11日のイベント&デモ@四谷地域センター→歌舞伎町は、イベントに250人、デモに400人集まりました。主催のひとり・「ミーダーン」の方の熱いコールや、先頭のパレスチナ人の英語コール、人力ドラム隊やフルドラムセットで来たイルコモンズさんの炸裂するサウンド、後ろでパレスチナ現地の映像をプロジェクタで建物に映し続けてた人、と実に多彩なデモでした。

Ryota19812009-01-13

映像はhttp://jp.youtube.com/watch?v=SqTXICpOFdY&feature=channel
http://jp.youtube.com/watch?v=P8C5uhQrclw&feature=channel
世界20カ国のデモの映像:http://illcomm.exblog.jp/9188859/
1月10日大阪のレポート:http://d.hatena.ne.jp/F1977/20090111/1231645697
http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20090111
写真:http://www.news.janjan.jp/world/0901/0901105124/1.php

去年秋からの無理がたたってかなり疲れてたし、スタッフとしての自分の動き方に反省もあって、弱音もかなり吐いたんだけど・・・。友だちにも支えられ今日も何とか。ホント人間関係に恵まれてますわ。

10日も11日も、そして8日のデイズジャパンのイベントも、
http://daysjapanblog.seesaa.net/article/112521554.html
すべて主催者の予想や部屋の規模を超えた人が集まったようだ。
広河隆一さんは、マスコミに報道のあやまりをただす文章を一斉に送った。
http://daysjapanblog.seesaa.net/article/112508511.html

世界で起こる戦争への関心。この日本社会では本質をマスコミが報じず、隠されたさまざまな事実があるのではないかという思いや関心。そして他者を救うこと。どちらも、私たちをとりまくものへの「根底」に迫りたい、という欲求が高まっていることの表れだと思う。
では、マスメディアのおかしさが分かってもなお、なぜ日本では欧米ほどには大きな抗議のうねりにならず、僕らの社会の「イメージの貧困」が消えないのか。それには僕らの日常生活やイメージと、「現代の戦争」との関係をあらためて問い直す必要があるのではないだろうか。それが、自分が11日イベントで話してみたことでした。時間が短かった・・・。間違いがあるかもだけど、加筆して再掲します。「1」は、道場親信さん『占領と平和』の第6章にコンパクトにまとまってます、これからも方法考えて表現していきたい!

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「現代戦争」と日本(社会)とのかかわり

自分は9.11やイラク戦争以降に反戦運動に参加し、その盛り上がりも盛り下がりも経験して、今は「憲法カフェ」や「反戦と抵抗のフェスタ」をやっています。同時にフリーターの労働組合いにも参加し、年末年始には話題を集めた「年越し派遣村」にボランティアで行きました。
それぞれの観点から、2つ話したいです。

1:「対テロ戦争」の不公平・不当性がなぜ実感出来ないか。

パレスチナ側の死者が数百人、イスラエル側の死者が数人。もちろん死者の重みは人数だけでは計れないが、あまりに不公平、「非対称的」だ。そもそも問題はイスラエルの長年の占領から始まっている。なのになぜいつも「イスラエルハマス、暴力の応酬・報復の連鎖」などと言われるのか。ハマスのおもちゃのようなロケット弾と、イスラエルの世界最新兵器の大量投入が、まるで対等であるかのように。

→これは、アフガン戦争で「テロへの報復」「タリバンの脅威」が過剰に理由として言われながら、実際には最強国アメリカがアフガン民衆を壊滅させたことと、イラク戦争で「大量破壊兵器」「フセインからの解放」などと言われながら、実際には最強国がイラク民衆を虐殺したことと、そっくりだ。パレスチナ攻撃は、この「対テロ戦争」の最前線に位置する。なぜ繰り返されるのか?

→現代の戦争は(例えばベトナム戦争で死者の多さが批判された後の・湾岸戦争以降のアメリカは)、攻撃する先進国の側に死者を少なく、攻撃される側に多く、となっている。今では無人戦闘機まであるほど、通常兵器が高性能化した。イスラエル空爆と、圧倒的な力の地上軍で攻めている。先進国は自国の死者数に敏感だし、開戦のためには世論を説得することに腐心せざるを得なくなっている。そうして「死なない侵略者、大量殺戮される民衆」になっていく。

“現代では極力空軍と海軍中心の作戦が重視され、また空軍の攻撃にしても、精密誘導兵器による超高度からの攻撃をはじめとして、先端兵器による戦争重視の傾向を生んだ。……こうした戦争は、なるべくこうした精密誘導兵器により、敵に壊滅的打撃を与える兵器が工夫され開発される傾向を生み、逆に、戦争の相手国民衆に対する大量殺戮攻撃を生むことになったのである。”

