Hatena::ブログ(Diary)

R.S.N

about
カレンダー
2006 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2007 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2008 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2009 | 01 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2010 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2011 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2012 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2013 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2014 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2015 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2016 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2017 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2018 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 |
過去の記事一覧
Bookmark
日記の検索

カウンター
 | 

2009-08-31

Spectrum


昨日は朝から雨で、日中もずっと雨で、夜になってからはやや小降りになったもののやはり降りやまず、全体が雨だった印象だった。深夜にぶどうを食べたところ、両手が汁でべたべたになり、その汁は手のひらから腕を伝って肘にまで達し、肘から滴り落ちて膝のあたりまで濡れた。テーブルや床もよごれたので、食べ終わった後全部拭き取り、両手も両足も水を絞ったタオルで拭き取った。シャワーを浴び直そうかと思ったくらいだが、ぶどう食べた後シャワー浴びるのもすごい大げさな気がしたのでやめた。


今日は朝起きたら完全に晴れていた。空の晴れ上り方と較べて、暑さがそれほどでもない。全然汗をかいておらず、両方の手も足もさらさらした感じに乾いている。玄関のドアを開けたら、すーっとするような空気が全身を包んだ。でも建物の壁や路面や生い茂る草木の葉一枚一枚には、まだ充分に昨日降った雨の水分が残っているようだ。

2009-08-30

夜の散歩


真夜中に、コンビニでビールを買うつもりで外に出た。雨が上がってから間もないのだろうと思った。まだたっぷりと水分を含んだアスファルトの路面がぎらぎらと黒光りしていた。濡れた路面は黒い鏡面のようになって、ところどころに大きな水溜りも出来ていて、街灯や商店の看板やマンションの窓からこぼれる光や車のヘッドライトをくっきりと反射させていた。黒い部分のほとんどが白く光っていて、センターラインや横断歩道の白線の部分は逆に夜の黒い闇を反射させていて、まるで路面のネガポジが逆転しているかのような錯覚にさえ陥った。そのまま、コンビニとは別の方角の誰も居ない夜道を歩いた。台風の影響でひんやりとした風が絶えず吹いていて、それがとても快適だった。夜の人工的に設置された光はどれもこれも過剰に明るく、どこまで歩いても、夜の景色全体が、ナイターの野球場みたいに、おそろしく人工的に照らし出されていた。いつまでたっても、どこを見ても、すべてが明るく、暗闇に沈んでいる部分がおそらく一箇所もなく、誰も居らず車も通らない静けさに包まれた真夜中の道路では、信号の赤や黄色や青は単なるイルミネーションでしかなくて、路上にぼやっと無意味な青や赤の滲みを反射させているだけで、僕はさっきから道路の真ん中を歩き続けている。ごくたまに反対側から歩いてくる人も居るが、お互い目も合わさないし何事もないかのようにすれ違う。すれ違った後は、誰も居なくなってしまう。車はさっきからほとんど見かけない。しばらく行くと、ファミリーレストランがあって、外から窓ガラス越しに明るい店内の様子全部が丸見えに見えた。まばらに、数人の客が居た。店全体がとても孤独な感じで煌々と光っていた。その後、しばらく歩くと、また別の店の店内が見えた、と思った。しかしそれはよく見たらお店ではなくて普通の民家だった。普通の民家の普通のリビングらしい部屋で、カーテンを閉めてないので外から丸見えだった。かなり薄暗い暖色の照明の中で、一人の男が小さめの液晶モニタをじっとみつめていた。雑然とした感じの部屋だった。それを見ながら、なおも歩いた。またしばらく行くと、次第に霧雨が降り始めたようで、顔や腕がしっとりと濡れ始めた。

2009-08-29

休んだ


朝起きたら妻が昨日の僕の文章を読んだらしく、時間割作成は実に良いアイデアだ、もう作ったのか?いつ作るのか?今日中に作るつもりか?このコーヒーを飲み終えたら早速始めたらどうか?などと執拗に計画立案を勧めるので、いやあれはやや筆が走りすぎたのだ、別にあの通りの事をすぐ実践しようとは思ってないのだ。ほんの一瞬、そうであっても良いな、という軽い気持ちが筆の勢いを借りたまま、ああいうひとまとまりの文章になってしまっただけで、その結果に対して僕自身が何ら責任を負う訳ではないのだ、といったような説明を朝からするはめになった。妻は、黙ってその言葉を聴いていた。


そして、そのあと二人ともいつものように一日中だらだら過ごしました。

2009-08-28

休み時間割


なるべく分刻みのスケジュールで、事前にきっかり決めたスケジュールに従って、ひとつひとつ完璧なまでの達成率でタスクをこなしていって、やがて一日の終りを迎えるというような、そういう休日の一日を、一度で良いからおくってみたい。完璧な休日の休暇を完璧な完成度で休んでみたい。休むという行為の最高得点を目指したい。…これはある程度真面目にそう考えているところもある。そのためには簡単なレベルで良いので、一応事前プラン的なものをあらかじめ作成した方が良いかもしれない。よく小学生が作ってるような、円グラフの「一日のスケジュール」時間割を僕も作るべきだ。僕は、計画表とかを作ったほうが色々と良い感じで生きる事が可能な体質の人間なのだ。この事を、僕は30才を過ぎてから自己発見した。この発見は、僕の人生のうちでもっとも大きな発見のひとつだった、と言っても過言ではない。この事に気づくのが、もう少し早ければ、もっと圧倒的に素晴らしい学生時代や20代のひとときを過ごせた可能性もあるとさえ、今は思っている。あくまでも、僕にとっては。というだけの話であるが。やはり、若者にとって自由はあまり良いものではない。良いところもあるが、悪い副作用も多い。かつての僕のような、ある種の若者は、最初から自由など剥奪してしまって、ガンガン外部から色々叩き込んだほうが良いのだ。その方が、何しろ本人がそれを喜ぶのだから。だったら、その方がいいじゃないですか。そうしてあげて下さいよ、という話である。でももう、もはや、自分で自分を縛るしかなくなった。

2009-08-26

ダブダブ


http://file.blog-kichijyouji.diskunion.net/setti.jpg asin:B002J0QGWU


忙しい一日。現実的に追い立てられているというよりは、想像の中であれもこれもが、いっぺんに自分の頭上から降りかかってきている状態で、その状況から半歩でも前に進まなければいけないのに、どうしても事態の異様さについボーっとしてしまう感じ。でも異様、とか言いながら、実際はさほど、それを異様と思ってる訳ではないかもしれない。むしろ、ああしてこうしてああするしかないんだろ、あーめんどくせーなー、という風に、中途半端に見えてしまっていている事が、余計に疲れを倍増させ、ついボーっとしてしまう原因のひとつにもなっているのかもしれない。まあこんなことばっかりひたすら繰り返すのが、勤め人というものである。あまり深く考えすぎず、常に只の無表情でことに取り掛かる姿勢。きっとそれが長生きの秘訣だ。


VariantのThe Setting Sunを聴く。ダブですねーダブダブですねー、という感じ。ディレイとエコーのかかりまくった只のヒスノイズ空間というだけ。でもそれが良くて、ずーっと耳を澄ませて聴いてしまうのだから不思議なものだ。アンビエントを好んで聴くようなからだになるなんて、若い頃は想像もしてなかったなあ。ああまたダラダラと何枚もくだらないレコードをいっぱい買いたいなー。。

