REVの日記 @はてな このページをアンテナに追加 RSSフィード

2007-01-14-Sun

[]エロゲではヒット作の次回作の売り上げが伸びるけれど、ラノベの場合はそういう話をまず聞かない

▽ そいえば、エロゲなんかだと、評価の高い作品があった場合、その作品はともかく、次回作の売上が伸びる、みたいな話があるけれど、ライトノベルではそういう話をまず聞かないのは、どうしてなんだろう? 出版社側が作家のブランド戦略を意識してないせい? それとも読者のリテラシーが低いため?


▽ いや、売上がいい=評価が高い証拠、という人がいるけれど、購入したあとに読むという時系列の関係上、特に発売直後の初速に売上が集中するオタクコンテンツの場合は、売上がいい=パッケージの魅力&広告&過去作品の評価、というのが正解だと思うのだけど、ライトノベルの場合は、売上への寄与の多くがイラストを中心にしたパッケージの魅力に依存するのはなんでだろ、と思ったり思わなかったり。

http://www2e.biglobe.ne.jp/~ichise/TODAY/2007_01.HTM#d11_2


後半が正解だと私も思います。


なんていうか、同じ作者の、絵師が違う別シリーズは、同じブランドの違う絵師の作品、みたいな受け止められかたなんじゃないかな。

『涼宮ハルヒの憂鬱』 谷川流/作、いとうのいぢ/絵

が大人気でも、

『ボクのセカイをまもるヒト』 谷川流/作、織澤あきふみ/絵

は目だった売り上げを見せていない*1

のは、

『ぴすぴす』『ななついろ』 ユニゾンシフト いとうのいぢ/原画 

がヒットしても、それらの後に発売された

『 WAGA魔々かぷりちお』『おしえてRe:メイド』 ユニゾンシフト  織澤あきふみ/原画

はそれほどでもない、ようなものかも。


思考実験として、例えば、電撃内紛が起こり、

  • 高橋弥七郎が書くけれど、イラストが、いとうのいぢではない(もしくはイラストのない)シャナ
  • イラストが、いとうのいぢだけど、執筆者が違うシャナ(アニメ第二期とからめて)

と、二つに分裂したら、私は後者についていっちゃいそう。


 ○○○/作、いとうのいぢ/絵 原案/高橋弥七郎


 でもいいや。こうやってタイプしていると、シャナの作者の名前を覚えていないことに気づいたり。876までは思い出せたんだけど、結局シャナでサーチして、検索でコピペ。そういえば、ポリ黒も絵師がBUNBUNとしか覚えていないし、Addも、絵師が椋本夏夜としか覚えていないし、イチゴ色禁区もイラストが狼と香辛料の人、としか覚えていないや。


 で。○○○が鈴木鈴だったりすると、最後に三柱臣(トリニティ)とかフレームへイズとか悠二もシャナも全部退場して、トーチになった吉田一美が途方に暮れる、みたいなラストになって面白いかも。


追記

となると、ラノベにおける「絵」が占める役割はどの辺りにあるのかな?

 文意はちゃんとわかるんだけど、『「あなたにとって」ラノベにおける「絵」が占める役割はどの辺りにあるのかな?』と、言葉を補っておくと、余計な誤解を避けることができるかもよ。

 ちょっとアレな言い方でいうと、立ち絵+シナリオ、みたいな感じかな。脳内キャッシュが足りないと、本文を読みながら表紙裏の人物紹介とか、イラストを読んで、必死に立ち絵をロードするの。

 ここで、「対人認知能力に欠けた俺の問題」「文章で人物を描きわけられない作者の文才の問題」とか持ち出してもいいけどやめておく*2

 

*1:ランキングなんかで目立っていない

*2:文学とか、芸術って他者性を求める作業ではないか。人間は、他者を鏡として、はじめて自分をBindすることができる。UnBindしたままで悪いことは無いけど。で、本質的には有機物の有限集合である「他人」の言動のなかから、「他者」を抽出する作業が、アレのソレなんじゃないか。一方、「他者」たるキャラクターを、既に出来上がった形で与えるのが、キャラクターコンテンツではないか。勿論、ユーザーにとって、前者が後者より「他者」の摂取に有益とは限らないし、「他者」との接触による自己のBindingが善か悪か、というのは、また別の問題。と、そんな風味。