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2012-01-31

中華料理


急に誘われて夜は中華街。素晴らしい。おいしかった。女性が多かったので後半は全体的に食べるペースが落ちていったが、あれは本来もっと、ぐいぐい腹に詰め込むべきで、無理やりにでも、酒でがんがん流し込んででも、腹の皮をぱんぱんに突っ張らせてでも、完膚なきまでに食べ尽くしてこそだなあと思った。後半が苦しいというのは、幸福そのもの。後半の苦しさを、しっかりと苦しみたい。もちろんたまには、だけど。そういうのを律儀に、自分の領分として、毎晩そういう食事をする人もいるのだ。マジメというかなんというか。ある意味おかしい。でもそれこそ醍醐味だろう。でも今日はうまかった。あそこはぜひまた行こう。

2012-01-30

寒中


結局日曜日には宅配便が一つも来なくて、今日になったら郵便受けに不在通知が二通入っている。明日にはきっともう一通入ってるだろう。見事にタイミング悪過ぎ。このまま全部週末まで受け取れないかもしれない。これから寝るけど、今から寝るとなぜか翌朝眠い。なぜだ。あと一時間くらい起きてる方が、むしろすっきりと起きられるかもしれない。眠りの波の上限する線の、ちょうどいいときと悪いときがあって、今寝るのは悪いときなのか。でもいつでも悪いようでもあるし、著しく寝不足の日の方がかえって眠くなかったりもする。でも眠いときはほんとうに、なにしろ眠くて眠くて、じつにかなわない。電車のなかでも、本なんかとても読んでられやしない。吊革に掴まった格好のまま、まったく為すすべなく、立ったままのその場で、いきなり気絶するように寝てしまう。あれは馬鹿らしい。あれはいやなものだ。でも、疲れも溜まっている筈の週の後半に来ると、わりといつまでも起きていられたりする事も多い。やっぱり気分の問題なのか。外は相変わらず寒い。今日の帰りも寒かった。路面がもう、完全に凍ってるというか、先週の雪が何日もかけてなめされて、つるつるの飴みたいになって、路面に貼り付いた状態で凍っている。春になるまでずーっとこのまま凍っているのかもしれない。こういう風な寒さは、去年はたしかに、無かったかもしれない。

2012-01-29

落葉樹の趣


 自分がひとつの乗り物のようになって、暗い路上をひたすら走っている。乗り物としての自分は、外壁の外側にある冷たい外気に、僕自身の責任において直接触れている。外壁は常に風雨に晒されている。外壁の状態も自分の責任において管理している。修復や改修の必要があれば、必要に応じて自ら実施する。それが権利でもあり義務でもある。自分は自分の全域をかろうじて把握している。それらすべてを制御して、ただしく適切に運用するべく努力している。

 日々の技術革新は、自分がひとつの乗り物のようになって走ることを強力に支援してくれる。走るといっても、毎日お決まりのコースを同じように行くだけだが、しかしそれだって、技術の進歩がなければ到底不可能なことだった。今実現されている技術をすべて失ったら、家から一歩も出られないどころか、今住んでる家からも追い出されてしまうし、そもそも家が必要なのかどうかさえ自分で判断できないだろう。今はこうして、家にいるあいだですら、休む事無く、暗い路上をひたすら走っているのだ。

 辻原登東京大学で世界文学を学ぶ」という本を今日は朝から読んでいて、まだ第一講義と第二講義しか読んでないが、内容がすごくたくさんあって、ものすごく面白い。ゴーゴリの作品の引用を読んだだけで、これは相当面白い。ほかにも、小林秀雄ソンタグカフカベンヤミン二葉亭四迷国木田独歩大岡昇平梶井基次郎中原中也永井荷風神西清、リービ秀雄、なんかの引用が載っていて、これらがすべて面白い。二葉亭四迷の「浮雲」の書き出しなど、衝撃的なほど面白い文章だ。こういうはっきりとした抵抗感、異常な条件下で生まれてきたことがなぜか伝わってくる文章というものがあるのだ。

 第二講義の後半で翻訳の話になってからはかなり感動的。

 二葉亭四迷が翻訳したツルゲーネフの「あいびき」に対して、国木田独歩の言葉

 『自分がかかる落葉樹の趣きを理解するに至ったのはこの微妙な叙景の筆の力が多い。これは露西亜の景で而も林は樺の木で、武蔵野の林は楢の木、植物帯からいうと甚だ異て居るが落葉樹の趣は同じ事である。自分は(屡々)思うた、若し武蔵野の林が楢の類ではなく、松か何かであったら極めて平凡な変化に乏しい色彩一様なものとなって左まで珍重するに足らないだろうと。』

 二葉亭四迷の試みが国木田に届いたことによって、はじめて風景描写というものが可能になった。「落葉樹の趣」というものが、たしかにあるということが、ここで確認された。何かが、国木田に伝わったのだ。景色の様子、というものを、ロシア語から日本語に置換して、そのように書いたら、何かのふくらみというか、香りのようなもの、確からしさの高まり、書かれるべきであったものが、たしかにあった、それが日本語にもちゃんと含まれた。それを読んだ日本語を読む二人以上の人間が、たしかに…と思ったのだ。それは、遂に発見されたリアリティだった。以前からずっと存在していたはずのものを、手に触れられるようにすることこそが、技術革新であり、新しさなのだ。何かを確実に手に入れたのだ。

 その発見以来、今に至るまで、発見と進歩が繰り返されてきた。おびただしい数の、成果の果実を受取った。こうして今、自分がひとつの乗り物のようになって、たったひとりで、暗い路上をひたすら走っている。気付けば、そういう事になっていた、というところだ。こんな風にしていられるのも、ある意味、彼らのおかげとも言える。

2012-01-28

Modern Lovers


 Brian Enoの事はよく知らない。今までほとんど聴いてないのだ。「Taking Tiger Mountain」というアルバムだけは十代の頃聴いたが、とくになんとも思わなかった。どんな内容だったか、正直、現時点でほとんど忘れた。「サードアンクル」だけはさすがにおぼえているが。CD棚を探せば、他にも何枚かあるかもわからないが、とりあえず興味がないのだ。

 今日はなんとなく御茶ノ水で、たまたま見かけたのでアナログ盤を何枚か買ってみた。「On Land: Ambient 4」「801LIVE」「Here Come the Warm Jets」全部数百円で買えた。そして今聴いているところ。

 あとamazonで「Modern Lovers」を買った。このバンドは、なぜかジャケットだけ知ってて、でもどんなバンドなのかも知らなかったし、どういう感じなのかも、ぜんぜん知らなかった。とうぜん今まで一度も聴いたことがない。突然、あ、Modern Loversって、聴いてないや、と思って、youtubeでRoadrunnerを聴いたら、なぜ今までこれを聴いてなかったのかと、激しく後悔したくらいいい感じ。しかし、そもそもなぜ、The Modern Loversというバンドのことを、突然思い出したのか、そこが謎だ。たまたま今、もしかしたらこれが、すごくよく聴こえるかも、という予感がはたらいたのか。まあ実際、聴いてみないとどうだかわからないが。

