「ホームページを作る人の品格」に関連してもう少し

404 Blog Not Found:技術と品格

中の人であるYamadaさんは、あくまで技術というのは品格とも(商売としての)品質とも中立であると行間に書いてあるように私には読めた。そして、私も一技術者としてその立場を支持する。

前に書いたように、私は情報に有害も有益もないという立場を採っている。これは、技術についても同じこと。もし技術そのものが有害だったり有益だったりしたら、我々はWinny判決をよしとしなければならないことになってしまう。技術者が背負っているのものは、技術の良否に対する責任だけでも充分重い。この上善悪に対する責任まで負えといったらそれは重すぎる。

なるほどなーと思った。物事に意味を与えるのは、それを汲み取った本人でしかないというのは納得できる。これはYamada氏のエントリを私はフツーに読んでフツーの感想を抱いたのと、amachangが熱くなってしまったという例をみれば、まあわかりやすい。

でも・・・

もちろん、技術者もまた人である。人として自分はどう善悪を感じ考えているのかを表明するのに、技術者だからといって自重する必要はこれっぽっちもない。でも、そういう時はあくまで技術者抜きの個人として、「丸腰」で語って欲しい。そこで技術を持ち出すと、技術者として背負う必要がない責任まで負わされるようになる、いや実際にそうなっている。

これがどうもピンとこない。よく政治家が靖国神社を参詣するのに「私人として」とか「公人として」とか言うけどさ、その話を聴いた時と同じような違和感を覚える。amachangamachangであって、彼自身として発言しているわけで、どんな言い訳をしようと丸腰でなんてありえない。「丸腰のオレとして書くけど」なんて前置きをするぐらいなら、違う匿名日記でも起こせばいいんだ。それをしない、批判も含めて自分の発言の責任をオレは取るよという立場に立つから、彼の発言には力があると思う。まあ、そのYamada氏への批判の是非はさておき、彼は「オレはこう思うよ!」と言っただけだ。それを「そんな事を言うなよ」って突っ込む構造は、amachang->Yamadaとdankogai->amachangとの間で同じなんじゃないのかな? まあ、amachangがそんな批判も受ける覚悟で書いているんだから、そーゆー突っ込みもまたアリなのかな。

あと、「技術者として背負う必要がない責任まで負わされるようになる、いや実際にそうなっている。」って話しだけど、Winnyの話で47氏が訴えられたり、アインシュタインの理論が原子爆弾に応用されたりした事をきっと指摘しているんだと思う。これって「実際にそうなっている」かな? 一般常識として、包丁で人を殺したら、包丁を売った人・作った人は罪に問われないし、47氏の裁判についてはまだ控訴している段階だ。具体的に「実際にそうなっている」事例が、ピンとこない。そんな責任なんてないんだよ。だから技術者は、そんな心配しないでどんどん新しい技術の夢を天真爛漫にみればいいんじゃないの?