一部の人向きにらぶドルの画像をGIFアニメ化

http://grev.g.hatena.ne.jp/REV/20070113/LoveDol
(リンク先のページで、IMG SRCタグで表示しています)


アキバBlog*1で紹介されていた、らぶドルの画像を
GIFに変換して、Giam*2でつなげました。
加工はしていないので、1.3MBあります。


ちょっとトリミングしたので800KBくらい。

参考
http://grev.g.hatena.ne.jp/REV/20070108/p1

WCEとか

 国内の総生産と、労働分配率の問題かと思われる。
 総生産×分配率が、労働者の手元に入り、それがプラスになれば大まかには良い政策、マイナスになれば悪い政策だと思う。
 これはマクロな話で、一定以上の労働時間は健康に悪いし、一定以下の収入は、健康で文化的な生活を維持できないので困る。


 …「20人のうち、1人を『犠牲』にすることで、20人の利得を最大化できる施策と、誰も『犠牲』にせず、20人がそこそこの利得を得る施策と、どっちをどるべきか」…
 これは、通常後者だ。『犠牲』を容認すると、次は19人の中で『犠牲』になる人間は誰か、という議論になり、士気が下がるからだ。ただ、実際は、「究極の選択」遊びのように、選択肢は固定化していない。経済的に不利な人間を出すことで、全体の利益が増すなら、得た利益を分配することで、ある程度犠牲の補償とする。っていうのが、国家の福祉の意義の一つと考えているのだけど。
 自分で生活費を稼ぎ、次代を教育し、穏健保守(か穏健革新)を支持し続ける中流が壊滅すると、軍政と共産主義が交代する中南米のように。

忠告と苦い薬

http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20070113/p3
 たとえ話は、説得元の例え話を、説得先が同意した場合には有効だけど、説得先が例え話の使用に同意しない場合*1、あまり意味はない。時折、相手が同意していない例え話の中での合理性を訴える人がいるけれど、相手の話を聞かないというのは議論に負けない第一歩だ。あ、リンク先の話じゃなくて。


 さて、

 しかし、これが忠告やらカウンセリングやらとなると話が激変する。人は、耳障りの良い忠告や、心地よいカウンセリングならば嬉々として飛びつくが、ちょっとでも苦みや痛みが伴うとこれを遠ざける。過度の砂糖が虫歯や糖尿病を悪化させるように、またはビールが痛風を悪化させるが如く、甘言はしばしば人にとって有害である。逆に厳しい一言・受け容れ難い忠告が問題解決に最短距離であったりする。もし、苦い抗生物質や痛い注射を受け容れる程度に理性的ならば、苦い忠告や息苦しい診療面接も受け容れられるものと思いたくなるが、どうも話はそんなに簡単では無いようだ。

あのコメントの意図は、「苦い薬を忠告に置き換えるのはちょっと喩えが極端すぎるかなあと思った」というところですね。
コメントにも書きましたが、自分が直面しなければならないものとその苦痛の持続時間が違うので(痛みがない疾患に苦い薬を飲むケースを考えても)、やはり違う話になってしまっているような気がします。

 服薬は受け入れても、運動とか食生活の改変とか禁煙とかは受け入れない人が多そうなのだけど。
 薬剤とか、TVCMに出てくる健康グッズ、CMとCMの間に流れる健康によい食品は嬉々と買いにいくのに、明らかに体に悪い過剰な脂肪やエネルギー、ニコチン、エチルアルコールは喜んで摂取して、それを指摘されると「美しい国ウザイ」「食育ウザイ」「自動車の排気ガスの方が悪い」「後ろに目がついていない」「灰皿が置いてあった」「禁酒法が」となる。逆に、健康にあまり影響の無いものが、危険と排斥されることもある。
 ともあれ、比喩の位相に注意。病識の無い人に服薬を続けさせるのは面倒かもしれないよ。


 

*1:そのモデルの採用は同意できない場合

プロとアマ

http://anond.hatelabo.jp/20070113140329

日々の研鑽は、別にプロ/アマチュアに関係ない気がする。研鑽について言えば、プロとアマの差は「研鑽の結果、誰を満足させなければならないのか?」に尽きると思う。


プロは自分に対する他者からの要求に応えるため、また要求される状態を維持するために研鑽を必要とする。


マチュアの場合、研鑽は基本的に自意識を満たすことが主要な目的である。仕事ではないので、必ずしも誰かを満足させる必要はない。

 プロとアマの定義によるかなぁ、という感じ。

 で、能力には、Skillとか、Carrier、flavorやstyleなどがあって、メタスキルとしてself management能力があるかな。こういうのが加算されて、評価されるわけ。テレビ見たいから納期を延ばす、眠いから品質下げる、というのはself management能力に欠ける為、狭い意味で「プロ」っぽくない、と呼ばれたりする。一旦、プロになると、CarrierがCarrierを呼び、どんどんCarrierが溜まるので、非プロと差がついていく。
 ただ、芸術の分野のように、flavorやstyleが珍重される分野があり、蓄積や加算ができないflavorやstyleは、育成したり修行したりするより、持っている人間を引っ張ってきた方が手っ取り早いので、そういう分野ではアマチュアが大事にされる。もちろん、self management能力がある芸術家(デザイナーや音楽家)は、求められた仕事以外でも、別の分野に手を出したり、異業種と交流したりして、新しいflavorやstyleを身に着けようとする、こともありそうだ。

観測できず、記録できないものに意味は無い

http://d.hatena.ne.jp/ROYGB/20070112#1168608253
という話じゃないだろうか。
で、観測が客体に与える影響については周知の事実。


で、確率的な事象については、統計学・疫学という手法があるので、「死んだという記録が無いので、死亡はなかった」という論理を心配する必要は無いと思う。


 誰もみていなくて、記録機械が動いていないとき、100m世界記録を出せたよ!みたいな話なのか。遅くても、下手でも、それなりに一生懸命ならスポーツと認めてくれるけど、こういう人は

らくえん、の売り上げ

発売は、20040625
http://erogamescape.dyndns.org/~ap2/ero/toukei_kaiseki/game.php?game=3704


2004年6月後半の売り上げポイントに、らくえん、の記載はない。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/computer/15097/1098155368/30
ちなみに、15位が5,033ポイント。