ばかなことだが一時間か二時間くらい、昔の、仕事メールがなつかしくて、延々と読み返していた。とくに十数年前の、この頃自分がやっていた仕事は、今考えたら異常だった。会員制ポータルサイトのコンテンツを作成する仕事で、立上げ当時は運営会社の資金が潤沢で、しかし周りは技術屋の人たちばかりなので、コンテンツの作成や運営に関するノウハウがほとんど無くて、何をすればいいのかさっぱりわからないまま、とにかくなんでもいいから思いついたことを手当たり次第にやろうみたいな感じになっていて、チームリーダーはIT系巨大企業から出向してきた五十代のおじさんで、全く未知の分野のミッションを受け持って死ぬほど戸惑っていながら毎日空元気を振り回していて、地方新聞社やコンサル会社やフリーライターやよくわからない通販業者なんかが毎日のようにうちの会社の会議室に来て、さっぱり意味のわからないやり取りをして帰っていき、当時の僕はまだ社会人になってまだ日が浅くて社会人としての一般常識レベルさえ怪しいようなところもあり、当然技術スキルも相当危うい状態だったのだが、まあ、蓋を開けたら技術的にはまったく大したことはしなくて、来た原稿をイラストとか写真と組み合わせてレイアウトしてウェブページにしてアップするというだけのことだったが、同時に営業や取材にもかなり同行しており、つまり作成仕事以外でも何でもいいからとにかく思いつく限り色々やれという役割を担っていたのだと思うが、営業担当の運転する車に同乗して、ものすごい田舎の海沿いの道に点在する小さな会社や店舗に半ば飛び込みで営業かけに行って怒られたり、社員全員がマインドコントロールされているとしか思えないような極めてヤバイ雰囲気の会社の社長室でヤクザにしか見えない社長からなぜか気に入られて、そのまま黒塗りの車に乗せられて港区あたりの謎の店に連れて行かれてものすごい夜の宴になってフルコースをいただいて帰ってきたり、午前中に飛行機でびゅーっと田舎の小さな寿司屋まで行っておまかせで食べて写真撮って夜になったらまた帰ってきてお店紹介の記事を作ったり、結局自分が楽しい思いをしていることは間違いないのだが、でもそれが何になったのだろうか。というか、それを「おかしいのでは?」と言う人が誰もいないのだからしょうがないのだ。というか、それでものすごく面白いものを成果物として作り上げることができれば、この僕に「才能がある」という話なのだと思うが、残念ながらそうではなくて、楽しむのは自分ばかりなのであった。毎月の定例会議後も大体飲み会になって、しかもそれが朝までわーっと異常に楽しく、その前後のメールを、今読んでいても声出して笑ってしまう…。しかしそういうバカな日々の痕跡を見返していると、やたらと楽しかったのはせいぜい一ヵ月半かそこらのことで、その間に全部が凝縮されたようになっていて、その仕事はその後も一年くらいは続いたが、さすがにその一ヵ月半くらいのような面白さが再び再現することはなかった。というか、後半になってそんな突拍子も無い出来事が減り、定常業務的に落ち着いてきたので、かえって良かったと思ったくらいであった。面白いのは、自分の勤めていた(今も勤めている)会社が、今も昔も、その手の出版でも広告でもなんでもない、ただの昔からのIT系システム屋に過ぎないのに、実際なぜウチの会社が、あのときだけあのような仕事に手を出したのか?というところだが、まあそれは色々と大人的な理由もあったのだが、まあそれはそれで。しかし…今思い出すと、まあずぶの素人が予算をやたらと無駄に使って、取材だの何だの見よう見まねのママゴトをしていたようなもので恥ずかしい話だとも思うが、まあしかしあれはあれで、やはりなかなか良かった。いい仕事であった。まあ、僕の良くないところは「これを何とか、せいいっぱいの力で少しでも良い成果に昇華させよう」みたいな気持ちが、あるようなフリをして実際はそう思ってなくて、ただひたすらもらうだけ、みたいな。そこにあまり、贈与された責任とか後ろめたさとかを感じない幸福な鈍感さをもっていて、それを平然と肯定しているような図々しさがあったところだと思う。でも、さすがにそれは無くなったな、と思う。じつは、何年か前にそこに気付いたのだ。「あ、もう自分は、人から施しを受けたらそれを重荷に感じてしまうらしい」と思った。昔はほんとうに、そういう意識が欠落した人間だったのだ。…でもまあ、それこそ社会人の一般常識でしょ?という話である。いや実際、このブログ書いてる人って一体年いくつなんですかね?我ながらちょっと信じがたいものがある。まあでも今は平凡に常識的になったのだ。それではじめて、ああ、あれが勿体なかったとか、これをもっと好利回りで運用しておけばよかったとか考えるようになるんだから。やっぱりああいうのは、人とのつながりにせよ何にせよ、もっと後へ繋げていくべきものだったのだと思うけど、まあ当時の自分はばかで、ほんとうに食い散らかしただけで何も残らなかったような感じだ。そのサイトはもう無いし、関わっていた人々や営業かけた会社やその他いろいろも、残っているURLをクリックしても404エラーばかり。言うまでもないが店も会社も当然システムも、十年以上経つとそのまま残っているのは極めて稀である。ウチの会社だって、当時を知る人が今のウチの情報を見て同一の会社と思うかどうか…。当時のこの僕を、まだ記憶している人も居ないのではないかな?ずいぶん長い時間一緒にいたはずだが、今やもう偶然会っても、きっとお互いに気付かない。もうすべてが皆、幻想のように消えてしまったようなものだ。まあ一部をのぞき、皆どこかでかたちを変えて存在していることはしているのだろうが。