プログラマ?
そんなプログラマは必要ない!優秀なプログラマの8つの条件*ホームページを作る人のネタ帳
読んで思った。「それはプログラマじゃない。」
多分なんだけど、「ネットビジネス」っていうのは小規模のベンチャーっていう事なんだと思う。規模が小さければ、そこで望ましい人物ってのは、一人でなんでも出来る人ってことだ。会社組織の規模が、分業が可能になる程度に大きくなれば、特定の業務に特化していく事も出来るので、「職能の枠を超えてあれもこれもできる」というのは、必ずしも必要とはいえなくなる。多分これって組織の規模の軸があって、一番端に「フリーランス」があって、もう片方の端には「従業員1000人以上」とかがくっつく。その軸の端から端で、規模が小さい方ほど「なんでもできる」方が便利、っていうことだと思う。特に「プログラマ」だから、という話ではないような。単に規模の小さい事業所で便利な人、という事じゃないのかな。「プログラマ」を「営業職員」に読み替えても、大体話が通じちゃうみたいな感じだし。
と、なんとなく「そうじゃないでしょ」的突込みで終わっちゃうのもアレなので、もう少しポジティブな話も。
話は特定の職種に限定されないけど、限定されない前提で、「他の職層・役割の人、顧客の視点を併せ持つ」というスキルは、すごく大切だと思う。横方向では同僚とか、縦方向では上司・後輩なんかとの関係があるとき、自分の守備範囲のところだけはキチっとやるけど、他の人の領域になった瞬間「あ、それ俺の範囲じゃないから」といって切っちゃうのは、何かと物事がうまく進まない。縦割りというかセクショナリズムというか。自分の成果を受け取る人が、この後何を考えどう行動するかという視点で想像力を働かせて「これ、こーゆー事だよね」といって引き継げば、何かと話はスムーズに進む。最近会社でも、そーゆースキルが足りなさ過ぎるよ!とか思っていた*1ので、まあ、実生活でのリアルな感想ということで。
なんだろ、分かりやすく言えば「思いやり」かな。「愛」でも可w 昔UOでも、そんな啖呵*2切ったの思い出したw
まあ、あれだ。元のエントリに対して思うのは、タイトルが「優秀なプログラマ」とあるから、それがプログラマの本質*3に迫って、「プログラマとは何か」という論になっていくのかな、という期待があったんだけど、読んでみるとその逆で「何でも出来る人がイイ!」だったので、ちょっとしょんぼりしちゃったってのが、アレなんだな。
メモ
科学的データをどのように解釈しても自由なはずであるのに、ある解釈はよいが、それ以外の解釈は許さないというのは、明らかに学問の自由を踏みにじるものである。
「どのように解釈しても自由」という姿勢が科学的というのは、どうなんでしょうね? ああ、科学的とは言ってないのか「学問の自由」か。ここを「科学的じゃないじゃん!」とミスリードする私がゆがんでるのかなw つまり、科学的データをどんな風に解釈しても学問の自由があるのだから問題ない、と。そりゃ、問題はないな。ただ、その解釈の仕方がおかしいよ、という批判は当然うけることになる。その批判を封殺しようとするのは、言論の自由に対する挑戦のように読み取れるのだけど、どうなんでしょう?
なんか昨日あたり読んだ東村山新聞を思い出しましたよ。
なんとなく分かってきた。自然科学のマットウな学会等で発表される論文は、あらゆる批判にさらされ、その上で反論がなされて生き残ったものだ。ID論者(に限らないけど、なんというか無理のある主張全般)に共通するのは、批判に対して「言論封殺だ!許せん!」という反応を示す事が多いように思う。本当に自身の理論を信じているなら、研究者として粘り強く論戦を行うべきなんだけど、逆切れ→撤退。引きこもってないでちゃんと反論して戦う人っていないんでしょうかね?