 今日は天気晴朗なれどもものすごく寒しだった。地震のことがなぜか妙に不安で、外を歩いていても始終落ち着かない気分だった。

2012-01-26

路面


帰り道がおそろしく寒かった。外気に直接触れている顔全面が、あまりの寒さでぴりぴりと痺れるように痛む。手袋をしているのに指先は感覚がなくなりかけている。爪先も相当冷たくなっている。歩く路上のところどころに雪の残りが、完全に透明な氷になって、てらてらと油光りのような、外灯や信号の光りの粘ついた輝きを反射しながら、まだらになってへばりついている。その上を踏まないように歩く。ちょっとした水飛沫みたいな、ぱっと飛び散った雪も、そのままで路面に化石のようになって凍っていて、これだけの量の氷がいつまでも溶けないのかと驚く。もう二日経ってもまだ路面が凍ってるというのは、日中もあまり気温が上がらないからだろうし、やっぱり今シーズンは、少なくともここ数週間は、例年以上に寒いんだろうと思う。

2012-01-25

We Will Meet Again(For Harry)


 今日も昨日と同じでかまわないじゃないか。なぜ同じじゃいけないのかい?昨日とか今日とか、そんな短いスパンでものを考えなくてもいいじゃないのって、それを前から言ってんの。だから、今日も休んでかまわないの。人間の本来として。あなたがしっかりしてるんだから、それはみんながわかってることじゃない。だからあなたがそうやってしっかり、みんなをまとめてさ。僕や彼女のぶんまでしっかりやってくれると信じて、ぼくらはこうして少しだけゆっくりできるわけじゃない。わかる?その構造ってものがさ。

 さっきこのレコードかけててさ。あー!これ名古屋駅の近鉄の音楽!って大声出しちゃったのよ。このA面のこの曲。We Will Meet Again(For Harry)、これ名古屋から鵜方駅に行くときにかかる曲なの。私すごい懐かしくて、これ本当に泣きたくなる。子供の頃の、まだ家族一緒だった頃の、みんなで田舎に帰るときの、新幹線まで降りちゃって、もう全然遠くに来ちゃったときに流れる音楽。ああ、このままもう、遠くの田舎に行くんだと思う、そういう音楽。それがこの曲なのよ。ビル・エバンス。え?違いますか?ああ、そう、これじゃないか。名古屋の、そう。近鉄が出るときの音楽。あぁ、そうなの。これじゃないのね。あら、ほととうだ。全然違うわ。すいません間違えました。いやまあ、でも私の中ではこのA面のこの曲だって今だけは思ったんです。だったらそれでいいじゃない、ねー?そうでしょ。ねぇ?失礼しちゃうわ。頭きちゃうわ。

2012-01-24

雪の朝


雪で真っ白の朝。すばらしいお天気で、雪の白と降り注ぐ朝日がすごい。まだ誰にも足跡をつけられてない公園の芝生の上の真っ白に発光する雪の上。木々や植え込みやその他さまざまな物象の上に丸くふくらんだようになめらかに積もっている白いかたまり。でも景色に見とれて少しでも油断すると滑って転びそうになるから気をつけろ。なんとか無事駅までたどり着いた。すいません今日はもうこのへんで

2012-01-23

制服


 混雑した電車の、掴まることのできる吊革も手摺りもないまま、足を少し広げて、体重を両足に均等にかけて、揺れ動く床にバランスを崩されないようにしながら真っ直ぐな姿勢で立つようにする。


 二本の両足にスカートがまとわりつく。スカートを私の身体の一部のように思う。風にスカートの裾がはためくと、私は自分の身体の一部が風に溶けて消えかかっている感じを想像する。


 今年からこれを着なさいと言われて、その制服を着て学校へ通い始めて、もう一年が経つ。


 通い始めてほんの一ヶ月で、すっかり学校が嫌になったのに、この制服は嫌いじゃない。むしろ、着れば着るほど好きになる。


 この制服の、色がすきなのだ。着ているうちに、どんどん好きになった。この紺色が背景のさまざまな色と隣り合うのが、すごくきれいで、日差しにあたったり、風にそよぐ感じも、とても素敵だ。生地もすごくいいのだ。肌触りもすごくいい。この制服は着ているうちに何もかもが、どんどん良くなってきたのだ。私の身体を、上からぴったりと覆ってくれて、しっとりとした肌触りで、身体の線に沿って、ゆったりとした皺を幾本かはしらせる。駅のホームで、ベンチに座ったまま、その線の流れをうっとりしながら、じっと見てしまう。


 私はそもそも、洋服を自分で選ぶことの何が楽しいのか、よくわからない。今年の4月みたいに、もっと規則に決められた通りにしなさい、規則に従いなさいと言われたい。そして、今日からこれを着なさいと、きれいに折り畳まれた洋服を手渡されたい。


 言うとおりにしていると、きっと後で楽しくなる。そして心を静かに落ち着かせてくれる。それに私は、たぶん、大抵のものは上手く着こなす自信もあるのだ。


 イラつく事も多いし、すごく間違ってると思う事もあるし、色々なことで毎日怒ってるけど、それとは別に、やっぱりこれを着なさいと言われたら、その言葉の言うとおりにして、それで私は、そこからが大事だと思っている。


 来月か再来月には、忙しくなってきて、もっと色々言いつけられるだろうから、今は、まだこうしてのんびりしている時期だと思って、こんな風に文章を書いたりもするが、それも今のうちだけだ。忙しくなってきたら、そのとき私は、こんな文章なんかは、きっと、一文字も書かないだろう。そんな暇は、これっぽっちもない。そのときは、与えられた役割を完全にまっとうするために、全力よりももっと上の力を、全部出し切る勢いで、てんてこまいしながら、大いに頑張るだけだ。

