差別のお話

http://blog.livedoor.jp/mumur/archives/50658023.html
 出生なんかにまつわる差別があり、その解消のために、コミュニティーのインフラ(妙な表現だけど)から整備しよう、というのは間違っていない政策だと思う。で、「善人」はやっぱり縮こまり、悪辣なのはその投入されたリソースを懐にいれちゃう、と。下部構造のボスは、下部構造の為に働かず、ただ自らの為に働く、というのはいくらでもある話なんだけどね。
 しかし奈良県か。


大阪はこちら
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061020-00000017-san-soci

昔はリンクするのも大変だった、という話

http://rikuo.g.hatena.ne.jp/rikuo/20061018/p2006101801

こちらはハッキリ言ってよく分からない概念。

リンクするのが自由なのがリンクフリー宣言なら、勝手に外すのも自由なのがアンリンクフリー宣言……らしい。別にこの宣言がなくなたって、好きなように外せばいいじゃない、と思うのだが。

 リンクが、いまのBlogで、相手のエントリー*1に言及するときに、リンクを貼る、とういう意味とはちょっと違い、リンクページ(昔は必ずあった…かな)にURLを記載することで、同盟というか連帯を表現するリンク、の場合、貼る前に連絡、そして、外す前には連絡。リンクは、そう、有効の表現なので、お互いに表玄関たるトップページに貼るのがここでのたしなみ。リンク画像のインフレーム表示なんてあろうはずがない。
 で、そういうのが不思議な人が、連絡がウザイのでリンクフリー/アンリンクフリー、という表示をつけた、と。

*1:記事、というのが適当という説も http://blog.ohkenny.jp/article.php?id=163

効率化すると、人の仕事が減る筈なのに、なんで社会って成り立つんでしょうか

http://q.hatena.ne.jp/1161183292

学力は中学生レベルで、経済とか全然わからないものです。

最近、よく世の中便利で効率的になったなーと思います。
で、ふと思ったんです。

効率的な世の中になればなるほど、人の仕事って減るんじゃないかなーって。
どんどん効率的になって、どんどん人間の仕事が減るはずですよね?

ね?

でも、なんで社会って成り立つんでしょうか。

 十分に資源があれば、少ない人員で多くの人間の食料を供給することが可能になる。
 十分に構成員が理性的なら、それを適切に分配して、生きることが可能で、別にそれはそれで社会は成り立つ。
 そうでないと、一部特権階級が生産物を独占し、多数の無産階級は不満を抱く。内乱状態になるかもしれないけど、それはそれでそういう社会が成り立つし、不満分子を自動小銃で押さえ込む、という社会もある。すぐ傍にある。
 生産物の分配を、福祉という形で実施し、無産階級のお腹が一杯になっても、生産から疎外された人間は、社会から疎外されるという感覚を持ち、心理的な意味での「社会の危機」が生じる。需要を増やすには、「効率的でない社会を持つ土地」に製品を売り込めばいい。そのようにして無産階級に仕事を与え、また、生産から疎外されたアイデンティティーの危機は、ナショナリズムで吸収する。こうやっても社会が成り立つ。
 それでも、分配に問題ができ、供給過剰で在庫が増え、他国との競争で、生産物の市場を独占できなくなったときに、戦争を始めるという手法もある。こうやって成り立つ国家があったし、そのへんにあるらしい。
 もちろん、敗戦、になると、復興需要で社会は成り立つ。
 近くの国で戦争がおこっても、効率化した生産手段をフル回転させることができるので、社会が成り立つ。


 …っていうか、需要と供給の均衡したところが、社会なんじゃないかな。著しく乖離し破綻すると、マシな社会に取って変わられ、なにかしら社会がなりたつ、と。


もし、パン職人が工夫して、おいしいパンを作ることでパン職人が減らないということなら。

昔から日本の米農家の人口って減らないはずですよね。

 仮定が偽なら、結論も偽である例。論理的には正しいのかもしれないけど無意味な文。本気ならパンツ見せろ、くらいに意味はあるか。


http://www.kanbou.maff.go.jp/www/jikyu/report15/h15text2_1.pdf

表2 畜産物・油脂1kgを生産するために必要な穀物等の量(試算)
牛 肉 :11kg
豚 肉 :7kg
鶏 肉 :4kg
鶏 卵 :3kg
大豆油 :5kg
なたね油 :2kg

おまけ。

物語の物語の物語

 見知らぬ二人が結婚し、子を作り、家族を構成するに至るプロセスは、細かく見ると、他人という状態から恋愛状態に遷移し、恋愛状態から家族という状態へと遷移する。他人の認知から、恋愛状態への遷移には、外観、親しみやすさ、という、短期的に評価しやすい要件が重視され、恋愛状態から家族という状態へ遷移する場合、所得、職業、双方の家族構成など、外的な、長期評価が向く要件が重視される。
 家族という状態が重視されず、また、他人から家族へ直接遷移すること*1が減っているため、相対的に、外観や会話の上手さ、という要件の重要性があがっている。

 …みたいなベタな話じゃないのね。

*1:この場合、やはり所得や職業が重視される