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2011-09-30

風邪


喉の痛みと咳。あと鼻の調子も悪い。げほげほずるずると、オフィスでひとりやかましく、人から「風邪ですか?」と聞かれてしまう程度にはわかりやすく風邪の人っぽい感じになってしまった。でも身体のしんどさや苦しさはそれほどでもなく、わりと普通にやってられる。でも今日に限って色々と人と話す機会が多く、こういう日こそなるべく誰とも話しないで地味にして一日をやり過ごすべきなのに結果はその反対で、やたらと歩き回って喋りまくった一日となったのはなぜか。声を出すだけで結構つらいが、でも喋ってるとなんとか喋れるものだなとも思う。


帰りの電車では、かつてないほどの猛烈な眠気に襲われる。眠いのはいつもの事なのだが、今日はその眠さに凄みが感じられるというか、もう意識が制御できるレベルを遥かに越えた、社会人の眠りを超えた、動物の眠りというか、動物の冬眠的眠りとでも言いたいような、太古からの荒々しい原始的睡魔という感じで、ほとんどその場で死んだも同然であるかのような眠りというのか。ドアの脇に立って本を読んでいる姿勢のまま、自分でも呆れるほど見事に意識がなくなった。そのまま次の駅に着いてドアが開くまで、完全に立ったまま寝た。寝たというより、そのままフリーズした感じ。本を持つ手も動かないし姿勢も変わってなく、膝がかくんとなったりそういうこともないが、それでも意識はなく、しばらくしてはっと気付くと、目の前にいる人がさっきと違う人だ。車内の雰囲気がさっきと違う。でもそれを見ながらまたすっと意識が遠くなった。延々それの繰り返しだ。醒めない夢を見ているようだ。たぶんみんな、僕が寝ているのを見ている、と思いながら、意識がなくなった。いや意識がなくなったかどうか、それはわからない。何度もそこへ戻ってくるから、ああ、また寝てたんだなと、それがわかるという事だ。そんなの説明しなくてもいいか。こういうのも風邪のせいなのかどうなのか。降りる駅が近づいてきたので、さあ降りようと思ったが、その後はっとして再び窓を見やると、すでに次の駅に到着する直前だった。時間で言ったら五秒くらいしか経過してないような気がするけど、乗り過ごしてしまった。この状態なので別に驚かない。でも秋葉原から仲御徒町までほんの五秒。電車を降りて、丁度向かいに来ていた逆方向行きに乗り込む。すごく空いていて冷房が効いており車内が涼しい。さあ、これで生き返った、と思う。目覚めたのだ。一日の始まりだとさえ思う。

2011-09-29

病床


風邪の引き始めなのでひとまず今夜は早めに休ませていただく。風邪を引くと、なんだかよくわからないけど、何か、まったくあたらしい物語が、今から始まるような気がしないか。この僕が主人公で、ぐったりと弱った姿で、身を横たえている。それがファーストシーンだ。たった今はじまったばかり。さあ、これからどんな物語が展開するのか、次のカットで、襖がすーっと開く。誰かが訪ねてきたようだ。あれ?…誰だっけ、あれは。

2011-09-27

グラスの底


ぐっとあおって、グラスに残った酒を全部飲み干す。そのまま両目を寄り目にして、口元にあてたグラスの底をじっと覗く。底のガラスの湾曲した光と影の世界に自分全体が入り込んだような気分になって、なおもそのままじっと、目でうねうねした模様を見続ける。ガラスの表面を流れてゆらゆらと濡れた景色が歪みながら下へと垂れ下がるように落ちていく。それを観ながら口元からまだグラスを離さないままで、じっと止めていた息をふーっと吐き戻す。鼻先に自分の息がふわっと戻ってくる。つまらなくなって、おしまいに、もう一度グラスをふっとあおる。一滴にも満たない、かすかな量の酒が舌先を濡らす。

2011-09-26

手続き


吊革に掴まる。電車が動き出す。じょじょに傾斜がきつくなる。車両が完全に上を向く。足が床から離れる。体重の重みが腕にかかる。全員が、腕一本で吊革にぶら下った状態。あちこちから呻き声や苦しげな声が聞こえる。なおもゆっくりと、電車は容赦なく登る。頂上に辿り着いて、今度は下る。その後ジェットコースターのようにものすごいスピードで急降下した、という話をこれから、書くのか。途中で手を放した。そうしたら一気に、僕は空中に放り出された。地上数百メートルの高さを、手足をばたばたさせながら、僕は放り出されている。そうか、いよいよ死ぬ、と思った。自分の身体が落下する。何の支えもない。今、落下している。容赦なく加速する。空気を切り裂くすさまじい轟音が耳から頭の中をかけめぐる。すさまじいスピード。轟音。これから死ぬ。地面が近づいてきたことが音の変化でわかる。落ちる瞬間がやってきた。いよいよ着地だ。死だ。落ちた。がーんと鳴って、いつまでも終わらない。鳴り響いたまま、ずっと音が持続している。身体の半分以上が割れてしまったような気がするが、よくわからない。乾いた砂場に寝転がっているような感じ。ふとして、また空中にいることがわかる。浮かんでいる。そしてその直後、再び地面へ。がーんと打ち付けられて、もう一度着地した。一度落ちて跳ね返ったらしい。これでようやく着地した。でも身体の感覚が戻らない。どうなっているのか。まだ一つながりの肉体組織なのかどうかもわからない。音が、まだ鳴っているような気がする。いや音が鳴っているというより、自分の耳と脳が損傷しておかしくなっているのだろう。たぶん身体のほとんどが壊れたはずで、情況を調べることもできないが、とにかく今時点でついに僕は落下した。地面に落下したのだ。すでに着地済み。もう、どうしようもない。これで終わりのはずだ。死んだのかどうか、今はまったく実感はない。この後、たぶん手続きがあるのかもしれない。いまは何もわからない。音の感知機能が壊れたので、さっきから着地のときの音が、ずーっと近くで鳴りっぱなしのまま、鳴り止まなくて、すごく苛々する。それ以外に今、何がどうなっているのか、まったく認識できない。でもなんとなく、この後も色々と面倒くさそう。誰か係りのヤツとかが来そうな感じ。たぶん窓口係に説明とかして、なんかわかり辛いフォーマットの申請書とか書いて捺印して、この後、結局はしかるべき施設に収容させるとか、せいぜいそんな感じかもしれない。超つまんねーじゃん。面白くないな。どこへ行っても楽じゃないし、手続きとかばっかで、本当に面倒くさい。

2011-09-25

危機


イエスの「危機」を久々に聴いたら、これがやっぱり素晴らしいとしか言いようがない。正直、いまさらイエスの「危機」が素晴らしいとか、わざわざブログに書くなんて愚の骨頂だという思いもあるが、良いものは良いのだから仕方がない。他に書く事もないしな。でも正直イエスの「危機」なんて、もう何十年も前から聴いてきて、さすがに聴き過ぎで、もう曲の新鮮さとか自分の中で見事に消滅していて、文字通り完膚なきまでに聴き飽きている曲の代表と言っても過言ではなくて、今後も、おそらく一生ずっと聴かなくてもかまわなくて、僕にとってはもう二度と、やっぱりこの曲素敵、とか思う日は金輪際来ないものと思っていたのだが、しかし何だかんだ言っても聴いたらやっぱり良かった。実にあっさり盛り上がってしまった。これはやっぱりイエスの「危機」という楽曲がとてつもなくすごいという事でもあり、僕がとてつもなく愚かという事でもあるだろうが、まあ正直ベースで、厳密に言えば、もう後半は、とりあえず聴く気がしない。そう断言して良い。「危機」ぜんたいを大雑把に三つに分けるとして、今回いまさらのように僕がすごいと思ったのは、一番最初の三分の一だけ。イントロのSEフェードインからヴォーカルがインしてくるまでのカチャカチャしたパートと、ジョン・アンダーソンが歌い出してから曲が転調するまでの、ギターとベースによるバッキングパートの部分に絞られる。曲の開始から大体八分を過ぎたあたりまで。それ以降は正直、さすがにもういい。中盤のパイプオルガンみたいなのが鳴り響くところとか後半のクライマックスは勝手にやって下さいという感じ。昔はすげーと思ったけど今はもういらない。


それにしても、この曲でのスティーブ・ハウのギターって、本当にすごい。というか、おかしい。あんな飛び跳ねるような、あんな瑞々しくも生々しいギターってありえるのか。これって、演奏がすごいのか、サウンドメイキングがすごいのか、ミキシングがすごいのか、頭の中が疑問符だらけになってしまう。今、この耳に聴こえている音が、聴こえているままであるにも関わらず、どうやればそうなるのかが、どんなに考えてもわからないという、聴こえているものの当たり前さがそれゆえに不思議という、その不思議さそのものに驚いてしまう。もちろん、プレイ自体が神業的だとも思わないし、同じ様なフレースを同じようなセッティングのギターで弾けば、きっと同じように再現できるだろうし、同じように聴こえるだろう。そんなのは当たり前で、僕はそんなことを言いたいのではなくて、あの楽曲のイントロで、あのようになぜ、あのギターは鳴る(成る)ことができたのか?という事だ。そのことが不思議なのだ。そんなこと不思議に思われても、そんなの誰にも答えようがないと、誰もが思うようなことを、不思議に思っているので、そうでもなければ何十年経ってもいつまでも変わらず不思議だなんて、そんなことあるわけもなかろう。この不思議さは、たぶんこの先、何十年も消えないような、いつまでも新鮮な謎として、イエスの「危機」に含有され続けるのかもしれない。曲のフレーズにも展開にも細部にも全部飽きてしまっても、この事だけは解決できない。つまりこの事だけは、記憶不可能で、再生のたびごとに聴くしかないという事でもあるだろう。だからこそ、こうしてわざわざイエスの「危機」が素晴らしいとか、今更のように書いているのである。


もちろんすごいのはスティーブ・ハウのギターだけではない。クリス・スクワイアのベースもである。「危機」のクリス・スクワイアがすごいだなんて、そんな事を今更書いてる馬鹿馬鹿しさは充分に承知しているし、そういうことをくどくど書くのももう、くどくどの重なりにおいていくらなんでも、全体的にくど過ぎるだろうとも思うのだが、とにかく何にせよ、クリス・スクワイアはクリス・スクワイア節でいつもどおりで、そのまますごい演奏をしていて、僕は正直、そういう個性とかクリス・スクワイアのベーシスト性そのものには思い入れがなくて、というか、ああいうピック弾きでバキバキとエッジの立ったベースって、音が汚くて基本的にあんまり好きではなくて、はっきり言えばプログレのベーシストなんて基本的にみんな嫌いなので、イエスなんていうグループも実は、別にそんなに好きではないのだが、でも「危機」という曲だけは特別なのだ。「危機」と、「サードアルバム」だけで良いかな。あとファーストもかな。「こわれもの」とか、正直自分としてはどうでもいいし。「リレイヤー」もいいわ。イエスなんて、正直、趣味悪いっていうか、品性に欠けるというか、別にどうこう思うほどのバンドじゃないと思ってるんですけど、でも「危機」だけはちょっと…、これだけは、やはり違うのだ。これはもう「不幸」というか「アクシデント」ではないかとさえ言いたくなる。ほんとうに、これは、たいへんよくできました。イエスの「危機」。うん、そう。で、なんだっけ?あぁそうだ、クリス・スクワイアか。そうそう。で、クリス・スクワイアの最初のベースライン。あれはびびる。ジョン・アンダーソンの歌と一緒になって、相変わらず汚い音でぶんぶん弾いてるけど、うわーベースってこれで良いのか?って思うような、豪快というか乱暴というか幼稚というか、感覚一発というか、ほとんどボトムラインの意識ゼロ、みたいなフレースなんだけど、これやっぱり、聴けば聴くほど、ほんとうに素晴らしい。こんな汚い弦の唸りが、このときだけはとてつもなく輝かしい音に聴こえてしまう。やってることは、奔放そのものなのに、そのまま完璧に、楽曲の中で要所要所で、働いてしまっていて、まあ、言葉にしても陳腐になってしまうのだけど、これは本当に奇跡的なベース。ほんとう、よくこんなフレーズを思いついたなあとつくづく思うし、これで行けると確信するところがまずすごい。


