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2017-01-24

無罪と有罪と罰金 無罪と有罪と罰金を含むブックマーク

同じ事件の裁判結果の報道で、タイトルが分かれていたのが面白いと思いました。


まず朝日新聞が一部をつけてはいるものの無罪

「裸の女児CG作者、一部無罪 「児童ポルノ控訴審朝日新聞デジタルhttp://www.asahi.com/articles/ASK1R6454K1RUTIL05M.html


NHKは有罪

「「写真参考のCGでも児童ポルノ」2審も有罪判決 | NHKニュースhttp://www3.nhk.or.jp/news/html/20170124/k10010850951000.html



産経と時事は罰金


「CG児童ポルノ制作・販売デザイナー罰金30万円のみの判決 東京高裁執行猶予の1審判決破棄 - 産経ニュース」 http://www.sankei.com/affairs/news/170124/afr1701240024-n1.html


「裸体CG作成、二審は罰金30万円=児童ポルノ禁止法違反−東京高裁時事ドットコムhttp://www.jiji.com/jc/article?k=2017012400053&g=soc


判決としては地裁懲役1年で執行猶予3年と罰金30万円から懲役が無くなって罰金だけになったわけですが、それを朝日は一部無罪と報じて、NHKは有罪とタイトルに持ってきています。なんとなく朝日は被告側で、NHKは検察側の立場でタイトルを考えたのかなという気がします。

産経と時事は中立的というか、高裁判決結果である罰金をタイトルに使っています。産経罰金30万円のみと、のみをつけていて、これは地裁では懲役があったことをふまえているのでしょう。

朝日新聞の一部無罪は、“被告の二つのCG集のうち、児童ポルノにあたるとされた画像を含まないCG集の提供も一審は有罪としていたが、その点は高裁は無罪と判断した。”というのをふまえているのかもしれません。

この無罪と判断した物に関してはNHKの記事中でもふれています。産経と時事の記事には書かれていません。

通りすがり通りすがり 2017/02/05 16:13 なぜ朝日は被告側で、NHKは検察側の立場でタイトルを考えたのか気になりますね。

2017-01-03

口と鼻の完全分離化 口と鼻の完全分離化を含むブックマーク

食べた物がのどに詰まって息が出来なくなるのは人体の欠陥の一つで、口と鼻で機能を分ければ問題解決になるのではと考えてみました。

現状は口は食道と気管の両方につながっていて、これが餅などが気管につまって死亡する事故の原因なので、口は食道だけにつなげて飲み食い専用にすればいいのではないでしょうか。そうすると鼻は呼吸専用になるわけですが、これは全く問題ないでしょう。鼻が気管と食道につながっている現状でも、鼻から物を食べたりする人は通常はいないからです。


鼻は呼吸専用、口は食事専用に分けられた身体ならば、食べ物がのどに詰まって窒息するといった事故は無くなります。何かを食べながら同時に呼吸することも出来るし、現状よりも便利なのではないでしょうか。

しいて問題点をあげれば、鼻から胃カメラを入れることが出来なくなることや、食事が出来なくなった場合に鼻にチューブを入れて栄養補給するといったことが出来なくなるということは考えられます。


食べるのと同時に呼吸ができるということは、食べながら話すこともできるので食事中の会話も多くなるのではと思ったのですが、この場合は口ではなく鼻で話すことになるのでしょうか。現状は口から息を吐くことに付随して声を出しているのですが、口が食事専用になればこの方法は使えなくなります。すると鼻で話すようになるのですが、現在の声は喉だけでなく口の形や舌の動きなども使っているので鼻では話すことができません。せいぜい鼻歌程度の音が出せるのみです。

そうすると、もし人間の鼻と口が呼吸用と食事用に分かれていたとすると、今のように音声による言語は発達しなかったかもしれません。それとも食道を使って話すことが出来るようになったのでしょうか。


鼻づまりの問題もありました。現状の鼻と口のどちらでも呼吸できる状態ならば、鼻が詰まっても少し不便なだけですが、鼻しか呼吸に使えない状態での鼻づまりは命にかかわります。そうすると、進化の過程で鼻づまりしない人だけが生き残って問題解決するか、それとも現在の餅が喉に詰まって死ぬ人が出るように鼻づまりで死亡する人が毎年でてしまうのか。


こうして考えてみると、口と鼻が呼吸と食事の共用になっているのは案外と考えられた設計と言えるのかもしれません。

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2016-12-08

無理数と分数と極限 無理数と分数と極限を含むブックマーク

√2のような無理数は分数で表すことができません。背理法を使った証明が有名ですが、√2が分数で表せたと仮定すると矛盾が出ることから分数で表せないことを証明しています。

しかし分数の極限を使うと√2をあらわすことが出来るようです。連分数を使った表記は有名ですが、分子と分母が整数の普通の分数で√2に収束する数列を作ることが出来ます。*1