2009-08-25

その街の今は


柴崎友香「その街の今は」読了。泥酔していたので全く記憶にないが、でも昨晩だけは、親しく打ち溶け合って盛り上がってお互い完全に恋人同士のように振舞っていたという事だけはかろうじて理解されて、主人公の歌ちゃんは、その日以降、良太郎との間合いをあらためて計リ直す。というか、あらためて出会い直す。相手の様子を伺い、自分の気持ちを確かめ、このままどうなるのが一番適切なことなのかを、自分の意志でもなく他人の意志でもなく、何かしらに確かめようとする。


歌ちゃんは、良太郎とあらためて出会い直しながら、いわばその街と、もう一度出会い直すのだ。今、この風景が、以前はこうではなかった、時間を隔てて、今とはまったく違う景色が広がっていた。しかし今と同じように、数十年前にもそごうや阪急百貨店があり、白いワンピースを着た女性や坊主頭の子供が数十年前のそのときに、確かに存在していたということを。今、目の前に広がっているこの町並みや人々が織り成す雑踏の景色とはまったく異なる世界が、50年間か60年前のこの大阪に確かに存在していて、でもそれは確実に同じ大阪であって、そのときも確かにその「場」自体は存在してあって、そのことに何度でも驚き続ける。そのことのはかなさ、ありえなさ、雲をつかむような頼りなさ、しかし同時に疑いようの無い確かさで迫ってくる過去という何か。


それが相手と共有し合える唯一のリアリティという訳ではない。でもその面白さ、はかなさ、ありえなさ、雲をつかむような頼りなさ、しかし同時に疑いようの無い力で迫ってくる、ある確からしさのようなものを信じて、主人公は手探るのである。メールで「すごいわ」と返信するのである。手探りながら、ドルチェアンドガッパーナやアップルストアやUFJ銀行や大丸心斎橋店の連なりの中、その只中に居る私やそれ以外の沢山の、仕事をしたり買い物をしたりご飯を食べたりしている人々が行き交っているという事が既に幸福で、その只中をゆく私のような誰かのようなある満ち足りた幸福感をあらためて発見するのである。目の前の景色も永遠に続く訳ではない事はよくわかっているのだが、でも何かは、永遠に続いているかのようなのだ。そのことの幸福なのだ。


…とても美しく気高く眩しい、すごく成熟した主人公という印象で、ああ、なんというか、こういうのは決して、自分の中には無い感覚だったなあと思った。

2009-08-24

エンジン


昨日なぜか、ラジコン飛行機かラジコンカーでも買うか!!と一瞬自分の中で異様に盛り上がってしまい、早速インターネットで色々と調べてみて、5分くらいで急速に気持ちが萎んだので、そのプランは無くなったのだが、しかし一瞬とはいえなぜそう思ったのか?というと、それは要するに、自分の手でエンジンに触りたい!という欲望が激しく膨張したからなのであった。小さなエンジンを自分の手で組み立てて、オイルを燃料タンクに注ぎ、キャブレターに点火させて、発動させたい!!とほんの一瞬、自分の心が燃えるように激しく興奮した。でも世間に売ってる製品とか実際の動画とかを見てたら、うーんまあこんなもんだろうなあと思ってしまって、なんかもっと、ブザマで激しくどうしようもなく手に負えないような、凶暴な荒くれな、そういう有機的な内燃機関みたいなのが良かったのだけど…。という妄想の方が勝ちすぎなので、まあ一瞬で冷める熱である意味良かったけど。…しかし、エンジン付きの玩具というのは何が困ると言って、騒音が一番困るらしい。その点だけは結構気に入った。でもそれじゃあウチの中で遊べないのでもういいやとか思ってしまったのだが、でもやっぱデカイ音の出るものは楽しい、人間はデカイ音が好き。というのは、世界の原理であろう。エンジンというものが世界ではじめて発明されたとき、人々はおそらく何よりもまず先に、その音に衝撃を受けたはずじゃないだろうか。だって、あのシステムが実現させたエネルギーの出力形態と、あの音って、表面的には何の関係もなさそうではないか。なぜあれほどデカイ炸裂音がのべつまくなし連続して放出されなければならないのか??実に迷惑きわまりなく、人々の神経を充分逆撫でさせるに足る、実にユニークな仕様だと思う。その異様なユニークさをスポイルさせる役割を持つのがマフラーだが、マフラーはこれはこれで、なんであれほど曲がりくねった、動物の臓物みたいな形状でなければならないのかよくわからないが、これはこれでまた別の理由と必然性に引っ張られた異なる事情をもつのであろう面白い部品である。音楽に置き換えて例えたらダブかとテクノも、要するにやりたい事とあらわれている何かが、一見あんまり繋がってない事が、人を妙な気分にさせ、妙な世界の幻影を見させるのだ。音だけ、デカければ良い、ってものではないのだが、でも、これ単に音がデカイだけじゃん、という事の、それ以上何もない事の爽快さ、というのも否定できない。

2009-08-23

PASMO


パスモをチャージしようとして切符売り場まで行ったら、先に初老の男性がいたので、その人の後ろに並んだ。タッチパネルの画面を見て、その表示内容を読んで、画面のどこかに指で触れて、画面が切り替わって、またその表示内容を読んで、また画面のどこかに指で触れて、最終的にお金を入れて、カードにチャージするのだ。しかし操作のどこかで時間がかかってるみたいで、やや戸惑いと焦りと苛立ちを感じてるみたいだった。僕はそのまましばらく待っていた。でも少しして、かなり苦労されてるように感じられたので、背後に近づいて画面をのぞき込ませてもらった。…領収書のあり、なし、の部分のどちらかに触れて次の画面に遷移させるところで、そこからどうすれば良いのかわからず、戸惑っておられるのだということがわかったので、あ、すいません、この部分だと思います、と話しかけようとしたら、その瞬間に、その男性も、理解されたようで、かなり勢いよく、苛立ちを込めて、適切な箇所を指でぽん!と押した。その後、チャージは無事完了し、男性はかなり素早い動作でカード等を抜き取りその場を去った。急いでいたのか、後ろに人が並んでいる事への気後れや、焦りや、苛立ちがあったのか、わからないが、ややお気の毒に思った。というか、焦る必要などまったく無くて、もっとゆっくりでも良いくらいだ。あんなものを、さっさとスピーディーに操作しろとか、したり顔で平然と要求してくるような連中の方が、アタマがおかしいのである。押す場所を教えてあげて、もし「これは私にはよくわからないねー」とか言われたら「いや、こんなものは絶対に誰にもわかりませんよ」と言いたかった。

2009-08-22

つゆのあとさき


朝起きて朝食。その後、シャワーを浴びて、缶ビールを一本空けたら、なぜか酷く胸焼けがして不快感があるので漢方薬を飲む。永井荷風「つゆのあとさき」を今日読了する。久しぶりにまた人物をモチーフに描いてみたいと読んでる途中で何度と無く思った。人物を描くというのは人物そのものを描くということではなく、この小説の登場人物の、その都度ごとの場面におけるたち現れ方のような、こういう感じを引き出すことなのだと思った。この女は、こういう性格で、こういう身分の、こういう女です。という説明を超えて出てくるような、人物がいわゆる「人物」の澱を剥落させて、そこに居るかのごとき瞬間が素晴らしいのだ。まあでも、具体的にどうすれば良いのかはわからない。まあ、そんなことはどうでもいい。