で、順次書いてきたけど、これは音楽なので、今書いてきた事は実際には、全部一挙に、完全に同時に行われている事である。何もかもが、同時なのである。何度もおなじ事をくどくど書いているのだとは思うのだが、でも何度でも書くしかないので書くけど、やっぱりその事実はとんでもなくすごいことで、この「何もかもが同時に全部行われる」という事実一点だけで、要するに音楽ってそれだけですごいんだね、という事で、いやまさに、まったくそういう単純な事実の確認でしかないのだけれど、それ以外に何も言えない。


まあ、そんな事はどうでもよくて、昨日は朝からたしか、なぜか古めの音ばかりいろいろ聴いた。昨日も書いたけど、ヴァネッサパラディとか、ほんとうにあのライブアルバムは傑作だ。プロデュースはレニー・クラヴィッツなのか知らないけどだとしたら最高の仕事であるな。アイドルポップとかばかり大好きな人の気持ちも、こういうのを聴くとすごくよくわかる。生身の肉声の、この世の中からの隔たりと近さとの何とも切なくなるような関係にぐっと来るというのか、リアリティの近さ遠さみたいな、そういうなんというか、よくわからない感じの。


あとさっきの話しの続きをまたちょっとすると、イエスの場合、やっぱりベースもギターもなんか、あんまりベターッとしてないというところが重要なんじゃないかな。ふつう、ああいうエレキ、というか、電気増幅系の楽器って、合奏するとどうしてもベターっとする。ドラムベースギターキーボードが合わさった音というのは、もう完全にひとつのお約束としてあって、その意味ではロックとかは基本的に全部同じ音がしている。すごいクリアに録音したとか、デジタルリミキシングしたとか、そういう話も前提ありきでの細部調整に過ぎない。もちろんこれは超乱暴な話であるのは言うまでもないが、でもそれは皆無意識に納得ずくでやっているし、それに盲従するのが抵抗を感じて、そこに批評的・意識的たろうとすれば、そこはジャンル性とか成立の起源に向かうような、そういう道の音楽を追求することになってしまう、それは人それぞれだ。


しかし「危機」では、そういう話が普通に音としてちゃんと伝わってくるというのか、僕が勝手にそう思ってるだけかもしれないけど、なんか前述した前半の部分って、やっぱり何か魔法がかっているというか、本来の現実として、人をがっかりさせもすればほっと安堵させもするような、ロック音楽全般に必然的に漂うはずの、アンサンブルのいつものベターっとした感じというのが、あまり感じられないのだ。そういうこととは別の事をやれると、メンバー全員が本気で信じてしまったから、ああなってしまったのではないかと思えるのだ。つまりメンバー全員、狂っていたのではないかとさえ思うのだ。実際、本当にそうなのかもしれない。イエスのメンバーなんて、もしかしたら全員人として狂ってる可能性はある。如何にもな悪ぶりや精神的に凹んだりしない分、よっぽどタチワルな狂人の可能性もあるかもしれない。


イエスの事なんかどうでもいいや。そんな事よりも、ティナリウェンの新作を買った。これ、昨日聴いたら予想を越えて素晴らしかった。ちょっと感動した。でもこんなに普通に「良くて」いいのだろうか。これだとかなり、普通にぐっと来るというか、単純に良い感じだ。でもしばらくは何度も聴くだろうな。


それと一緒に、菊地成孔の新作だと思うけど二枚組のライブ盤も買った。驚くべきことにインパルスレーベルから出てた。それだけでもう素直に、すげーかっこいいと思ってしまう。しかもジャケットも、ちゃんとかっこいい。こういう抜け目なさ、手抜きのなさは本当にすごい。しかし、インパルスから新譜を出すって…本当にすごいなあ。背表紙のところで、黒とオレンジ色で、自分のCD棚で他のインパルスの、コルトレーンとかのCDと一緒に並べられてしまうというところがすごすぎる。enjaの山下洋輔もかっこよかったけどなあ。


他にも色々買ってる。セオ・パリッシュの二枚組とか、テクノも相変わらず何枚か。セオ・パリッシュは何か出れば大体必ず買ってるけど、正直今まで、あまり熱心に聴いてない。すごく巨匠みたいに言われてるけど、実際そんなにすごいの?ていう気持ちが強い。でも今回のヤツはちょっと聴きそう。


今日は午前中から読書。黒井千次「群棲」井伊直行「濁った激流にかかる橋」横光利一「上海」を一章(一遍)ずつ読んでは次へ、読んでは次へで過ごす。あと保坂和志読み直し期間継続中で今は「猫に時間の流れる」と「明け方の猫」を。


久々に小津の作品を観ようかと言って、外付けHDDを二つばかり取り出してみたのだが、その中に小津映画は「父ありき」一本しかなく、それ以外はテレビの録画とか色々あるだけで、そこで端からだらだら見ていたら、そのまま時間が無為に過ぎてしまった。妻はもう寝てしまったが、悪いことをしてしまった。この場を借りて謝りたい。で、それとは関係ないけど、何日か前プリンスの「愛のペガサス」を久々に聴いたら、これもまたすごく良くて、それでその時期のテレビショーの映像なんかを観ていた。ほんとうに気持ち悪い、まるで共感できないような、すさまじいまでの悪趣味と変質性。I Wanna Be Your Loverの頃のプリンス映像はもうメーターが完全にレッドゾーンを振り切っている。これが「ダーティマインド」や「戦慄の貴公子」になると、ものすごくバンド然した感じな、艶やかなR&Bが埃っぽいガレージパンクと無理やり融合していくかのような感じになって、ほとんど頭真っ白で気絶させられるくらい格好良くなってしまうのだが、この時期はまだそこまでは至ってない感じ。でも充分にすごい。というか「愛のペガサス」は本当にいいアルバム。まあSexy DancerとかBambiとかすごい曲があるから、当時そういう演奏を見たらもうすでに死ぬほど格好よく完成されていたに違いないけど。


で、小津といえば昨日、東部伊勢崎線で鐘ヶ淵駅を通ったとき、電車の座席位置から窓の外に見える荒川沿いの土手を見上げて、土手を走る自転車や歩行者や、その向こうのまるで書割のような青空を見て、つまり視界の半分以上が土手の斜面で、上部に色々とものが動いているのだが、これがまさに小津映画を観ているかのようで、遮るものがわざわざ画面内の前景にあるということの効果をあらためて感じた。たぶんどれかの作品中に、荒川の土手をとらえたショットも実際にあったと思うので、そんなに違う景色ではないのだろうけど。


あれが良い、あれが好きだ、というのはとても切実で取替えのきかない激しい決断だ。私の評価軸の中であれは認められるとか、そんな呑気な話ではないのだ。好きというのは、もっと切実な気持ちのはずで、全身全霊で本気ということだ。その状態自体は愚かで、そういう自分を特権化しようなどとは思わないが、しかしその切実さをまるで忘れてしまっている人間や、そういうのをはなから軽蔑している人間とは、話などできない。百年ほど前に、前衛画家たちを擁護し、支えた人々が、当時どれほど自分を賭していたか一度でも想像してみたことがあるのだろうか?それはおそらく彼らにとって、本気の賭けであった筈だ。自分の先見性を信じ、それを誇りに思い、プライドを賭けて、彼らを支えたのである。決して悲壮な決意とか覚悟などというものじゃなく、その行為自体がよろこびであって、陽気で底抜けの楽天性に支えられた、生きる行為そのものであったはずだ。そのようにして彼らは、芸術家たちと共にあたえられた時間を生きたのである。好きだ、というのは、そんな風に明るさに満ちて、自分で自分を祝福し続けるような、そんなオポチュニティの産物であるはずなのだ。

2011-09-24


よく晴れている。日差しの下にずっと居ると体内に熱がこもるが日陰の空気は冷えた水のように冷たい。外を歩くのはとても快適。でも油断するとすぐ風邪引きそう。吸い込んだ冷気が鼻の奥を突き上げて痛みを伴うむず痒さになってくしゃみになりそうだがならずに鼻がぐずぐずになって眉間に皺がよる。空気が乾燥して指先や唇の端がかさかさに乾きかけている。このままどんどん目が開かなくなるかも。


東向島から押上、亀戸、錦糸町と散歩。錦糸町から総武線で秋葉原へ。光のあたっている箇所はことごとく真っ白にとんでいて、大小の黒白に分けられてコントラストだけになった空間としての墨田区路地を歩き進む。木々の葉が風に揺られてゆらゆらと動く。太陽の光と風によって、同じ調子の物量感が同じ調子で揺さぶられて反復する。地面を歩く自分と、自分を取り囲んでいる閉じた空間が何度も意識された。自分の周囲が、在ったり無かったりする。その様子がたえず自分に反射する。


萩の花は今の時期が早いのか遅いのかいまいちよくわからない。ほんとうはもっとも旬な時期の筈が、先日の台風で痛んでしまって無残な状態を晒すしかないのかもしれない。しかし、僕としてはそもそも、萩が生い茂る感じを見た目それほどきれいには思わない。もっとすき間があってまばらな感じに葉がついているというイメージがあるんだけど。というかそのイメージは花札の絵柄。絵柄の萩はとてもいい感じに、物寂しい隙間をたたえた感じだけど、それも正確に写生したというよるは、萩ってこんな感じ、というぼやっとした想像イメージで指導しているとの事だ。まあ、今が見ごろと言われてる、花も散りばめてる今日見た萩たちは、ことごとく花札のヤツとは別の萩なのかも。


植物の葉の形を見ていると、この世界に存在する形態パターンのひとつを見ているようなものだと思う。また池の鯉がうようよ泳いでいるとか亀が折り重なって甲羅干ししているとかも、やはりこの世の形態パターンなのだと思う。形態パターンとは、かたちとかたちの関係の仕方のパターンということだ。たとえば小さな花を無数に付けて生い茂り垂れ下がる萩でも、池のくらい水の中に赤やオレンジのなまめかしい鯉がうようよと泳いでいる様子も、そのまま形態パターンでもあり色彩要素の再現という感じでもある。


そしたら老婆が急に我々に向かって話しかけて来た。二つか三つほど咲いていた彼岸花について、ええ、そうですね、咲いてますねと妻が応答する。笑顔の優しい、きれいなお婆さんである。強烈な厚みの老眼鏡に拡大された巨大な目がせわしなく動き続け、こちらを見ている。

