横須賀の記念艦「三笠」


ちょっと横須賀に行って、記念艦「三笠」に行って来たので写真をアップします。


  


ところで、戦争とか、人間/国家間闘争に纏わる物語は、面白いけど実に疲れる。映画なんか観てると、なぜこの登場人物が、こんな極限状況で、こんなに頑張っているのか、本当に白けた思いで、疑問に感じたりしてしまうが、兵士が極度の疲労で、歩きながら寝ていたりするシーンとか、苦痛に苦しんでいる描写など観ると、ああ肉体というのは、こんなものだろうなあ。とも思う。


何ヶ月か前に、NHK「この人に会いたい」で京都の料理家の故・辻嘉一が、戦時中ガダルカナル戦線で飢餓状態のまま行軍した体験について語っていたが、もう栄養失調と極度の肉体疲労で、かろうじて生きている全員が、幽霊のように、夢遊病者のように歩いているのだそうだ。そしたら前方で「水があったぞー」と声が聞こえる。そしたら幽霊のような、今にも崩れ落ちそうな集団が、突如として全力疾走を始めるのだそうだ。行き着いた箇所には、茶色い泥水の水溜り。全員が水溜りの周りに集まり、うれし泣きしながら這いつくばり、それを腹いっぱい飲むのだそうだ。


こういう体験をした人物に拠って、こういう場所から立ち上がってきた京懐石料理。というのは、どんなものなのか…。飢餓のない文化的な暮らし。その舞台の裏で、歴史が繋がっているという事。日本の四季を反映した食材から成された料理である。という事…。少なくとも、飢餓という極端な食に関する絶望を経験した料理人であれば、料理に関して、なまじな場所で満足する訳にもいかぬのではないだろうか。そうでもないのだろうか?


日本の戦後の美術なんかだと、麻生三郎の絵などが、焼け跡の記憶から直接立ち上がってきたものであるかのように感じられもするが、それは単に、日本近代美術の展示順から受ける先入観だろうか?いずれにせよその時期の絵画は「いま描き手の精神状態は茫然自失です」という事だけは、それなりに伝えてくれるのだが…。しかしこの時期の、香月泰男の作品は、リリシズムを取っ払っても非常に見ごたえのあるものが多い。今竹橋の常設に「水鏡」が架かっているが、これなんか非常に渋くて、シャープな良い絵だ。(この絵は戦中でした。1942年の時点で、日本が負けるなんて思ってた一般庶民はほとんどいなかったろう)


…なんか、すごいどうでも良い事のような気がしてきた。明日は一日びっしり制作の予定。