それにしてもこの主人公の女給と、パトロンの奥さんとの、そのキャラクターのコントラストが素晴らしく鮮やかで、そのことがまるで残像のように、いつまでも鮮やかに記憶に残る。異なる性格のふたりの女性を、小説はことさら比較させたりせず、ただ放擲するかのようにそれぞれを配置しているだけなので、そこがとても素晴らしい。ほかにも、色々素晴らしい。じつは読んでるときは「しかし僕はこのクソ暑い最中になんというエロ小説を読んどるのだろうか」と思うこと多々あったが、でもそこが良かった。基本、あとになって思い出されて、そのことが良いのだ。最後も良かった。終盤、川島の「世の中はなんといってもやっぱり酒と女だな(中略)おれ見たようになっても、赤い布団を見たり、一杯飲んでぽうっとすると、やっぱりむらむらとしてくるからな」などというセリフに大笑いしてしまった。

2009-08-21

batch


夕方からとても蒸し暑くなった。夜からタイ料理の店で呑み会。どの料理も味が濃く油っぽくて、やや若者向けな感じだ。でも割とたくさん呑んだ。帰って寝る。仕掛けといたbatchがちゃんと動いているといいのだが。


ここ数日、文章を書こうというモチベーションがほぼまったく沸き起こらない…。

2009-08-20

フランキー堺


CSで「私は貝になりたい」がやっていたので最後まで見てしまった。僕はなぜか妙にフランキー堺が好きである。愛嬌があって朗らかで気さくな、ユーモア満点な雰囲気と、角ばった顔の鋭い頬骨やアゴの線の印象と、薄い唇と全然笑ってない切れ長の目の、性格悪そうというか冷徹で残酷そうな印象が折り混ざり合ってるような感じが好きで、たまたまテレビでやってる映画に出ているとつい観てしまうほどである。要するに僕にとっては「かっこいいなあ」と思わせてくれる役者である。でも「幕末太陽傳」くらいしかちゃんと観てない。「私は貝になりたい」も今日はじめて観た。じつは今までみたフランキー堺の中で一番印象に残っているのは、これも偶然CSでちらっと見た森繁の「社長洋行記」での怪しいツアー・コンダクター役である。これは、そのときの印象としては、ものすごく良かった…ような気がしているのだけど、あんまりおぼえてない。あの映画はいつかもう一度、ちゃんと観たい。

2009-08-19

車内


階段を上って、改札を抜けて、一番線ホームへの下りエスカレーターに乗って下がっていくと、徐々にホームが視界に見えはじめて、上り電車が既にホームに停車しているのが見えたので、前に居た女性が小走りになって急いで乗り込もうとするのに従って、僕もその後を追うように小走りになった。そしたら余計に汗が出たのに、乗り込んでドアが閉まって発車した電車内は、あまり冷房が効いておらずとても暑く、どうしてこれほどまでに暑いのかと思って不愉快さと苛立たしさが倍増した。天井のゆっくりと左右に動いている送風口の真下に立って、冷たい風が直に自分の後頭部から首筋にかけてあたるようにして、そのまま硬直したように突っ立っていた。しかし電車内の乗客中で、これほどだらしなくなりふり構わず暑がっているのは、おそらく僕だけのようで、電車は比較的混んでいて、狭い空間の中で、老若男女すべてが、誰も彼も、実に大人しくきちんとしていて、暑さに不平や不満のありそうな者など、僕を除いて一人もいないようであった。

2009-08-18

飲料


最近は、147円の烏龍茶を一日2本飲む。もしくは水(富士山のバナジウム天然水)を飲む。あるいは夕方はコーヒーを飲む。あるいは三ツ矢サイダーを飲むこともある。あるいは、トマトジュースや野菜ジュースを飲むこともある。ごくたまに70円のオニオンスープを飲むこともある。昔は、クリスタルガイザーをよく飲んでいた。さらに昔は、缶コーヒーもずいぶんと飲んだ。喫煙者だった頃は、缶コーヒーを一日3本くらい飲んだが、今はまったく美味いと思わないので、ほとんど飲まない。小学生のとき、スイミングスクールの帰りに、必ず自販機でジュースを買って飲んだ。紙コップの中に、氷が落ちてきて、その後飲料が注がれるようなやつだ。60円のアンバサとかマウンテンデューとかを飲んだ。

2009-08-17

夜の陸上


妻は、早寝早起きの人で、真夜中まで起きている事などほとんど無い人なのだが、昨晩は起きていた。テレビで世界陸上を見ていたからである。


妻は、陸上をテレビで観戦するのが好きな人なのである。数日前から、ベルリンで世界陸上が始まるからというので楽しみにしているのはわかっていたのだが、まさか徹夜してまで見るほど、気合が入ってるとは知らなかった。早めの夕食を終えた後、早々と寝てしまい、午後10:00に起きてきて、そのままひたすらテレビの前にかじりついていて、その集中力と根気は、いつもの妻からは想像もつかないようなもので、普段あまりお目にかかれないような一面をみたようで大層驚いた。


一番のお目当てとしては要するに、100mの準決勝と決勝を観たかったようである。「録画では全然意味が無いんです」と言っていた。…しかし、午前零時を過ぎても、100mは始まらないのである。そのうち、痺れを切らした顔で僕のところまでやってきて「いつ始まるんでしょうか?」と僕に言った。


僕は「インターネットで調べればいいんじゃないでしょうか」と言って、それで調べたら、100mの準決勝開始時間は午前2:10、決勝は4:35と出ていた。妻はそのタイムスケジュール表を無表情に見つめていた。やがて「少し寝てもいいでしょうか」と口にした。僕は、午前2:00なら普段でも普通に起きてる時間なので「ああいいですよ、どうぞ、起こしてさしあげますよ。時間がきたら」とこころよく頼みを引き受けた。


そして2時間ほど経過したので「そろそろはじまりますよ」と妻に呼びかけたら、妻は起き上がり、しばらくするとまるで餌をもらう前の犬のように、かなり嬉しそうな態度で、そそくさと再びテレビの前に戻ってきた。そして、無事、準決勝のレースを見た。僕は、こんな真夜中に、妻と二人で起きている経験がほとんど無いので、今のその状況に強い新鮮さを感じていた。普段のこの時間は、僕にとっては、一人の孤独な時間であることがほとんどであった。


準決勝のレース内容は、きわめて激しく厳しいものだった。9秒台で走ることが出来ない者のほとんどが落伍してしまった。しかし一握りのトップアスリートたちは、笑みさえ浮かべながら、易々と驚くべきタイムを叩きだし、決勝へのエントリーを当然の如く確実なものとしていくのであった。


勝者と敗者がまたしても選別され、いよいよこの後、決勝はさらに約2時間後である。明日は平常どおり、二人とも朝から出勤であり、一応、録画予約を提案してはみたものの、妻は「私は決勝までこのまま行きます」と名言した。僕は限界であったので、妻と僕は本日、ひとまずここで別れた。僕は横になると、すぐ意識を失った。


…奇妙な夢からはっと目覚めて、枕元の時計を確認すると、午前4:30であった。睡眠の狭間にぽっかりと空いたエアポケットに落ち込んだかのように、僕は目覚めてしまっていた。そのまま起き上がり、隣室へ向かうと、部屋の明かりは依然として煌々と付いており、その下にはさきほどとほぼ変わりなく見える妻が、じっとテレビを凝視していた。僕は、妻と再会した。そして、ふたたび、あらためてこのような時間帯に妻が覚醒している事の異様なまでの新鮮さを強く感じた。空はもう、うっすらと青みがかった夜明け前の色に染まりかけていた。


ついに、決勝レースは開始された。横一線に並んだ8機の肉体が、一気に発射し、驚くべき加速を経て、白い抽象空間の先に引かれたラインを越えて、やがて脱力した。計測盤を見て、僕はおもわず、えー!?9秒58かよ!と声に出してしまった。しかしそのタイムが正式なものとなるのか、かなり半信半疑に思え、しばらく固唾を呑んで結果を見守った。結果は確実なものとなった。9秒58。そんなバカな、としか思えない結果だ。やはり何か、どこか信じられないような気もしてしまう。そんなこと、ありえるのだろうか?