2011-09-23

Joe le Taxi


夕方にはすでに暴風が吹き荒れていた。ビルの谷間に吹き降りてくる風の威力はすさまじく、乗っていたタクシーはまるで荒波に揉まれる小舟のように揺れた。車に乗りこんでからずっと運転手は余計な世間話とか一切喋ってなかったのに、まるで悪意が込められているかのように車が揺れ続けて、さすがに声を出した。「うわぁ、すげえ、地震みてえだな…」僕もその時点ですでに外の情況に完全にびびっていて、その声にすがるように「こんなの初めてですよね?これってビル風の影響ですかね?」と聞いたら「そう、ここの道って普段でもいっつもすごいんですよ。でも今日は危ないね。あ!」突風みたいな風が、どん!と音を立てて車にぶつかり、うわー!と思うほど傾いて、元に戻ったら運転手が「ありゃー曲がっちゃった。」と呻いて、何かと思ったらフェンダーミラーが風であさっての方向に曲がってしまっていた。これはもう前代未聞だ、でも隣のトラックとかが倒れないうちは大丈夫、車が横転とかしたくらいなら、まあ死ぬ可能性少ないだろう、死ななければ大丈夫、とか色々思った。


タクシーが拾えただけでもありがたかった。


そもそも「坂中さん、タクシーで相乗りしませんか?」と広岡が言い出したのが始まり。

軽く「うん、いいよ」と答えたら

「じゃあ坂中さん、みなとみらいでタクシーつかまえてくださいね、俺は今横浜で立ち往生です。もうにっちもさっちも行かないんですよ。身動きとれないっす。坂中さんタクシーで横浜駅まで来て下さいよ。どうしようかな、うーん、そうだ東口のとこで。」

「東口って郵便局があるほうだっけ?」

「あーそうですそうです。中央郵便局とか、あーでもちょっと待って下さい。やっぱニッサンのとこの方がいいかな。ほら坂中さん三月の地震のとき難民がいっぱい寝てたあのブリッジのとこあるじゃないですか」

「あーうんおぼえてる、自動ドアで一回閉じ込められたとこでしょ」

「そうそうですそうです。あの階段の降りたとこにしましょう。あそこまで移動してますんで」

「わかったそのへんまで着たらまた電話するわ」

という流れで一旦電話を切ったのだが、僕みたいなどんくさいヤツがこんな非常時にさくっとタクシーをつかまえられるのだろうか。横浜でつかまんないってのはわかるけど、みなとみらいならつかまるのか?って、かなり微妙なんじゃないの?今鉄道全部動いてないんだから、外の人全員タクシー乗りたいんじゃないの?うだうだ考えながらビルを出た。そしたら前述の、ものすごい強風。映画に出てくる腰抜けひ弱な登場人物みたいによろよろしながら、向かいクイーンズスクエアの中に入る。


フロア内は見渡す限り避難してるだらけ。ベンチも人でいっぱい。カフェ系も全部満席っぽい。全員が携帯かスマホかノートPCで通信状態。でも地震のときと較べて、まだ多少はゆとりがあるというか、みんなそんなに切羽詰ってない感じだ。僕も別に、何時間かこのあたりに座っててもかまわないなあと一瞬思う。あぁなんか面倒くさい役目になっちゃったなあ、と思いながら、とりあえずタクシー乗り場の近くに出口を目指してつかつかと歩く。タクシータクシー。ああ、イヤだなあ、並ぶ羽目になるのかなあ。このまままともにタクシー乗り場行って最後尾並んでも意味ないよなあ、それじゃあ広岡君横浜で死んじゃうだろうなあ、その流れは絶対アウトだよなあ。でもこの状況下でタクシー拾うって、そういうことができるタイプと出来ないタイプがいるのよ。よく考えてよ、人見て物言ってよ。たとえばこれから沈む船で、数少ない救命ボートを、僕がちゃっかりゲットできるか?と言ったら、絶対それは無理でしょ。そういうのは、最初からボートに乗るべくして乗るやつというのが、いるのだ。僕はたぶん、人生の芸風として、そういうものには乗らないのよ。だからこういう状況下でも、タクシーは拾えないのよ。拾えないというか、拾う得ない、みたいな。そういう感じだ。戦争が始まったら五分で死ぬ役を進んで選ぶのよ。だからこんな風にウロウロしてても、どうせ無駄なんだけどなあ…と思いながら歩くうちに正面脇の小さな出口の前まで来た。


ドアから建物の外に出ると、相変わらず暴風が吹き荒れている。ビルとビルの谷間の横断歩道前で信号を待つ。猛烈な風である。道路標識の看板や外灯や街路樹を尋常ではない勢いで揺さぶるほふどのすさまじい風圧。人が普通に、歩くことができない。身体が前に進まない。流れるプールの中にいるようで、今にも足が地面を離れて浮き上がりそうな恐怖を感じる。何かに掴まらないと、まともに立ってるのもやっとだ。そのときである。一台のタクシーらしき車がやってきた。助手席付近のメーターがぼんやりと赤く光ってる。空車っぽい!あれに自分をアピールしなければ。可能か?もしあれをつかまえることができたら、多分俺ヒーローだな。とりあえず今、自分がいるのは、交差点の横断歩道で信号待ちしてるところ。タクシーは僕の方に向かってやってくる格好で、同じく信号待ち。ここから手を上げても、おそらく気付いてもらえないけど、でも、風に煽られてよろけながらも、やや車道にはみ出すくらい前に出て、熱い視線を送り続けて、とにかく必死のアピールを試みる。そしたらそのタクシーは、いきなりウィンカーを左折の方向にちかちかさせやがった。それってどういう意味だろうか?お前を無視して行っちゃうよという意志表示だろうか。それとも左折して徐行するよ、という意味か?色々考えてたら、信号が青になる。僕は猛然と歩き始める。車は歩行者が行くまで待つ。だから結果的には左折しようとした時点で僕に追いつかれる事になった。タクシーのドアが開いた。あ、勝った。あれ?なんかもうタクシーつかまった。超簡単じゃん。なんか容易くね?台風ちょろくね?ははっは。そのとき「おまえできんじゃん」と死んだ前社長が空から呟くのが聞こえた。


十分後、横浜駅から少し離れた日産グローバル本社ギャラリー前で広岡と無事落ち合った。そこまでは良かったが、そこからが停滞した。最初の出発からすでに二時間が経過して、道路の渋滞がかなり酷く、まだ川崎を過ぎたばかり。しかし風雨の威力がじょじょに弱まってきているのは車内から外の様子を見ているだけでもはっきりとわかった。何しろ歩道を歩いている人々が、実にふつうに歩いている。さっきまでの、猛吹雪の中を前屈みで歩いてるみたいな情況ではまったくなさそうである。さらにタクシーのAMラジオならびにGoogleニュースおよびtwitterによる複数chからの交通情報収集結果が、JR山手線回復との情報にある程度の信頼性を感じさせ始めていた。これは今、賭けに出よう、このタクシーを乗り捨てるべきときが来たようだ。広岡とそのように話す。運転手に品川駅で下ろすよう伝える。しかし品川駅前は人ごみと渋滞で地獄の様相を呈していた。やむなく駅まで数百メートル手前にて精算。みなとみらいから品川までほぼジャスト一万円。道路のほぼ真ん中で支払いして下車する。驚くべきことに、我々が下車した数秒後に、一人の女性が車道を疾走して来て、たった今空車になったばかりのタクシーに手を振り、そのまま次の乗客として乗り込んだ。思わず広岡と顔を見合わせる。あの子はものすごく運がいいっすね。うん、相当なものだね。今この瞬間、品川でタクシーを拾えた数少ない実例と言えるだろうね。そんな風に話しながらふたり、駅前まで歩く。駅前の情況は想像を絶するものだった。一瞬車を捨てた事を後悔するも、しかしよく見ると行列の内訳はほとんどがバスとタクシーと、あと京浜急行の乗客なのであった。山手線の乗客は…これもフロア全体を埋め尽くす程のすさまじい黒山の人だかりではあったのだが、しかし驚くべき日本人的整列技術というのか強制収容施設特化型気質というのか、とにかく気が狂いそうな混雑であるにも関わらず無言で順番に連続してやってくる山手線に吸い込まれていき、我々もほとんど待つ事無く内回りに乗車できてしまったのである。


一昨日の夜はそんなで以下略。今日から三連休。音楽ばっかり聴いてた。Vanessa Paradisの素晴らしいライブ盤を久々に聴く。

2011-09-21

nell


混乱の首都圏であったが、タクシー等乗り継いで運良く比較的順調に帰宅できた。そしていまは眠い。ごめんなさい今日は先に休ませていただきます。

2011-09-20

苦労


あなたがよく口にしていた「愛」があるかないかは、世界から感受しうる情報の量や密度や強度において、クレーの実物の絵と印刷物ほどの違いが生まれるものなんだよ。

 それからやっぱり、大変でもラカンを読むことを忘れないように。苦労して読むということは、読みながら自分の知識や経験を総動員することだから、ラカンの理論が理解できないにしても、きっと「愛」の状態と同じだけの情報の量を生み出すことにはなると思うよ。

(『愛』アウトブリード 保坂和志)


もうとっくに、愛の状態にはなれないとしても、苦労の状態になるだけの気力は、まだ少しは残っているかしら。最近はほんとうに、ラクすることしか考えてないかもしれないから無理かもね。奉仕に生を捧げる、生を奉仕のかたちに変えてしまう、だなんて、かつて一度でも思ったのだとしたら面白い。


愛に向かってしまう心も、苦労に突っ込んでいく心も、どちらも異常なものだ。でも何が手元残って、何が差っ引かれたのか、細かい計算ばかりするようになったら、それが正常だとしても、もうおしまいだ。できればあんな思い、もう二度としたくないという気持ちの変わらない過去に、もう一度戻ってみたらどうか。戦争するみたいに本気で自分を賭して読まないと、ほんとうにおしまいである。

2011-09-19

秋味


風の強い日。気圧のせいか、あるいは誰かの不幸に引っ張られているのかわからないが、朝から軽く貧血気味のような気がする。しばらくすると普段どおりに戻る。日差しは出たり翳ったりを繰り返す。午後になって、まるで安っぽいイラストのように、雲の切れ間から光の柱が何本か地上に降り注いでいるのが電車の窓から見える。日中は日差しが強く暑く湿度も高く、電車や建物の中は冷蔵庫のように冷たい。人ごみにウンザリ。三連休終わり。わりと良い三日間だった。やっぱのんびりしてんのがいいわ。夕食は戦前の気分ですき焼き。酒。すき焼きは牛肉を使った日本料理。東京では明治以降、牛鍋として庶民に親しまれ、今のスタイルに定着した。さっきから雨が降っているようだ。このまま暑さが終わってくれたら嬉しいが、雨が続くのは面倒くさいがそれも秋だから仕方がない。ビールを1リットル。妻が起きてきた。まだ起きてるの?雨降ってる?さっきいつ寝た?今日書こうとしていてまとまらずばらばらな考えごとの断片を組み替えてぼそぼそと相手に話していて、ひとしきり喋って時計を見たらもうこんな時間になってるので、もう寝ますか。

