Log of ROYGB

ブックマークのコメント一覧非表示用のタグを使用しています。

2006-10-10

陣取りゲームの多分に直感を含んだ回答 12:47 陣取りゲームの多分に直感を含んだ回答を含むブックマーク

http://www.hyuki.com/d/200610.html#i20061009222222で紹介されている陣取りゲームに関して。


前提

将棋盤(9×9のマス目を持つ盤)を使って二人が陣取りゲームをする。自分の番になったとき、空いているマス目(自分の陣地でも相手の陣地でもないマス目)の中からいくつか選んで「自分の陣地」にすることができる。一度に自分の陣地にできるのは、「1個」か「隣り合った2個」のいずれかである。隣り合った2個は縦の2個でも横の2個でもよい。パスはできない。自分の番になったとき空いているマス目がひとつもなかったら負け。

問題

この陣取りゲームは、以下のうちどれか。

(A)先手必勝 (B)先手必敗 (C)いずれでもない


将棋盤というのが、ある種のミスディレクションになっているような気がします。というかチェス盤の場合はヒントがあるといった方が適切かも。思い出したのが、チェス盤の一部と取り除いたものを、枡を2つくっつけたもので敷き詰めるというパズルを思い出しました。ウィキペヂアの項目「パリティ (パズル)」にある説明を引用します。


ドミノ(正方形が2つつながってできた形)を右上と左下が欠けたチェス盤におくことを考える。

1つのドミノは白マスと黒マス各1マスずつを占めるが、盤面には白マス32個に対して黒マスは30個しかない。よってドミノを敷き詰めるのは不可能である。

日本ではドミノの変わりに部屋に畳を敷く問題に変わることもある。


畳で、http://blog.mf-davinci.com/mori_log/archives/2006/09/post_697.phpに書かれていた「畳の部屋」も連想しました。


とりあえず最初の問題の回答は(A)の先手必勝ではないかと思います。やり方としては、チェス盤のように白黒の市松模様に色を塗り分けたとして、まず多い方の1枚をとります。そうすると残り80枚が白40枚と黒40枚になります。そして、あとは相手が黒を1マスとったら自分も黒を1マス、もし白を1マスなら同じく白を1マス、白と黒の2マスの場合も同じように2マスをとればいいわけです。その時に気をつける点としては黒または白1マスの飛び地を作らないようにすることです。飛び地があると、相手が黒と白の2マスをとった次の手で、白のマスと黒のマスが1つづつはあるものの離れていて同時には取れないことがある可能性があるからです。

そのことから、最初の1手もどこでも多い方の1枚をとればいいとは限らないようです。隅の1枚ならわかりやすいと思います。逆に隅の1つ隣のマスを取った場合は、簡単に相手に飛び地を作られてしまいます。

一般解としては、白黒の市松模様に塗り分けた場合に白と黒が同数なら先手必敗で、先手の最初の手で白黒同数に出来ない場合も同様。それ以外の先手の最初の手で白黒同数に出来る場合は、先手必勝となるような気がします。

しかし、“トーラスの場合も考えましょうか?”というのもミスディレクションで、この発言には少し意地悪な印象を受けました。円筒やトーラスにした場合でも市松模様に不連続な箇所がなければ考え方は同じでかまわないはずだからです。不連続な箇所が出る場合はちょっとわかりません。それも含めてああ言ったのなら脱帽です。あとは、1マスずらして円筒にしたり、ひねってメビウスの輪にちた場合も、また違った結果になるはずです。

陣取りゲームの多分に直感を含んだ回答2 22:26 陣取りゲームの多分に直感を含んだ回答2を含むブックマーク

トラックバック先などを見てみました。真似碁というのは知ってはいましたが思いつきませんでした。しかし、将棋盤を使ったゲームでチェス囲碁が出てくるのは面白いです。

上に書いたやり方だと、先手の最初の手で白黒同数でしかも偶数でないとうまくいきません。しかし、3×5マスの場合でも最初に真ん中の一マスをとって、あとは真ん中を基準にして相手の手と点対称になるようにとっていけば先手必勝です。

しかし、点対称でない盤面の場合はどうしたらいいのかな。簡単に先手必勝とか必敗がわからないような盤面があれば、それを使えばゲームが成り立つのでこれまた面白そうではあります。

望みがかなえば満足か? 17:29 望みがかなえば満足か?を含むブックマーク

http://d.hatena.ne.jp/michiaki/20061009#1160327482の「非モテはほんとにモテたいのか?」に関連した話。

表面上の望みが必ずしも「本当」の望みでないという話はよくありそうです。http://d.hatena.ne.jp/ROYGB/20060601の「宝くじ2」でも少し書きましたが、3つの願いをテーマにした話はたくさんあってほとんどがアンハッピーエンドです。

芥川龍之介の「芋粥」で望みがかなった五位は満足しているようにはとても見えません。


しかし、同時に又、芋粥に飽きたいと云ふ慾望を、唯一人大事に守つてゐた、幸福な彼である。

青空文庫「芋粥」よりhttp://mirror.aozora.gr.jp/cards/000879/files/55_14824.html


あとは「クララ白書」か「アグネス白書」の中で、理想の出会いというか恋愛についての話と、それが実現したけどそんなにいいものではなかったろいうのをだいぶ前に読んだのを覚えています。