そうして攻撃するアメリカ側や、それを支援する日本側の被害が減っていった結果、私たちの戦争被害や加害に対するリアリティはどんどん貧しくなる。

アメリカが、アフガニスタンを攻撃する際には、帝国主義戦争時(注:日本で言えば太平洋戦争)のように、国家の生産の総力を戦争目的に動員し、国民を統合するために市民的自由を制限するといういわゆる国家総動員をとる必要はなくなり、国民はテレビの前で自国の戦争を観戦するというのが、現代の戦争を戦う大国の側のスタイルとなったのである。”(引用はどちらも渡辺治・後藤道夫編『「新しい戦争」の時代と日本』)

そして現代では、軍事の警察化・警察の軍事化が起きており、明確な宣戦布告がなくても、「何かを懲らしめる」「紛争を解決する」という名目で自国の人々に開戦を説得しようとするが、実際には戦争級の大攻撃をしかけるようになっている。「ハマスのロケット弾への対抗」がまさにそうだ(日本の「海賊を取り締まるために自衛隊を!」が、その道を切り開かないと誰に言えるのか?)。

いわゆる先進国のマスメディアは、パレスチナでなくイスラエルに留まり報道する。イスラエル政府もパレスチナから外国人ジャーナリストを追い出したことで、イスラエルアメリカや日本の人々に「イメージの貧困」をつくりだしている。

こうして、このセカイから隔絶された空間で一方的に殺され続ける人たちに生まれる「絶望感」は、想像を絶するものがあるだろう。だからこそ抵抗も生まれる。必要なのは何よりもその隔絶、イスラエルの場合はパレスチナの「占領」をまずやめることであり、私たちは自分らの「イメージの貧困」を突き破らなければならない。

最近アメリカではイラク帰還兵の反戦運動が増え、「イメージの貧困」は少しずつ破られ始めている。http://jp.youtube.com/watch?v=vv7zg7Q06hc
日本もついに過酷な戦場・イラクへ派兵したが、「自衛隊内の自殺やうつの増加」という形で、当事者たちの組織秘密に押し込められている。必要なのはこれを解放すること、そして私たち自身が加害の事実にまでつなげていくことだ。
(ガザの虐殺を止められるのは誰か:http://d.hatena.ne.jp/m_debugger/20090112

その2:軍事費と貧困について

日本はアフガニスタンにもイラクにも自衛隊を出したし、麻生首相は国会で「先に手を出したのはハマス」とイスラエル&米国の口まねをした。「対テロ戦争」を支持し、莫大な金も使っている。つまり加害の当事者だ。
今、どんなに行政の無駄使いが言われても、軍事費だけは不問にされる。
日米軍事再編で莫大な移転費用を払い、高い戦闘機やミサイルを買う一方で、福祉、医療費は削られてきた。「年越し派遣村」には、福祉が受けられずに解雇や病気になった人がたくさん来ていた。なぜお金をまわさないのか。
私たちは、国家という大きな力に押しつぶされる個人という被害の意味でも、パレスチナの人たちと根底でつながっている。大阪の釜ヶ崎では、日雇い労働者がイスラエル領事館に反戦デモをした。貧困問題に関心を持つ人たちにもそうしてほしいし、自分はそうしたい。

まとめ:
今、自分は意図的に別々の問題をつなげて語るようにした。日本では別々の取り組みになることが多いから。1月10日のデモでは主催NGOの方が「自分たちは大急ぎの準備でもういっぱいいっぱいだ、これからはみなさんが…」と言っていた。この問題から動き始めた方は、どうか他の様々な問題にも関心を広げつつ、今あるグループを手伝ったり自分なりの行動を創り出してほしいと思う。ぼくも頑張るから。世界では20カ国以上、フランスでは全国100箇所以上、日本でも札幌から熊本まででアクションがあります、私たちは一人じゃないから!

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(イルコモンズさんブログより)

「ソノトキ、アナタハ、ドコデ、ナニヲ、シテマシタカ?」

“「もし、いつか、どこかで、誰かに、そうたずねられたら…」という想像と、そのときの返事にこまらなくてすむようにという気持ちに後押しされて、いつもデモにでかける。もしいつかどこかで誰かにそうたずねられたときは、「アノトキハ、太鼓ヲ持ッテ、六本木ト、新宿ノ、デモニ、イマシタ」とそうこたえよう。「世界中で、数十万人あるいは数百万人の人たちが、いっせいにデモをしたその日、その数十万人あるいは数百万人の世界のデモに参加してました」と、そうこたえよう。「Think Global, Act Local」というのは、ほんとは、そういうことなんだと思う。デモに参加した人たちの数や日付は忘れてしまうかもしれないが、その日、自分もそこにいた、ということは記憶に残る。自分がそのとき「いるべき場所」だと思う場所にいれたことが大切だからだ。もちろん「いるべき場所」は人によってちがうし、また、そこにいたくても、いれないことの方がずっと多い。そういう人たちの分まで、そこにいようという気持ちでデモに出かけて行く。東京に住むということは、そういうことだと思う。”