2009-05-16
■[ポリティック] 血液型別山本七平。
血液型別性格判断などというシロモノは「当該するものは印象に残るがそうでないものは脳がカウントしない」という人間の認知傾向を利用した単なるトリックに他ならないと考えているのだが。
世にあまたある「日本人論」なるものの多くも血液型別性格診断と同じで「あー、あるあるある」なとこを巧く突かれると「なるほど!」とつい腑に落ちてしまうけれど、冷静になって考えてみれば「それって他の国の人もあんま変わんないんじゃない?」とか「よく考えたらオレが知ってる”外国人”って全部メディア経由だよなあ..」なとこに落ち着いたりする。もちろん、気候風土や社会構造の違い等によって思考や行動の傾向にある程度の偏差はあるだろうけど、たとえば移民の数世代を観察すればそんなものが何百年や何千年のオーダーで人々を縛るものでないことはすぐにわかるはずだ。
なんでこんなことを書いてるかと言うと。
本来居酒屋談義にしかならないはずの血液型別性格判断や日本人論が私たちの社会や暮らしの在り方に憂鬱な影響をもたらしていると感じるからだ。もっとも血液型別性格判断に関してはそのバカバカしさが多少なりともアナウンスされてきているとは思うが、思いつきの「日本人論」の方はより深刻な勢いを増して来ているような気がする。
「日本人は農耕民族だから牧畜民族と違ってそんな残酷なことが出来ない。」
「日本人は単一民族だから”和’を尊重する。」
こんな浅薄な「日本人論」はあちこちで見ることが出来るはずだ。のみならず政治や行政が「日本人論」によって言い訳されたりすることも少なくない。果たしてその「日本人論」が普遍的な事実に裏打ちされているかどうかは問われることもなく。
事実かどうかも判らないエッジの立ったエピソードをもって全体を規定する「日本人論」の嚆矢としてはかの山本七平氏が著名だが、浅見定雄氏などによって化けの皮が剥がされてしまったにもかかわらず未だにあちこちでもてはやされているのは実はわからないでもない。ストンと認知の隙間に入り込むエピソード主義に快感を感じる回路は私にもある。だが今私たちがあらためて対峙しなければならないのは「山本七平式エピソード主義」だ。
”生活保護を受けながら外車を乗り回している”というエピソードで生活保護者全体の権利を制限しようとはしていないか。”公営バスの運転手の年収は1000万円あるらしい”というエピソードで公務員全体の権利を制限しようとしていないか。”凶悪犯罪の報道が相次いでいる”というエピソードで私たちみんなの権利を制限しようとしていないか。
エピソード主義の果てにあるものにもっと注意深くあった方がいい。
2009-05-11
■[聴く] 音楽は道の上にある。
世界各地のストリートミュージシャンがネットを介して一つの曲を演じようというプロジェクトがあり、その演奏風景を記録した動画がネットで話題を呼んでいる。音楽を通じて平和をアピールしようという主旨のプロジェクトのようで、その演奏を収めたCDや関連商品も売られている。
楽しい試みだけど、ちょっと勿体ないなあと思ったのはそこで取り上げられてる曲が"Stand By Me"だったりあるいは"One Love"だったりのいわばスタンダードナンバーであることだ。なんというのか、色々な”方言”を喋る人々があえて”共通語”で会話してるような感じ。”よそ行き”の音と言ったら言い過ぎかな。折角遠く離れたもの同士が一つのものを創り上げてみようとするなら、たとえばお互いが初めて聴く”方言”に戸惑いながらもお互いに通じる新しい”言葉”が少しずつ出来上がっていけばもっと楽しいんじゃないかと思ったりもする。
ロマ(いわゆる”ジプシー(注)”)と呼ばれる人々が持つメロディやリズムは、彼らの祖先がインドを旅立ち数百年かけて東欧や南欧にたどり着くまでの道の途上で土地土地のリズムやメロディを貪欲に消化して出来てきた、いわばリズムやメロディの”雑交配”が生み出した”雑種”の音。それはスタイルや作法に煮詰まった”ロック”や”ポップス”を尻目にしたたかでエネルギッシュだ。
彼らは数百年の時をかけ期せずしてメロディやリズムを雑交配させてきたわけだけど、今や私たちはデジタル回線を介してリアルタイムで世界の音とセッション出来る時代に生き合わせている。駅前広場でのストリートミュージックもいいけれど、デジタル回線という”路”を旅して新しい音楽を創り出すデジタルストリートミュージシャンの姿を想像するのもなんだか楽しい。
注)かつて”ジプシー”という言葉には差別的なニュアンスもあったことから現在では他称する際は”ロマ”と呼ぶようになってきています。
2009-04-26
■[観る] 広場はいつだってこどもたちのもの。
何年かに一度くらい見る夢がある。
夜の山々の向う側から鳥とも飛行機ともつかないとてつもなく巨大なものがゆっくりと舞い上がってきて、そして多くの人々とともにそれを眺めている夢。その景色になんだか静かに感動して、そして目覚めた時に自分が涙を流していたことに気づいてびっくりしたりする。
だからというわけではないのだろうけど。
自分たちの街に現れた巨大な少女と象を見あげるたくさんの人々の表情を観ているとなんだか胸が熱くなってしまった。男も女も年寄りも子供も、自分たちがその日見た景色を死ぬまで忘れないだろうということがわかる顔で巨大な少女と象を見上げている。
以前YouTUBEで偶然見つけてひとしきりコーフンしてしまったROYAL DE LUXEの"The Sultan's Elephant"。ドキュメンタリのDVDが発売されたので早速入手して観たのだった。
ある朝街の広場にロケットが突き刺さっている(本当に広場の舗装を破壊して突き刺さってるのです!)のを発見した子供達のワクワクした顔から始まる数日間の異世界への旅。ロケットから現れ自分を取り巻く大勢の人々に目を見張る巨大な少女。本当の子供のように奔放に街を彷徨する彼女(なんと道ばたでオシッコしたり!)の後をついてあるく幸せそうな人々。夜になり眠る少女の寝息を聞きながら「今夜は眠れそうにないよ。」と呟く老人。ああ、本当に夢のような光景。
心の底からル・アーブルの人々がうらやましく思えてくるのと同時に、日本の街でこの時間と空間を持つことが出来るだろうか、などとなんだかネガティブなことを思ってしまう自分がちょっと悲しかったりしたのでした。

