「天皇個人と人々が直接強く結びつく」という新現象を批判し、天皇制を無くすために

天皇代替わりや天皇発言に、人々が次々共感していく現象。これは何なのか、どう批判すればいいのか、新聞社で話し合いました。恐らく原則的な批判や「天皇の狙いをあばく」だけでは届かない、新しい打ち出しが必要だと。

?天皇代替わりの何が問題か

視点―4月1日新元号発表、30日退位・5/1即位と10連休。天皇が直接政治を左右する憲法違反。それを利用した政府の統治強化。あまりに露骨で大規模なので、本来天皇制を問題化し、なくす好機。
ところが報道は天皇賛美特集一色(裕仁含む)。リベラル系知識人も「天皇の気持ちをおもんばかる」競争。社会運動からは「天皇と安倍政権が対立している」と支持する幻想と願望が次々と出た。
 これは天皇が、天皇制永続へと発言を増やすことに対し、「天皇がガチガチに縛られているのがかわいそう、自由に動いていいじゃないか」という形で共感されたからだ。「天皇個人と人々が直接強く結びつく」という新現象であり、それに沿った分析・批判が必要(12/26編集会議)。
これは非常に危険。実態は天皇と安倍、アメとムチによる人民支配。

※なぜそうなるか? 
・人々の経済的・精神的な不安がどんどん強まっていることが背景にある。自己が空虚だから神(または共同体を象徴するヒト)に思い入れ、すがりたくなる。社会運動も15年戦争法案反対を最後に、大衆的で開放的な盛り上がり・展望を失っているから。
天皇宮内庁は、それを分析・利用して発言している。

→「すがりつく自分って何なの?良いの?」と問い直すことから始まる。
そして「天皇が不自由だと思うなら、天皇制自体を無くせばよい」(16年11月三鷹、代替わり発言後初のデモ初参加者)に立ち戻る。
天皇制の戦争責任にも戻っていく。

天皇賛美は、超特権階級や女性差別を認める差別の温存。10連休の被害者は低賃金労働者。
天皇の動きの賞賛は、民衆の自発的服従。ナルヒトはLGBTQ支持などもするだろう。「安倍政治が酷すぎる=天皇発言はマシだ」。この連鎖で人は自ら社会運動で現実を変えることをしなくなる。

そう、世界は私たち一人ひとりが主人公であり、私たちが変える。そこに神=天皇制はいらないのだ。(続く)