タイソン・ゲイ の表情だけが、この非現実的な出来事の非現実性を、何よりも雄弁に物語っているように思えた。ゲイは2着。記録は9秒71。…9秒71で走った男が、敗北しているという事実の信じがたさ。9秒71で走っても、負けるというのが、最初からわかっていたら、人は、走る努力を続けられるのだろうか?9秒71で走りながら負けてしまうという経験は、9秒58で走るという経験と、ほとんど拮抗するのではあるまいか?…そのような、いくつものいくつもの思いが現れては消え、あまりの感情の高ぶりに、ほとんど能面そのもののような、血の気の引いた表情を凝固させているタイソン・ゲイの表情だけが、この現実と呼ばれる世界の信じがたさを伝えていた。


歓喜する者と項垂れ落胆する者のコントラストを見送りながら、徐々にすべてが終わったのだということが実感されはじめた。空は、完全に夜明けの色をたたえていた。僕は、ふたたび眠りを捉まえられるような予感が立ち上がってきたのを感じて「ではそろそろ」と立ち上がった。さっきから、始終無言であった妻も、ついに「では寝ましょうか」と言って、その場から立ち上がった。そのとき僕は、みたび、いまこの時間、覚醒している妻とふたりでいる事の、異様な新鮮さを感じたのだった。

2009-08-16

保守


10時に起きて、コーヒーを飲んで、そのあと「グーグーだって猫である」DVDを観る。なかなか面白いのだが、まあこのへんで良いだろうと思って途中で別室に行ってだらだら。午後からは大塚英志の本をざーっと読み返す。なぜそもそも読み返そうと思ったのか、ある一節を確かめたくて読み始めたのだけどそれをやってる途中で最初の目的を忘れて、ただ順々につまみ読みしてるだけになる。「少女たちの「かわいい」天皇」に掲載されている福田和也との対談やそれ以後のいくつかの文書を読む。


…人々と共有することが可能な確固たる「歴史」など無い。歴史というのは本来、最低共有事項とかフレームとか、そういうものですらない。それはむしろ、日常の中からリアルタイムに紡いでいかなければならないものだ。その自覚と覚悟ができたとき、それこそが、信じるに足る、愛するに足る「歴史」なのだ。だとすれば、弱さや過ちをも丸ごと抱えて、そういう「歴史」を丸ごと受け入れていくよう努力する事でしか「保守」は成立しないのではないか。…という理解は、はじめて読んだ当時とは、また違ったものかもしれないが、いずれにせよ当時は強い衝撃を受けたことを思い出す。これを読んだあと、僕は江藤淳を読み始めたのだった。


磯崎憲一郎の言葉で「仕事と家庭で自分を使い分けるのではなく、まず人としての行き方があって、それを仕事とプライベートでいかに統合し、提示していくか」というのがあって、これについてしばらく前から考えていた。磯崎氏にとって作品を作ることとは「世界全体をいい方向に導いてる力に連なる」ことであり、30代で再び文学に戻ってきた理由のひとつとして、子供が生まれたことをきっかけにして「これはもう自己表現ではなく、外界に働きかけ、奉仕して生きなきゃいけない」と思ったのだという。


仕事というのは、自分の目の前にある問題に取り組むことで、それは会社の仕事だろうが自分の仕事だろうが、まったくかわりない。それをやる目的は「カネのため」でもいいし「自分のため」でもいいし「上司に褒められたい」でも「家族のため」でも「人並みであるため」でも、何でもいいのだが、しかしそれでは結局どちらも立ち行かなくなってしまうものだ。結局は、仕事へのモチベーションというのは「世界全体をいい方向に導いてる力に連なる」と信じることが出来る、という事でしかないのだと思う。その世界、というか、歴史のようなものが、信じるに足ると思える、その思いの強さだけが、仕事を進める力になる。


自分の個人的なことに焼き直して考えたら、結局は、要するに、もっとラクする方向にもってくか、ベタに真正面から立ち向かうか、という話だとして、でもベタに行くしかないのかなあとも思う、もっとラクする方向にもっていくように、徹底的に技術をこらすのも悪くないとも思っているのだけど、僕なんて結局は信じられる何かによって起動するモチベーションでしか動けない人間なのだから、だとしたらやっぱり苦労の多い方に行く可能性が高いのかなあと思う。あーやだなあと思う。自分だけがしんどいならともかく、人にも何かを信じさせて、共にしんどい思いをさせるというのも余計にやだ。改めてめんどくせーなーと思う。でもまあ、細かく適当に手を抜いて、コソコソと息抜きしながら今まで通りやるんだろうなあとも思う。なんだかんだ言っても、自分は15〜6才の頃から今に至るまで、見事なまでに何も変わっていないなあと思う。ベタにしんどい場所に行って、ベタに苦しい顔をして、何も良いところが無いけど只なんとなくダラダラ「耐えてる」だけみたいな。。そんな事でいいのかはわからない。でもそれ以上は無理だし。そこが自分の限界である。


「崖の上のポニョ」DVDを観る。やはり町が嵐にあって水に沈んでしまってからの、宗介とポニョとの二人の船旅の場面がすごく好きだ。去年の夏、これをはじめてみたとき、あぁ世界はこれで終わってしまったんだ、もう何もかも無くなってしまったんだ、みんな安らかにどこかへ帰っていくんだ、と思ったときの事を思い出した。またこの映画はやっぱり、リサという母親の存在感がとても素晴らしいのだと改めて感じた。もし再度この映画を観たいと思うことがあるとすれば、それはリサを観たいからだろうと予想できるくらいだ。


総じてダラダラした一日。いつまでダラダラするのか。たぶん、こういう事ではいけません。

2009-08-15

Hi-Fi


新しいスーツを買う。昔みたいにやたら高価なものなど今の自分は全く興味無しなので、安くて無難なやつ。入店して5分で決める。安かったのでほかの店で靴も買う。そしたらそれも40%引とかだったので安かった。


そのあとはじめて甘味屋の「みはし」に行った。妻はなんとかあんみつ、僕はところてんをいただく。シンプルでうまい。コンビニとかスーパーのところてんはちょっとツユの味付けに色々考えすぎだと思う。ところてんなんか、超カンタンで適当な方がうまいと思う。


