実家


朝7:30、構内には既にかなり沢山の人がいた。久しぶりの近鉄特急名古屋駅プラットホーム。「ドナウ川の漣」のメロディが反響している。ビールと一緒に朝食は駅弁の柿の葉寿司。葉の香りが深く本来の寿司の在り方という感じがする。9:12伊勢市駅着。この駅をおとずれるのはたぶん初。目の先の雑木林のこんもりと盛り上がった緑色の塊。まるでその奥に隠されたスピーカーから鳴っているかのような、立体的にイコライジングされたかのようなセミの鳴き声。病院の面会は11:00から、ならばあと二時間弱をどうしようとなって、病院のすぐ傍にでかい入浴施設を見つけてこれ幸いと入館する。快適だったけれどもあまり長々とは寛がず、汗だけ流して10分かそのくらいで出て、脱衣所の脇に風呂とは切り離されているけれどもベンチだけ置いてある露天スペースがあって真っ裸のままそこにいたら、じつに快適な夏らしい微風がひっきりなしに吹いていて、しばらくしたら身体ぜんたいがほぼさらさらに乾いた。着替えてから親戚のSに電話。11:00に行くと言ったら、一般面会ではなくて身内なら時間関係なく入室できるそうで、あ、そうなの、と言って、教えてもらった番号の病室へ向かう。Sは既に来ていて、眠っていた父もやがて目覚めてこちらに気付いた。二言三言話した。今回入院までの経緯と身体の状態、治療方針その他については前日に主治医からあらかじめ電話で説明を受けていたので、今日はそれを本人を見て確認するくらいのこと、あと細々した病院の書類や事務手続き、親戚のSにお願いしなければならないことや留守中の父親宅の件など。まったく面倒というか、厄介というか、こちらは諸々気が重い。きっとこれからが、大変なのだろうな。


病院を出て、Sの運転で波切の父自宅へ向かう途中、昔話からちょっと寄ってみようかという話になって、倭町に寄り道した。志摩市の波切は父の実家で、伊勢市の倭町は母の実家である。ただしその土地も建物もすでに売却してしまって今はもう「実家」ではない。で、たまたまSも学生時代の一時期、この近くに下宿していたことがあった。そのことも久しぶりに思い出した。たぶんお互いに高校生の頃、その時以来だ。夏休みのたびに三重県に遊びに行くという習慣も高校生当時にはさすがに途絶えていて、僕とSとは子供の仲良し時代が終わってお互い十代半ばを過ぎて何年も音信不通な時期だったはず。そして今日、何十年ぶりかに訪れた倭町のその場所には、もちろん新しい家が建っていたし、向かいの家も斜め向かいの家も自分の記憶とはまったく別の建物になっていて、たしかにそこはかつて、子供の頃の夏休みに遊びに来た場所ではあるのだが、別に何ということもない、ノスタルジーの欠片も感じられない、そんな情緒の生じる余地のない、まったくの殺風景というか、べつに殺風景ですらない、ただのふつうの住宅地というだけだった。あまり来た意味がなかったなと言って、さっさと車に乗った。盆の墓参りの準備も必要だという事で、先のスーパーに寄って「しきび」を買う。「しきび」もまさに、ああ三重県に来たなあと思わせるアイテムだ。これが墓場や寺の仏前にたくさんお供えされて水に濡れて光っているのを、濛々と焚かれた線香の香りに包まれながら見ていたものだ。


父の自宅に寄って戸棚や机の引き出しから必要なものを探し出して鞄に入れて、不必要な食品類の処分なども済ませる。この家も老朽化が極まり、もはや終焉の様相をはっきりと醸し出している。もうここに戻ってくるような展開にはしたくない、というか、しないように働き掛けないといけないのだ。しかし現実は厳しいからな。まったく厄介というか、困ったことである。やはり世の中、金だね。お金がいちばんだ。お金は大事です。お金、たくさんあった方がいいですよ。しかしまあ、金が無いなら、せいぜい知恵を絞らなければ…。


Sの実家へ。東京在住のSの兄も丁度家族を連れて帰省していた。Sの子供3人、Sの兄の子2人が一堂に会する子供天国。皆揃って墓参りに出掛ける。墓参りは五年ぶり、たしか前回は父と二人で来た。つい先日のようだが、あれから五年…。まったく厄介というか、困ったことである。嫌だねえ。年は取りたくないものだ。しかしそんな、じつにどうでもいい、書いても書かなくてもいいようなことを、だらだらと書いているのも、ほんとうにバカらしいことだな。


帰宅後、港町の質素だけれども新鮮で美味い魚介類の食事をご馳走になる。ビールと焼酎、そのまま男性陣だけ外の店へ流れる。こんな超の付く田舎なのに、森の中にカッコいいバーがあって、酒の種類もわりと豊富なのがありがたい。マティーニを二杯か三杯、最近はこればかり飲むなあ。研ぎ澄まされたなかに、ふとした柔らかさと甘みの余韻が、後追いで立ち上がってくる。これは現実現実。そのほかは…。皆したたかに酔って代行車で帰宅。眠る。