2012-05-10 就職と起業

或るパーティ会場での取り留めもない会話。
若い実業家A「就職が難しいというのなら、起業すればいい。私はそう言いたい」
悩みがちな大学生B「『就職が難しいなら起業すればいい』と主張する人がいるけれど、就職活動で苦労している最中の私には『死ね』と言っているのと同じようにしか聞こえませんね」
実業家A「まさか。僕は『死ね』などと言うつもりはない。不安は大きいでしょうが、それは曲解というもの。飽くまで選択肢のひとつとして、ワンノブゼムとして提案しているだけですよ」
円熟の芸人C「就職しても、起業しても、人間は死亡率100%! いずれにしても、死ぬのです。死ねと言っても生きろといっても同じではないでしょうか」
車椅子に乗った障碍者D「その主張を『就職も起業もできないなら死ね』と脳内変換する、つまり読み換えるのなら、就労も起業もできない障碍者は『死ね』というのと同義ではないですか。自分には学生Bさんの読み換えは話題を健常者に限定するというバイアスないしは前提条件があるように思えるのです。Bさんが本当に就労も起業もできないのなら何らかの障碍を抱えている可能性も検討してもいいのでは」
太った高齢者E「健常者で就職も起業もしていなくても、死ななきゃならないわけじゃなくて生きていける方法は一応あるよ。年金をもらうとか、ね。今のご時世、収入の一部を生活保護に頼っている知り合いも何人かいるよ」
発達障碍者F「就職も起業もできない、障碍者にも認定されない、年金や生活保護をもらえる資格もない。『みえない』障碍と言われる発達障害の人の一部はそういう状況にあります。ではそういう人に対しては『死ね』ということなんですかね」
実業家A「いやいやいやいや、もちろん違いますよ! みなさん話を広げ過ぎでしょう。僕は健常者の学生さんを念頭において言ったので、そこは言わば常識的もしくは好意的に解釈*1を求めたいところです。そして、サバイバルのための選択肢を或る種の人たちへ提示したからといって、それ以外の人たちは死んでもいいとか、死ねとかは思っていませんよ」
大学生B「うーん、でも私はみなさんの意見を聞いて少し落ち着きました*2。不安はなくなりませんが、自分が生きることの中に就職するか起業するかの二つの対立しかみえていなかったような気がします」
2011-09-05
答え・問いかけ・感受性
問題があって、それに解決策や回答を与える、というのはよく引き合いに出される構図である(実際には何が問題なのかよくわかっていなかったり、回答が見当外れで回答になっていない場合もよくあるだろう)。こういう図式で考えたとき、答えと問いとどちらが大切なのだろうか。
2011-06-03
哲学道場駒込04
出席者八名。発表者ジェイコブ氏。クリプキ批判を展開するが、ジェイコブ氏が剽窃を恐れているとのことで、詳細は書かない(青山拓央氏に実際にパクられた経験アリとのこと)。
ジェイコブ氏は辛抱強く話を聞いてみれば頭もいいし、「哲学」に対するこだわり・情熱も持ち合わせているが、
1.演説口調で不遜なしゃべり方
2.高飛車な物言い
3.非現実的な信念(極端に言えば「それが真理であればそのまま話せばわかってもらえるはず。※ただしバカとキチガイは除く」)
のために同調者を獲得することは現状では困難である、というのが深草の印象である。もちろん今回も非難GOGOである。同調者を獲得できないことはジェイコブ氏にとっても損なことであると思われるので、今後のカイゼンを期待している。実際、今回のレジュメにはアカデミックなお作法からは逸脱した点もみられたものの、以前よりはわかりやすい内容だと感じた。アイデアには新しいものを感じるので、クリプキの引用・解釈などにもっと丁寧な説明を心がけるとウケがよくなると思う。