そのあと、ツタヤに行ってking tubbysプロデュースの70年代前半に録られた古いレゲエ集と、Joeの「Ain't Nothin' Like Me」と、Grateful Deadの「Live Dead」を借りる。レゲエ集はCornell Campbellが3曲収録されていたので借りた。Joeは、僕は元々ベタベタなブラコンとかR&Bも好きなので、最近聴かないけどたまにこういう甘々のも聴きたくなるのだ。(今日は「みはし」に行ったからか?)本当はKeith Sweatの新しいのを聴きたかったのだが、無かったのでJoe。Grateful Deadは、大昔(サイケデリックと呼ばれていた音楽を全て聴きたいと思っていた時代)にずいぶん何度も聴いたのだがDark Starが突然無性に聴きたくなってしまったので借りた。あの23分間に満ちる空気の素晴らしさ。。妻が「グーグーだって猫である」を借りて、僕は再見しようかと思って「崖の上のポニョ」も借りた。


ツタヤを出て、不忍池を散歩する。すさまじい暑さで、歩いていると背中一面に只ならぬ熱の照射を感じる。炎天下の空の下に、池の水面がまったく見えないほど濃厚な、緑の蓮の葉の平原が弁天さまのもっと向こうにまで広がっていて、ところどころにぽつぽつと、赤紫色の蓮の花が咲いている。きれい、とか、風情かある、とかいうよりは、夏の旺盛な生息欲を感じさせる光景。池沿いを歩きながら蓮見茶屋の入り口まで来たので、生ビールありましたっけ?と聞いたら申し訳ありませんアルコール類は昼間はお出ししてないんです午後5時からになりますといわれ、あぁそうすいません、とこたえてそのまま歩き続け、ボートを漕ぐ人たちやベンチに座って読書したり将棋を指している人たちを眺めながら、そのまま根津駅まで歩き、根津から千代田線に乗って帰った。


家で素麺を食べて、その後、北杜夫・斉藤由香の「パパは楽しい躁うつ病」という本を読んだ。ものすごく面白くて爆笑しながら、一気に読み終わってしまった。そのあと世界陸上のテレビで、100M競争のシーンが何度もやっているのを見ていて、抽象的なトラック上で人間の肉体のものすごい圧縮と開放が10秒以下で何度も反復されている事を強く感じた。いや本当に、100m走というのは、あれは人間が走る競争というのではなく、エンジンのベンチマークテストだと思う。やがて、50年後とかの未来のオリンピックでは、選手は皆、寝そべったままで配線をいっぱい身体につなぎ、スタートと同時に、あっという間に記録が集計され、何事もなくレースが終り、寝そべったままの選手の一人が突然歓喜してベッドから飛び起きて喜ぶだろう。


その後、CDを聴いたりしていてふと思いたって大江健三郎の「セブンティーン」を最初の3頁くらい読む。主人公の兄のことをふと思い出したから。あの兄はオーディオ好きの軽引きこもりみたいなヤツで、高音と低温を意図的に強調したハイ・ファイ・サウンドに夢中になっている、みたいな事が書いてあったのを確認する。なんとなく自分もいまそうなってるのか、と一瞬不安に思ったからかもしれないが。

2009-08-14

出征前夜


これから、色々と大変なことになるなあ、やれやれ、苦労するなあ、疲れるなあ、気が重いなあ、というような気持ちになる、というより、これからあと数日か数週間かの後に、そのような気分をいやというほど味わうのだろうなあという予感だけが、今のところはあって、そのことにやや気が重い。そのレベルでの気の重さというのは、気の重さそれ自体に内実が伴っていない、かなり薄っぺらな、リアリティの無い気の重さである。それは、まるであえて、意図的に自分を落ち込ませているかのようでさえある。そういうリアリティの無さ、というのは、ある意味、救いである。まったく退屈なものでしかないイメージとしてしか、未来を思い描けないというのは、こういうときだけは人を救う。間違いなく苦労して気疲れしてストレスも感じるのだろうと、アタマではわかっているのだが、まだ本気でそれを恐れていない。明日の週末は普通にいつもどおり休むのだし…。なんだか出征前の兵隊みたいな感じか。絶対に激戦区だし、ある意味しんじゃうかもな、というのは、アタマではわかってるのだが。

2009-08-12

Windows


いつのまにか、寝てしまっていたことに気が付いた。なぜなら今、起きたからだ。ある程度の時間、そこそこ深く、眠っていたんだということが、アタマの中の回転の遅さやまどろみの感触や細かな意識に一々重さと粘り気が残る感じで察せられた。時計を見ると午前2時をまわったところであるから、おそらく3〜4時間は眠っていたのだと思う。上半身を起こし、そのまま立ち上がると、軽い貧血感と身体のふしぶしへの痛みを伴って、やはりずいぶん深く眠っていたのだということをあらためて思う。


さっきまでずっと、夢を見ていて、その内容をまだ鮮明におぼえているので、そのことでも書こうかと思う。でもとりあえず冷蔵庫に何か無いか探して、ビタミン・ウォーターという名前の、250mlくらいの小さなペットボトルがあったのでそれを、一気に飲んで、冷たさとかすかな甘味が体内に沈殿していくのを感じながら、自室に行ってPCの電源ボタンを押す。マザーボードに通線した瞬間の「ギョギョギョ…」という唸り声のような音が聞こえ、そのあと電源ユニットのファンが耳障りな高周波寄りの音をたてて回りだす。この音は数十秒かあと、OSが正常起動すると、自然に治まる。


飲み干した後の、空のペットボトルを捨ててから、再び自室に戻るとすでに、Windowsの待ち受け画面が表示されていて、暗い部屋の中全体が、鮮やかなブルーに染まっている。まだ明るさに慣れていない目をここで一挙に光に馴染ませるために、卓上の電気スタンドも付けて、部屋の外にまで溢れたその青い光を、蛍光灯の白色でうちけす。白いカーテンと壁の一部の表層のテクスチャーが、くっきりと明快な細部をともなって、白と青の交じり合った光の中に浮かび上がり、もう自分が眠りの中ではない現実の層に居るのだということがあらためて自覚される。

2009-08-11

音質


MP3とCDとアナログの音質の違いを聴き比べる。同じ曲で、MP3に関してはiTunesオンボードのサウンドデバイスで聴いたとき、ASIOドライバ+VAI-40+tractorで聴いたときを聴き較べる。結論としてはやっぱりCDとアナログが格段に良い(あたりまえ)のだが、ASIOドライバ+VAI-40+tractorも当然オンボードよりも良いのだが、でもそれほどの違いがある訳でもない。というか、音質とかよりも結局そこそこの出力でドカーンと音を出したときの勢いみたいなものが一番大事かもしれない。なんというか、結局音質の好みなんていうのは、例えて言えばクルマのエンジン特性の好みに近いのではないだろうか。トラクションがすごくいいとか、ピーキーで扱いづらいけどそこがいいとか、ひどいボロだけど俺にしか扱えないとか、そういうこだわり的なことでしかないような気がする。僕は結局、大雑把でいきおい重視なので、繊細さとかではなくて、単純な大出力系が好きなのかもしれない。というか、音質を称して「○○系」とかいうのって間違ってると思う。音質より先に、内容があるのだ。