2012-01-22

静養


金曜日の夜からぼやっと風邪のひきはじめのような状態で、土曜日は普通に過ごして夜にブログを書いて寝ようとしたらなんとなく悪化したような感じに思われて、眠りに入るまで寝苦しくてこれはやばいかもと思いながら悶々としているうちにいつの間にか寝て、今朝起きたら体中が重くて頭の中は幾重もモヤがかかったような状態になっていて、これはやっぱりまずいかもとおもいながらまどろんでいるうちにまた寝て、そのとき夢を見た。どんな夢だったかは忘れた。夢は見たかどうかだけしかおぼえてない事が多くて内容は二の次で、もし見た場合なら大抵は奇妙な寂しさの感情のみが残っていることで見たとわかることが多く、見てない場合は何も思わない。二度目に起きたら身体が意外と大丈夫なように思われてしばらく布団の中でもそもそとうごめいていて普通に全身に力が入りそうな感じなので意を決して起き上がって自分を見下ろしてとりあえず大丈夫のようだと思った。回復したということはインフルエンザとかではないということだろう。インフルエンザだったら、ちょっと悪くなったけど翌日回復とかしないでしょ?よくしらないけど。会社員をやっていてインフルエンザに罹ると色々と面倒くさいのでまずは良かった。でもただの風邪としても完治したかどうかまだ微妙だし夜になったらまた弱る可能性もあるし今日は一日ごろごろしていようと思った。昨日もそうだったけど体調は酷く悪いわけでもないが食欲はいつもよりなく、でも食べないとよくないので食べた。食べればおいしく食べる。食べすぎなくらいだ。適当に本を読み散らかしたりして一日が暮れるまでいた。妻からメールがありウルオスってスキンミルクだっけローションだっけと聞くのでミルクだと答える。お茶を飲む。最近は緑茶ばかり飲んでいる。頻繁にお湯を沸かし一煎ないしニ煎多いと茶葉を入れ替えてもう一杯飲む。お茶は何杯も飲むのが普通でソバ屋でもさしかえと言って何杯でも入れ替えてくれる。お茶がおいしいとやはり良いものだ。夕方になって買い物から帰ってきた妻がココアをいれる。牛乳となかなか上手く混ざらないようでカップの内側をスプーンで何度も何度もかき混ぜる音がいつまでもいつまでもする。「17世紀以前にヨーロッパで飲まれていたカカオはスプーンを立てても倒れないほど濃い飲み物であり、18世紀になると牛乳を加えて飲まれるようになった。しかし、カカオ豆には油脂が多く含まれているために湯や牛乳に溶けにくい難点があり、1828年ごろにオランダのカスパルス・ヴァン・ホーテン(1770年-1858年)が、カカオマスから油脂を分離し粉末化する手法を開発し、ココアと名付けて売り出した」以上wikipedia詳しくは「バンホーテン」参照とのこと。「チョコレートおよびココアは多くのフラボノイド、特に循環器に有益な健康の影響を与えるカテキンを含んでいる。フラボノイドが豊富なココアの食物摂取は一酸化窒素循環の急激な上昇、循環器を介した血管拡張および微小循環系の増大と相関する。」とあるからココアを飲んだ後血液の循環がよくなったように感じるのはふつうのことなんではないか。とはいえ胸の動悸の高鳴りが気になるほどだというならそれは原因を別途適切に調べるべきだとは思うが、いずれにせよ自分で自分なりに納得できるように体調は管理すべきで、自分で自分を制御できないのは当然だがそれはあくまでも基本的体調管理など人並みにしたうえでの話でそうじゃないと単に周りから心配されるだけになってしまう。病院で診てもらうほうがいい。まあ病院ももっともらしいことしか言わないし実際、病院と占いってどこが違うんだ?と最近よく思う。夜になって夕食のあと早めに布団に入って横になったまま読書の続きをと思ったらすぐ寝てしまってその後はっとして目覚めたら夜中の十二時ごろで酷い寝汗をかいていたので着ているものを脱いでしばらくそのままじっとしていて、まだ肌寒くなってきたら着直したりしているうちに目がさえてしまい仕方なく起き出して今これを書いている。このまま明け方まで眠れないパターンだと最悪なので、この後どうにか上手いこと眠りたい。

2012-01-21

ゴヤ


 予想よりもかなり混んでいて、わりと駆け足で見て退場した。空いてたら、もっとじっくりと見たかった。まさに素描や版画を観る為の展覧会。基本ムチャクチャ上手い。そして早い。タッチが早いのではなくて、かたちが早い。これがまさに、マネの先駆けという感じ。幻想的だったりグロ趣味っぽかったり戦争や事故映像の報道っぽかったり、今なら驚きもしないが、しかし当時の画家が、あれもこれもと描き続けるなかで、自作のいったい何を見て、作品の連続性、ひいては自分のしごとの根拠というものを確認するのか、いったい自分がどういう作品を残そうとしている画家だと思っていたのか、いや、それを今取り扱えるイメージの枠に落とし込むのは無駄だが、そもそも「当時はこういうイメージだった」と捉えることの不可能さが前提だが、しかしそれにしても、わけのわからなさというものそれ自体を想像するのは難しい。

 常設の松方コレクションも久々に観た。こちらは混雑もないのでかなりじっくりと時間をかけて観た。モネはそれこそ、ほんとうにわけがわからなくて面白い画家だとあらためて思う。あとウィリアム・ブレイクの版画特集をやっていたので、一まできちんと観たことがないのでこの機会でかなりじっくりと観た。見ただけで、感想はないが、ただじっくり見ただけだが、面白かった。

2012-01-20

明治の冬


 とにかく、寒い。きわめて大雑把な計算の元に生成させたような、単純で、まろやかさに欠けた、単一的で容赦のない、のっぺりとしているのに剛直で、乱暴な勢いのみなぎる、そんな空気の冷たさ。両肩をすぼめて、身体にぎゅっと力を入れっぱなしで、首を身体にうずめるようにして、やや下を向いて俯いたまま、小刻みに呼吸だけをする。少しでも身体の力を緩めたら、寒さが体内にまで押し寄せてきて、心肺の通常稼動に影響をおよぼすような寒さ。

 夜になったら、路面がところどころ、薄く白濁したような色に覆われていた。靴の裏でかすかに滑る感触を感じた。どこもかしこも、薄さ一ミリ以下の薄い氷の幕の下だった。

 冷え込みも、今日ほどだとさすがに、歩いていて只事ではなく寒いと感じるが、かえってその寒さの中を歩いているのは、かすかに楽しいものだ。逆に、勢いよく歩きたくなる気分でもある。寒くて寒くて、あまりにも寒くて、しかしこれでも、ロシアや中国よりは、全然寒くないのだ。そう思うと、寒さって何なのか。寒がるこの感じも、結局はある地域内でしか共有できない。

 そもそも、昔の人は、これくらいの寒さでも、早朝に川へ洗濯に行ったりしていたのだ。この寒さの中、着物一枚で外に出て、川の水で衣類を洗う。その意味では、寒さについてだって、昔の人とも共有できない。

 昔の人はすごいとは、僕が子供の頃から思っていたことだ。僕は子供の頃から朝が苦手で、布団から出るのが辛かった。しかし母親は、早くから起きて食事の支度だの何だの、色々としているのを見ると、ほとんど理解不可能というか、昔の人はすごいと思ったものだ。いや、母は別に明治時代の人ではなく、普通に戦後生まれだが、しかし僕から見たらほとんど明治時代、いや、大正時代のお生まれだった人のように思えた。もちろんその頃はまだ、明治だの大正だのという物自体を、よく知らなかったが。

