表記の統一されていない小説

http://d.hatena.ne.jp/trivial/20080924/1222268327の「表記の統一を禁ずるなかれ - 一本足の蛸」を読んで、「アルジャーノンに花束を」は表記が統一されていない小説として思い浮かびました。チャーリー・ゴードンの日誌の部分は、とても同じ人が書いているとは信じられないほどです。
一応書いておくと、「アルジャーノンに花束を」での表記の変化は意図的なもので、表記の変化によってそれを書いた人の変化を表しているわけです。


人の呼び方の場合も、相手との関係によってあえて変えてある場合もありそうです。
キャプテン・フューチャーシリーズで、主人公のカーティスニュートンのことを、ロボットのグラッグは「マスター」、アンドロイドのオットーは「チーフ」と呼びます。生きている脳サイモン・ライトは「坊や(lad)」と呼びかけるし、エズラ・ガーニーは口髭をたくわえた保安官がもぐもぐ話すような感じを表すためか、「テ」の音を抜かしてキャプ・ン・フューチャーといいます。そしてカーティス、とファーストネームで呼ぶのがジョオン・ランドール

グインサーガにも人名の呼び方の変化が出てきます。シルヴィアとシルウィアというのが思い浮かびましたが、最近は統一されたようです。

シルウィアもシルヴィアも両方正しい。
17巻あとがきに以下のようにある。
「ケイロン」はケイロニアの古名です。
シルウィア――シルヴィアだって、シルヴィアで統一したんだからね。
どうやら、シルウィアはシルヴィアの古名というニュアンスのようである。

http://homepage1.nifty.com/sirocco/sf_m/right.html


日常生活でも表記や呼び方はそれほど統一されていません。「日本」を「ニホン」と言うか、それとも「ニッポン」か、「ベニス」と「ベネチア」など。人名でも「シュワルツシルト」か「シュバルツシルト」それとも「シュヴァルツシルト」、他にも「シュレディンガー」か「シュレーディンガー」、「アシモフ」と「アジモフ」など。

またよく知らない相手をどうやって呼ぶのかというのはなかなか難しい問題でもあります。名前にさん付けが無難とは思いますが、それが問題になる場合もあります。これまた小説の話ですが、主人公の「私」は周囲の人がそう呼んでいるからそういう名前なのだろうと思って呼びかけたことにでひどい失敗をしたという話を思い出しました。以前にも同じことを書いているので、その部分を引用しておきます。

北村薫の「空飛ぶ馬」などのシリーズの主人公の名前も出てきません。また、同じシリーズで相手の名前を間違えるエピソードもありました。誰かがそう呼んでいても、それが名前とは限りません。友人のいたずらによるものはしょうがないとしても、回想で出てきた主人公自身の勘違いから非常に失礼な呼び方をした失敗談は、実際にこんなことがあったらかなり気まずいと思いました。ちなみに主人公は女性ですが、これが男性だったら気まずいどころではすまないかもしれません。

http://d.hatena.ne.jp/ROYGB/20060906


もうひとつ思い出したので作家新井素子が配偶者を呼ぶのに使っている「たーさん」というのが、他の人にも広がっているようですが語源を考えると複雑な物があるというのを、エッセイで読んだ覚えがあります。


他には佐々木倫子のマンガで勤務先の年下の同僚達が「おねえさん」と呼ぶものだから、自分より年上の人たちからもそう呼ばれるようになってしまうというのがありました。本棚を検索したら「プラネタリウム通信」でした。


最後にもう一つ連想したのが、殊能将之の「ハサミ男」です。この中にも、新聞などで「ハサミ男」と呼ばれている連続殺人事件の犯人が、自分ではそう名乗ったことなど無いと独白する箇所があったような気がします。