2011-09-18

高田馬場の頃


高田馬場駅の改札を出ると、日差しを遮られて薄暗く排気ガスにまみれたような高架下の、さほど広くもないところをたくさんの人々が行き交っていて、ごみごみ、ざわざわとしていて気忙しい。右手の階段を下ると東西線乗り場につながって行き、その入り口へもたくさんの人々が入って行くし、また同じくらいたくさんの人々が出てくる。出てきた人やJRの改札からの人や、これから電車に乗ろうとする人々が一箇所にぶつかり合い、進行の色々な方向が絡まりあって渾然となっている。で、その一部の絡まりが少しほどけたあたりから抜けて、駅出口の看板下から早稲田通りの歩道に下りて、強いアンモニア臭の漂う一角を抜けパチンコ屋のティッシュを配っている女の子の背後を通って右手に進めば早稲田の方に行ける。十年以上前、このあたりにバイト先の事務所があったのでよく来ていた。いや違う、その事務所はこのあたりではなかった。たしかさかえ通りをずっと歩いていって、富士大学のもっと先の、古びたマンションの二階か三階にあった。月に何度か高田馬場に来て、あそこまで給料を取りに行った。毎日とくに何も考えておらず、適当な日々だったが、稼ぐ金もそれに見合って、毎回ほんとうにわずかな金で、わざわざ電車賃払って受け取りに行くのがばかばかしくなるような金額であったが、でも余分な金はなく取りに行かない訳にも行かないので、仕方なく取りに行っていた。


昨日久々に高田馬場を訪れたので、久しぶりにあの事務所があった場所まで歩いてみた。迷うことも無くすぐ見つかったが、当然ながらその建物には全然聞いたことも無い別の会社が入居していた。別に懐かしさも感慨もなく、過ぎた時間の厚みみたいなものを感じたわけでもなかった。昨日や一昨日も変わらないような感じといった方が近い。それが当たり前だし、そういうものだと思っている。逆に当時の人が、仮に今もいたら、そっちの方が怖い。そういうことが、ある訳がないと思ってるから、こうして見に行っているのだ。我ながらじつにつまらない興味だ。


富士大学入り口の手前を流れている川は神田川である。あ、これ神田川なのか、と思った。そこに川があって橋を渡って事務所まで行っていたという事をまったくおぼえておらず、今回はじめて知った。昔と今では見てるものが全然違う。さかえ通りは如何にも学生向けの飲食店が並ぶ繁華街だが、当時は飲食にもまったく興味がなかったので、そのときどんな店が並んでいたのかも、まるでおぼえていない。だから今の商店の並びを見ても、まったく懐かしくもなんともなく、単に、全体的に若者向けだなあと思うだけだ。


駅前には本屋では芳林堂があり、レコード屋ではムトウ楽器店とレコファンがあった。タイムレコードも行ったかもしれない。いずれもそんなに頻繁には行ってない。あとイントロという有名なジャズバーがあるが、ここも行ったことはない。入り口のドアの前には何度か行ったことがあるけど、あのドアはどうにも怖くて、びびって開けられなかったのである。


たしかぷータロー時代が終焉を迎える日に、ぼくはやはり高田馬場に一人でいて、たぶん駅前のゲーセンでバーチャかなんかをやっていたような記憶がある。翌日からスーツを着て、会社というものにはじめて出社するという、まさにその前日で、でも当時はそれまでの生活が、あらゆる意味で八方塞りな四面楚歌な思いを感じていて、何もかも、いろいろな事に、いいかげんもう、うんざりしていたので、そうやって今更のように、取ってつけたように就職して、唐突に人並みの格好をして、明日から会社で働きます、というのは、やはり自分にとっては相当奇妙な夢みたいな、というか、妙に楽しみというか、ふざけ半分で思わず笑いそうになるというか、そういうの、一度やってみたかったんだよなあ、という、妙に浮かれたひどく人工的に増幅された高揚のような気分があった。

ゲーセンのでかいプロジェクターに前日にテレビでやってたF1中継が放映されていたのをなぜかよくおぼえている。イギリスGPで、レインレースで、ミカ・ハッキネンが終盤にコースアウトしてミハエル・シューマッハのフェラーリに抜かれたのだった。雨に濡れたフェラーリが悠然とクルージングに入った画面をぼんやりと見ていた。なぜかこの映像を、このあとも忘れることはないような気がしたものだ。もうこうやって平日のこんな時間に、ゲーセンで一人ぼーっとしてることもないと思ったからなのか、雨の降ってるサーキットの中継画像がきれいだったからなのかはわからないが、おそらくそのどちらでもあるのだろう。


働くというのが、裏切りであるという気持ちも、当然感じた。今までの自分に対してなのか、友人たちに対してなのか、もっと別の、何に対しての裏切りや背信なのかはわからないが、しかし裏切りではあるのかもしれないなとは思った。今までとは違うこれからの時間すべてが、たぶんはっきりそのまま、その過去の何かへの裏切り行為であって、自分でも自覚できないようなこれからの毎日こそが、恥ずべき転向の日々に該当してゆくことに、なるのかもしれないとも思っていた。そうして、それがまた、なぜか不思議なことに、妙に小気味良いような、うきうきとした気分を増徴させるのだ。それが、小汚い、小賢しい行為を平然と行うことなのだとしたら、飄々とそれをする自分にあたらしさを感じた、というのか…そう書くと妙に露悪的で偽悪的になってしまうのでちょっと違うのだが、なんというか、小賢しさへの憧れというのは僕の中に昔から強くあって、これはほんとうに僕の昔からの悪癖で、今までの自分に似つかわしくない…などと人から思われているようなことを、あるタイミングから、あえていきなり始めてしまうことの、かすかな愉悦に酔いたいような、そういう良くない傾向があったようだ。それによって新たな道をつくっているのだと強弁するための材料にするというのか、無理やり退路をつくってさらに展開させてまだまだゲームは終わらないと言いたいのか、まだ面白い、まだ食べられるところが残ってると、そう自分が思っていると、思いたいのか、よくわからない。そういう発想のもとに進もうという感覚というか、そういう幻想のありようは自分の中で今もまだ終わっていないのかどうなのか、それもあまりよくわからない。まあ個人の嗜好傾向という意味であればまだ自分の中にそういう要素もあるのかもしれない。でもどうなのか。自分は自分の今までを決して良いとは思ってないのだが、でももっと上手くやれたか?というと、そうも思わない。まあ、大体こんなものだったろうと思っている。なので、そこはあまり、まあどっちでも良いと言えばよい。また明日になったら明日で、あらたに降って沸いたように、大変なことも起こるのかもしれないし…。


ドナルド・キーン「日本人の戦争」という本を夜からなんとなく読み始めてたら、さっきまでずっと読んでしまった。それで、何か思って、こんな文章を書いてしまったのだろうか。まあ、先を見越して行動するなんてできないことだし、みんな単に、生きて金を作って何とか生活するので精一杯で、それは今も昔も何もかわらんなーと思う。良いだの悪いだの言ってるのもたぶん楽しいことだし、じつになんでもいい事にちがいない。ある状況の中で、人がうろうろしている。そう言ってみても何も始まらない。


昭和十九年の十一月くらいに、東京の空に敵の飛行機が飛来して、焼夷弾による空襲を受け、それ以降、東京で暮らすのは常に空襲罹災の危険と隣り合わせになった。疎開の必要性が現実味をおびてくる。いまの仕事をやめなければならず、現時点の生活をいったん折りたたまなければならなくなるのだ。それでもまだ東京にはずいぶん人が居た。ほかに行くところのない人もいただろうし、まあ何とかなるだろうと思っている人もいただろうし、いろいろ考えても面倒くさいし、とりあえずまあ、ここで適当に、やれるだけはやって、また次のときに必要に応じて考えて…、と思ってる人もいただろう。あくまでも僕の想像の中でだがやはり、人のそういう感じは、今も昔もぜんぜん変わらないように思う。

2011-09-17

三遊亭小遊三


あまり書く事も思いつかない。九月というのに相変わらずまだ暑い、などと書いてみるくらいか。本を読むのも、半月くらい前から捗らなくなってきたが、まあ別に、捗らなくてもかまわないのか、と思って、そのまま適当なペースで読んでいる。今日は高田馬場で昼食。窓の外から駅を見ていると雲が流れていくのがよく見えて、一枚写真を撮った。高田馬場は久々だ。西武新宿線、JR、東西線が乗り入れている。一時期はすごく頻繁に来ていた場所だったが、最近だとここ十年で一度か二度程度しか来てないだろう。なんとなく、歩いている人々が総じて若くて、全体的にがさがさと落ち着きのない雰囲気に感じる。しかし渋谷の感じとはまた全然違う。もっと地味で鬱屈した感じというか。食べ物の店も若者向けが多い。その後は暑さでバテバテで、へとへとになって帰った。


小遊三  :お!?

歌 丸   :どうしたの?

小遊三  :なんだ、鏡かおい!福山雅治かと思ったよ。


上記は小遊三がよくやるネタの一つだが、たぶん小遊三はおそらく本気で、たぶん実際、俺は福山雅治と同じ程度にはモテる、と思ってるに違いない。そして世間は皆、小遊三が実際のところ福山雅治と同じ程度にはモテるなどとは、きっと夢にも思ってないだろうということも、わかってるに違いない。そして、いつものように平然とした顔で、あれ?俺か。福山雅治かと思った、などと言って、そうしてそれはいつも、それなりにうける。そうやって小遊三は結果的に、今まで実際に上手くやれていて、まあ女にもそれなりにモテてしまっているという事実は、あるよな。と思っている。だから結局、やっぱり生きるってのは単に、一方的に努力を重ねたり、やたらと力んでても、それでは暖簾に腕押しになるのがほとんどだろう、そうじゃなくてもっと力を抜いて、ちょっとした時を見計らって、軽く、ほんの少し上手くやるだけでいいのに、それだけのちがいなのだ、あまり上手くは言えないが、でも自動販売機の下を除けば小銭を拾えるっていうのは、要するにそういうことだ、拾えないやつは絶対に拾えないのだ、ほんのちょっとのコツに過ぎないのだ、まあでも、それで小銭が稼げたり女にモテたりしたとして、それがなんだ?だからなんだというのか?という話ももちろんあるから、なんだ、鏡かおい!福山雅治かと思ったよ、自分がそう言ってるときは自分でも面白くて、でもあとは大抵、別に大して面白くもないので、福山ネタはまだかなりしばらくのあいだ、しつこくやるだろうな、などと思っている。