まあそれはともかく、今のところはCDというメディアは絶対に必要。ここ一年くらいの僕は時代に逆行してCDとアナログばかり買っていて、iTunesでは全く買わなくなってしまった。どう考えても、ダウンロードできるデータの音質というのは、あの料金を払うに値しないと感じてしまう。低解像度の画像を無理やり拡大して見るような事をしたくない。だからできればCDでほしいと思っている。とはいえ、デジタルデータというのは音質以外の利便性は素晴らしいのだが…。


ところで、もう寝ないとやばいが、ずるずるとRhythm & Soundの素晴らしいダブを聴いている。King In My Empire をうたっているのはCornel Campbell。透き通るようなうつくしい声。いつまでも聴いていたい。このままで、この曲を聴いている夜がどこまでも続けば良いと思う。でもそれは無理。っていうかさすがに普通に眠くなってきた。

2009-08-10

料理


とても美味しい料理を、食べたときの記憶が忘れられない、この世のモノとは思えないほど旨かった、と思っていて、だからそれを、もう一度つくろうとするのである。作り方は、大体、わかっている。というか、作り方自体は、とても簡単なのだ。だれでも作れるようなレシピだ。だから、それで、作ってみる。作って、食べてみる。でも、かつてのあの、奇跡に出会ったかのようなおいしさの感動が再びあらわれることはない。なぜ?こんなはずじゃないのに、と思う。で、考える。


そもそも、あの「旨かった」というのを再現させるために、この料理をつくったのだが、それがいくら、かつてと同じ食材と調理法でつくられたとしても、つくっているうちに、「この料理をつくる」という事の方が強くなってしまう。「この料理をつくる」という事に対して、「食べる」で対処するしかない状況というものが出来上がってしまう。それが端的に堅苦しい。それでは絶対においしくない。


おいしさというものが本来、単独でたちあがってくるようなものではないのだとも言える。何かと何かの間にはさまれてふいにわき上がってくるような感覚に近いのかもしれない。だとしたら、それを「再現」させようとする事自体が、根本的に無意味な事である可能性も否めない。しかしそれが「おいしかった」という記憶そのものは、単独でたちあがってくるのだ。それはたしかに、それ自体で、おいしかったのである。そのひとかたまりのイメージとして、記憶に生成されるのだ。される以上、それは再現可能なのではあるまいか?そこに努力の甲斐がないとは言い切れないのではないか?


食事をしていて、かつてのあのおいしさの記憶と、そのときの自分のよろこびの感触が、ふいに蘇る事があるのだ。それがまったく別の食材と調理法からなる料理であっても、突然、蘇ることがある。でも、食材だの調理法だの、そんなものに如何ほどの意味があるのか?むしろ、そのような呼び覚ます力こそが、料理の潜在的な力なのではなかろうかとさえ、最近は思うのだ。料理の技なんて、はっきりいってしまえば、どれもまあ似たり寄ったりではないか。食材と調理には、それは無数のやり方があるのだろうし個性とかもあるだろうけど、でも所詮、それは加工した食材ではないか。どこでとれた、どんな一流の名産品であろうが、そんなものにさしたる違いなどないじゃないか。だとしたら、それはもはや、味覚の問題ではなくて記憶の問題なのだ。おいしさとは味覚的な愉悦ではなくて、過去の再来なのではなかろうか。しかし、だとしたら、何を扱えば、おいしさを追い求めるという事になるのか。

2009-08-09

金土日


金曜、土曜、日曜と来たが、とにかくただひたすら蒸し暑い。日記の文章もまとまらない。まったく低調な日々だが、わりとたくさん読書したのでそれは良かった。明日からはお盆週間で、僕は出勤だが、世間には休暇の人も多かろう。自分が休んでる状況が、当然一番良いけど、その次に良いのは、自分以外のなるべくたくさんの人が皆休んでる状況だ。これはこれで良い。なぜなら、周囲に誰も居なくて、快適だからです。だから明日が、なるべく、どこも誰もいないガランとした世界になっていればいいなあと思います。

2009-08-06

Be


蒸し暑さで缶ビールの周囲につく水滴の量がものすごくて、缶を持った手がタオルで拭きたくなるほど濡れる。缶の置いてあるテーブルの周りも、こぼしたかのように激しく濡れる。中の液体は、さっき空けたばかりなのに、半分も残っている内に、あっという間に温くなってしまう。これではただの、温い液体の入ったやたらと表面から水滴がぼたぼたこぼれるアルミ缶に過ぎないではないか。しかしそれを無理に喉に流し込むところが如何にも夏という感じである。このぬるい感じ。ぬるいくせに、空けてからまだそれほど時間が経ってないから炭酸は強く口内を刺激し、ぬるいのに過剰な炭酸の、苦味と甘味がそれぞれそのまま溢れ出したかのような、妙な液体をひたすら腹の底に流し込んで、こみあげてくるものに、げーーっとなって、仕方が無いので歯を磨いて寝ることにする。空っぽになって缶はまだ、猛烈にたくさんの細かい水滴を表面にたたえているが、見た目よりも、とても軽くなっているので、ときおり吹き込んでくる風にふかれて、まるで紙のように、たまにゆらゆらっと揺れている。

2009-08-05

ローラースルーGOGO


昨日の文章を書いた後、車体に回転軸運動が可能な機構を備えた乗り物があっただろうか?と考えていて、いきなり「ローラースルーGOGO」を思い出してしまった!!これを思い出すなんて、まったく想像だにしていなかったので、大変驚いた。でもこれはたしかに、そのような機構を備えた乗り物だ。単純な、ペダルを踏むことで後輪を駆動させるだけの子供向けの玩具だが、旋回は乗っている本人が曲がりたい方向へ重心を移動させるのだ。そうすると、足を乗せている土台に、ボディの支柱を捻るような力が加わり、それで車体全体が微かにねじれた状態となって、旋回するというものだ。そのかすかな捻れを許容するだけの回転軸が機構として搭載されていたのである。これはもう、どう考えてもピザ屋のスクーターの先祖である。


という僕の想像をさらに裏づけ、決定付ける情報がwikipediaにあって、始めて知ったことだが「ローラースルーGOGO」は本田技研工業の製品なのであった!!そして僕が散々ここで引き合いに出している「ピザ屋のスクーター」というのも、要するに本田技研工業の「ホンダジャイロ」なのである!!両者は、技術を共有していたのだ!というか、僕は図らずも無意識のうちに、一見まったく無関係であり僕の脳内の記憶領域においてもまったく無関係な場所にそれぞれ保存されていたの過ぎない、まったくどうでも良い情報としてのふたつの記憶を、何の外部依存先もなく呼び出して、結び付ける事に成功したのだ。いやそれはむしろ、記憶の断片それ自体が、自らの意志をもつかのように勝手に上層領域に浮かび上がってきて、結びついて、今ここに、文字として結実したのだ。それが僕の脳内の働きに関する驚くべき作用ととらえるべきなのか、はたまたホンダという企業の偉大さを示す事項ととらえるべきなのか、それはわからないものの、とりあえず今のこの世界において、なんだかんだ言っても僕たちが、手軽にデリバリーピザを利用できるのは、30年前に「ローラースルーGOGO」がたくさん売れたおかげなのかもしれない、という仮説を立てる余地が生まれたことだけは、たしかだろう。

