2012-05-26
独り
さて。
不死鳥先生の作品の登録が解除された一週間前から、何度も
「自分の今の気持ち事をブログに書いて整理しよう」と思ったけど、
マイナスの感情を反芻してばかりで絶望的に考えがまとまらなかった。
下の記事を書いてリハビリしたら、やっと少しまともに近づけた気がする。
今週は、帰宅して毎日絶クレQを開いては消えてない事に安心し、
またいつか消えてしまうのでは無いか、と考え怯えていた。そして、
それまで抑え込んでいた(抑え込めていたか、と問われれば答えに窮するけど)
「失う事」の不安と恐怖がどんどん大きくなっていった。
大切な人が居なくなる事を考えると、体に針を打ち込まれたように感じ、
全身が重くなり、手と心臓が冷え、鼓動が速くなり、胸が痛み熱をもつ。
いっつもこうだ。毎日毎日、よく飽きないな。
そんな想いに捕らわれてばかりいては駄目だと思うのに。
独りだった時は知らなかった感覚。もう知る前に戻る事はできない。
だから自分を変えなくちゃいけない。独りでも平気にならないと。
どうすれば平気になれるのか。自分を完全に否定できれば良いのか。
自分が他者と関わる事を完全に諦める事ができれば・・・。
自分の感情が間違っていると認識させる事ができれば・・・。
でもそれはかなり難しくて苦しい。思い込めない。
どうすれば良いのかさっぱりわからない。できないよ。
駄目だ、また侵食が始まった。
百合作品について
今週のできごと。
イズミノミツバ先生の「天才百合ビアン」が二回目の完結を迎え、
最初から読み返していたら死にそうになった。とても良かった。
短編作品も読み返して、終わった頃にはすっかりファンになっていた。
てんゆりは初回から読んでいたけど、当時はそこまで惹かれなかったな。
まぁそれでも面白かったし、毎回楽しみにしていたけれど。
短編だと「異文化百合ニケーション」は物足りなく感じて、
「ゆず100%」「最も短い30秒」は結構好き。
一番好きなのは「プラスさんとマイナスさん」・・・と言うと
共感してるのか、なんて突っ込まれそうですが。
キャラで好きなのはてんゆりの文子とあかね。
連載作品だと短編よりも長い間キャラを見守る事になるから
愛着を持ちやすい、という理由からかな。
自分の場合、好きになる要素はキャラクター性よりも関係性のようだ。
可愛い女性キャラがほのぼのと過ごしているのも悪くないけど、
百合作品の良さは「萌え」では無いよな。
人を好きになる事とか、後ろめたさとか、葛藤などを
登場人物がいっぱい感じて、考える所が好きなんだと思う。
僕もマウスの百合漫画でそういうモノを描きたかった・・・。
まぁ、もう良いのだ。
相変わらずつまらない感想しか書けないな。
それに百合作品に詳しくない僕が語っちゃうのは変だね。
新都社に来るまでは「百合」って言葉も
それを題材にした作品がある事も知らなかったな。
どうやらネット上には愛好者が多いようで。すごい世界だ。
百合といえば、去年「僕らのこみぽ!」のFAを描いた時に
つばき先生と主任から「艶っぽい」と仰っていただけて嬉しかったな。
つばき先生といえば、「涙雨」の椎森さんと理衣子との間にあったモノは
・・・と、これは長くなる。今はまだ・・・。
イズミノミツバ先生の次回作を読めたら良いな、といった所で終わり。
2012-05-19
消さないと言ったのに
不死鳥先生が新都社から全作品を削除した事について。
作業をしたのは頼まれた他の誰かかもしれないけど。
自サイトが残っているのは単にスマホから削除できなかったからかな。
削除する事にどんな意味があるのか。死ぬ前に消したとかじゃないよね。
現実に集中する為とか頑張る為みたいな前向きな意識は感じられない。
Twitterを消さない意味もわからない。改名した時の事が思い出される。
大学院に電話して生きてらっしゃる事がわかってからもずっと心配だった。
月曜日になったらまた電話しようかとも考えていた。
絶クレから離れる努力もしたし、不死鳥先生の事も昔ほど好きじゃないし、
他に考えなくちゃいけない事があるから心配しないでいたいのに。
不死鳥先生が生きてるとか戻ってきた時の事を考えられる人は何なの?
