忘れるにまかせるということ


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#5movieという記事を書いた後、ある読者に聞かれた。観た映画のタイトルを記録していますか? 私は記録していないと答えて聞き返した。何のために記録するのですか? 返ってきた答えは「忘れるから」という理由だった。

私は川端康成の小説『散りぬるを』を思い出した。

物語の主人公は、殺害された二人の女性を思い出そうとするが、犯人の生々しい供述により記憶が曖昧になる。二人の女性と関わっていた事を日記につけていれば、もっとはっきり思い出せたのではないか。主人公は自問自答しながら結論を出す。

忘れるにまかせるということが、結局最も美しく思い出すということなんだ。


人は思い出すために記録する。日々の出来事や食べた物、訪れた場所や読んだ本。ふと思う事がある。そこに何の意味があるのだろうと。記憶は忘れ去っていくものだが、年月を経ても忘れない記憶こそ、本人にとって最も大切な記憶ではないだろうか。

先の記事で紹介した5本の映画は、記憶からタイトルをたどった。あれからまた何本も映画を観たが、オダギリジョー主演の『ゆれる』がよかった。女性殺害の疑いをかけられた兄は、無実を訴える。弟は現場を目撃していたが、記憶が曖昧になる。真実が揺れる。

数年後、私はこの映画を憶えているだろうか。


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