2009-08-04

ピザ屋のスクーター


よく町でみかけるピザ屋のスクーターが、歩いている自分を追い越して、猛スピードで走り去っていくのを後ろから見ていたら、スクーターはやがて曲がり角に差し掛かり、左折しようとして車体を大きく傾けて、ほとんど内側60度くらいの角度に傾斜したまま、あまり速度を落とさずに華麗にコーナリングして曲がり角の向こうへと消えていったのだが、そのときの車体後方下部に位置する、駆動力たる2輪を回すエンジンの詰まった箱は、スクーターや乗っている人物の傾斜の度合いにまったく影響されず、しっかりと水平な姿勢で地面に設置して駆動し続けている。あれを見るといつもすごいと思う。


要するに車体の傾きを最初から計算に入れて、回転運動が可能なように後輪部分が「軸」をもとにして車体と連結されているということなのだが、あの「動き」を見るたびに、ああ、あの仕組みを作り上げた人というのは、実にすごい人だなあと、いつも思ってしまう。なんというか、車とかバイクとかスクーターとか、船でも飛行機でもなんでもそうだが、移動する物体というのは自分の運動性能に対して基本的には効率的な形状をしているもので、その意味ではピザ屋のスクーターもそうなのだが、しかしなんというか、ピザ屋のスクーターの、あの駆動力たる後輪部分とそれ以外を軸一点だけで連結しているあの技術というのは、なんか異様な感じがする。変な話だが、非常になまめかしい感じがする。たとえていうなら、船が、スクリューと舵で自分自身を制御しながら、場合によっては胴体の真ん中辺からジャバラ状になって身をくねらせて水の中を進んでるような感じがするというか…。そういう感じの、何か妙に過剰な印象を与える動きに思える。


だいたい、バイクやスクーターなどというものは、人間が直接またがって乗る乗り物であるから、跨るべき車体というのはある程度太くて固くてしっかりした棒状のものである事が望ましいのだと思うが、ピザ屋のバイクは、あろうことか、真ん中辺にぐにゃぐにゃの一点支点の股間節みたいなのが一個挟まってる、という感じなのだ。で、そのぐにゃぐにゃの感じを上手く利用して走るのだから、なんとも妙な、基本的に乗り物一般とは別の生き物なんだろうと思わせるような感じもする。あるいは、人間の胴体のもつ豊かな表情を感じさせるところもあるのだ。上下左右の運動性に加えてひねりや捻れや歪みまで表現すると、フォルムは俄然複雑で面白くなるということだろう。


(というか、元々は「馬」が起源か。しかしなぜか、乗り物としての馬には、あんまりそういう面白みは感じないのだが…)

2009-08-03

ガードレール


歩道を歩く自分の背後から、自転車が徐々にこちらに近づいてくるのはわかっていたのだが、正面からこちらに向かって、まったく歩調をゆるめず歩いてくる人物と僕との間隔が、みるみるうちに狭まってきており、自転車がまだ背後にいるうちは、僕はこの歩道における進路変更の自由を奪われていると考えるしかない状況であるから、このまま行くと確実に、どこにも行き場がなくなり、自転車が自分を追い抜くより先に、僕は目の前の人物と正面衝突してしまう危険性が高くなってきていた。


もちろん向かいからくるこの人物の、こちらの状況などまったく意にも介さず、こちらを避けるとか立ち止まるとか、そういう素振りなど微塵も見せず、平然とずかずか間合いを詰めてくる、その配慮のない行動に、最初のうちは憤りも感じたのだが、しかし距離が近づくにつれ、どうやら向かいの人物も僕と同様、本来ならしかるべき時にしかるべき判断で、手持ちのカードを切るべきときに切るべきだったのに、それをことごとく見逃してきたままで、無為に時間を過ごしてしまい、今やまったく、進路変更や迂回などの選択肢が無い状況で、なすすべなく僕に近づくよりほかなく、そのまま僕に正面衝突してしまうよりほかない状況に追い込まれているのだという事が、いまやかなりの至近距離に近づいて、互いの表情をかなり微細な部分に至るまで確かめ合えるほどの状況になって、もう目と鼻の先にあるその男の、やや伏目勝ちな眼差しを見て直感せられた。…たぶん、この人はもはや僕を避けるための努力を放擲している状態であると推測された。


ぼんやりしている暇はなかった。このままだと、あと数秒で衝突してしまう。切羽詰った状況が僕に、いつもなら決して実践されないような大胆な打開策を決行させた。僕は歩みの速度をまったく落とさずに、自分の身体を大きく斜め45度に仰け反らせた。そしてそのままの体勢で向かいの相手の右腕とわき腹の間に空いた僅かな隙間を、かすめるようにして通り抜けた。アゴの先と胸から肩にかけてが、ほんの少し相手と接触したようだが、間一髪、ほぼダメージを蒙らずに、男とすれ違うことに成功した。そしてそのままの勢いで、あっという間に手で触れられるほど至近距離にまで近づいてきた真っ白なガードレールの手前で、思いっきり進行方向とは逆の方向へとトルクを駆け、悲鳴のような軋みをけたたましく轟かせつつ、ガードレール沿いに自分の身体側面を完全に密着させ、火花を雨のように地面に降らせつつ、耳を劈く摩擦音に意識を失いかけながらも、どうにか進行方向への脱出路を確保した。ようやく見慣れたいつもの駅の入り口についたときには、着ている服がところどころボロボロで、激しく硝煙の匂いにまみれていたため、満員電車でほかの客からかなり迷惑がられてしまった。

2009-08-02

「Cowgirl In The Sand」


Neil Youngの「Cowgirl In The Sand」を聴く。アコースティックギターでの弾き語りのやつとしては、僕が所持してるのはCSN&Yの「4 Way Street」に収録されてるテイクとNeil Young「Live At Massey Hall 1971」の2バージョンだが、やはり前者のヤツが圧倒的に素晴らしいと思う。僕はこの曲の歌詞の意味を知らない。ずいぶん昔から知っていて、大好きな曲で、今まで何度も聴いているのに、そこでNeil Youngが一体何をうたっているのか、全然わからないし、今までわかろうとしたこともない。でも、何度聴いても、素晴らしいと思う。そう思う気持ちは、ホンモノだ。。


歌詞の意味内容もまたサウンドにとっては二次的で、それ理解できないことは必ずしも負の要因ではない。それがどんな内容であろうと、またどんなに名歌手がそれにふさわしい解釈をしていようと、何語なのかさえわからない聴き手がそれに構わず純粋な人声としてしか聞き取らないことは珍しくない。外国語で歌われた場合我々が聴くのはこうした純粋な素材としての声であり、その歌詞や自国語訳を知ることが歌い手の技巧や表現力、作品としての基準となることはあっても、サウンドとして聴くのに必ずしも必要不可欠とはいえない。サウンド聴取は意味内容の理解を排除しないが、それを前提ともしない。むしろ声自体、音楽自体が持っている"肌触り"が重要で、声がどのような効果をもつかに関心が絞られる。(レコードの美学230頁)