2011-09-14


武蔵小杉であらかたの乗客がどやどやと降りていった。次の停車駅は中目具である。いま車内はすいている。僕は吊革に掴まっている。目の前の七人がけの座席には一人か二人しか座っていなくて、僕の立っている前も空いているが、次で降りるのでそのまま立ったままでいる。ポケットの中の携帯をまさぐっていたら、肘があたった。あれ?と思って振り返ると、真後ろに誰か立っていた。こんなにがら空きの車内で、なんでこんな近くに背中合わせで立っているのか。ポジショニングがおかしい。とりあえず僕が何歩か横にずれた。上の網棚に乗せた鞄に手を伸ばして、ずるずると引っ張りながら位置をずれた。それで、とりあえずそのまま、窓の外を見ていた。電車が走っている間、終点の渋谷で降りるつもりの人々が先頭車両の方へどんどん移動するので、自分の背後を幾人もの人が通り過ぎていくのだが、なぜか毎度毎度、心なしか背後の人々が、通り辛そうなので、なんで?と思って、もう一度振り返って驚いた。なんと僕の背後にさっきの人が、また背中合わせみたいな状態で、真後ろにいた。通り抜けようとする人々は、僕と背中合わせに立ってるこの妙な人物との狭い隙間を何とか通り抜けるのに手間取っているのである。うわ、なんだこいつは、と思って、さらに位置をずらすべくもう数歩横に移動してみた。とにかく背後を合わせないように、横へ横へずれる運動としてひたすら移動。もうドアに近いあたりにまで来た。網棚の鞄は、仕方がないので網棚から降ろして自分の肩にかけた。鞄を肩掛けすれば、当然後ろに鞄が出っ張るので、それだけ背後を通り抜ける人に対して障害物となるのだが、この情況では仕方ない。なるべく自分ひとりだけしか空間を占拠しないように、情況に応じて移動可能な体勢を維持する。それにしてもなんで、あの女はぼくと背中合わせになりたがるのか。たまたま、偶然かもしれないが、それでもやっぱり駄目である。偶然に、そんな事態になってしまわないように、皆が細心の注意を払って、全力でお互いに配慮しているのだ。みんな、それをかたときも忘れずに、様々な条件下で頑張っているというのに、一人だけ純朴風に、え?全然そんなつもりじゃなかった、などと言ったところで、そんなの言い訳レベル以下の幼稚な自己中心性に過ぎない。まあ、ひとまず再移動して、とりあえずここで、お互いほど良い間隔を保てるはず。これでまた、べたり背後に密着されたら、それこそただの変態だろう。。そう思ってふと後ろを見て愕然とする。いつ移動したのか知らないけど、こいつは、驚くべきことに、またちゃっかり、すでに僕の背後にいるのだ!これはもう決まった!確定だ。嫌がらせだ。わざとやっているのだ。頭にきたぞ。他人の背後に貼り付いて楽しんでる一派だ。背後を取る系サークルとかあるのか知らないけどとにかくこいつはやばい。何の意味があるのか。このクソ暑いのに何やってんだ。というか、行動早過ぎだろう。やばいなあ、もう帰りなのに、疲れるなあ、でももう、こうなったら、ここまですき放題やられてしまった以上、こっちも一言ガツンと言ってやるか。おい、お前俺の背後に来るんじゃねーよと。は?何言ってるんですか?とかなんとか言われて、しらばっくれられたらどうしよう。それも困るけどね。でもなんだか、これじゃああんまりだ。泣き寝入りは無理だろ。よしこうなったらもう本気で言ってやる。そう思って、意を決して、いざ、ぐるりと振り向き、相手の顔をまともに見てやったところ、またもや驚くべきことに、後ろには誰もいなかった。誰も、いなかった。空いた車内に僕と数人の乗客だけである。風が、吹き抜けて行くようである。あと、目の前に、ほぼ等身大に近い高さを幅をもつ鏡がある。それだけだった。それだけと言っても、電車の中で自分の背後に、いきなりそんなでかい鏡があるというのは、異常なことである。しかしそれはともかく、今まで僕がずっと、誰かいると思っていたのは、この鏡に写った自分の後姿だったということらしいのだ。そう聞いても、俄かには信じがたいが。とりあえず、ああ、なーんだ。馬鹿じゃないだろうか俺。とりあえず今日は、相当恥ずかしいぞ。そうか。なるほど鏡がずーっと背後について来ていたんだったな。これはうっかりした。勘違いだった。えらく面目ない思いでござるな。でももうたぶん大丈夫。今後とも活動しますので引き続き宜しくお願い申し上げます。やれやれだ。と思って、でもすぐに読みかけの本を開き、そのページに意識を移し、没頭した。ところがもうまもなく中目黒に着く。ほんの一瞬手前で、日比谷線の始発電車が絶妙なタイミングで得意気に滑り込んでくるはずだ。そうか、ああ、そうだったな。僕は本に栞を挟んだ。そうしてようやく、ドアの前に立ったのだ。おそらく鏡を背負った状態のまま、ドアの開くのを待った。

2011-09-13

循環バス


駅についた。バス乗り場を見るとちょうどバスが停まっていた。乗れそうだ、ラッキーと思って歩き出すと同時に、後部の電光掲示に光っていた乗降中の文字がふっと消えた。あ、と思ったら、乗降口がすっと閉まり、エンジンがかかって、バスは発車すべく車体をゆっくりと動かし始めた。あーあ、行かれた。と思った同時に、バスは止まり、あれ?と思っている僕に対して、再び乗降口のドアが開く。どうやら、乗せてくれるらしい。僕は小走りに走ってバスに近づく。乗降口から乗って、すいませんと呟きながら料金を支払う。はい、どうぞーと愛想の良い声で運転手は僕を迎えた。僕は座席に座った。こうして最後の乗客をかろうじて収容し得たバスは、ようやくいつものとおりに走り始めた。停留所を後にして、この後ぐるっとUターンして、交差点の手前に合流しようとする。


そのときふと、唐突にまた速度が落ちた。Uターンの手前で、バスは再び停止に近い速度になる。見ると乗降口の向こうに、切迫した表情の女性がいる。バスは止まった。再び乗降口のドアが開く。女性が乗り込んできた。女性に続けて、もう二人、乗り込んできた。おそらく僕と同じ電車に乗っていた人々だろう。電車が四分ほど遅れて、駅に到着したおかげで、こうしてバスとの連携が今日は崩れているのだ。僕はその電車からもっとも早くバス乗り場まで来た一群の一人だったろうから、こうしてギリギリの情況でなんとかバスに乗れた。その後に来たこの女性とか、残りの何人かは、こんなに遅れてやってきて、でも無理やりながら結果的にはこうしてちゃんと、バスに乗れたのだから、はっきり言って幸運だったとしか言いようがないだろう。今頃のこのこやってきて、こうしてちゃっかり乗せてもらえるんだから、なんて素敵な話だろう。いったいどこの高貴な生まれの方でしょうか。とんだお嬢様だ。大したものだ。乗り遅れなかったのが、僕で最後だったら良かったのに、そうじゃなくなって、僕は甚だ不愉快だ。直別扱いされたからって、いい気になるなよ!お前だけじゃないんだ。僕なんか、お前よりもっと早く来たのに、それでも乗り遅れそうで、かろうじて拾ってもらったんだ。それはすごい印象的な一連の流れだったんだぜ。でもお前らが後から来たから、全部台無しだよ。あーあ。やれやれだよ。


そうして再び、バスはようやく走り出した。交差点の信号待ちだ。そのときである。バスの乗降口にまた、数人のサラリーマンが、俺達も乗せてくれとでもいいたいのか、しきりに運転手に向かって両手を振り回して大げさな身振りでジェスチャーしているのだ。おいおいおい。もういくらなんでも無理だろ。こんなところで乗客を乗せるバスはいないさ。常識で考えてよ。もうあきらめて歩けばいいじゃない。こんな場所でドアを開けてもらえるだなんて、考えるだけでもすごいよ。僕は半ば呆れながら乗降口の外をぼんやりと見やっていた。こんなヤツラ、置いて行ってくださいよ。ねえ運転手さん、もう寝床も食料も限界だよ、この期に及んで、また増員だなんて、冗談じゃねぇや。ね?わかったでしょ。お願いだから、信号が青になったらとっとと、早いとこいってださいね。まだ乗せるなんて、もうカンベンですよ。いいですか今のは俺達一同、全員の意見ですからね!


驚くべきことに、運転手は乗降口をふたたび開けたのである。シューッと油圧の抜ける音がして、ドアは開かれた。男達が三人、どやどやと入ってきた。僕は驚いた。おいおい、こんな救済ってあるのか。前代未聞の話だぞ?こんなに手厚くえこひいきされている区民がいるってことか?いったいどういうことだ。なんだよ、こんな信号待ちの交差点手前でバスに乗れるって、あまりにも凄いぞ。今俺は事態をまったく認識できていない。今までの俺の常識では、絶対にありえない。何度でも言いたい、そんなの、まったく聞いたことがない!


最後の乗客を収容したのち、バスは再び定常コースを走り始めた。何事もなくいつもと同じように、定められたコースを巡回するのだ。僕はいつも、その巡回のほんの序の口の場所にて降りる。そこで僕だけが降りて、そして道端にたった一人取り残されてから、いつものように色々を思い、考えが渦を巻き、沈殿する考えの断片を手ですくっては落とし、掬っては落とす。僕は結局、あのバスの最後がどうなるのかを知らない。あの後のバスの行く先も乗降客も、終点の到着時間も、巡回一巡の所要時間も、何もしらない。

2011-09-12

月と星


今日って満月だっけ?と聞かれたので、いや、知らないけどでもそうなんじゃない?と言ってカーテンを開けて外を見たら昨日見た方角には暗闇だけしかなくて、一つだけ一等星が光っているが、あれは何の星だろう。昔なら知ってたかもしれないけどわからない。朝は晴れてて雲が秋っぽかったけど、今は曇っているからと思って、月たぶん出てないねぇと言ったら、えー?出てるでしょと言うので、出てないじゃん、と言ったら、もっと上でしょ、と言うので、窓を開けてベランダに出てさらに上を見上げたら、もっと違うところに月がいた。電球のように光っていて周囲まで明るくて、目で直接見ていると眩しいほどだ。あー、いたいた。月だね、光っとる。これ満月なの?と聞いたら、知らない、たぶん、と言うので、蚊が入ってくるかもしれないのでもう窓を閉めた。


一等星でかっこいい名前を挙げるとすれば、おうし座のアルデバランはもとより、オリオン座のベテルギウス、こと座のヴェガ、ぎょしゃ座のカペラ、さそり座のアンタレス、はくちょう座のデネブ、あたりだろうか。こいぬ座のプロキオン、おとめ座のスピカ、わし座のアルタイル、あたりは実際に見た記憶があまりないのだ。今思うと、やっぱり家の実家の方はそれなりに星が見えてたということだ。僕は小学五年生のとき、それなりに星座好きな子供だったので、当時は毎晩、煙草ケースと簡単なオードブルの詰め合わせパックと白ワインかウィスキーの入った携帯ボトルを鞄に入れて、折りたたみ式ディレクターズチェアにどっかりと腰を下ろして、星座早見盤を片手に、ぷかぷかと紫煙をくゆらせつつ、何時間もぼんやりと夜空を見上げていたものである。ウィスキーの酔いが心地よく夜風に吹かれながら思わずうたた寝してしまう事もしょっちゅうだった。でもそんなときに限って必ず、近所に住んでるT君が途中でやってきて僕を起こすのだ。よお、こんばんわ。寝てんの?と挨拶したきり、僕の傍らに腰を下ろして、後はふたりで何を話すでもなく、ただぼんやりと空を見たり景色の向こうの国道を流れる車のヘッドライトを眺めたり、真夜中の浮かれた気分をアクセルに込めた激しいエンジン音のスポーツカーが走り去っていく甲高い音や、長距離トラックの走り去る低い騒音が地面を伝わって響いてくるのを黙って聞きながら、ただひたすら空を見ていた。


その後、たしかT君は望遠鏡を買ったのだったか。月のクレーターを見られるというので、僕ものぞかせてもらったと思う。クレーターを見たのか見なかったのか、ちょっと思い出せないが、なんだかずいぶん大掛かりになってしまったなあと思った記憶がある。単に酒で口を湿らせつつ煙草の煙をふーっと吹き上げながら夜空を見ている方が、僕は好きだった。で、冬になったらまた再び、一人で夜空を見上げていた。星座早見盤と懐中電灯だけしか持たずに、立って夜を見上げていた。冬の外は寒く、三十分も立っていると身体が芯まで凍りつくほどの寒さである。しかし冬の星座は、比較を絶してうつくしかったのだ。クリスマスの夜と呼ばれる、その季節にあらわれる一等星のほとんどすべてが一望できるもっとも華麗な夜空を見るためだけに、僕は来る日も来る日も、凍て付く冬の夜の中を立ち尽くして待っていた。まあほとんど嘘だが。