2012-01-19

明治の湯


明日は雪が降る?積雪、週末も雨?そうなのか。傘をさして出かけよう。滑らないように注意。そしてすぐに帰ろう。風呂に入って、そしておいしいものを食べましょう。そうして、そうして、とりあえず今日は寝よう。寝様、寝様。寝不足は良くない。早く寝様。健康ランドに住んでいるようなものだ。立ち昇る湯気。風呂とサウナと飯と酒と仮眠所。屋上に露天風呂がある。裸で歩き回る。身体の表面は冷え切って、髪の毛も凍ったように冷たい。足の裏の冷たさも痛いほど。夜景の向こうに黒い海が見える。ここは歴史の先端に近い場所。音楽を聴きたい。

2012-01-18

頭の鉢


頭の鉢というのは、頭頂部位を中心にした頭蓋の上面部分一帯のことを言うのだそうだ。その面がとくに広いと、頭の鉢が云々…とか言うらしい。頭の皿という言葉と同意で、河童の皿に該当する部分のこと。はじめて知った。僕はそれまで、頭の鉢というのは、頭を何かの容器に例えた際の、うつわの周囲の部分の「感じ」のことだと思っていた。要するに天辺ではなくて側面というか、ぐるっと回った周囲の部分のことを鉢と呼ぶのだと持っていた。そう、頭をうつわに例えたときの印象のことだと。というか…もっと厳密には、頭の鉢、イコール、頭蓋骨全体のマッス感というか、あのスイカくらいある球体のごろっとした感じというか、周囲をタガではめたくなるような、あの、何とも知れない、やけに大げさに何かが詰まっていているようでもあり、同時にまったく滑稽なつまらない突起のふくらんで殻にくるまってるものが単にそこにあるようでもあり、目や鼻や口や、頬や、額や、耳や、顎や、歯や、髪の毛、髭、その他色々…または表情や、趣きや、吐息や、くしゃみや咳も…そんな事々をすべて乗せている、単なるバケツのような容器、両手のひらでぐいっと持ち上げて見る事もできるような、そんな簡単な大きさの、なんとも言葉にならないような不思議な感じの物質を称して、そう呼ぶのだと思っていた。でも単に頭蓋骨の上面部位のことだそうだ。今日、電車でドアの脇に立っていて、座席の端に座ってる髪の長い女性の頭が自分の腰のすぐ脇にあって、ああ人の頭って、なんて面白いものだとつくづく思った。頭の鉢がなあ、これはまさに、頭の鉢だ。ああこうして誰も彼もが、頭の鉢にご大層に何かを詰めたまま、寝たり起きたり、仕事したり、電車で居眠りしたりしてる、そういう不思議なごろっとした暖かい塊が僕のすぐ目の下にあるよと思った。

2012-01-17

なんて言ったらいいのか


これからご飯です。いただきます。幾らなんでも、もう遅いので寝る。おはよう!こんなとき、今からもうあと五分で寝るつもりだが、平日なのに飲み会だったときの、この雰囲気、いったいどうしてくれるんだよと思う。いいかげん、モノには限度ってものがあって、なんて言ったらいいのか、すでに相当気まずい。二週間以上前に発送済みになっていたCDが、いったいどうしてくれるつもりなのか、きちんと説明してもらいたい。やらかしてくれちゃったなあ。わからない。やる気に満ち溢れてはいるけど、こころざしは低い。目も当てられない。相当、書きにくい。でも現時点では、すでに取り返しがつかないほどの、切羽詰った情況でも、それはそれで、よく言うなあと感心してしまう。ろくでもない。せこくて、さもしい。ろくでもない。たぶんもう間に合わない。

2012-01-16

重さ


心配事が薄らいでいく。薄らいでいくことに気付いた、

というよりも、それがひとりでに薄らぎ始めた、その瞬間に気付いた。

この場への意識を失くし始めた。

緊張感をなくしていた。

緊張を保っていたことに、それで気付いた。

雲散霧消し始めた。雲散霧消の始まりに気付いた。雲散霧消な情況に気付いた。

いや、雲散霧消そのものに気付いた。

ふと気付いた、気付いたことに気付いた。

今どこに居るのかを、やっと今、思い出した。

瞬間、はっとして手で抑えた。

ということは、手から力が抜けていた。それに気付いた。

それまで、手で抑えていたことに気付いた。

手で抑えていたはずのものが、雲散霧消し始めて、手から力が抜けて、

手に何か持っていた。

手に何か持っていたことが、すでに過去である事に気づいた。

はっとして手で抑えたことで、それら何もかもに気付いた。

手で抑えたものすべてに気付いた。それがどこかわかった。

文庫本のページから、挟んでいた指をそっと離した。

柔らかい紙がくしゃっと皺になって、斜めに折り目がついていた。

2012-01-15

寝ておく


大手町で本を買って、昼は中華料理。先月だったか、池袋で食べた店がまずくてムカついたので、今日は雪辱戦。うまかった。食べすぎた。真夏のように汗をかいた。帰ってきた。昨日も今日もわりとよく歩き回った。よく食べたしな。天気もまあまあだったし。良かった。今日も気付くと、もうこんな時間、もう時間がない。こんなはずでは。でもしょうがない。睡眠不足はあらゆる意味で良くない。今日はもう寝よう。何か新しいことでも考えよう。新しいものを受け入れる準備をしよう。本も慌てずゆっくりでいいから読んで。ちょっとまだ色々と見返してみて、余裕をもって行こう。

2012-01-14

快適


 それほど寒くもなく、快適な一日。レコード屋など巡る。買ったのはRAZOR SHARP忌野清志郎(LP)、Masterpiece Gilles Peterson(CD)、The Who Live at the Isle of Wight Festival 1970 (DVD)

 RAZOR SHARPはRCを聴き始めて間もない中学生の頃の自分がはじめて聴いた忌野清志郎の「新譜」で、大変思い出深いものなので、久々に聴いた。たぶん25年ぶりとか。。ラジカセとかじゃない普通の再生環境で聴くのは、ほとんど初めてだろう。でもやっぱり当時だからなのか、わからないけど、今更ながらやっぱり録音良くないなーという印象。カセットテープの印象とあまり変わらない。むしろ、だから良いのかも。ある意味フィルスペクター的か。

 昔からこのアルバムA面一曲目「watatta」という曲が、とても好きだった。これは、ほんとうに好き。これ、誰か再演してくれないだろうか。リマスタリングとかはもうやっても意味ないと思う。元が悪いから、これ以上いい音にならないんじゃないの。それよりももっと、くっきり楽器のエッジが立った演奏で、誰か再演してくれないか。うん、単なる個人的思いに過ぎない気もするが、これはなぜか好きな曲なのだ。今日は聴き直したのにいまいちだったので残念。

 Gilles Petersonはまあ予想通り。The Whoはもう、すばらしすぎる。今日は正直、The Whoについて長々と書きたかった。でももう寝ようとおもう。とりあえずこれだけは言っておきたいけどThe Whoはほんとうにすばらしい。