いわゆる「歌が上手い」ということとはべつに、その歌手の「声が良い」というのは、確実にあって、そのときの「良さ」とは、いったい何か?誰が、如何なる基準で、その「良さ」を判断するのか?というのはすごく謎で、それは技術的なところとはまったく別な判断基準なのだが、しかしその声を聴いただけで「これは良い」と瞬時に思わされるような声があるというのは事実だ。それは素晴らしさ、として在るというよりは、あらかじめどこかにあった、ある出来事なり、ある感情なりを、瞬時にまざまざと思い出させるような、ふいの記憶のたちあがりのようにして、その歌手の歌であると同時にそれとはまったく別の何の脈絡も共有しないべつの出来事をいきなり引きずり出してきてしまうかのような、そのような得体の知れない、時間を逆行するかのようにして聴こえてくる声(音)だ。


Neil Youngが「Cowgirl In The Sand」でなにを歌っているのか?…それは僕には、わからないのだが、しかし同時に、Neil Youngが「Cowgirl In The Sand」で、もはや否定の余地もないほど決定的に重大な、とても強烈でかけがえのない何かについて歌っている、既に歌ってしまったのだ、という事も、僕にとっては確かなことなのだ。

2009-08-01

本棚、ピアノ


自分で読みたいと思った本を、自分の意志で読む、というのの初体験がいつだったか?というと、おそらく小学生のときで、そのきっかけとなったのは小学校5年くらいのときで、友人のFが星新一を読んでいると知って、そのとき星新一という名前をはじめて僕は知ったのだが、ああいう、小さな字のびっしりと書いてあるような、「大人」が読むような、いわゆる文庫本みたいなものを、自分の同級生が読んでいるというのがけっこう衝撃だったおぼえがある。


で、結局僕もそのまま影響されて星新一を読み始めたのだった。読んだ本は、またたくまに増え、本棚のある一角に星新一の著作がずらーっと並び始めると、自分がこんなに本を読んでいて、もう既にこれだけ読破しているということにある種の自己満足を感じたりもした。


で、そんなある日の事ですが、(前述のFとは違う)友人の家に遊びに行って、たまたまその友人のお兄さんの部屋をのぞいたら、その部屋には、深茶色の重厚な木製の、ガラスの貼られた両開きの扉のついた、かなり高級な感じの立派な本棚があって、その中には本がびっしりと収納されていた。色とりどりの背表紙が、びっしりと棚の前面を覆っていて、それがガラスに防御されて完全密閉の待機状態になっていた。その本は、すべてそのお兄さんの読んだ本なのだという。お兄さんがあまりにもたくさん本を読むので、お父さんが別室にあったその立派な本棚をお兄さんの部屋に置いてくれたのだそうだ。そこにびっしりと収まった本達は、ほとんどがSFとかハヤカワミステリとかだったと思う。僕はそれを呆然として眺めた。そのものすごい量には、本当に圧倒された。自分より何年か年上というだけの、友達のお兄さんが、その蔵書をみると、もうとてつもなくたくさんのことを知っている、遥か彼方の高みに居るような人に思えた。


僕は当時(今もだが)SFとかハヤカワミステリとかについて、ほぼ全く知らなかったが、しかしその本のラインナップが、自分の親の世代とか学校の先生とか、読書感想文の推薦図書になるような、いわゆる「大人」が薦めるような類のものとは違う、ということくらいはわかっていたし、そういうラインナップが、本人の意志によって、これほど大量に揃えられているということ自体にも、強く衝撃を受けた。それは自分にとって、はじめて感じさせられた「サブカル」の力であったと思う。今書いてて気づいたけど、自分にとって、サブカルとは「本人の意志で積み上げられてるもの」という風な思い込みがあるのだ。いわゆる大文字の歴史から切り離された云々…という事でもあるのだろうが、自分にっとては何よりもあの、友達のお兄さんの部屋にあったあの本棚の中のすごい量の文庫本たちこそが、あの物量こそが「サブカル」の原イメージとしてあるのだと思う。なおかつ、それが如何にもな、古めかしい高級な本棚に納められていたことが、いっそう「サブカル」力を引き立たせたようにも思われる。このように、読みたいものを読んで、それがこれほどの量に積みあがってしまうということがあるのだ、という衝撃であり、それが許されるのだ、いやむしろ、そうでなくてはならないのだ、という確信をおぼえたように思う。


で、その後SFとかハヤカワミステリとかも読み始めたのだと思うが、いまいちあんまり面白くなくて、それ系を読むのはすぐやめたように記憶する。結局小学生から中学生にかけて、自分にとってもっとも強烈だったのは筒井康隆であった。…星新一を読んで、今は筒井康隆を読んでると言ったら、これまたよく本を読む親戚のお兄さんに「そのあたりから読書に入っていくというのは、ひとつのパターンだな」と言われたことがあって、当時、この言葉も忘れがたかった。今まで読んできたことや、これから自分が読むであろう事が、すでに「パターン」であり、誰かによって先取りされているということ、その道を、お前も大体似たような感じで進んでいるのだ、という指摘は、もしおなじ意味の言葉を今言われたとしたら、決して嬉しく感じる言葉ではないと思うが、でも当時はまるで正反対の印象に感じた。なにしろ自分は、あのびっしりと本棚に詰まった「サブカル」のイメージがあったので、自分のやってる事が、あらかじめ先取りされたひとつのパターンに過ぎないという予言は、決して悪く感じられる事ではなくて、むしろとても嬉しく感じられる事だったのだ。…当時は、とにかくそう思っていた事はたしかである。。しかし、本棚もすぐいっぱいになって、そんな事に新鮮な衝撃を感じていた事などとっくに忘れてしまった。


ちなみに、また別の友人のお兄さんに、すごくピアノの上手い人がいて、この人がある日たまたま「あの素晴らしい愛をもう一度」を弾いてくれた事があって、そのときはなぜかその部屋に集まった友達何人かと、そのご両親とか近所のおじさんやおばさんも居て、なぜかみんなで「あの素晴らしい愛をもう一度」を合唱したのである。なぜ、みんなでそんな風に合唱したのか、今となっては全くの謎であるが、とにかくそういう合唱をして、その友人のお兄さんがピアノ伴奏をしてくれたのである。


で、このピアノが自分にとっては、これまたものすごい、天地がひっくり返るような衝撃を受けたのであった。なにしろ、当時の自分にとってピアノというのは、学校の音楽室にあるものであり音楽の先生がズンチャズンチャのリズムで弾くものであり、たまに女子とかがうつむき気味な姿勢でやけに真面目ぶって注意深げに弾くものであり、間違ってもあんな風に、自分とあまり変わらない(ちょっと年上の)男が、思い切り全力で、力任せの腕力で、がんがんと叩きつける様に、鍵盤に汗の後が残るくらいの勢いで弾くようなものではなかったのだから。。とにかく、そのように力任せにピアノを弾く人間、というのを、生で、初めて観たのだから。これには驚いた。というか、アタマの中が真っ白になるほど、ものすごく感動してしまった。その弾く姿に感動したのか、あるいはものすごい力で放出された、ひび割れを伴うかの如き音自体の迫力に感動したのか、よくわからないが、おそらくそのどちらにも感動してしたのだろう。で、もはやピアノという楽器に対して、それまで持っていたイメージが180度変わってしまい、驚くべきことにその後、自分はその衝撃によって熱に浮かされたようになったまま、たぶん2ヶ月か3ヶ月くらいは、自分の意志で、ピアノを習いに行ったのである。これも小学生のときだ。でもたぶん、バイエルの半分くらいでやめました。これはさすがに、いくらなんでも、あまりにもつまらなかった。

 |