今はもう星なんてまったく見てないし、ほぼ完全に忘れた。足立区の今住んでるところじゃあ、晴れた空だったとしても星座なんかろくに見えない。冬でも全然駄目である。

2011-09-11

鮮魚


手摺りに凭れて、景色を見ていた。ここはたぶん、飛行場である。僕の記憶に間違いがなければ、おそらく南紀白浜空港だと思われる。滑走路に、白線がまっすぐに引かれていて、しばらく行くとその先は途切れている。視界を右手の方角へ移動させると、途中で読み込みが上手く行かず、青空の一部が直接芝生のテクスチャーにめり込んでいる。


紙コップに注がれたコーヒーを飲む。ポットで保温されていた熱さを唇に感じる。煮詰まったコーヒーの味と紙コップの味が口の中で混ざり合う。自分の座っている座席の下の床だけ、なぜかぐらぐらしていて、固定させようと足で蹴っていたら逆に少し隙間が空いてしまい、ついには、細長い隙間から直に下の地面が見えている状態になってしまった。飛行機はどんどん進み、地面はとてつもない速さで流れていく。もう出発だろうから、今さら言っても遅いだろうし何も言わずにおいた。当機はこれより離陸いたします。快適な空の旅をお楽しみ下さい。無感情なアナウンスの後、滑走路を飛行機が進む。華奢な車輪で巨大な図体を支えてのろのろと進む。ようやくスタート地点まで来て、一旦停止する。エンジンの回転音が高まって、あらためて加速を始める。さっきまでと様子が違って、直進しながら躊躇無く速度を上げる。あっという間に機首が斜め上を向き、その角度を保ちながら車輪が地面を離れる。離陸して、透明な坂道の上を進むように斜め上を向いてひたすら昇る。


飛行機が離陸する映像は、僕にとってはいつも心落ち着かぬ映像。彼はまるで、人間というよりはボロキレの塊のような、生きる屍のような、彷徨う幽鬼のようだった。たまにテレビで飛行機の離陸シーンを見ながら、またぼんやりと不安を感じたりもする。フィリピンのジャングルで彷徨っていた一人の日本兵とばったり出くわしたとき、彼は腰の周りに生の牛肉をぶら下げていた。オーストラリア産のロースで焼肉用の切り落とし、二百九グラムで十パーセント引きである。ニパック九百八十円のシールが貼ってある。薄切りなので包丁で細長く切るにはあまり向かないタイプである。買おうかどうしようか、少し迷う。レタス一個が、二百九十八円もした事には驚いた。やや躊躇したが買った。秋刀魚が高くて、一匹百九十八円である。まだ出始めで、今日は高いなあと思った。買わなかった。


秋刀魚は頭を包丁で取り除くが、はらわたはそのままにする。秋刀魚の頭を切り落とすとかなりの出血があるけど、あの血液にはいつもたじろぐ。まな板にも包丁にもたまり醤油のように濃い血液が付着する。水で洗い流して、排水口に血液がゆっくりと流れていくのを見ている。秋刀魚に限らず、青魚はみんなものすごく血が漲ってるもので、カツオも普段は切り身になって売ってるからあまり感じないけど、魚市場に上げられて捌かれているところを見たことがあるだろうか?あれはもうスプラッタというか、大虐殺の現場を見てしまったようなショックがある。


まさに血みどろで、コンクリートの床が真っ赤に染まり、六本木を過ぎると人が少なくなり、恵比寿を出てから終点の中目黒に到着するまでの間、床一面に魚市場専用の太いホースが這わされ、その先から大量の水が放出される。水の勢いでホースが生き物のようにうねる。ゴム長靴の駅員達が水を蹴散らしながら忙しそうに歩き回る。たっぷりと溜まってゆっくりと血凝りへ凝固しようとしていたのに、大量の水が攻めてきて、ゆらゆらとその場から剥がされようとして、しばらく耐えていたもののようやく面倒くさそうにゆっくりと浮き上がって地面を離れ、そのまま鈍重な様子で流れて床を這い、傾斜にしたがって進み、やがて水もろともざーっと海へ落ちていく。こうしてすっかり綺麗になって水に濡れて黒々と光るコンクリートの床には雑魚の死骸が点々と散らばっているばかりだ。両手の指に残っている匂いをいつまでも嗅ぎながら、さっき何に触ってしまったのかを思い出そうとするが思い出せない。

2011-09-10

所沢


足立区に住んでいるが、実家は埼玉県の西武線沿線にある。子供の頃から二十代半ばまで実家で暮らしていたので、そこから都心へ出るにはまず西部線で池袋に出るか西武新宿に出るのだった。なので池袋のことはよくわかっているつもりなのだが、でも僕の知っているのはもう二十年も前の池袋なのである。今の池袋も一見、二十年前とさほど変わっていないようにも思われるのだが、でもまあきっと色々違うのだろう。というか、実際二十年前の僕が池袋の何を知ってたのかというと、別に何も知らなかったのだ。せいぜい本屋とレコード屋くらい。waveとレコファンとアールヴィヴァンとジャニスの姉妹店くらいか。その向かいにあったGEO。パルコの中の世界堂。昔の文芸座とか。あと何軒かの店。そのくらい。ひょっとすると、今はもう全部ないのかもしれない。レコファンはあるみたいだ。あと西口の方の界隈も少し行ってた。あのへんでちょっとバイトしてた事もあった。蝶ネクタイして。ジュンク堂もP'パルコも今のビッグカメラもまだ無かった。


先々週、先週、今日と三週連続で、その池袋から西武線に乗って実家方面へ向かった。なぜかというと、実家に帰ったり同窓会があったり、用事が重なったからだが、今日は所沢ビエンナーレを見るため。


池袋から急行飯能行きに乗る。石神井公園、ひばりが丘、所沢の順に止まるが、西武池袋線の急行は仕方が無いから乗るけど石神井公園までがとても長くて嫌いだ。電車が走ってる間、窓の外に住宅地がずーっと広がっていて、これには大変うんざりする。どこまで行ってもずーっと同じ景色で、ほとほとイヤになる。あの十五分か二十分は、ほんとうに長い。毎朝これを見ながら通学通勤していたので、なおさらイヤだと思う。で、今日で三週連続なのでますますイヤだ。なんか人間の日々の営みが湿気とともに大気中にもうもうとしてその向こうに蜃気楼が見えるような…。


いや、これはもちろん、僕の個人的感想で、郊外度合いでいえば今住んでる足立区だって似たようなもの、いや足立区の方がより垢抜けてなくて「田舎」っぽいのだが、むしろ西武池袋線沿線の風景は「田舎」っぽいわけではなくて、ただなぜか、なんとなくうんざりさせられるような、まるで学校の校舎のような、修学旅行の各部屋みたいな、どうしようもなく整頓されていい感じに管理されてるような、そういう先入観をどうも僕は、もってしまっているようだ。というか池袋線に限らず、他も含めて、西武線の窓から見える景色が僕はたぶん、ほとんど嫌いだ。要するに実家の回りも含めて埼玉から所沢とか西東京市とか練馬とか豊島にいたるまでの感じが嫌い。田舎モノの戯言ではありますが、これはもはや、どうにもならない。もう手の施しようが無いと感じてしまう。西武線沿線。じつに惨憺たる景色。でも住まいはほんとうに別に僕は、どこが良いとかそういう拘りは一切無い。どこでもいいと思う。電車で見る風景がいやなだけだ。その意味では、どの景色もおそらく僕はきっとみんな嫌いなのだろう。電車の窓の外に限らない。でも、どこかには住むという。住まなきゃしょうがないから。


さてそれはともかく、池袋駅の東口に西部があって西口に東部があって、東京芸術劇場が出来る前の西口がどんなだったかほとんどおぼえてない。どちらに多くいたかといえばやはり東口の方で、西武線が駅に着いて地下の改札からすぐ連絡通路を渡って本屋へ行くかエスカレーターで上がって美術館のさらに上の喫茶店に行くかWAVEに行くか。そんな行動パターンだったかどうだったか。


…池袋の話はもうあまり無いのでやめるか。今日のことについて書くか。今は池袋から急行飯能行きに乗ってる途中だったかな。それで、じゃあやっと、いま所沢に着いた。そしたら本川越行きのホームが一番で離れているのでそれが階段を上がるのが面倒くさいのだ。所沢も昔からほんとうに西武線の駅という感じ。典型的な西武線の駅。向こうのホームに立ってる人々を見ると、ああ西武線だなあと思う。あれ?ここ拝島かな?いや所沢だ、という感じ。立ち食いそばやがあって。それでまた何かよくわからないけど工事している。西武線はほんとうに工事が大好きである。年がら年中、工事してるのだ。西武線だけじゃないが。この文章の最後にも書いてあるようなので繰り返しになるけど、千代田線の国会議事堂前は、一体いつからいつまで工事しているのだろうか。もう十年近く工事してるしてるような印象があるけど、それは思い込みだろうか。でも所沢もほんとうに埃っぽいというか、向こうの景色が霞んでいる。立ち食いそばやがあるし。


航空公園駅に着いた。東口を出て、会場までの道をひたすら歩く。いま調べたら、航空公園駅ができたのは1987年だそうで、そういえば確か僕が高校生くらいのときに出来たような気はする。それまで新所沢の次が所沢だったのはまだよくおぼえている。駅を出えて今歩いてるこの道も、航空公園駅が出来たと同時に周囲全体一挙に開発整備されて、市役所とか警察とか市民会館的な文化施設とかがこの界隈にすべて固められていて、一帯が所沢市の公園兼文化集結地帯みたいな感じになっていて、日大芸術学部とか防衛医大とか大学もあって車道や歩道の道幅も広く緑も豊富である。


今から十年以上前だが、大体九十年代半ば頃の僕は、この界隈をじつによく徘徊していたのであった。当時は運転免許を持っていて(今も持ってるけど持ってるだけ)人から借りたかなりボロイ車があったので、定職にも付いてない時期で暇だったので、それでしょっちゅう家の周囲や所沢のあたりまでを車でウロウロしていた。いま歩いてるこの道も、当時は何度も通った道だ。でも車でこのあたりに来て、所沢市の文化施設を大いに利用していたわけではまったく無くて、単に暇でだらだらとドライブしてただけだ。さらに、僕は車の運転がとてつもなく下手だったので、道が単純で運転しやすいのが家からせいぜい航空公園くらいまでのわかりやすい道だったというだけ。別に来る目的なし。来たかったわけでもなし。車に関しては、運転が下手というか、最初から苦手意識が強固にあって、とくに駐車はぜんぜん苦手だった。友達で右折が苦手で、ずーっと右折できないままひたすら直進と左折を繰り返してものすごい長時間かけて家に帰った人がいたけど、僕なんかは止められないんだから理論上絶対にどこにも行けないし帰れないし、ほとんど特攻機みたいなものだ。さすがにそれは大げさだが、自分でも止められる場所にしか行かないという、甚だ限定的なドライブであった。人並みに後ろを見ながらバックで駐車するとか絶対無理だった。でも航空公園の駐車場はかなり広くて、車もあまり止まってなかったので、割合気楽に、空き地みたいに適当に駐車できるのでかなりよく利用した。前入れで駐車して、出るときも別に周りとか気にしないでひょいっと出れたし。それで一体、公園まで来て何をしてたのだか、今となってはさっぱり思い出せないが。


