私が考える、作品を評価する言葉の意味とは?

■ これは
 なんかtwitter上で作品評価の言葉について色々と話が盛り上がっていたのですが、ふと何も考えずに感想を書いてきた自分は作品をどうだったのだろうと思い改めて考えてみた。ただそれだけのものです。

 多分ひょっとしなくても話の途中に明らかにおかしい部分や矛盾や突っつき易い穴が出てくるかもしれませんが優しく指摘してあげてください。

 なお、言葉遊びになる可能性が非常に高いです。そうなったら・・・・・・訂正する気が起きないのでそのまま進むと思います。うん、気にしたら負け。

 それではスタートです。

■ 作品を評価する言葉
 端的に、『面白い(素晴らしい)/つまらない』、『傑作/駄作』の2点について考えてみました。

 他にもあるかもしれませんが、思いつかなかったのでまあ思いついたらまた考えるとしましょう。

 さて、これらの言葉にどれほどの意味があるのでしょうか?

■ 面白い(素晴らしい)/つまらない
 twitter上で挙がっていた話では、『面白い(素晴らしい)/つまらない』という言葉を使用又は多用している感想・書評はあまり宜しくないようです。私は『面白い』はメチャ使ってますけどね。

 感想文やらレポートやら考察で良く使うな言われますよね。何故そういわれるのか?

 簡単なことです。何故なら、その回答は自分にしかわからない主観的なもので、人に伝えようとしていることを放棄しているからだと思います。完全なる自己満足ですね。

 ひょっとしたら、理由付けすれば話は変わってくるかもしれません。その言葉を使用した前もしくは後に理由を付け加えたならばまだ意味があるかもしれませんからね。

 ただ、この作品はこうだったな、私にはこういう風に見えたな、こう感じたな。

 感想を覗きに来る人はきっと(少なくとも私は)、『他の人にはこの作品はどのように感じどのように映ったのかな』とか、『自分がこう思っていたところにその人はこういう考え方を示しているんだな』ということを見たいのだと思います。

 だから、もしこれらの言葉を使うにしても明確な理由があればその印象を深くする(強調する)という意味では効果的になるかもしれません。

 ただ、その場合使う意味がないことが多いんですけどね。

■ 傑作/駄作
 一般的に言えば、『傑作』とは非常に優れた作品のことで、『駄作』とは文字通り無駄でつまらない作品という意味です。

 突然ですが、私は今まで色々な作品について言及してきましたが、なんと一度も傑作も駄作も使ったことがないのです。

 どうしようもなく使いたくないんですよね。どちらの言葉も。それが何故なのか今まで考えたこともなかったんですけどね。

 何故考えなかったのか?

 それはあくまでも私自身が絶対に正しいとは思わないからなのでしょう。

 難しい学術本は一般人には拒否され、賞賛に値するかもしれないマンガがいい大人たちに否定され、そして逆に肯定する人も当然のように存在する。

 新たな観点から見れば傑作も駄作に変わるかもしれないし、駄作も傑作に変わるかもしれない。

 だから私は答えを出さない。答えを出すことに意味を感じないから。

 『私が考える、本を読むこととは?』でも言ってますが、私に出来ることは自分の考えを感想としてブログに出力し、私自身はただただ作品を楽しむだけなのです。

 何故楽しかったのかという思いを自分の言葉にするのは大変ですが、それがわかれば嬉しいですし、他の人との考えと合わせて考えてさらに嬉しくなりますからね。

■ 毎回似たような結論ですが
 結局のところ、自分の答えを自分で受け入れられるのが一番正しいのでしょうね。

 使い手によって意味を変える言葉。自身望む答えの形。

 誰が何を言おうとも、自分が思っていたいように思っていられればそれでいいのですから。

 私自身がそうしているように。

■ う〜ん
 なんか言葉足らず感が凄いするので追加考察するかもしれません。