昭和三十年代住宅


今日何食べる?買い物に行きますか。軽く散歩しながらスーパーへ…と言って家を出て、いい天気だったし、結局ふらふらと適当に、四時間近く歩いた後で買い物して帰ってきた。たまたま見つけた葛飾区の博物館に寄ったら、昭和三十年代の、おそらく当時、葛飾区の町工場で働いてる階層が住まうような住居が再現されて展示されていた。展示会場内に住居そのものがあり、玄関から入って土間で靴を脱いで、式台を上がって家に上がる。四畳半の居間、隣に二畳の寝間、板の間の台所、奥に和式便所、間取りとしてはそれだけ。鏡台やら箪笥やら卓袱台やらが置いてあって、テレビやラジオや、台所には冷蔵庫もあり、それらは当時のこういった住居に暮らす一般家庭にて平均的に備わっていたことの説明というよりも単なる当時を髣髴させる展示用の品々として配置されてるだけだろうが、それはともかくなにしろ驚かされるのは家屋ぜんたいのスケール感に、だ。この部屋の小ささと、それぞれに手の届く距離感。とくにこの二畳分の寝間は…。身体を小さくして正座して背中を少し丸めて鏡台の前に座って、立ち上がって箪笥の中のものを出して、それでそのあと、布団を敷いてそれに入る、みたいな、そういうのを想像すると、すべての動きの少なさというか、ここに横たわったら、すべての壁と天井裏が自分のすぐ傍を包んでいるように感じるだろう。というか、二人並んで寝るのはきっと厳しいだろう。一人だけだとしても、ちょっと油断したら何かを蹴ったり倒したりしてしまいそうだ。でも日本人の平均的な身体サイズも、きっと昔は今よりも小さかったのだろうけれども…。いや、そうなのだ、狭いのではなくて、これがふつうのスケール感だったのだ。この中で、人がさっさと動いて、もっとも最適化されて生きていた。今見ると、おそろしく小さな、ほんとうに同じ日本人の生活かと思うような小ささだ。というか、じつはもう存在しないけど子供の頃に見た母の実家が、まさにそんな感じだったような気もして、ああそうそう、昔はこういうスケール感で生活していたはずと、まるで知らないはずの古い記憶が呼び起こされるようだった。今また、この小ささの中に暮らせと言われたら出来るだろうか。出来るようになりたい、かもしれない、と思った。玄関から裏手の土間まで住居のすべての住機能があらわになっていて、とてもコンパクトで、ほんとうに、小さいけれども精密な船の中にいるみたいだ。見れば見るほど、なんとなく、全てがすごく良く出来ているような感じもしてくるのだ。