当時はゲームが好きで、とくにビデオゲームのレースゲームは死ぬほど好きだった。F1を一番熱心に見てたのもこの頃。ゲームは当時からやたらと現実志向なものが増えてきていたので、やたらと時間をかけてプラクティスから予選決勝まで全部消化してチャンピオンシップを戦っていた。ゲームでさんざん走ったので、F1の世界各地のサーキットは、コーナーごとにギアのシフトアップやダウンのタイミングも含めて昔からのサーキットなら今でも大体暗記しているほどだ。でも、いや、だからというべきか、実際に車を運転するのは嫌いだった。妹から駅まで迎えに来てほしいと電話があっても、僕は公道が向いてないとか平然と言って拒否してゲームやってました。


まあそれはともかく、ほんとうに今日の暑さはすさまじかった。航空公園駅から第一会場までは歩いて十五分くらい。第二会場まではさらにあるいて二十分かそれ以上あった感じで、日差しをマトモに受けつつひたすらとぼとぼ歩く。異常な炎天下の中、徒歩で歩き回るというのはなかなか疲れた。でも汗だくでくたくたになってかえって爽快な気分にもなった。妻は相当疲労困憊の様子だったが。


所沢ビエンナーレは前回もそうだが、会場がいつもすごく面白くて、普段なら入れないような施設の中に入れてもらえるのが面白い。今回は、体育館とプールと給食センター。いずれも古ぼけていて、もう使われてないのかどうなのかよくわからないが、おそらくもう使われてないのだろう。しかし、そういう空間の中にいると、もう作品を見ているというよりは、その場所全体を体験しているような事になってしまう。これはもう、どうしたってそうでしかありえない。ぼろい体育館というだけで楽しい。体育館の古ぼけて傷んだ床のなんとうつくしいこと。木の床や壁や舞台袖から、階段を上って中二階へ上がっていく感じとか、それだけで体験として充分に面白い。開け放されたドアの向こうに広がっている光の洪水の眩しさもものすごい。プールもコンクリートの老朽化がものすごい。給食センターのアルミの配膳鍋や医薬器具のような調理設備や、タイル貼りの下処理部屋とか、古めかしい事務室というか執務室とか、これらももう、それだけですさまじいまでの意味作用が溢れかえっている空間なので、そのような場では正直、そこにある作品を作品としてだけ観るのはかなり難しい。


そういえば、第一会場となっている建物は交差点の角にあるのだが、そこから第二会場まで続く道が一本ずーっと伸びていて、何度もしつこくて悪いが、この道などまさに、当時は何度も車で走った道だ。昔の話ばかりだが懐かしいんだから仕方がない。しかし、まさかこの道を、十何年後に歩くとは思わなかった。通信基地の建物とでかいアンテナとフェンスに囲まれただだっ広い空き地が広がっているのは当時も今も変わってない。それを過ぎると公園らしく濃い緑や木々に溢れ出すのも変わってない。


暑さにくらくらしながら第一会場を後にして、第二会場に向かって歩いていると、反対側の歩道を部活の帰りみたいな高校生の女子たちが自転車で並んでその後ろに二人乗りの自転車も一台ついてぐいぐいと走っていく。みな日焼けして、バケツの水を頭からかぶったみたいに汗に濡れて制服の白いシャツも頭髪もベタベタになっった感じのまま、風に吹かれながら頬を赤くして忙しそうにペダルを漕いでいる。それを見ながらなおも、とぼとぼ歩く。第二会場遠い。もうかなり歩いてる。とちゅう大規模小売店舗の裏手の細い道を、資材や荷物の積み重なって混沌とした状態になっている一角にベンチと灰皿と自動販売機のスペースがあって、おそらく従業員の、食品売り場っぽいおばさんやおじさんや若い人たちや、見た目も格好もばらばらな老若男女が、何人か向かい合わせのベンチに腰掛けて休憩していた。客商売の人々がふつうに休憩してる様子を見るのは面白い。


それを過ぎると雑木林がずっと続いていて、それを過ぎたらやっと着いた。引込線と書かれた旗が四本立っていて、ばたばたばたと風に吹かれて音を立てていた。旗っていいなあと思った。第一会場に旗がくるくると機械で回っている作品があって、旗ってどうして風に吹かれるとばたばたという、あの独特の音がするのかと不思議に思った。布と布がぶつかっても、あんな音はしないだろう。布が空気を切る音だろうか?空気が空気と衝突する音?旗の音も面白かったし、音が今日はなんとなく面白いと思って色々と見ていた。今日は天気が良すぎて光が激しくほとんど何も見えなかったからかもしれないが。第二会場の建物の中に入って日差しが遮られるや否や、一瞬視界がブラックアウトするほど光と影に落差がある。今日はとにかく太陽の光が凄すぎて、景色がストロボを焚きっぱなしみたいな猛烈な光と熱の渦である。そして熱さと湿気、そして強烈な室内空間である。そういうやたらと色々ある全体の中の、作品というか、展覧会というか、美術というか、そういう要素は、全体にとっては話の掴みというか、取っ掛かりの一部という感じで、なのでかなり刺激的で面白かったけど、何が面白かったのかは上手く言えない感じ。所沢ビエンナーレが面白かったのか、航空公園から給食センターまでの全体が面白かったのか、今日の九月十日が面白かったのか、とにかく面白かったけど、そして暑くて、そしてやたら疲れた。という感じだった。


帰りはバスで航空公園駅まで戻る。バスは快適。航空公園から西部新宿へ。コクーンタワーの下のブックファーストはいつも地下道から入るが、今日は道を間違えたので地上から入った。新宿の高層ビルというのは、新宿センタービルにしても損保ジャパン本社ビルにしても、あらためて見上げるとほんとうにモダンというか、高度成長期の果てにできた近未来という感じがする。これが出来たとき、当時の人々は「人間はついにここまで来た」とか思ったのではないだろうか。センタービルの窓の並んでる感じとか、実にかっこいいと思う。ああもうこれ以上はありえないみたいな、洗練の極みみたいな、そういう感じを今でも僕などは感じてしまう。


しかしコクーンタワーはそれまでの景色に突如としてセル画に描かれたアニメの絵が重ねられたような感じだ。この落差はほんとうにすごい。ビルのふもとまで来て見上げても、見れば見るほどうそみたいにしか見えない。しかもかたちが紡錘形なので見上げるとマルに近づくというか、心の上滑りを促されるというか、ビル頂上は湾曲した先の見えない場所にあってあとは晴れ上がった空があるばかりだ。雲がぐーっと動いていて、それがビルがぐーっと後ろに遠ざかっていくかのような錯覚をおぼえて一瞬すごく慄いてしまった。


丸の内線の国会議事堂前から千代田線に乗り換えた。国会議事堂はいつからいつまで工事しているのだろうか。もう十年近く工事してるしてるような印象があるけど、それは思い込みだろうか。

2011-09-09


一行の字、とは言わないし、一文字の文、というのも無い。…と、思った。思ったからといって、どうなのか。あたりまえのことじゃないか。わざわざ書いてなんだというのか。別にどうでもない。なんか、如何にもな感じがしたけど、別にそんなことない。というか、書きたい事もないしもう寝ないとまずいっていう時間になってきちゃったときって、それでも何かしら書かなきゃと思って書く事がないか色々と思案を巡らして、適当にぐしゃぐしゃと書いては改行をニ三回叩いて、それで今度は全然関係ないことを思い出したのでそれを書いて、でも一行ちょっとですぐニ三行改行して、また違うことを試しにと、ふたたびガツガツ書いて、また改行。こうしてぐだぐだやっていて、疲れたのでとりあえず最初からざーっと読むとものすごくつまらないのでウンザりする。つまらない。文ではなくて字を書きたい。でも字といっても詩とか書とか漢文とかではない。詩とか漢文はすでに文である。文以前のもの、というか、まだ出力前のもの、というか、もっと素材というか、そういう感じでなおも自分は、まだこんなに明るく朗らかなのはいったいなぜ?みたいなものを書くのか?…って、いやーそれは無理だな。僕はやっぱり無理。明日も生きながら検討する。一行の字というのももしできるなら書いてみたいといえば書いてみたい。

2011-09-08

なし


書く事もないので、もう寝る。なんだか、むし暑くなってきた。つまらない。寝よう!寝るのは嬉しい!

2011-09-07

同窓会


先週末、小学校六年のときの同窓会があった。全部で三十人くらい集まって、ほとんどが約三十年ぶりに会う人たちばかりである。三十年ぶりなんていうのは実質的には初対面と同じである。名前と顔の面影で、ああ、あの人だとわかって、向こうも思い出して、会話もそれなりにあるけど、かなりおそるおそるというか、お互いに、探り探りというか、ほんとうにかすかな記憶でしか共有していないのに、妙に仲良い風な感じで話す。同窓会だからそういう風に話すべきというセオリーに従ってるような、お互いに気遣いしつつという意味では、まったく大人の社交飲み会で、気疲れもするが、まあ面白くもあるという。


でも酒が入ってくればみんな安心して次第に気が大きくなってきて、後は笑い声ばかりになる。かなり面白かったけど、でも改めて、ああやっぱここは田舎なんだなあと思った。実は、それまで自分の地元をそれほど田舎じゃないと思っていた。都心から離れているけど、いわゆるベッドタウンで、東京勤務の人々の寝床で、昔ながらの先住民も少なくて、だから感覚的には地元意識とか持ってないのかと思っていたのだが、でもそうでもないんだなというのが、今回印象的だったこと。


まあ、家業を継いだり、地元に勤めてたり、自営で商売してる人もいるし、家族がいて、結婚して子供を小学校に通わせてたりしたら、そりゃ地域に根ざすのも当然といえば当然だ。じつに、当たり前。と思って、まあ、なんというか、やれやれ面白かったけど飲みすぎてくたびれた…という思いで帰ってきたのだが、でも数日経って、色々思い出すと、やっぱり同窓会って、すごく面白いものだとも思うのだ。たぶん小学校のときの同級生って、結局みんな過去の記憶の中の登場人物なので、そういう人たちと現実に直接あっても、どこにでもいるような現実の人間なのは当たり前で、でも後になって思い出すと、過去の記憶と程好く溶け合って滲みあってきて、あの人があの人だという事実それ自体がものすごく面白いと思ってしまう。要するに、過去を振り返って思い出すことで、はじめてそこに焦点があう人々と、ある現実の夜に再会した。だからその再会もまた、後になって思い出すしかない、という感じなのだ。そうして考えていながら、なんだかとてもたのしい思い出に新しい色合いが増えたようにさえ感じてしまうのだ。ほんとうにみんな今を生きているのに、みんな死人のようで、死人との再会のようだった。思い出の中にしか存在してないのだから。たしかに顔を見合わせて「あ!お前坂中??」とか言われる瞬間、相手は幽霊を見たような顔をしている。


たぶん三十年前の自分を思い出してあげないと、駄目なのだ。降霊術というか、過去の自分を呼び起こす術を使って。同窓会なんて、今の自分には、ほとんど何の意味も無い。それは三十年前の自分に教えてあげたかった事なのだ。早く、教えてあげないといけない。だから、その当時の自分に何とか教えてあげたい。子供の頃の自分に届けたい。お前は、三十年後に、同窓会をやるよ、と。