 まあ、それも含めて、繰り返しになるけど今日はそれほど寒くもなく、快適な一日で、良かったと思う。

2012-01-13

ハローベトナム


NHK世界ふれあい街歩きはベトナムのカントー。家に帰ってきたのが遅かったので後半二十分しか見てないが、しかしあのラストシーンは素晴らしかった。ちょっと泣いた。ベトナムってほんとうに素晴らしい国だ。人々の表情や話し方だけで、素晴らしいということがわかる。

2012-01-12

中目黒の冬


 寒さはピークに近づきつつある。あるいはここが頂点か、まだ先があるのか。朝、玄関のドアを開けて外へと歩き出すときの、冷気の凄まじさ。いきなり冷水プールに飛び込んだようなショックに、思わず「うぅうっ!!」と声が洩れてしまう。袖口、首元、スラックスの裾はもとより、開いた口、耳、瞼と眼球との隙間からさえも、冷気が容赦なく入り込んでくる。寒さに全身が浸ったようになり、自分というかたまり全体が、寒さに溶けて拡散して薄く霞んだ繊維質の網目状の物体となって、そのやわな構造ごと細かく震える。震えれば震えるほど、熱が体外へ放出されてしまうかのようだ。でも中心部位の心臓だけは、何も知らされていない安全保護区内に生息しているかのごとくひたすら整然と鼓動し続けていて、それが外からでも、網目越しに薄っすらと見えそうになってしまう。吐く息が白いとか、手がかじかむとか、そんなことを確認する余裕すらない。心臓をそのままだましだまし動かし続けて、足を惰性で、右と左交互に、動かして動かして、ただひたすら繰り返し運動して、そのうちどうにか、駅にたどり着くというだけだ。

 中目黒の冬。これを書くのを何よりも恐れていた。これを書く日が来てしまうことを、恐れていたのだ。中目黒の冬。東横線のホーム。日比谷線から追い出された我々一般客は、あの吹き曝しのホームで、みなとみらい線直通、元町・中華街行きがホームに滑り込んでくるまでのあいだ、信じ難い寒さを必死に耐えるのだ。待ち時間は、およそ4分前後。この4分はおよそ、人間が過去の歴史において経験してきた中でも、もっとも過酷な4分であるのは間違いない。ほとんど全員が、やってきた電車に、這って乗り込むのだ。たったの4分で、誰もまともに立っていることさえできなくなる。四肢は胴体につながっているだけでなんの役にも立たなくなる。目は見えず耳は床に落ちてしまい鼻と口は凍結寸前のまま体内の熱気に触れる周囲だけ水分に爛れた噴出口みたいになる。もはや人間の機能はことごとく止まった状態で、とにかく意識だけは確かに持って、来た電車に確実に乗り込むことだけに集中する。ときには皆で掛声を出し合ったり励ましあったり、手をつなぎ合ったりもしながら、協力し合って辛い時間を耐え忍ぶのである。そして、やって来た電車のドアが開いたら、全身の力を振り絞って車内に乗り込む。自分の身体がこれほど鈍重なものだということを、嫌というほど実感するひとときだ。感覚を失くした両手の指先に触れるもの何でも握り締め、それが手摺りであれば全力で噛り付くようにして身体を支えて持ち上げて引っ張り揚げて、這いずってでも良いから中まで入って、やっとの思いでシートに横たわる。あとは全身をがたがた震わせながら、目的地に着くまで窓の外をうつろな目で見つめるだけだ。次は祐天寺。

2012-01-11

30分


朝の七時頃、線路にお客様が立ち入ったため、安全確認を行った関係で、ダイヤが大幅に乱れている。この電車も定刻より八分少々遅れて駅を発車している。電車が遅れていると行っても、いつもの時間に、いつもの駅のホームに着いたら、いつもとは違う電車がちょっとずれたタイミングで入ってくるだけで、来た電車に乗ってしまうのはいつものこと。ただし乗ってからが、当の電車が、なかなか前に進んでくれないのが困る。前の車両がつかえており、車両感覚調整のため、たびたび停車や時間調整等させていただきます関係上、お急ぎのお客様には大変ご迷惑をおかけいたしますが、なにとぞご了承いただきますようお願いいたしますというわけだ。そう、この電車はまもなくドアを閉めます、発車します、という段階で、無理なご乗車はおやめください。次の電車をお待ち下さい。お荷物引いて下さい。閉まりマース!というわけだ。緩慢なスピードで、電車は動いては止まり、動いては止まる。いつもの所要時間、日比谷までの30分はそれで、遅くとも八時半を過ぎた頃には、だらしなく弛緩してしまい、あいまいに膨らんでしまった。まるでゴム紐が伸びたような、旬の過ぎて鮮度の落ちた、いまさら目方を量る気にもならないような、誰からも興味をもたれないようなものへと成り果ててしまった。

2012-01-10

Bonjour Vietnam


今日は相当忙しくて、仕事して、さっき帰ってきた。食事の後、なんとなくテレビを切り替えてたら、太陽に吼えろがやってたので見る。ボス、ゴリさん、長さん、やまさん、殿下、マカロニ。マカロニはどう見てもジャコ・パストリアスにしか見えない。そして、もう今になったので、そろそろ寝なくては。そんなことよりも、さっきたまたまyoutubeで見たPham Quynh Anhというベトナム人歌手の「Bonjour Vietnam」という曲が、なんか妙にいい感じ。ニ、三回繰り返して聴いてしまった。そしてもう寝よう。

2012-01-09

身内


 夢を見ていた。妻の、学生時代の写真などを見ている夢である。小学校、中学校、高校それぞれの卒業アルバムのどこかしらに、昔の妻がいる。ページをぱらぱらとめくっていると、意外とわけなく妻を見つけることができる。クラス写真のページと、クラブ活動のページと、委員会活動のページにいた。運動会とか修学旅行のページからは見つからなかった。ざーっと見ていて、あ、これだ。と思う。妻がいるというよりも、妻の面影をもった、まだ幼さを残した女子がいる。見つけることができるというのは、これが妻だと納得しているということで、同時にこの写真の世界と自分とのあいだにもかすかなつながりがありうるということさえ感じているのかもしれない。とはいえ、それが妻かどうか、この集団の中で妻らしき人物はこれとこれだ、という風に、ある意味消去法で選んでいる。並んでいる他の生徒ではなく、この生徒だろうと見当をつけて、後は「この生徒」を探している。

 なにしろ、夢の中での話であるから、実在する妻の卒業アルバムとはおそらく全然違う、僕が夢の中で勝手に作り出したアルバム写真を見ているのである。たぶん記憶にある自分自身のアルバムとそれ以外の一般的イメージとの混ざり合ったようなものを、妻のアルバムとして見ている。現実に妻の昔の写真やアルバムを見たことがあるのか?と言ったら、見た事はある。しかしそれがどんなアルバムで、どんな写真だったかは、もう忘れた。忘れているので、夢の中でいいかげんに作られた写真を見ているときの感じと、現実の見たときの感じはたぶんそれほど変わらないはずである。