どうすれば信じられるんだろう。
不死鳥先生が作品を描かれる事が無くても良いと思っていた。
どこかで元気で生きていてくださればそれで十分だと思っていた。
でも、消すのは悲しいよ。保存していれば良いって問題じゃない。
作品や描いた事を否定しているように見える。そんなの寂しい。
Qのコメント欄を開いてIDが存在しないと表示された時、
バグだと思って編集部の運用スレに報告しに行こうと思った。
「なつみSTEPの元彼アドベンチャー」(パスワードを忘れたのだろう)
以外の全てが解除されている事を知り、それがバグじゃないと気づいた。
ショックと不安と焦燥で胸が痛くて苦しくなった。今も辛い。
今まで絶クレに関わった時間、作品を読んだりFAを描いたり
スレで会話したりオン会をしたりTwitterで感想言ったり・・・
全ての行いが間違っていて、不死鳥先生に迷惑をかけたり
苦しめていたんじゃないかと思った。
そんな事は無いかもしれない。削除された理由はわからないのだから。
そう思いたいけど、無理。不死鳥先生は何も言わないし、
僕はずっと自分の存在が他人のウェイトになっていると思ってきたから・・・。
(実際にこういう事を書いていると重荷になるだろうな、と思う)
その後は大切な人がいずれみんな居なくなる、と思って怖かった。
だからといって動けなくなったら駄目だ、強くならなきゃって思うのに、
もう不安でたまらない。成長していない自分にも失望した。
何かを失う度にこういう思いをしなくてはいけないのか。
「そうまでして生きていく理由が無いから今のうちに死んだ方が良い」
といつも思っていたから、早く死ななくちゃいけないとも思った。
そうすれば傷つかなくて済むし、誰も傷つけずに済む。
でもそれも怖い。自分から行動を起こせない。何もできない・・・。
依存だ。嫌になる。疲れた。
今日はお昼に病院から帰ってきてから何をしていたかほとんど記憶に無い。
「早く夜になれ」と思っていたけど、結果を考えるとそういうのも無意味。
僕は何度同じ事を繰り返せば気が済むのだろう?
2012-05-16
昔シリーズ3.5
それほど昔の事では無いのだけれど。
2年前、ティッシュ先生の絶クレ集合FAを見た時は物凄い衝撃を受けた。
絵の素晴らしさ、絶クレが完結した事をみんなで祝福できた事、
暖かくて、本当に本当に嬉しくて幸せだった。
ココロの中から色々な想いが湧き上がってきて、少し泣いた。
その時僕も完結記念にイザヤとテレーゼのFAを描いていたのだけど、
「自分の絵は何てちっぽけでつまらないんだろう・・・」とがっかりして、
同時に「もっと頑張って上手くならなくちゃ・・・!」と決心した。
金曜日だった事もあり、その日は勢いに任せ明け方までFAを描いていた。
3、4時頃だっただろうか。休憩してQを読み返したり
不死鳥先生のツイートを見たりしていた時に、
ふと、自分もTwitterに登録しようという気持ちになった。
「いつか絵が上手くなったら、漫画を描いて新都社作家になって
不死鳥先生をフォローさせてもらおう!」などと考えていたんだと思う。
わくわくしながら登録画面を開いて、いきなり困った。
アカウント名・・・。名無しのままでは居られないのだ。
「作者になったらこんなペンネームにしたい」という候補はあったけど、
ありきたりな名前だったのですでに使用されていたし、
登録の為に数字を付け加えるのも不格好だしな、と躊躇した。
やっぱりやめようか、でも何か無いかなーと考えていたら、
ちょうど読み返していたQ五話に登場するテレ子の識別番号が気になった。
「テレ子が好きな僕にはちょうど良いかも。今はとりあえずこの名前を借り、
彼女のようにいつか自分で自分に名前をつけて、その時変更しよう」
そして僕は『RM307』になった。2010年5月15日の話。
もし2年前に戻れたら全力で止めたい。
2012-05-12
そうだ、散骨にしよう
6日の記事のタイトルはどういう意味だ。
「君と世界の戦いでは〜」の事を考えていたからだろうけど。
記事の内容も意味不明。いつも通りではあるけど、やっぱりヘンかな。
そういえば、以前僕のTwitterのつぶやきを見た人から
「メンヘラのポエムみたい」と言われた事があったけど、
ブログもそんな感じ・・・なのだろうな。
毎日自分を否定してばかりいるメンヘラです黒星。
今週は仕事もだけど、そういう面でも本当にキツかった。
でも、自分を許したり認めてあげたりしちゃ駄目だと思うから。
今朝病院へ行く途中、トレーラーに轢かれる事が可能なタイミングがあった。
その時は「あのまま自転車を走らせていたら巻き込まれていたな」
程度にしか思わなかったけど、今考えると惜しかったかも、なんて。
もしそうなっていたら不注意による事故として処理されたのだろうか。
現実の人々は僕が死んだ事実を知る事はできても、理由はわからない。
ネットではその逆になるのかな。面白い。
中学生の頃、自分が死んだら海に散骨してもらおうと決めた。
お墓、特に父親の家系のそれには絶対に入りたくなかったから。
それに海を見ればいつでもお墓参りができるって楽チンだし、
周りに生き物がいっぱい居るから寂しく無い。
素晴らしい。良い事尽くめじゃないか・・・!