お前はこの後、何十年も生きて、やがて四十歳になるよ。そしてあいつもそうだ、彼女もそうだよ。お前がいつも一緒に遊んでいたあいつは、三十年後には、笑顔を浮かべて僕の前に座っていて、なにやら居心地が悪そうな、余所余所しい態度でビールを飲んでいるよ。…そんなこと、想像もできないだろう。そんな時間が訪れるなんて、まったく理解できないだろうな。


小学生の頃、結局一度も話をしなかった相手とも、三十年経ってお前は、当たり前のように話をするのだ。でも、それがほとんど初めての会話だということを、なんだかお前がわざわざ気付かせてくれるかのようなのだ。そんな風に思ったので、だからこうして、僕はお前に話しているのだ。こうして、やっと初めて、あの人とも話をする事ができたよと。三十年かかって。やっとだ。どうやら相手は、そんな事に少しも気付いてないようなのだけれども。


やがて四十歳になるお前は、そうやって如何にもなもっともらしい態度で、誰彼と挨拶して、如何にもふつうにその場を楽しんでいるようだったよ。まったく想像もできないようなことだと思うが、今、お前のいるその世界は、あと三十年後も経てば、この居酒屋の一角に凝縮されてしまうのだよ。いつか、みんながこの店にいるよ。いまお前がわからないまま抱えている何もかも、全部の答えが、ここに用意されているよ。だからお前は、今そこで、仮にたった一人だったとしても、そのことで何も悲しんだり恐れたりする事は無いよ。…結局、何もかも、みんな帳消しだよ。

2011-09-05

K


誰かと誰かが親しげに話をしているという、その光景に感動するという事はたまにある。テレビのニュースでも、芸能人でも、政治家でも、アスリートのライバル同士でも、ビジネスの会合でも、あるいは外交の現場でも、国家元首同士でも、恋敵が相対するでも、争いの渦中にある当事者同士、仇同士でも、義兄弟でも、ずっと離れ離れだったあの人とあの人でも、なんでも、色々。


S先生は赴任して数年足らずの若い女性だった。僕が小学校一年のときの担任の先生で、若い女性、などという言い方は今だからそう思うので、当時、僕はS先生のことを若い女性とは思ってない。しかし、他のクラスの先生や、母親や、色々な人達と較べて、S先生は同じ女性でありながら、他の人とは何かが全然違うので、そのことがやはり、どうしても僕は嬉しいし、僕だけでなく生徒全員がそのことを不思議に誇らしい。この人が僕達の先生である。僕達のクラスは他と較べてすごい。そういう気持ちで皆が一致している。


昨日のことだが、Kが、なぜかその先生と親しげに話していたのだ。これには驚いた。ものすごい衝撃。二人の間に当たり前のように、親密な、リラックスした、華やいだ、楽しげな、自然な開放感が漂っていて、僕はたぶんその場に醸し出されているその香りを嗅いで、それに驚いた。たぶん夢なのだろうけど、夢だろうが現実だろうが、この衝撃は本物で、こうして長く生きていると、こういう事もあるのか、こんな事も現実に起こるのかと、よくよく、しみじみ思った。ものが言えなかった。まさに感無量。その気持ちがどういうものか、よくわからない。たぶん奇跡のようなことのはずなのに、それを歓びと言ってよいのかどうなのか。

2011-09-04

椅子


ぼんやりと過ごした。たまにうたた寝した。はっとして目が覚めて、身体を少し起こしたまま、またぼんやりした。こうして時間は今日も過ぎていって、正午を過ぎ、午後を過ぎ、夕方が近づいた。


ああほんとうに無駄な、じつに無益な時間のすごしかた。よく考えると今年はゴールデンウィークの何連休かも先日の夏季休暇の休みも、ほんのちょっとの外出程度でほとんどどこにも行かずただひたすら家の中にいて、家の中でも何をするでもなく何にも集中できず今日みたいにひたすらぼんやりしてただけだ。こういうのが良いだなんてこれっぽっちも思わないが、かと言って休みの時間を有効に利用して何か一つのことに集中して大いに成果を上げるなんていう事もできない。なんなんだよ、という思いのまま、だらだらとするだけで、だらだらしている私というものの、だらだら状態を私なりに認識して、でもそれをどうのこうのと考える気もとくにはない。ああ、こうして今、私はだらだらしてるんだ、ああ、何もしていないんだ、ああ、時間がとてつもなく早く流れすぎていく、そしてああ、私はなおも、まだ何もしていないんだ。ああ、それにしても、こうして寝転がって四肢の力を抜いて、天井を見つめているというのは、なんと大変な重労働で、なんと疲れることだろうか。なぜこれほど大変な思いをしなければいけないのか。人はソファーやベッドに横になって、その場にぐったりしているという事に、どれほどの労力と精神力を必要とするものなにか、それはちゃんと考えるべきことではないだろうか。こうして頼まれもしないのにわざわざ、四肢の力を抜いて必死の思いで寝そべっているのだ。この無償性と献身性。それから西向きの部屋に移動して、椅子がぐるりとこちらを向いているので、とくに意味もなくそれに腰掛けてみたときに、いつもよりも背筋を伸ばして座ってみたものだが、その高さが、会社にある椅子よりも若干高くて、こうして深々と椅子に座った姿勢の方が、なぜソファーにぐったりしているよりも、少しばかり心が楽になるのだろうか。こうしてマトモな姿勢を保つことはマトモな服に着替える事のようなものなのか。これは矯正のあたたかみ、義務の温もりであろうか。やはり人間は、義務を与えられて初めて自由になれる生き物なのだろうか。椅子。それは人を行為に向かわせる基本的な拘束具。椅子を与えられて、それに座ってはじめて私はやすらぐ。でもだからそれで、私はその後次の行為に移る事も無く、そこまで考えてまた立ち上がった。目の前にソファーがある。さっきのソファーを前にして、カバーに皺がよっていたのでそれを直して、またぐったりとそこに身体を横たえた。窓を開けて、外から聞こえてくる物音を聞いていた。風の吹き込んでくる音が耳と頬に直接あたった。本を開き、読む事に集中しようとして、ほんの数秒でまたもや眠気が襲った。また寝るのか、さっきまで寝てたのに。しかしまた寝る。なぜ寝るのか。また起きた。また起きたのか。なんだんだ。何がしたいのだ。もう寝ないだろうか。今まで寝てたんだから、もう寝ないはずだ。そう何度も眠ることはないだろう。本に集中しよう。本を読むこととする。それにしても、序文の次の、始まってすぐの何行目かにあるこの箇所は素晴らしい。先週からそう思ってる。って事は先週から1ページも進んでないということだ。それから今までの時間は、それではすべて無駄だったのか。それまでの時間はなかったも同然か。無かった?無駄?無駄ってなんだろうか。その間の時間って、そもそも何?もっとページが進んでいたら、それは無駄ではない?その時間があった事の証明になるのか?満足感と達成感を取得できそうか?無駄じゃない方がお好みか?そうしたら、なんだか私はいつもここにこうして、何が無駄で何が無駄じゃないのかがわからないままに、手持ちの札をやたらと平気でばんばん捨て場に捨ててしまう行為が好きで好きで仕方が無いのだということを今ふいに思い出した。そうだ私はもっと若かりし頃、まだ学生だった二十代の頃から、おそらくその傾向があったのだ。私は私が気にしていることや、大切だと思ってることを、ことさらにクローズアップさせて、そのまま捨てて、それを自分がどう思うかを試すのが好きだった。私は、二十代のかけがえの無い時間と言われたとき、ならばその時間を全部無駄に使ってみても良いのではないか、それでもなお時間が失われたものとして、かわらずかけがえの無い何かとして輝き続けるものかどうか知りたかったのだとは言えないか。いやー、言葉にするとどうにもそうでもないような気もする。私は昔こんなでした。そんな話を信じられるか?たとえそれを話すのが私であったとしてもだ。私は、私の言うことなど、とても信じられない。でも、無為に時間を過ごしてきて、今もそうしている事はたしかだ。おそらくそういう事なんだろう。こんなことをして、一体何になるの?ある映画で登場人物が漏らしたそのセリフがとても好きで、そのセリフへのリアクションとして、私はいまある手持ちの時間すべてを、その場に投資してしまった。私が一点誤解していたのは、いずれにせよなんらかの返礼があると思っていたことだ。マルかバツかの答えを何かしら、いただけるものと思っていたのだ。これが大きな間違いだった。答えはなかった。何もなかったのである。なのでいまや、私は私の個人的な記憶だけを頼りにするよりほかない。


私はどうもまだ私という乗り物についてあまりよくわかっていないようだ。まだ私は私を乗りこなせない。機体を安定させるまでの操作がことのほか難しいように思う。二十年経っても難しい。そして私はまた眠いのだ。あれだけ眠って、まだ眠るのか。ああこのままではまずい。顔を洗って着替えてとっとと会社に行け、早く私に起きろと言ってくれ。

2011-09-02

夜間飛行


奥の部屋の窓を開け放したまま、こちら側の部屋の窓も開けておくと、風がひっきりなしに通り抜けていく。部屋全体が風洞になったみたいだ。ずっと風に吹かれたまま、僕もこうして書いていられる。網戸越しに見る空の様子は、銀色に濁っている。外灯の光が風に揺らめいているかのようで、ぼんやりと広がる光の明るさもいつもにくらべて粒子がこころもち粗いように見える。何か只ならぬ力の気配を秘めているような、如何にも台風を背後に控えた夜の空の、分厚い層が積み重なっている感じ。期待をもたせる特有のムード。さっき一瞬だけ雨が降ったような激しく地面を叩く音がしたようだが、あれはすぐに止んだようだ。ごうごう鳴る風の音を聴きながらそろそろ寝るか。朝になったら、外の様子がどうかが問題だ。しかしそれにしてもこういう日に「夜間飛行」を読み終わって良かった。「こういう感じ」だよなあ。というのは、「こういう天候」という意味ではなく「こういう感じ」。何と言ったらいいかわからないが、自信たっぷりに華麗に進んでいく運びの感じというのか、そうそう。すごい陶酔的。「こういう感じ」をもっと読んで知っていたい。

2011-09-01

直立


ものすごく蒸し暑い日。台風が高気圧に圧されてぐっとこちら側に押し付けられていて密着してくるので身体の熱が直に伝わってくる。満員なのである程度仕方がないのでみんな我慢しているのだけれども。座席が空いても座りたくない。座ると、ものすごく暖かいから。前の人の体温がそのまましっかりとシートに残っている。いやたぶん体温以上の熱だと思う。手で触れられないくらいの熱。あ!っと思ってびっくりするくらい熱いときがある。あるいは太股の裏側の、座席に密着する部分に妙な粘りというか、不気味な感触が残っている事もある。べったりと、何か作業でもしてたのか、粘着液を撒いてアイロンでもかけてたのかというような、あぁ、まずい箇所に座ってしまった、と、そんなときは思う。何かよくわからないものが太股の裏側前面にべったりと貼り付いているような、もうどうしようもないような感覚。そういうとき、わーーっと声を上げたくなるときもあるけど、ふと見ると傍らに、リクルートスーツの小さな可愛い子が黙って吊革に掴まってじっと窓の外を見てたりするのを見て、はっとして、ああ、偉いな、あんな小さい子も、ああして働きに出て、皆と同じように黙って、あんなふうにちゃんとして、じっと耐えてるんだから、俺もちょっとは、ちゃんとしなければ、と思いなおして、若い子を見習って背筋を伸ばして、ふんっと鼻息を漏らして、なんだかよくわからないけど妙に立派そうな感じでしゃんとして立って窓の外を見ている。

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