覆面作家

http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20070822/watasiの「SFという仕掛けの私小説に納得しないものを感じる」に関して。

こんなヘンな、あるいはすごい作家は、人生においてどのような体験をしてきたのか、ということは、どうしても本を読むと知りたくはなるんですが、なるべくそういう情報をカットして、物語は物語として楽しみたい、という気が、最近は特にするのだった。作品の解説に、その作家の人生経験について触れる、というのは、基本なのかも知れませんが、どうもSFの場合はミステリーと比べると「虚構」の構築部分の自由さが逆に、物語作りに私小説臭を感じさせる要因になっているかも知れないので、解説的には「これはSFというジャンルの中でどのような意味がある作品なのか」についてをもっぱら語って欲しいとも思う。

http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20070822/watasi


似たようなことを言っている作家もいたような気がして本棚を探してみました。アシモフの「サリーはわが恋人」から。

 だから、わたしの作品を精神分析し、強迫観念の徹底的な吟味を届けて、わたしが涙ながらに感謝するのを期待するような衝動に駆られる者が出ないでほしい。お呼びじゃないのだ。自分の作品の隠れた意味にも興味はない。それを見つけても、黙っていてくれ。

早川文庫「サリーはわが恋人」より引用


これは、作品の前にかかれたものからの引用ですが、わざわざ作者が自分の各作品に解説をつけるというのは、純粋に作品のみを楽しむという点ではマイナスなのかもしれません。しかし、アイデアの由来とか、どんな状況で考えたのかなどを読むのは楽しみでもあります。

ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアは、個人情報を隠していたいわゆる覆面作家だったようなのですが、日本で翻訳されたときにはすでに秘密は明らかになっていてビックリすることは出来ませんでした。別名で書いたものも日本では一緒になっているし。