 昨日の夜、妻は眠りながらたくさん夢を見ていた。起きたら朝の四時過ぎだった。僕が布団に入ったまま、顔をこちらに向けていた。目が開いていて、妻を見ていた。僕はまだ起きていたのだ。今から寝るの?と聞いたら、そう、とのこと。これから寝るところだ。妻は朝方の人間で、目が覚めるのが早く、四時とか五時に起きる。休みの日など、僕はよく朝方まで起きているので、さて寝ようかと思うと、起き出そうとする妻と入れ違いになる事も少なくない。

 午前十一時、妻は外出の身支度していた。僕は寝ていた。妻が化粧をしている途中で、僕が起きてきた。これから散歩に行くけど、どうする?一緒に行く?と聞いてみたら、行かない、家にいる、とのこと。妻はその後、着替えて出かけた。今日も昨日に引き続き散歩するそうだ。水元公園まで歩く予定。前も一度行ってるのだけど、もっと近いルートがありそうなので、今回はそのルートにチャレンジしてみようと思っている。僕は冷蔵庫から適当に朝食を作って食べて、その後お茶を飲みながら、うつぶせになっている本を手にとって昨日の続きから読んだ。時間の過ぎていくのの早いこと。休みといっても、こうしているだけであっという間に終わってしまう。何ができるというわけでもないなあと思った。妻はその頃、中川を渡る橋へ向かって歩いていた。地図を見て、渡ろうと思っていた橋があったのに、実際に行ってみたら、人間の渡るための橋ではなかったのだ。結局川沿いを歩いて、前回も渡った橋を渡った。それでも前回より所要時間が大幅に減った。公園に着いたので、着いたよとメールしたら、早いね。もう着いたの?と返信が来た。今何してるの?と返したら、読書中です。との事。

 私にはすることがあるのだ。私には、誰がなんと言おうと、やらなければならないことがあるのだ。やり遂げなければならない。やり遂げることはできないかもしれないが、とにかくやらなければいけない。やることをやる、そのとき、それがすなわち私だ。

 その学籍簿からは、いかにも昭和初年の女子学生らしく銘仙らしい着物に銘仙らしい羽織を重ねて耳かくしにした母の写真が、勝気そうな目をみはってこちらを見つめている。英文科の二十八回生で成績は上の上、卒業論文の題は「Japan, before and after the National Isolation」である。趣味の欄には「洋楽、絵画、国際問題、婦人問題、社会問題、政治、家事、文学」の順に記入されている。ここに国際問題がはいっているのは場違いな感じだが、あるいはこれは同じ学籍簿に予備海軍少将と書かれている祖父の影響かも知れない。祖父は駐英大使館付武官をしていたことがあったからである。そして母の「係」は「国際聯盟係」である。

 性質は「快活、物にこだわらず、意志固し」とある。信仰の欄には「真心の愛」と書かれ、志望には「女学校の教師、或は Secretary」と書かれている。(一族再会 江藤淳)

 健三は実際その日その日の仕事に追われていた。家に帰ってからも気楽に使える時間は少しもなかった。その上彼は自分の読みたいものを読んだり、書きたい事を書いたり、考えたい問題を考えたりしたかった。それで彼の心は殆ど余裕というものを知らなかった。彼は始終机の前にこびり着いていた。

 娯楽の場所へも滅多に足を踏み込めない位忙しがっている彼が、ある時友達から謡の稽古を勧められて、体よくそれを断わったが、彼は心のうちで、他人にはどうしてそんな暇があるのだろうと驚ろいた。そうして自分の時間に対する態度が、あたかも守銭奴のそれに似通ってる事には、まるで気がつかなかった。(道草 夏目漱石)

2012-01-08

散歩


今日は家の中にいるらしい。すごく天気の良い一日だったので、私は着替えて散歩に出かけた。どこへ向かうか歩きながら決める。ドアを開けると意外と風が強くて寒い。風さえなければ、日向ならずいぶん暖かい筈なのに。そのままどんどん歩いた。昨日とは違う道で南の方角へ向かって行く。荒川沿いをすいぶん歩いた。橋までがずいぶん遠かった。渡ったあと、途中で道に迷った。地図で調べたら、なぜか亀戸の少し上くらいあたりにいた。後戻りして行くとやがて浅草に着いた。かなり疲れた。そのまま電車で帰ってきた。途中買い物して、家に着いたのが夕方の五時くらい。結局今日は、一歩も外に出なかったとのこと。DVDを見たり、本を読んだり、だらだらしていたらしい。着替えて、お風呂に入った後で早めの夕食にした。

2012-01-07

遠景


 図書館まで本を返すので、家から一時間近くかけて荒川沿いを歩いて行った。土手沿いを歩きながら、川とその向こう岸までの景色を見ているのはほんとうに面白い。気が向くと、その景色にレンズを向けて写真を撮ってみたりもするのだが、それをして写ったものを見るたびにいつも思う事だが、この感じはまったく写真に写らない。写真に撮っても無駄だ。これは写真の腕を上達させれば済むという話ではないように思う。これはとりあえず、ここでこうやって見るしかないと思って写真はあきらめる。

 景色が自分を包んでいるのに、写真の景色はまったく自分を包んでいない。ということであれば、それは単純に大きさの問題だろうか。自分の背丈よりも高いような巨大なパネルにこの景色が印刷されているのなら、たしかにまだマシかもしれないが、しかし大きさとも少し違う気がする。遠景とはそもそも何か?と思う。大きなもの、ということだろうか。しかし個物ひとつひとつは小さく見える。小さなものが大量に集まって大きなものとなって一気に視界に入ってくるような状態のことを、遠景というのだろうか。

 大きい小さいということではなく、見終わらない感じが続く、とも言えるかもしれない。自分の立ってる道、芝生、その先の道、ジョギングする人、サッカーをしている子供達、空間の広がり、野球場、野球している子達、親達の自転車、弁当を食べている子達、空の色、ヘリコプター、水上の波、これらが、それぞれ充分な余裕をもって組み合わさっているような感じというか、全部がそれぞれ無理なく動作しているという感じというか。これらの要素は単なる要素ではなく、色であり形であり動きであるのは言うまでもない。というか、すべての個物的要素が、色や形や動きとして、自分にとっての通路であり壁であり穴であって、遠景を見るというのは、比喩でもなんでもなく、自分が実際にそのようなダンジョンを進むことと同然になる。