眉唾で読むべしとかかれた意見も眉唾で読むべし…(以下省略) 23:27 眉唾で読むべしとかかれた意見も眉唾で読むべし…(以下省略)を含むブックマーク

http://d.hatena.ne.jp/otsune/20061009の人間という動物は「死」に対して本能的に感情を揺さぶられるんだから「死んじゃうんだよ」と書かれた意見は眉唾で読むべし」に関して。


あと「子供が難病で死にますよ(だから死ぬ死ぬ詐欺とか言うな)」であれば「デポジットつまれて順番抜かされて死ぬ現地の子供は?」「そもそも、大勢のヒューマニズムを煽るんなら、その場の解決にしか成らない寄付のゼニ回収じゃなくて、医療の法制度改革に対する圧力に向けさせなきゃ意味なくね? それ法改正されたら寄付金団体の存在意義無くなるからって、わざと伏せて無い?」とか。(ただトリオ・ジャパンに関して言えばTRIO JAPAN 出版物などで移植医療に関する情報発信をしていない訳ではない。ただ募金の前に移植医療についても大勢を考えさせろよ!という本末転倒へのツッコミは入ってしまう)


その場の解決さえ出来なくて何の為の制度改革なんだろうなんてことを思いました。本末転倒の何が「本」で何が「末」なのかについても、人の意見を鵜呑みにしないで自分で考えることが大切だなと感じました。

しかし、例えば交通事故で子供を失った親が、その後交通改革の為に尽力したりするように、ある種の代償行為による救いの効果というものはわからなくもありません。また、望ましい方向への制度改革自体が悪いことではないというのも勿論です。

一見論理的に感じられることが必ずしもそうでないこともあります。たとえば、1人の命と10人の命なら10人の命を救うほうが優先されるというのは論理的に感じられます。だからといって、10人のそのままでは死んでしまう病人を助けるために、健康な人から臓器を取り出して移植することで10人の命を救い、そして1人の死をもたらすことは論理的ではないように思えます。では、1人の死について「その悲惨な死を回避したせいで、他の悲惨な死が起こる事に成らないか?」とカウンターで考えたらどうでしょう。


(10月11日追記)

コメントで指摘のあったよく読み取れないという部分について説明してみます。

>10人のそのままでは死んでしまう病人を助けるために、健康な人から臓器を取り出して移植することで10人の命を救い、そして1人の死をもたらすことは論理的ではないように思えます。

ここで想定している具体的作業を箇条書きにしてみます。

1.健康な人を一人選んで必要な臓器を摘出する。結果としてこの人は死にます。

2.摘出した臓器を10人の病人に移植します。結果として10人は助かります。

単純に人数で考えれば11人の内1人が死に10人が助かる場合と、10人が死に1人が助かる場合では、10人が助かる方が望ましいとするのが論理的です。これはなるべく多くの人の命を救うことが望ましいとする前提から導きだすことが出来ます。

ただ、上に書いた方法で1人を殺して10人が助かるとしても、それは論理的とはいえないのではないか。ということです。

主な目的としては、「その悲惨な死を回避したせいで、他の悲惨な死が起こる事に成らないか?」とカウンターで考えることを鵜呑みにした人に対する極端な反例を提示することです。


しかし、これが10人の人がいてその全員に行き渡る十分な食料があって、けれどそれを1人が独占している場合に、残りの9人が飢え死にするか食料をうばうかという場合は、別の回答になりそうです。

otsuneotsune 2006/10/11 01:31 >10人のそのままでは死んでしまう病人を助けるために、健康な人から臓器を取り出して移植することで10人の命を救い、そして1人の死をもたらすことは論理的ではないように思えます。

すいません。説得の根拠となるであろうこの部分が良く読み取れませんでした。
なお「一見論理的に感じられることが必ずしもそうでないこともあります」には全く同意しています。
「移植医療の啓蒙が薄れる事よりも、死ね死ね詐欺と言われてもいいから情報をあまり出さずに募金をした方が結果的には良いのだ」と政治的に考えて行動している人がいても不思議では有りませんし。
どれが正解なのかは結果論でしか分からないでしょう。
その視点で言うと、ただ「情報隠蔽はしない方が良い」という私の「論理」をミームとして放っているだけとも言えます。

otsuneotsune 2006/10/12 10:35 追記を読んで。
なるほど。臓器移植は暗黙で「一人の臓器提供者から、一人の患者に移植される」という実情が有ったので、10人の命が救われるという例の、途方も無い説得力の無さに目をくらまされていました。
食料の例みたいに説得力がある反例のほうがいいかも?

あと余談ですが私の「カウンターで考えろ」というのは、死の恐怖に囚われている人にいきなり「死の恐怖は消して、総合的に考えろ」と説得しても説得力が薄いので、workaroundとして採用している手法ですね。だから「カウンターで考えても死の恐怖に囚われている事自体は一緒だ」というデメリットは内在していると思います。

ROYGBROYGB 2006/10/12 12:37 10人という数字が適当なのはその通りですが、「一人の臓器提供者から、一人の患者に移植される」のが実情かというとそんなこともないですよ。ドナーカードには脳死の際の提供項目としては、心臓、肺、肝臓、脾臓、小腸、眼球があります。全部が命にかかわる臓器というわけではないですが。