何をどこまでそうだったら、それでいいのか。であれば、それでそうだというのか。まあ、まあそうで、比べ物にならない、くらべものにならないほどの、くらべものに、ならないほどの、あまりりすな、あまりにもひどい、あまりにも、あんまりな、この愛のこの僕の、あふれるおもいの、さいのかわらの、その一点に、集まった集中した、こわれる、こわれものの、壊れて乞われて来たのに。で、だからお互いに。今まで美味いと思っていたものが、美味いのではなくて単にしょっぱいだけだった、気付いた、そうだと思って、麺をすする音の問題の、今や世界中で、ハーグ派。活動拠点の地図、ワインの生産地みたいな、フランスとそれ以外とどちらがいいのか、早く帰れという意味か。なんで女ってああなのか。腹が立つ、むかつく。

さて、それでは、私は、(私をメアリイ・ビートンとでも、メアリイ・シートンとでも、メアリイカーマイケルとでも、或はお好きなどんな名前でもお呼び下さい。--名前など、たいして重要なことではありません。)一、二週間前の十月の晴れた日、思案に暮れて川岸に坐っていました。先に申し上げた女性と小説という題目、あらゆる種類の偏見と激しい感情をかき立てる題目について何らかの結論を出さねばならないという首輪をつけられて、私は頭をうなだれていました。私の左右では金色と真紅の茂みが焔の色で輝いているばかりか、焔の熱で燃えているようにさえ見えました。向こう岸では柳が肩に髪をたらして、果てることのない嘆きの涙にくれていました。川は空や橋や燃えるような木を好きなだけ映し出し、大学生の漕ぐボートがその映し出された影をかき乱していくと、それはまた、何者も通らなかったかのように、元通りに寄せ集まるのでした。こういう場所では一日中坐って思索にふけっていられましょう。(「自分だけの部屋」ヴァージニア・ウルフ