ルール


ルールというのはシステムの一部か?あるいはシステムの正当性を保証する共有された外部参照先か?システムを駆動させるために皆がとりあえず守らなければならない決まり。それを守らないことにはシステムが破綻してしまう。だからみんなで守りましょうということ。それがルールか?でも、だとしたらルールこそがシステムではないか。ルールを守る事がそのままシステムを駆動させる事に直結しているのだ。ルールなくしてシステムなしということだ。システム自体の評価など意味がない。問題はドキュメンテーションエビデンスの有無だ。


そもそもシステムが構築された目的が、たとえば「人類の平和を実現する」だったとしたら、そのために莫大な工数をかけてシステムを構築して、ものすごく大量の仕様書がうず高く積まれて、それでついに完成して、そのシステムがサービス・インしました。で、ついに世界が平和になったとすると、そのシステムのおかげで平和になったという事なのか。それとも、そのシステムの取扱い説明書がもっとも尊い平和条文であって、その条文のおかげで平和になったということなのか。別にシステムは説明書以上の仕事はしないが、優れたシステムほど取扱い説明書を読まなくても操作できるし、その操作方法(ルール)が一目瞭然なインターフェイスをしていて、かつ優れたシステムほどあらかじめ許された操作以外の使用は不可能に作られているものだけれど、それもやはり詳細設計書のクオリティということで、システムって結局作ってしまえばそれでよくて、結局はルールが共有されるかどうかだけが常に問題で、共有さえされればそのエビデンスとしてのシステムが構築されるわけだ。


となると、やっぱりインターフェイスも含めて、ルールなしに作るか、当初の目的から図らずもズレてしまうかという方向で、そうじゃないと、まず面白いものにはならないということだろう。