「そうする」のは、こんなこと言っちゃうとまたバカにされるかとは思いますが、ひとびとを近い将来におどろかせ十年後にはおそれいらせ百年後には戦慄させるためです。



「大島怜也は、まだなんの社会的評価も得ていないそのときにあって、それでも自分が歴史に名を残す巨大な才能の持ち主であることをかたくなに信じ、そしてそのことを誰にはばかることなく本名をさらし顔をさらし不特定多数の人間にむけて公言していた」



……さっそくひいてるかんじですか? まあいいです、どしどしひいてください。


で、なぜそんなことをする必要があるか。それはぼくが「正当な評価をうけずに苦しんだすばらしい表現者を何人も知っていて、そのひとたちに痛みをあたえたこの世界をどうしても許すことができないから」です。


たとえばぼくのいちばん好きなまんがは打ち切りになりました。たとえば藤子Fさんは『ドラえもん』に比して『SF短編』や『エスパー魔美』の人気が低いことを娘さんになげいていたそうです(また、新宿のとあるまんが書店では、氏のSF短編集が初版のまま三年間売れ残っていたそうです。平積みされていたのにもかかわらず)。たとえばムーンライダーズの鈴木慶一さんは「なんでムーンライダーズにはヒット曲がないのだろう?」といったような発言をたびたびしています。その他にも世間に認められず失意のまま死んでいった芸術家、「スポンサー」という名で呼ばれるたかだか商人ふぜいの人間にあれやこれや制約をつけられ思うように創作できなかった映画監督、そういったひとたちはいままでに星の数ほど存在したし、いまでもやはり掃いて捨てるほどいるのです。


生前に一枚しか絵が売れなかったゴッホについて語るとき、「天才はいつの世も理解されにくい」などという人がいる。



ちげえだろ。

おまえらがいつの世も馬鹿だっただけだろ。



なんで先人たちがおかしてきた愚を、自分はおかしてないなんて思ってるんだ?

やってるよ? いまでもきみたちは。

くだらない本を読みくだらない映画を観、しょうもない音楽を聴きしょうもない連中に熱狂している。

すばらしいまんがも小説も読まず、すばらしい映画もドラマもアニメも観ず、すばらしい音楽も聴かず、

そういうものを生みだせるすばらしい表現者を正当に評価せず。


そしてまた。


ぼくもきっと正しく評価されることはないだろう。

だってそんなすぐれたものさしを、みんながもってるんなら最初からこんなことになってない。

だから「充分な見返り」、そんなものはどれだけ血を流し骨を削り肉をほじくりかえしたって「絶対に」得られない。

それでも。それでも、だ。

それでも、この世界の色をたとえほんのわずかでも塗りかえることのできる可能性があるならば、

ぼくは書きたいし書かなきゃ「いけない」と思う。

だってこんなにしょーもないことをグチグチ細かく思い悩んだり

いろんなつまんないことをいちいち気にして傷ついたりする子どもっぽい性質、

だけどそれを「作品」として昇華させることのできる圧倒的美意識と思いこみの激しさ、

そういったものをすべて同時にこれほどの高次元で有している人間は、

この世界にぼくをおいてほかにいないのだから。


そしてこのまえの火曜日。


2006年の11月14日午前8時51分、ぼくはその小説を書きあげた。

「この作品がきっと自分の人生を変えてくれるはずだ」

春の夜と秋の夜、そう祈るように呪うようにとなえながら書きつづけた物語。

終わりまでいったそのときにはじめて、「彼ら」がようやく生まれた気がした。

そしてそのとたん、すこしだけ彼らはぼくにとって「他人」になった。

他人になった彼らの物語を、ぼくは最初から読みかえした。

もちろん完璧に客観的に見れてるなんてあほなことゆわない。

でも、それを承知のうえで言うけど、ぼくはやっぱり彼と彼女が好きだった。

そしてその文章を生みだすことのできたかつての自分を、いまはもう他人としていとおしく思った。

「これを売らなくってどうする」そうあらためて強く思った。

だからぼくはいま、その作品を出版するために、また出版後より多くの人間に読んでもらうために、

力をつくしている(この日記はそのための手段でもあるのです)。


ああ。たのしみだ。

ああ。ものすごくこわいけどものすごくたのしみだ。

世界は「それ」を、みんなは「彼ら」を、どのように受けいれどのように拒むのか。


はやく知りたいな。

この音はそこでどう響くのだろう?

十四歳の「彼」は、二十歳の「彼女」は、おおしまれいやのことばは、「それがきみならいいのに」は。


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