"喫煙、アディクト、オタク " ;煙草はケムくてオタクはキモイ

http://d.hatena.ne.jp/Projectitoh/20051008#p2

つまり、禁煙に対する嫌悪は、昨今の健康指向ゆえと言われてはいるけれど、実のところ、アディクトしている人間を見て感じる醜悪さへの嫌悪という部分もあるんじゃないだろうか。

そこで思うのが、オタクだ。毎年、夏コミの帰り、ロリキャラの紙袋を下げた人間を見て、東京湾花火大会にいく人間たちは嫌悪をあらわにする。アニメのTシャツを来たデブオタ。いわゆる「アキバ君」の格好。あれもまた、その人間が(周囲を無視して)アディクトしていることを身体で表象していることからくる醜さなんじゃないか。自室にエロゲのポスターが貼ってあろうが誰も気にしない(人の部屋など見ないから)。しかし、オタクがそれと分かる形でパブリックなスペースに出ていくとき、状況は一変する。それは、自室から外に持ち出されたアディクトしている身体だ。オタクの服装とは、究極的には外に延長された自室である。「趣都の誕生」はアキバを「巨大な個室と化した」と語ったが、オタクの服装や持ち物はそれ自体が外延された自室であり、そのオタクの自室は生活空間という機能以上に、ある(人目をはばかるはずの)メディアに中毒するための空間という意味合いが強い。つまり、オタクの服装、体形、ノートパソコン、リュックなどの装備とは、外に持ち出された中毒空間の表象なのだ。

 物理力を作用させる第一種嫌悪と、作用させない第二種嫌悪(いま考えた)を区別しないと、「煙草ケムイよやめてくれ」「おまえだってキモイから出てげ」という争いに堕ちるだけな気がするのだが。
 別に、自分はアディクトをやめてくれとは言わないが、公共空間での喫煙、少なくとも公共空間では「分煙」「分煙っぽい」*1「喫煙」の表示は義務付けて欲しいし、それは法律の裏づけが必要なので、反・反嫌煙の立場に立っている。
 反・嫌煙に必要なのは、ケムさへの救済措置を「ケムい側が実行するべきか」「煙草を吸う側が実行すべきか」という議論への回答だ。ここから先は、反・嫌煙論者の回答を楽しみにしている。ワクワクテカテカ

 えー、関係ないが、文化といえば刃物、がある。刃物は文化で、人を殺せるし、林檎も剥ける。ある程度、刃物のステイタスについては規定があり、要するにお家で使ってもいいけど、公共の場所で振り回すとダメだよ、となっている。「刃物が無くなれば、刺されて死ぬ人はいなくなる」なんていう人はいないし*2、だからといって二本差は日本の文化だ、なんていう人もいない。200年位前は普通だったんだけど。勿論、交通事故死や自殺の方が多いから、ポン刀なんてたいしたこと無いだろう、なんて数式を駆使して説明する人も見たことは無い。

*1:今、公共っぽい施設では、分煙が当たり前だと思ってショッピングモールの昼間のレストランに入ったら、喫煙だったので驚いたことがある。また、禁煙席に煙がこない分煙と、その措置が行われていない「分煙っぽい」施設は分けて欲しいものだ。

*2:浅沼書記長のころはいたらしい