(条例で禁止にしている自治体もあるようだけど)
あと死んでからも体が囚われ続けて欲しくないという気持ちもあった。
まぁ肉体なんて容れ物にすぎないから、どうなろうと意味は無いのだけど。
自分の体は大嫌いだしね・・・。非力で弱々しく、あちこちが痛むし、
いっつも強張っていて、美しさや秀でた所が何も無い。
健康で長生きしたくないから、という理由でぞんざいに扱う事も多かった。
けど・・・それでも二十年近くずっと働いてくれたのだから、
最期くらいは解放させてあげるべきだとも思った。
気持ち悪くてナルシーな感じかもだけど、しょうが無いね。
少し調べてみると、まさに「ここに撒いて欲しい!」と願っていた場所で
散骨を行ってくれる業者さんがあった。費用も安い。
最初に骨を細かく砕いて粉末状にするらしい。それを知った時、
すぐに「食べる」という行為が思い浮かんで不思議だったけど、
以前読んだ小説の影響だとわかって何だか可笑しかった。
甘いのかなぁ・・・骨って。確かめてもらいたい気持ちが無い訳では無い。
咀嚼して、その音が頭に響く様を想像する。おっと、話が逸れた。
他の人との合同散骨やペットと一緒に散骨を行うサービスもあるらしい。
「散骨クルーズ」って言葉だけだと何か楽しそうなんだけど・・・w
献花は要らないな、花が可哀そうだ。一番安くてシンプルなので良い。
問題は家族が納得して実行するかどうか・・・。
こればっかりは死者にはどうする事もできない。
という事で、なかなか良さそうです、散骨。
もし僕が死んだ時には海を見て思い出してもらえたら良いな・・・。
もちろん、これは事故に遭った時など、「もしも」「万が一」の話です。
死ぬ死ぬ詐欺師だから、自分を殺しちゃうような事はしないよ、きっと。
それだけです。
2012-05-06
世界と君との温度差
感謝の気持ちや好きという感情がどんどんどんどん溢れてくるもんだから、
時々、自分が特別な感性を持った存在のように錯角する事がある。
唯一無二の・・・とか、選ばれた・・・というような、
他人には無いモノがあるといった種類の『特別』では無くて。
「そういう気持ちを持ったまま誰かの為に何かをしてあげられるかも」
「大きな事は成せないけど、確かな事を大切にして生きていけるかも」
みたいな・・・上手く言えないけど、そんな可能性のようなモノが
自分の中に存在していて欲しい、という願望があるのかも・・・。
とにかくすごく恥ずかしいね。これも中二病の症状の一つなのかな。
もちろん特別な訳が無いというのは自分が一番わかっているから、
すぐに打ち消せるけど。
僕のスイッチは壊れてしまっているのかもしれない。
あるいは頭がどうかしてしまっているんだ。
こんなにたくさんのモノ、一体どこからやってくるんだろう?
正直辛いよ。重い。暖かくて泣いてしまう。悲しい。
僕にどうしろって言うんだよ。
受け止める器が、つまり自分がすごく汚いから、
綺麗な感情も汚れてしまっているんじゃないかって不安になる。
もう遅いのかもしれない。汚れたモノなんて、誰にも渡せないよ。
またこんな時間まで起きている・・・。
明日からまた仕事が始まるし、リズムを戻さないといけないのにな。
現実に向けて気持ちを切り替えなくてはいけないのにな。
それができるスイッチもあれば良いのにな。