分数で表すことができない√2が、分数の数列の極限で表せるというのは不思議です。そして、分数の数列の極限は分数ではないという、これまた少し不思議なことも導くことができます。これは、√2が分数で表せると仮定すると矛盾する背理法が正しいとするならばそうなります。分数の数列の極限は√2を表すことができるが、それはもう分数ではない。


分数の数列の極限が分数ではないとすると、小数の極限も小数ではないということも言えそうな気がします。つまり、無限小数は小数ではないということです。

小数は分数で表すことができます。0.123は123/1000と表せます。0.333…のような無限小数でさえ1/3というシンプルな分数で表すことができます。

それでは√2のような無理数を小数で表すことができるでしょうか。できるというのが通常の数学の解答で、√2は1.41421356…のような無限小数で表せるとなっています。ではこの無限小数を分数で表すことはできるでしょうか。

これは出来ないとも言えるし、出来るとも言えます。つまり有限の桁数の整数を使った分数では表すことはできないものの、使用する整数の桁数を増やしていった極限の分数を考えれば√2を表すことが出来るというのは先に書いたとおりです。しかし数列の極限としての分数は分数ではないというのも先に書いた通り。

だとすると、同様に無限小数も通常の小数とは別の物として考える必要があるのではないか。少なくとも循環しないタイプの無限小数については別の物とした方が、分数の場合との整合性がとれるのではないでしょうか。

*1:参考:「ルート2を連分数の極限として求めようとしたら行列が出てきた(中編) - しいたげられたしいたけhttp://watto.hatenablog.com/entry/2016/12/04/030000

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2016-12-02

基本的人権は、世界に自分ひとりだった場合でも存在するか 基本的人権は、世界に自分ひとりだった場合でも存在するかを含むブックマーク

基本的人権とは誰もが持っていて奪うことが出来ない権利であり、憲法でも基本的人権は保証されています。

でも、本当にそうでしょうか。

選挙権基本的人権でしょうか。過去には女性には選挙権は無かったし、税金をあまり払っていない男性にもありませんでした。それが今では男女や納税額に関係なく誰でも持っている権利、それが選挙権

しかし現代の日本でも子供には選挙権はありません。選挙権が認められていない子供には基本的人権が無いのでしょうか。

子供にも基本的人権はある、そう考えるならば子供が持っていない選挙権基本的人権ではありません。ある種の権利ではあるものの大人には認められるけれど子供には認められない権利、それが選挙権です。

選挙権が無い民主的な国家というのも考えられます。直接民主制の国ならば選挙の必要は無いので、選挙権もありません。では直接民主制の国の国民には基本的人権は無いのでしょうか。

子供にはない、直接民主制の国の国民にも無い選挙権は、普遍的基本的人権というよりは、間接民主主義の国を維持するための仕組みに近いものではないでしょうか。その仕組みのなかで決まっている範囲では人権と言えるかもしれません。

選挙権のある国でも、日本だと1票の格差が大きいことは違憲だけれども、アメリカ上院のように1票の価値の差がものすごく大きくても問題がない場合もあります。だから1票の価値の平等というのは選挙権よりも狭い範囲で成立する仕組みです。しかしそれが成立する日本においては1票の価値の平等も人権と言えるのではないでしょうか。これらの人権は国という社会の仕組みと関連して存在しているものです。


もっと基本的な例えば生存権ならば、国とは関係なく存在するかもしれません。生きる権利というのは選挙権よりも普遍的で、国が無くなったとしても消えないのではないでしょうか。

でも世界に自分ひとりだけになったら生存権があると言えるのかどうか。自分が出来る範囲で生きていくことはできるでしょうが、病気になったりケガをしたりしても生存権が何とかしてくれるわけではありません。

そうしてみると、権利と言うのはそれに対応してくれる誰かや何かが存在しないと成立しないと考えられるのではないでしょうか。それともそれだけで成立する権利というものもあるのでしょうか。

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2016-10-14

日本はノーベル経済学賞の為に税金をつかうべきか 日本はノーベル経済学賞の為に税金をつかうべきかを含むブックマーク

ノーベル賞に関連して、日本はもっと科学研究に税金を使うべきだ、そうしないとノーベル賞の受賞者も将来いなくなる。といった主張を目にすることがあります。

これはノーベル賞を取ることが日本にとって良いことで、その為に税金を使うことも良いことであるという前提によるものだと推測されます。

でもそうすると経済学にもっと税金を使うべきだともなってしまいそうです。つまり、日本人でノーベル経済学賞を受賞した人はいないので、ノーベル賞受賞の為に優先して税金を使うべきということも自然科学の研究に税金を使うべきだという主張と同じ前提で導き出せたりもします。

これをノーベル文学賞にまで広げるともっと面白いというか変な主張になってしまいそうな気がします。つまり日本がノーベル文学賞をとるために、もっと作家税金を投入するべきだ。みたいな具合です。

文学の場合は、商業作家として成功していない人にいくら税金を使ってもノーベル文学賞には届かないような気もしますが、経済学だとどうなんでしょう。そして自然科学では。