 この、景色が自分に返してくるものというのは、一体なんだろうか。ある衝撃というか、ビートということか。それは身体が自発的に何かの、次の作用を準備させるために処理速度を上げてヒートアップしている状態なのか。もしかしたら自分は景色を見ているとき、自分でも無意識のうちにこの後なにか次の事をしようとしているのか?これは自分の身体がなければ感じられないことであるのはたしかだが、写真というのは身体がなければ感じられないという前提を、ある程度融通の利くものに変換して、操作可能性を提供する。そしてその余地に生じた自由を収穫する。しかしそう考えると、自分などは普段あまりにも、ものを写真的に見過ぎてしまっていて、写真を見慣れてしまっている。それは、肉眼でものを見ているときですら、写真を見るように見ているということだ。それが日常になると、こうしてたまに遠景のようなものを見たときは、普通に見る感覚を久々に稼動させたということで、身体が久々のことに驚いているだけのことだ。こういうのは、山奥に住んでいる人やほとんど船旅で海の上にいる人だったら、そうは思わないのだろう。というか、十何年前かに結婚前の僕が埼玉県の実家に居た頃でも、まだ遠景的な景色は多かったので、今よりもまだ目の使い方が違っていた。

2012-01-06

図柄


 いまの千円札の図柄の人物は誰か?と聞かれたら、何のうたがいもなく夏目漱石と答えてしまう。今は野口英世であると、すぐに出てこない。実感がわかないのだ。2004年に図柄が変わって、千円は野口英世になっているのだが、そのことを忘れているので、今でもずーっと昔のままだと思っていて、ふだん実物の千円札を見ても、図柄のことは意識しないのでその違和感も感じず、昔の記憶だけがいつまでも、間違ったままで保持され続けているのだ。

 自分の記憶で最も古いのが、千円が伊藤博文、五千円と一万円が聖徳太子の時代。これは子供時代という感じがする。80年代になって、千円が夏目漱石になって、五千円が新渡戸稲造になって、一万円が福沢諭吉になった。この改変がもっともインパクトがでかくて、というか、紙幣のデザインって変わるのか!?といううまれてはじめての驚きが強かったので、いつまでもおぼえていて、いまだに紙幣といえばこれだと思っているようだ。

 それ以降は色々と変わるので逆に全然おぼえてなくて、結局今はどの札がどの図像なのか、実際に見て確かめないとわからない。紫式部が幻の二千円になってしまったことはおぼえているが、それはエピソードとしておぼえてるだけ。で、さっきインターネットで各紙幣の図柄を調べていて、紫式部じゃなくて樋口一葉?これって…いつの紙幣だ?と思ったら今だった(マジ)。五千円札見たことないんじゃないの!?と思われそうだが、見た事はある。でもなぜか全然記憶してないのだ。これを書いてる今もまだ違和感がある。いま、五千円って新渡戸稲造じゃないんだよ、と急に言われたら、嘘でしょ五千円はまだ新渡戸でしょ、と、素で言い返してしまう。

2012-01-05

干物


干物はおいしい。味噌汁もおいしい。ひたし物がおいしい。出し汁もおいしい。それだけでいい。もう本当に。夢に出てもおかしくない。というか、ふだん会社に行くときでも、条件出してるときでも、自転車に乗ってるときでも、いつでもどこでも誰よりも思い浮かべている。お前何ぼーっとしてんだよ、集中力切らしてんじゃねーよ、今何考えてたんだか言ってみろよ、と問い詰められて、必死に誤魔化さざるをえない。よし、もうこうなったら、明日になったら、明日が終わったら、心ゆくまで、思い切り山の中駆け回るんだ。

2012-01-04

大王岬の夜


 最初から、夜の暗闇に、奥行きが感じられなかった。

 吐く息が、冷たい風になって自分の口元あたりにすぐ跳ね返ってきた。

 油の黒光りする壁に向かって歩いていた。

 壁を突き抜けると、またすぐに壁の気配がした。

 分厚い壁の中に、さらに細かい壁の層があって、その薄い膜をたえず破りながら進んでいるようにも思えた。

 進むにつれて、呼吸が苦しくなるようでもあった。


 遠くを見ると、群青色の夜空の中程まで、黒い山が仕切っており、その先には灯台の光が静かに光っていた。

 灯台の光は、音もなく旋回していた。光が強まり、やがてフェードアウトし、数秒後にふたたび強まり、ふたたびフェードアウトした。

 星が多く出ていたが、首元に寒気の侵入を許すのが嫌で夜空を見上げるのは憚られた。意を決して、ぐっと頭を逸らして夜空を仰ぎ見たとしても、十秒もすると寒さで首をすくめることになるのだった。


 波の音がする。いま、港から突き出た堤防の途中に立っていた。自分の四方数メートル先は、黒々とした海の水だけだった。波の音につつまれている。人の気配はない。

 さらに歩くと、排気ガスの濛々と立ち昇る匂いがただよってきた。裾から膝下にかけて、暖気が上って来た。軽トラックが一台止まっていた。エンジンがゆるゆると震えていて、真っ白な排気ガスを狼煙のように上げていた。運転席は無人だ。

 堤防の先へと進む。いきなり進行方向に人がいた。ほんの一メートル先くらいのところで気付いた。堤防の淵に腰掛けていた。毛糸の帽子を被っていた。急に立ち止まって、その帽子を真上から見下ろす格好になった。

 腰掛けているその先には海の、暗黒の広がり。何も見えず、波の音しか聴こえない暗闇に両足をぶらぶらとさせていて、怖くないのだろうかと思った。釣竿の先に、テグスの線がときおり鈍い銀色に光った。水面らしき前方の真っ黒な広がりの先に、オレンジ色の浮きがゆらゆらと揺れているのもかすかに見えた。釣竿を暗黒に挿して、何を釣ろうというのか、かえって釣られてしまい、有無を言わさぬ力で向こう側へ一気に引っ張られてしまうのではないかとさえ思うが、釣りをする人の気持ちはよくわからない。


 視線を元に戻してももはや、目を開けていようが閉じていようが、ほとんど一緒なくらい、もう何も見えなかった。真の暗闇だった。

 波の音だけしか聴こえない。

 排気ガスの匂いは、何か別の匂いと混ざり合っていた。匂いだけは今この場所の手がかりであってくれた。


 いきなり、何かが目の前に来た。出し抜けに目の前に、あらわれた。

 でかい青魚のように見えた。マグロが回遊しているのを水族館で見たような気がした。

 目の前を、でかい船が横切っていった。速度はゆっくりに見えた。

 たぶん飛行機だった。船ではなかっただろう。空に浮かんでいたから、船のはずがなかった。飛行機だとすれば、ずいぶん旧式の機体だと思われた。貼り合わされた金属の板のリベット打ちの点々と、ところどころに浮かぶ赤錆まで見えた。

地元の猟師と漁協の組合員と網元の親会社の従業員が毎年ごとにペンキで機体のそこかしこに注意書きを殴り書いている形跡まではっきりと見えた。機体の塗装とその上のペンキの層が刻まれた年月を地層のように見せていた。