しかし、上記のような欠点が今あるからと言ってジェイコブさんは出入り禁止!とかそういうことはしない(駒込ローカルではあり得るが、哲学道場全体としてはしない)。それが「哲学カフェ」や「永井均ゼミ」とアナーキーな哲学道場の違うところである。なお、哲学道場の出席者の中には破天荒さにおいてはジェイコブ氏に負けるとも劣らぬ猛者(残念ながら深草ではないが)もいるので、今後対決の機会があればぜひ見てみたいものである。
哲学道場高円寺07(第二期)
出席者八名。発表者duality氏。今回の災害や事故を契機として環境問題について話し合う。
細かいトピックや個別の事実が多数出たが、全体としてどういう主張なのか深草にはつかみにくかった。当初は環境問題を解決するために全体を統制するような新たな「指導原理」を打ち立てるべきだという主張なのかと思ったが、実際には具体的な「指導原理」の提案ではなくて、そのような指導原理をチェック&バランスで統制しよう。そのときに、様々な主張・派閥があり得るが、「持続可能な環境」の維持は共通基盤になるだろうという話だと理解した。
トピックの中には「人間中心主義」の批判もあったが、人間中心と言っても人間と何が対立しているかが問題であろう。深草は「人間と自然環境との対立」などは考えられず、「人間と(特定宗教の)神」とか「(今の)人間と(未来の)人間」との対立で捉えるべきだと思った。
前日の駒込に比べれば遥かに和気藹々とした雰囲気ではあったが、ぶっちゃけ抽象度や問いの深さにおいてはマイケル・サンデル氏の一般教養の授業以下の水準であり、もっとトピックを絞ったかたちで議論を展開された方がヨリ「哲学」的だと深草は感じた。
自転車ですっ転んだ
病院で胃カメラの検査を受けたが特に異状はなかった。その帰りに自転車のハンドルに傘をひっかけて運転していたら傘が前輪に巻き込まれて、身体が前のめりに放り出された。顔面が路面にこすりつけられて出血、正面の前歯二本がそれぞれ〔歯茎から出ている部分の〕半分と五パーセントほど欠けてしまった。
【教訓】傘をハンドルにひっかけるのはやめましょう。
大腸内視鏡検査を受けた
本日六月三日に大腸内視鏡検査を受けた。前日から食事を減らして洗腸液や下剤を飲んで検査に臨んだ。検査の担当者の練度によっては痛い思いをすることもあると聞いたが、それほどではなかった。二三十分かかるとは聞いていたが少し時間を長く感じた。検査後は鎮静剤が効いているため一時間ほどベッドで寝てから医師の所見を聞いた。
結果としては腫瘍など今すぐ対応する必要がある深刻なものはないが、よくわからない青い斑点のようなものがみられる(大腸内を染色してみた結果)という。採取した組織を検査した結果が来週の水曜日に出てくるまで正確なことはわからないのだが、「クラミジア」の可能性があり、「失礼ですが……」と性風俗店などでアナルセックスをしたことがあるかと聞かれた。
いや、無いんだが……。
2011-05-19
日記・器量・朱子学
精神科
ストレスのためか、消化器系統の不良のためか、頭痛と腹痛がひどいときがある。体調が悪いこと自体は仕方のない面もあるが、原因がよくわからない・予測できないのが難儀である。また、不眠に悩まされたこともないため、鬱病というわけでもないらしい。
おかしな(しかしショボい)生活上のエピソードには事欠かないが、そもそも何がアスペルガー的で何がそうでないのかよくわからない。月に一度診察を受けているが、そのときはなるべく自分でアスペルガーっぽいエピソードを抽出してきて話をする他ないわけである(話を作りたいわけではないが、アスペルガーっぽくないところを抽出するわけには行くまい)。それで、大抵は話を自己完結させて済ませている。なお、診察を受けるときに発する私の第一声は「吾輩はナポレオンである。名前はまだない。そもそも余がエジプト遠征に出奔したる折に……」である。