 たぶん、横から見ていて、羽根が見えなかっただけだ。あれは船ではなく飛行機のはずだ。しかし船のようでもあった。船底に苔や藻や貝殻がたくさん着いていたようにも思えた。強い磯の香りもした。死んだプランクトンたちの亡骸が赤い雪のように降り注いでいるのさえ見えた。

 魚の下腹部のような真っ白な機体下部が、じつは従兄弟たちの子供部屋から溢れたものを詰めておく物置になっていて、かつて屋根裏部屋で見たたくさんのガラクタや古い雑誌類などが、今ではまとめてそこにぎっしりと詰まっている筈だった。

 プロペラが回っていた。いや、あれはスクリューか。スクリューとプロペラは、どっちが縦で回るのだったっけ?スクリューとプロペラは、いったい何の役目で回っていたのだったか。


 エンジン音が、いつまでも鳴り響いていた。自分の耳の中だけで鳴っているのかもしれないが。波の音がした。水のかき回される音も、していたかもしれない。

 排気ガスが濛々と上がって周囲全体が薄っすらと白い煙につつまれていた。酷い匂いだったが、煙にまかれていると、かすかに暖かくて少し助かる思いだった。


 もうずいぶん遅い時間のはずだった。部屋に戻っても、テレビ放送も全部終わってしまっただろうし、そろそろ帰って、歯磨きをして寝ようと思った。

2012-01-03

今年


 あっという間に正月が終わって、明日は水曜日。長く休んだとは思わない。むしろ普段より忙しい感じがするのが正月というもので、連休したという印象すらない。それでも今日は何の予定もないので、適当に外出しようかとも思ったのだが、午前中に天気があまりよくなかった事で気がそがれて、結局、一日中一歩も外に出ず、本を読んだり居眠りしたりしているうちにおしまい。

 明日から仕事だが、世間的にはまだ休みも多いだろうから、電車があまり混んでないのは助かる。

 今年は仕事も、何となく忙しくなりそうな気配があるし、個人的にも色々と大変そうだが、自分としては、普通に頑張ると同時に、さまざまなことに対しても、もう少し頑張って、何かしら、もう少しだけ自分としても色々とチャレンジしてみたいというか。

 などと、言葉で書くと阿呆みたいだが、ほんとうにそう。

 というか、もっと前から、そうは思ってはいるのだが、なかなか日々に流されがち…ということでもなく、それよりも、いや、そうでもなく、無理しても仕方がないだろうとも思って、あえてそんなに無理しないでやって来たのだが、むしろ多少の無理もしないと、このままでも駄目なのかなあとも思う。

 まあ、結局は相変わらずのスピードとパワーで引き続き進行…ということになると思う。

 あえて取り組むというよりも、積極的な受け身というか、良さげな方向に流されてやってしまいたいというか、そういう感じを目指したい。いや、目指すというか、そういうイメージでっ、ていうか。

2012-01-02

生後一ヶ月


 実家に年始挨拶。妹夫婦の子供をはじめて見る。座布団を二枚並べたくらいの布団に寝かされた小さな生き物。抱き起こされて、こちらの部屋に連れてこられるところを後ろから見て、持ち上げられたそれが人間の大きさには見えず、まるででかいカツオとかサバのようなものを抱き抱えているように見える。頭ばかり大きくて、くるまれた毛布の下に身体全体があるのかよくわからない。上半身だけの生き物にも見える。腕に抱えられて、ゆらっと頭を後ろにのけぞらせる。目を開き、天井をじっと見ている。上の窓から太陽の光が差し込んでいて、冬の強い風が木々を揺らすので、光と風が壁の上の方にゆらゆらとした動きを映し続けているのを、ひたすらじっと見ているらしい。次に僕が抱かされて、ぐっと確かな重みが腕に掛かり、頭の重みを二の腕に受ける。そのまま身動きせずにいると、誰の腕の中でもお構いなしのようで、やはりそのままじっと上ばかり見ている。小さな手と足が毛布からはみ出す。まだ一度も地面を踏みしめたことのない足の裏は驚くほど柔らかくこれではまだ足の裏とは言えない。両足にぐーっと力を込めて僕の足の付け根あたりを蹴って、そのまま身体をまっすぐにして、石鹸のようなかすかに甘い清潔な匂いをふりまきながら、はあ、はあ、と小さく呼吸を繰り返しながら、どこかへ逃れようとしているのか、意外なほどのちからでぐいぐい蝦反ろうとする。

2012-01-01

年始


妻の実家に新年の挨拶をしに行き、お酒などご馳走になってるとき、地震が来た。がたがたがたと音がして、元日からこれだと、地震は今後もまだ、今までどおり、たまには揺れるのだろう、そう思いながら、あたりを見回していた。「おーー、ずいぶん揺れているねえ。」「そうですね、震度4くらいですかねえ。」「たぶんそのくらいかねえ。」「ちょっとテレビつけてみてよ。」テレビで地震速報がやっている。「多摩東部は、ああ、震度4だねえ。」「震度4ですね。」「そうだね。4だね。」「4だって。」どのへんが震源なのか、聞いた事ないような場所が震源。「あ、そうか、ここは多摩東部ですか?」「そう、ここは多摩東部ですよ。」「4?やっぱり4か。関東地方じゃん。」多摩東部。Googleの地図で見ると、ここからであれば喜多見とか狛江なんかも、意外にずいぶん近いということがわかる。「これなら溝の口だって、そんなに遠いわけではないんじゃない?」「それは遠いよ。」「それは遠いか。それはいくらなんでも、近くはない。」自分がどの方角を見ているのかわからないが、上方に進むと大きな公園があるらしい。「ここ行った事ある?」「ある。」「これって大学?」「そうそう。」歩いて行く。駅の印象がずいぶん変わって、何もかも同じような駅前へと変わっていくのはどうなのだろうか。それでもまだ景気回復の役に立つのであればとも、画一的な発想からは何もうまれないとも語られる部分だが、バスに乗った場合は徒歩での進行方向とは逆側から向かうことになる。厳しい寒さだ。バス停からはいったん坂を上り、再び下る。まだずいぶん先である。「ずいぶん静かね。」「正月らしい。」散歩中の犬が飼い主の持つ散歩紐を引っぱって、道の外れに潜ろうとしている。玄関先に、日本の国旗が斜めに突き立っている。国旗の柄の部分は白黒の模様をしている。地図で国鉄(JR)の線路を示すときのような黒白だ。歩いていて、玄関先を通り過ぎようとするとき、真っ暗だった玄関先とガレージの一角に、ふいにパッと照明が自動で点灯して明るくなる。こういう仕掛けを設置している家が最近多くなったと思う。防犯上、そうしているのだろうが、はたして効果の程は。よそ見しながら歩いていたら、いきなり妻の実家の前に来ていた。「あれ?ここじゃん。もう着いたの?」「そうだよ、まだ道をおぼえてないの?今まで何回来てると思ってるのよ。」ぜんぜん気が付かなかった。松飾りが結わえ付けられている門を開けて中に入った。

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